罪人たちのレビュー・感想・評価
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B級映画としてみないと
事前情報なしに見て、蓋を開けたらB級映画。
そのつもりで見てなかったから、面食らった。
ヴァンパイアは招かれないと入れないという設定があるのに、あの招かれ方はいただけない。あそこが肝だったと思うんだけど。
自由への渇望
永遠の魂
想像していたものと違う作品でした
「なんだなんだ、一体なんなんだこの映画は!?」でした。
タランティーノ張りの内容を期待していたのですが、まさかバンパイヤが出てくるとは! 最近は、映画はできるだけ前情報なしで観るようにしていますが、今回ほどびっくりこいだのはないです。で、内容ですが、バンパイヤが出てくるまでは会話とかよかったし、そのあとの展開に期待持てたのですが、バンパイヤ出現後は他のホラーと変わりばえない感じ。最後のKKK襲撃のシーンでバンパイヤとKKKを重ね合わせているのかなあって思った程度。
とにかく期待外れでした。
自分らしく、人間らしく生きることの大切さを描く傑作ブルースホラームービー
今年のアカデミー賞を総なめするんじゃないかと言われてる、ブルースホラー映画。
自分の夢を叶えるためには何かを犠牲にしなくてはいけないという神話の時代からの物語を否定的にとらえ、自分らしく生きることこそが美しいと力強く描く傑作。
映画公式サイトがジュークジョイントのこと、全く文化的センスなく、ダンスホールって訳してて、字幕大丈夫かなとドキドキしてみてましたが、サラッと酒場って訳しててまずはホッとしました。
前半ヒューマンドラマ、後半ホラーときいてましたが、そういう先入観持たない方が楽しめるんじゃないですかね。映画的な仕掛け、伏線からの回収などがしっかり地続きで、単純にエロくてカッコいい、デートムービー向けホラーでした。
まあ、ホラー映画ですよと言われると、ホラー初心者向けって感じで物足りないのもわかります。心霊とかじゃないからあんまり怖くないし。まあセックスしたら死亡フラグみたいな懐かしさはあるので、昔のホラー映画ぽい感覚ですね。ホラー苦手な方もまあ大丈夫なレベルかと思います。
劇中、ブルース音楽が好きな方にはおなじみの黒人特有の文化的なキーワード(キャットフィッシュ、モジョなど)や差別的なスラングは日本語訳でやわらかい表現になってるため、少しわかりづらいのかも知れませんが、ボクが観た回は、初日ということもあり場内外国人のお客さんが多くて、言葉わかるからかめちゃくちゃウケてました。1番うけてたの、ち○こ映るとこだけどな。
とにかく音楽と編集がすごいので気軽に楽しんでいただき、ブルースってカッコいいなーくらい思ってもらえたら、いちブルースファンとしてこんなにうれしいことはありません🙇
※ちなみにボク自身は70年代の日本のブルースブームはあとで知った世代で、80年代後半くらいから、リスナー、プレイヤーとして、ライブ活動やブルースセッションでの交流など、わりかしどっぷりブルースにハマってきたタイプの人間です。とは言え、誤りがありましたらコメント欄でご指摘いただけましたらうれしいです。
まず、バンパイヤを呼び寄せるきっかけになった中盤のあのシーンについて。ここで、ブラックパンサーから継続したアフロフューチャーリズムが早くも登場します。
※アフロフューチャーリズムというのは、テクノロジー、未来、宇宙と黒人文化が結びついた、アフリカ系のアーティストが表現するユートピア思想のこと。例えば黒人によって作られたエジプト文明が滅ばずに今も最先端のテクノロジーとして発展する世界線、みたいなことです。
頭のショットで突拍子もない衣装で黒人がギター弾いてますが、あの衣装は明らかパーラメントとかEW&Fといったグループのコンセプトだったアフロフューチャーリズムを表現してるものです。ライアン監督の好きなヒップホップだとアフリカ・バンバータとかも初期は同様のアプローチでしたね。
ここ、なんでジミヘンじゃないか?というところがポイントなんですよね。特定のミュージシャンじゃないのは、明確にアフロフューチャーリズムの普遍性を表現したかったんでしょう。ご丁寧に頭とおしりで2回も彼が登場します。
