「【今作は、父、葛飾北斎同様にぶっきら棒で頑固だが”見る人”でもあったお栄と北斎の不思議だが強い父娘の絆を、お栄の想い人魚屋北渓や、後に渓斎英泉となる善次郎の存在を絡めながら描いた作品である。】」おーい、応為 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【今作は、父、葛飾北斎同様にぶっきら棒で頑固だが”見る人”でもあったお栄と北斎の不思議だが強い父娘の絆を、お栄の想い人魚屋北渓や、後に渓斎英泉となる善次郎の存在を絡めながら描いた作品である。】
ー 飯島虚心の伝記『葛飾北斎伝』と、江戸文化研究家でもあった故、杉浦日向子の漫画『百日紅』所収の数編(『野分』のみ分かった。)を原作に、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の娘で、自らも浮世絵師として活躍した葛飾応為の知られざる人生を描いた作品である。ー
■凡庸な絵師の夫と”アンタの絵を見ていると、苛苛する!”と言って別れたお栄(長澤まさみ)は、父、葛飾北斎(永瀬正敏)が住む長屋に住みつく。
だが、彼女は父を本名でもある鉄蔵から”鉄!”とため口で呼び、愛想はなく、身なりにも無頓着だが、自分によく似た父が、背を丸めて絵を描く姿を何時も観ている。
そして、彼女は結婚前に握っていた筆を執るのである。そして、北斎も”美人画では敵わない。”と認める腕で、吉原の遊女を見ている人たちの姿を見て「吉原格子先之図」を書き上げ父、北斎に”これは、俺でも描けねえ。”と言わしめ、”葛飾応為”の名を貰うのである。
◆感想<Caution!内容にやや触れています。>
・『百日紅』の数編を原作としているからか、今作でのお栄は、ぶっきら棒で愛想もない。そんなお栄を、長澤まさみさんが見事に演じている。
・葛飾北斎を演じた永瀬正敏さんも、流石である。津軽の侍(奥野瑛太)が”屋敷の屏風絵を書いてくれ。”と頼みに来ても、けんもほろろに追い返すのである。
引っ越しを繰り返す二人の新居を侍が尋ねて来るシーンでの、お栄が刀を抜いた侍の前に立ち”切ってみろ!”と啖呵を切るシーンはナカナカである。傍では善次郎(髙橋海人)が、恐怖の余り、固まっているのに・・。
そして、その後北斎は武士の意地を見せた侍の為に、津軽藩の屋敷で屏風絵を描くのである。
父娘共々、肝が据わっており、【似た者同士である事】が、このシーンから分かるのである。
■今作で、お栄はイロイロなモノを只管に観る。江戸の名物でもあった火事は一晩中、近くで観ていて、呆れた魚屋北渓(大谷亮平)に、”美しいから”と告げるのである。そんな彼女は浮世絵師のランクで下の方の魚屋北渓の名を、少し寂し気に見上げるのである。北斎は横綱なのに・・。
更に、彼女は金魚売りの所では金魚のヒラヒラ靡く尾を見て、吉原の遊郭に群がる男達の姿をじっと見るのである。彼女が見る人だった事が分かるのである。
北斎が書く春画を見ても”女の足指の向きが違う。”と言い放つのである。
・『百日紅』所収の『野分』のシーンは、やや異色である。北斎の娘は盲目で、北斎は逃げるように娘と離れて暮らすが、お栄は母(寺島しのぶ)と妹の屋敷に、北斎が娘の為に描いた魔除けの絵を持って足を運ぶのである。
だが、或る日、娘が二人の住む長屋に立っているのを善次郎が見て、お栄が慌てて屋敷に走ると、妹は息絶えているのである。
■圧巻は、老いた北斎が”俺の世話はもういい。”と言った時に、お栄が激昂して”アンタみたいな爺と暮らす道は、自分で選んだんだ!”と父に叫ぶシーンであろう。
彼女は、何だかんだ言いながら、父、葛飾北斎を尊敬している事が良く分かるシーンだからである。
可なり沁みるし、永瀬正敏さんと長澤まさみさんの演技のぶつかり合いに魅入られるシーンでもある。
<今作の魅力は、劇中で葛飾北斎とお栄が絵を描くシーンでの、手の使い方や流れる様に描かれる画であろう。実に面白い。二人が手を動かすと、魔法の様に浮世絵が出来上がるのであるから。
今作は、父葛飾北斎同様にぶっきら棒で頑固だが”見る人”でもあったお栄と北斎の不思議だが強い父娘の絆を、お栄の想い人渓斎英泉や、後に渓斎英泉となる善次郎の存在を絡めながら描いた作品なのである。>
共感ありがとうございます!
>圧巻は、老いた北斎が”俺の世話はもういい。”と言った時に、お栄が激昂して”アンタみたいな爺と暮らす道は、自分で選んだんだ!”と父に叫ぶシーン
本当にこのシーンが心に刺さりました。大きなヤマもオチもなくて、スローなジャズに乗せた映像をつぶさに観察していましたが、ここで不覚にも泣いてしまいました。
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