ブラックミュージックの継続性も表現してますが、関連のない京劇もいれてるのは、監督が、やっぱりアフロフューチャーリズムが大好きなだけなんじゃないかと思ってしまいますね。せや、ここに入れとこ!みたいな😆
音楽的な表現としては、最後に全部持っていくのが、年老いたサミーを演じる、レジェンドブルースマンのバディガイなのが痛快なのですが、これは後ほど。
ブルースは、個人の孤独や失恋を歌ってるイメージがあるかと思いますが、実は元々はえげつない下ネタソングも多いし、つまりは欲望、願望をストレートに歌ってるわけです。そこがゴスペル側からみたら悪魔の音楽ってことなんですよね。
この映画では劇中のブルース曲はシリアスなテーマに振ってるので、性的な欲望は、セリフやお芝居で表現してるんですね。
ここのところは、悪魔と契約してブルースを手に入れたというクロスロード伝説とは、少し距離を置いて考える必要があるように思いました。
この映画はクロスロード伝説をちらつかせつつ、かなり周到に、クロスロード伝説の主人公のロバートジョンソンのように安易に魂(自己)を差し出して、才能や富や名声を得るという誘惑にのるということを否定しているように受けとめました。
その証拠に劇中でもロバートジョンソンじゃなくてチャーリーパットンの名前出してますし、おまけ映像で冒頭のゴスペルの曲をブルースにアレンジして演奏して、サミーの音楽の根っこがゴスペルにあると示し、ゴスペルとブルースの関連性なども伝えてるのかと思います。
むしろ、映画ラストの年老いたサミーが、バンパイヤになれば永遠の命が手に入るという提案をされますが拒否し、人間として死ぬことを選ぶこと。ここをクロスロードと逆の構図にして、人間らしく生きることの大切さを伝えているのかと思います。
映画では描かれないサミーの生き様を想像させるような感動のラストシークエンスだと思いました。
2020年代にスクリーンの大画面でバティガイのギター弾き語りの一発撮り!録音マイクから周りのピーンと張り詰めた空気伝わりました。監督、ありがとうございます。あんた、最高だよ。
バディガイは、あのブルースブラザース に対してのオリジナルブルースブラザース と呼ばれたコンビの片割れです。ボクは60年代くらいシカゴブルースで活躍してた頃のバディガイが一番好きです。
90年代にはジェフベックらゲストミュージシャン入りのアルバムでグラミーもとりましたが、その頃の日本でのライブは、観客に媚びすぎで、ライブに一緒に行った友人達と今の言葉でいうとオワコン認定するほどでした。まあ、ファンに感謝してファンが喜ぶことを優先させちゃう、人の良さ、それがバディガイというブルースマンの魅力であり、欠点といいますか。
そんな風にキャリアがめちゃくちゃ長い、バディガイ。セリフでも、あんたのアルバム全部持ってるけど、生ギターのやつが最高だぜ、の流れから弾き語りになりますが、実際のバディガイもアコースティックギターの音源はたしかアルバム1枚しかないし、(ジュニアウェルズと共同のものも1枚しかないかも)、キャリア的にはエレキギターメインのブルースマンなのです。
映画内の残された時間はわずか、というところでバディの実年齢が90歳に近いとこで、リアリティがありすぎてどうしても泣いてしまいます。このシーン、ヘイリーが自分のおじいちゃんを見てるみたいな切ない、いい顔するんですよね。
ちなみに弾き語り前のライブシーンのエレキギター弾くところの実際の音源は、バディガイの横でギター弾いてるキングフィッシュか、エリックゲイル(ズ)じゃないかというのが、ボクの見立てです。バディ以外のミュージシャンが画面に登場しないけど、ここはバディの謙虚さでキングフィッシュの登場となったんじゃないかなと予想。バディとしては有望な後輩にここから先のブルースシーンを託してる意味もあるんだと思います。
気になってたもうひとりのブルースマン、ボビーラッシュは、ハーモニカの吹き替えだけで、出演はなかったように思いました。吹き替えてる役者さんが微妙にボビーラッシュに似てて、まさかねーとは思わされましたが。
この映画、大ヒットした音楽映画「はじまりのうた」に対するアンサームービーの意図もあるような気がしました。
「はじまりのうた」はブラックミュージックをけなしてる構図になってます。
中盤のあのシーンで未来といいつつ、今のブラックミュージック見せたりもそのためだし、「はじまりのうた」のプロデューサーの娘を演じたヘイリーを本作のすごく重要な役で登場させてるのはそうことじゃないですかね。しかもクレオール(雑にいうと黒人と白人のクォーター)って設定が憎い。
音楽的にもアイルランド勢が活躍してるとこはケルト、黒人勢の見せ場はブルース、とシームレスに繋ぐという、ものすごいことやってました。このあたりもアカデミー賞でも評価されるんじゃないですかね。
検証してないので話半分で聞いてもらいたいのですが、サムの歌のハミングのところの音階が、冒頭のアニメのアフリカ呪術の音と一致。この音階がブルース最大の発見であるブルーノートスケールをなぞってるんじゃないかなと。
音楽評論家の方のnoteでサミーがやってる「Travelin'」とバディガイのは、コードが違うという話からの、サミーのはカントリーとのミクスチュアを意味してるという内容を読みました。
たしかに若いサミーの時代は、年老いたサミーが弾いたコード(いわゆるブルース進行)のものが実は少ないということもわかりますし、ブルース進行は、50年代以降のシカゴブルースから一般化したのですよね。
若いサミーの時代はブルースが実際にはブルースとカントリーは影響しあったことももちろんわかりますが、ここはゴスペルとブルースのミックスを示してると考えてた方がこの映画的にはしっくりくる気がしましたね。
具体的には先日亡くなったスライの名曲、スタンドをサウンドオブブラックネスがカバーしたあたりから、ゴスペルのアルバムにソウルやロックのミュージシャンが参加したりと、リアルではゴスペル自体もミクスチュアが進行しているように受けとめております。
と考えていくと、黒人が迫害された歴史や音楽が白人に盗用されたメタファーとして、白人のパンバイヤが襲ってくるという受け止め方は、どうもそこじゃないんだよな、という気がしてます。そんな差別、迫害メインでここまでアメリカでヒットするわけないしなと。
音楽好きの方なら、いやいや黒人も白人もミュージシャン同志は、お互いリスペクトして影響しあってきたやんということもご存知のはず。はい、なのでホラーパートは、はっきり言うとゴスペル、ブルース、カントリー(劇中ではアイルランド民謡)が、影響しあうミクスチュアを刺激的に表現してるというのが結論です。
これは斬新!
今夜(2025/09/27)レンタルで観ました。
『ジャンゴ』や『それでも夜は明ける』などの展開を予想しましたが、良い意味で裏切られました👍
アウトローの黒人兄弟、スモークとスタックの帰還。白人から物件と土地を買収し、即日でクラブをオープンさせます。
スタッフやミュージシャンをヘッドハンティングし、遂にオープン。最高に自由な時間を歌と音楽と酒とギャンブルで満喫するも束の間、招かれざる客がやってきます。姿形は人でも異形の3人。
オープン初日のクラブで勃発する異形との戦いは、最高にゾクゾクします😆とその前に、クラブ内のモンタージュも斬新で、今までになかった描写と非現実感を満喫しました。
アジア系の奥さんが、異形を招くことで始まってしまう抗争シーンでは、画面の上下サイズが拡がり、激しい戦いを否が応でも予測してしまいます👀💦
すべてが終わった後の魅せ方も超絶クールで、ケチの付け所は、144分で少々長い所くらいなものです。
黒人音楽の渋くてパワフルな音楽、アイリッシュミュージックの優しい音楽、異形の集団が闇夜で歌う姿など、ディズニー辺りがやっていそうでやっていない絶妙なラインを攻めていて、目が離せなくなりました🤩
最期に残るのはサミーですが、年老いた彼の姿、ギタープレイと渋い歌声は、もっと長く聴きたいほどに魅力的でした。
こんな事ならIMAXで観ればよかったです🫦💢(笑)
自由な日
濃厚〜
情報量多い〜
音楽が胸を叩きつける〜
と、かなり嬉しいしんどさ。
黒人差別が激しい時代、プランテーションの綿毛を摘む人々、禁酒、白人用トイレ。
そんな時代に双子のスモークとスタックはシカゴのカポネに入り何やらやらかして大枚を叩き酒とダンスを楽しめる酒場を作り自分達の自由を得る為に行動を始める。
まず、行動が早い。
朝に建物を買い、二手に分かれて看板や料理、人材集めを行い夜にはオープンである。
行動力!
スタックが1人また1人とメンバーを増やすくだりはワクワクしたし、収容所の話を音声で表現したのがより生々しい。
その初日に青年サミーはギターでブルースを奏でるという形で双子の叔父たちと行動を共にする。
サミーはギタリストを夢見ていたが厳格な神父である父の反対で叶わぬ願いであった為、嬉しいお誘いだ。
人間関係や愛情のもつれや恋の始まりなどのドラマも細々と描かれるので物語もどんどん肉厚になっていく。
ボー夫婦に声をかけた時に妻に伝言を娘に託す過程を長回しで見せて、あぁ中華系だから中央に店を構えているのかなと。
そんなふうに所々に長回しや音のタイミングでの切り替えなどが多用されるので、どきりとするシーンも多い。
一方、夕焼けの中大怪我をした1人の男が一軒の家の夫婦の元に逃げ込んでくる。
金貨をチラつかされ匿われるも追ってきた原住民になんだか不穏な事を言われる。
なんか雲行きが変わってきたぞ…
オープンした店は満員で大盛り上がり。
しかし、現金のない人も入れてしまうので初日から経営方針の対立。
流れるピアノ、かき鳴らすギターとサミーの歌声、皆のリズムと足踏み。
ブルースとはこういうものだ!と分からせてくれる。
ソウルフルというやつか…音楽には詳しくないのだけど、とにかくすごい事だけは分かるので、ただ圧倒。
…あれ?なんか変なやつが隣にいない?って思ったらカラフルな衣装とギターの持ち主が背中合わせで弾いている。なんだか未来的。古典楽器の様なものを弾く人、ターンテーブルが回りDJがリズムを刻みラップが始まる。
コンテンポラリーダンス、中華系、ボンゴ、現在過去未来、様々なジャンルの音楽人種がサミーの元へ集まり踊り歌い続ける。ここの長回しはトリハダものである。
サミーの歌声に合わせぐるぐるぐるりと沢山の音楽とそれを楽しむ人々。カメラは再びサミーに戻り、彼の歌声は夜空へ燃え上がりその炎は格子を破り彼らは差別のない自由となる。
そんな中、3人の影が立つ。
3人は愉快にバンジョーを鳴らして中に入れろと。
あ!レットミーインだ!
そこでこの作品はホラーだった事を思い出す。
それくらい前半のストーリーが濃密だったのだ。
吸血鬼対決が盛り上がるか心配なくらい。
しかし、吸血鬼ものとしてもきちんと作られていて1人また1人と吸血鬼化。
先に逃した客も一様に吸血鬼化されてしまい、その悪魔を中心にダンスを踊る光景はゾッとした。
サミーを差し出す要求するも未来ある若者を守る大人たちにジンとくる。
吸血鬼といってもチューチュー吸うのではなくガブリなので集団に男がやられる様はゾンビを彷彿とさせる。
吸血鬼化したスタックと対抗するスモーク。2人の胸に揃いのペンダントが映る。
戦いの間、互いを必要としつつもどちらかが勝たねばならぬ状況で「守ってやれてすまない」「いつも守ってもらった」と決着をつける2人。妻の手製のお守りで弟が噛みつけないのも良い。妻もあなたを守ったよ!
冒頭に戻り壊れたギターを持ち教会に戻るサミー。
固く固く握り締める手。
まだまだ続くよ、次はKKK。
ちょこっと出ただけかと思ってたが、まさかガチで出るとは。いろいろと分からないけどとにかくすごい武器を持ちスモークは無双。妻のお守りをちぎり、兄弟の揃いのペンダントを巻きつける。
腹に一発致命傷を受け、妻と子供に出会い終える。この演出は本当に素晴らしく途中で遮られた時に邪魔するなって思った。ほらー、ちょっとアニーが嫌な顔したじゃん。
大人達に守られたサミーの未来。
彼は壊れたギターを手放さず、プランテーションの一本道を1人走り去る。
老いたサミーはシカゴで成功し、夢を叶えていた。
演奏するその歌声は聴こえない。
謎の2人組が…
スタックとメアリーじゃん!めちゃくちゃ俗世にハマってるじゃん!エンジョイしてる!ウェーイ!
スモークは弟を手にかけることはできなかった。
しかし、サミーには手を出さないという約束もきっちり守るあたり、双子の絆だなと思う。
あの日、車の横で初めて聴いたあの歌。あの時の驚いた顔。サミーの生の歌声が響く。
あぁ、だから最初の演奏シーンは歌がなかったのか。
レコードでもテープでもない生の声、大人達に守られ努力し叶えた彼の歌声はスタックの前で披露される。
サミーの音楽をずっと聴いていたというのもそれが発端だとも思うが、叔父としても見守ってると思うとにっこり。
別れ際にはハグ。
最後に語るのはあの日のこと。
思い出しては辛くなるが、あの日が最高で自由だったこと、そしてスモークがいた事。それは人種が異なってしまっても2人の大切な思い。
3人で一本道を車で走る。
前には双子の叔父さん、荷台にはギターを抱くサミー。
綿毛の畑を抜ける道を青空のもと自由へと走った車。かけがえのない3人で。それは自由であり幸福。
不意打ち号泣のラストでした。
エンドロール中の余韻がすごく音楽もとても良いので浸っていたら、若いサミーが教会で歌う映像まで出るとかサービス精神旺盛。
1本で1粒も2粒も美味しく、豪華おまけもついてるよ!な仕上がり作品。
あと、いろいろな作品のオマージュ多くてこちらもニッコり。
ほんとに情報量多くて考察のやり甲斐のある作品なのだろうけど自分の教養の無さにがっかりだよ。
人生で最良の日
アフリカ系アメリカ人とアイルランドから来たヴァンパイア。
1930年代当時、お互い苦難が多かった者同士、
ブルースとフォークの対比も面白く、
単純に人間vsヴァンパイアというよりも、
そこに至らしめている背景なんかも考えながら観ていた。
特に前半では、黒人が迫害されている時代背景がわかるような
描写(白人専用トイレなど)があり、
スモーク&スタックの原動力の根底にある怒りを感じた。
それから、酒場での音楽(現在〜未来にかけての描写など)も秀逸で
劇伴というよりも、酒場でかかる音楽がありながら、
物語が進行していくスタイルにも斬新さを感じたし、
なんとも言えない高揚感があった。
もちろん、この場に限らず、スタックとサミーが乗った車での
サミーの弾き語りシーンもラストに繋がっていて、グッとくるものがあった。
ラストのスモークによるかたのつけ方や妻と子の幻想を見ながら
この世を去っていくスモークの姿からは、
彼なりの幸せを感じた瞬間だった。
ラストのラストで、
年老いたサミーとスタック&メアリーの会話シーンにおいて、
「太陽が暮れるまでのあの1日が、人生で最良の日だった」と
サミーが話し、スタックも賛同する、このシーンで終うのが
鑑賞後感の良さにつながっていると思った。
意外性のあるエンタメとしても楽しめるし、
当時の時代背景に思いを馳せつつ見ることで、空気感なんかも
感じ取ることができる秀逸な作品。
闇鍋?ごった煮?てんこ盛り!?アメリカでは大ウケか❢
9月21日(日)
映画秘宝のライターである友人Sの家に行き、二人とも劇場公開時に見逃した「罪人たち」(つみびとたち)をAmazonPrimeの配信で一緒に鑑賞する。
アメリカでは大ヒットしたため、急遽日本でも公開されたようで、あまり大きく宣伝されなかったので公開館数も少なく見逃していた。(Sは埼玉では上映していない、と怒っていた)
1932年10月16日のミシシッピ クラークスデール。
朝、血だらけで顔に大きな傷を負った若者が折れたギターのネックを握り絞めて教会にやって来る。何があったのか?
その前日。
シカゴで一旗揚げた双子の兄弟スモークとスタックが7年ぶりにミシシッピに帰って来る。稼いだ金で古い製材所を買い取りダンスホールをオープンするつもりなのだ。ビールと酒はシカゴからトラックで大量に運んで来た。ギターを弾いてブルースを唄えるいとこのサミーを誘う。スタックは言う。「そのギターはチャーリー・パットンから賭けで巻上げたものだ」「本当?」サミーは、そのギターでブルースを唄う。
町に出たスモークは昔馴染みを訪ねて開店の手伝いを頼む。シカゴ・ギャングだったスモークは自分の車から泥棒しようとした奴の脚を容赦なく撃ち抜く。
料理、ミュージシャン、看板も揃う。黒人の労働者たちが集い、オープニング・ナイトは盛り上がり、酒を飲み、踊り、歌い、カオスの中で皆がパワフルに燃え上がる。
しかし、そこに黒人ではない三人の客がやって来る。その客はとんでもない客だった。そして、あの事件は起こった……。
エピローグ・1992年
あの事件があってから60年後、サミー(バディ・ガイ)がステージに上がってエレキギターを抱えてブルースを奏でている。
そして、ステージを終えたサミーを二人組が訪ねて来る。その二人とは…。
マイケル・B・ジョーダンが双子の兄弟を一人二役で演じている。同じ画面の中に映り混んでも合成が上手くいっているので、あまり違和感がない。1本のタバコを二人が交互に吸うカットもある。
監督のライアン・クーグラーは、「クリード」や「ブラックパンサー」のシリーズ的な作品以外はデビュー作以来12年振りのようで、色々と詰め込みたかったのかな。
黒人とブルースとKKKとヴァンパイア。
ドラマと音楽とアクションとホラー。
何が出て来るか分からない闇鍋か、何でも入っているごった煮か、色々な料理てんこ盛りか。
お腹が一杯になるか、嫌いなものが出てきていやになるか、観る人によって評価が分かれるかも。私は、結構興奮して観られましたよ。
おまけ
日本の鬼退治にIMAXスクリーンを独占されて、こちらの鬼退治はIMAXスクリーンでの上映機会は少なかったようだが、IMAXで観たかったな。
バディ・ガイはブルースの大御所らしい。
分裂するアメリカ黒人社会
世界興行収入が527億円を突破、北米では“ここ10年で最も成功した映画”といわれているホラー映画だ。しかし2025年6月日本で公開後、早くもアマプラ通常料金での配信となり、客入りの悪さが容易に想像できる残念な結果に終わってしまった。巷では“ぬるめのフロム・ダスク・ティル・ドーン”などと形容されてはいるが、監督のライアン・クーグラーはまったく違った場所へ観客を導こうとしているのがみえみえの1本だ。
エンターテインメントとしては何とも中途半端な出来の本作だが、アメリカにおいていかに黒人が差別搾取され白人社会に吸収されていったかを語る寓話として観れば、これほどそそられる映画はないそうで、アメリカのSNSでも本作に関する論争が(特に黒人さんたちの間で)大変盛り上がっているのだそう。つまり、本作は一種のブラック・プロイテーション・ムービーなわけで、日本人の方がそのまま観てもいまいちピンとこない映画になっているのだ。
悪魔に魂を売ったギタリスト=ロバート・ジョンソンをモデルにしたサミーが奏でる哀愁のブルースにのって、一夜限りの貸し切りパーティを楽しむ人々。そんな黒人の皆さんに混ざって、サイケなエレキギタリストや黒人ラッパー、中国系京劇ダンサーに先住民と、時空の壁を突き破って現れた少数民族が唄い踊るシーンがとても印象的だ。ジム・クロウ法の下白人至上主義的差別が色濃く残ってはいたものの、少数民族同士協力し肩を寄せあって、それなりの“古き良き時代”をエンジョイしていたことが伺える。
しかし、サミーの奏でるブルースが悪魔をも引き寄せてしまう。ここで反トランプの配給元ワーナーブラザースはクーグラーに嘘をつかせていることに注意しなくてはいけない。マイケル・B・ジョーダン演じるプレミアムスコッチのような名前が付いた双子スタック&スモークの衣装を、わざとあべこべに着させているのだ。スタックの衣装が🟥の帽子に🟥シャツ🟥ネクタイに対して、スモークの衣装は🟦のベレー帽に🟦シャツ。ヴァンパイアに噛まれ悪魔に魂を売ったスタックを共和党=トランプ支持、スモークを勇敢な民主党支持者として演出しているのである。
確かにライフルを直ぐにぶっ放すような危ない連中にトランプ支持者が多いのは事実だし、MAGAというスローガンの下動きに統制がとれたトランピアンは、一糸乱れぬアイリッシュダンスを披露するヴァンパイアたちにそっくりだ。しかし、バイデン政権の白人閣僚は全てカソリックのアイルランド系で固められWASPが意図的に排除されていたこと、スモークのような退役軍人はそのほとんどがトランプ支持であること、ゲイではなかったものの黒人と白人ミックスの女ヴァンパイアのモデルはオバマ元大統領で間違いない?ことなどが、まったく考慮されていない。(ディディを彷彿とさせる)生き残ったスタックのような黒人セレブリティはほとんど民主党支持で、悪魔崇拝的乱行パーティはお手のものだからだ。
最後はどちらがどちらだかわからなくなるほど、スタック&スモークがお互い血だらけになって戦うシーンは確信犯的でさえある。いずれにせよ、BLMのようにアンティファを雇って意図的に暴動を仕掛けているのは民主党グローバリストたちの方であり、そのお仲間であるスタックには🟥ではなく🟦を着せるべきだったのだろう。そんな政治的工作があったにも拘らず今回若い黒人層がこぞってトランプに投票したらしいのである。どうもユダヤ人コミュニティに限らずアメリカの黒人社会も真っ二つに割れているようなのだ。
この映画にも登場するKKKのような差別主義者がのさばっていた時代は、共通の敵を持つ者として一つにまとまれた黒人の皆さんも、オバマ政権以降民主党の悪事が次々とトランプによってバラされてしまうと、何を拠り所にまとまれればいいのかわからなくなってしまった。今現在のアメリカにおける黒人社会の迷走ぶりが如実に伝わってくる作品なのである。むしろあからさまに差別されていた時代の方がわかりやすくて良かった。年老いたサミーのシワがれた歌声には、そんな黒人たちの鬱屈したノスタルジーが込められていたのかもしれない。
時代背景が興味深い作品
配信(アマゾンレンタル)で視聴。
話題の作品をやっと配信で観る事が出来たが、時代背景は興味深い作品だった。音楽もブルース曲を使うなど上手いなと感じた。ただ、作品全体を見ると悪くはないが、個人的にはそこまで刺さらなかった作品。
思想と文化
黒人音楽、ヴァンパイア、アイルランド民謡
この3つが綺麗に融合している。
特に音楽の力が凄まじい。
他民族の侵略、思想と文化の破壊は
今も尚、現在進行形。
ヴァンパイアだけではここまで創れない。
サミーのブルースは最高でした。
黒人のブルースとは酒と煙草と女と吸血鬼?
本作はマ王の住処である和歌山では公開されなかった😑
映画館で一度だけ予告編が流れた記憶があったが、そこの映画館での公開は無かった🌀
別に今更、和歌山の映画公開事情に文句を吐くつもりはない😐
こうしてU-NEXTで鑑賞出来る時代になったので少しの我慢が出来れば殆どの映画を観る事が可能だ😁
でもマ王、本作に関しては映画館で観たかったのね😫
アメリカで話題になってたのを知ってたもんで尚更だった😬
だからどれだけ身体が疲労困憊だろうと夜中に鑑賞に至る行為を、誰が咎める事が出来ようか‼️←ワガママで我慢が出来ないマ王
舞台は禁酒法の末期のミシシッピ州の田舎町✨
ジム・クロウ法によって差別意識が色濃く残る中、双子の青年がマフィアから奪った酒で酒場を開いた当日の話だ😶
コレはネタバレとかでは無く鑑賞に向けての基礎知識として覚えておいてほしいのよ✋
禁酒法やジム・クロウ法、双子の青年の立ち振る舞いや車、恋愛関係やブルースみたいな細かいディテールが本作には散りばめられている😳
マ王は映画の内容をザックリとしか知らなかったので、この部分を鑑賞しながら「あぁ、和歌山じゃコノ映画は理解出来んわ」と感じたのね🤣
そもそも和歌山県に限らず、田舎という存在は少なからずの差別意識が残っている。
ソレを助長する本作の内容では無いが、田舎の爺さん婆さんが本作の細部に組み込まれた要素に気付くとはとても思えない。
アメリカでは多くの国民がアメリカ史を勉強してると思われるので(意外とアメリカ史は知らないとも聞いたが)その土壌が無いと単純な吸血鬼映画にしかならないのよ。
黒人に対するジム・クロウ法による差別や労働環境。
禁酒法の裏で蔓延るマフィア。
そこに流れるブルース。
少なくとも鑑賞する前に、この辺りを押さえておかないと『罪人たち』は駄作へと忽ち転落する。
当然、和歌山では誰も観に来ない映画になるわな😑
マ王でも鑑賞しながらGoogleを頼りにしたくらいなので、ナメてかかると普通の吸血鬼映画としての感想しか残らない🌀
アメリカ史に詳しい方には刺さる映画だと思われるが、そうでない方はちょいと勉強してからの鑑賞を勧めます✌️
まぁアメリカで高評価だったのは何となく理解出来ましたねぃ(映画『インディペンデンス・デイ』と一緒)
ん?奇しくも邦画の『国宝』が同じ臭いのする映画じゃないのか?
映画館での鑑賞オススメ度★★★☆☆
黒人社会の勉強必須度★★★★★
日本じゃウケにくい吸血鬼映画度★★☆☆☆
IMAXだからこその善さ
この芸当、我が国に出来るか?
2部構成的な作品が好きな人におすすめ
この映画は1930年代のアメリカを舞台に、前半と後半で大きくトーンの異なる二部構成になっている。前半は、長年の夢だった酒場を開くために大金を手に故郷へ戻ってきた双子(スタック/スモーク)の兄弟を中心に、彼らの仲間やミュージシャンたちを巻き込んで開かれるパーティまでを描く、ミュージカル的なパート。若きブルース歌手である主人公が披露する歌唱や、往年のブルースの名曲を巧みに挿入した演出が魅力で、まったく飽きさせない。
特に、双子が仲間やミュージシャンたちを次々と連れ出していくシーンのワクワク感は個人的にとても印象に残った。パーティ開始後のライブ演出も素晴らしく、主人公の歌が持つ時代を超えた、普遍的な魅力を、DJやエレキギターなどの現代的な要素を重ねる・ミックスする演出には鳥肌が立った。
一方で、気になった点もある。
後半のホラーパート──パーティの最中、主人公の歌声が“ゾンビ”(劇中ではヴァンパイアと呼ばれる)を呼び寄せる展開──に入る必然性がやや薄く、前半とのつながりに違和感があった。伏線もやや唐突で、浮いて見えたのが正直なところ。とはいえ、家族がゾンビ化してしまうことへの葛藤や、銃弾が飛び交う中での肉弾戦などは王道ながら迫力があり、ベタではあるが十分に楽しめた。
前半で示唆、双子の裏社会的な過去や、主人公の卓越した音楽的才能が後半でどう活きるのかと期待していた分、そこが大きな展開に繋がらなかったのは少し残念だった。ゾンビ映画に一貫した連続性を求めるのは筋違いかもしれないが、やや肩透かしを食らった印象は否めない。
それでも、ラストシーン──片割れの双子と主人公の静かな対話──には心を打たれるものがあった。やや「取ってつけた」印象もあるが、それでも主人公が最後まで失わなかった“音楽への情熱”は、この映画が前後で大きくトーンを変える中でも貫かれていたテーマだったのかもしれない。
知りたい
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