ストレンジ・ダーリンのレビュー・感想・評価
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エレクトリック・レディ
もう最初の第3章で読めてしまった(笑)
時系列をいじるということは、客に見せたくないもの(ネタバレ)を後に持ってくるなと思っていた。
といっても見せ方はうまいと思う。
各章の長さを均一にしてくれると、もうちょっとスムーズにいくのではないか?(2章が少し冗長に感じた)
マキシーンもこんな構成だったら面白かったかもw
カイル・ガルナーに最近注目していたので
大変楽しみに待っていた作品、しかもYouTubeで予告を掘り過ぎて【オチ】を知ってしまったという…。それでもツジツマ合わせとカイルの演技を堪能しました。役によって化ける俳優さんだなぁと、これから代表作に巡りあってドンドンいい役者になってほしい。最近アマプラで観た「ディナーインアメリカ」も良かった。で、この警察官は捜査の為に女の誘いにノッたのか?それとも遊びのつもりで「えじき」になってしまったのか?んー多分後者かな、ヘマ踏んだと自覚してたし。だとしたらMotelでイチャついたと思ったら焦らされてるあの顔、いい演技ですよっカイル!!あと、エンドロールの最後の最後、あのセリフ、意味があったのかな???
宿命
低予算作だが、演出と演技がいい
時系列をいじった効果抜群
シリアルキラーによる連続殺人事件が世間を震撼させる時、モーテルの前に1台の車が停まった。飲み屋で知り合った1組の男女が乗っていた。やがてその女は男に命を狙われ、銃を持った彼から必死で逃げたが・・・さてどうなる、という話。
全6章+エピローグを3→5→1→4→2→6→エピローグと時系列をいじった展開で、その効果抜群だった。ミスリードに騙され、面白かった。
シリアルキラーだからか、なぜ、は無くても良いのだろう。
ちょっとグロい所もあったが、ストーリーに入り込めて良かった。
ラストのトラックのおばさんに拍手。
とにかく、レディ役のウィラ・フィッツジェラルドの演技に魅了された。下着は上下合わせないのがオシャレ?
デーモン役のカイル・ガルナーも良かった。
ドキドキし、グロくて、なぜ?、となる展開が斬新で面白かった。
冒頭はかなり引き込まれる
冒頭、音楽に音響に映像と、異様な緊迫感や不穏感がこれでもかと半端なく、グイグイと引き込まれました。
女性がスローでこちらに走ってくるシーンなど、ギョッとさせられてかなり印象的です。
中盤で認識が反転する構成は面白く唸らされましたが、その後の流れはおおむね想像を超えるものではないと言うか、期待に比べると普通な感じかなと。
冒頭で期待値が高まり過ぎたのかも知れませんが。
それでも、容赦ないバイオレンス描写や、シリアルキラーの冷徹な感情的な混沌さのある迫真の演技、ラストの雰囲気などは良かったと思います。
高評価につられて見に行きました
各シーンを章に分けて順番を変えて見せるっていう手法の映画
逃げて隠れているのにタバコを吸い始めたり冒頭から女の異常行動があって
もしかしてこの女の頭がおかしくて、なにかやらかして追われてるのか?って予想したら案の定でしたね
後は章を見ながら答え合わせ
各所で気になった所
車の窓を遠くから銃で撃たれて割られた後なぜか車を捨てて逃げる(せめて車が故障した描写とかほしくない?)
ベッドでのプレイシーンでもあそこまで言われたり色々やられてるのにおっさん帰らないの凄い(結局何もしてなさそうだしw)
追ってるおっさんは熊スプレーを掛けられてる時後ろに開いている扉があったのににわざわざ近づいていくのは展開の為とはいえ「なんでやねん!」って思わず突っ込んじゃいました
警官のフェミクソ女はあれでよく警官になれたなアメリカの採用基準はガバガバなん?
主人公はシリアルキラーというよりもただのクソ女だった
面白く仕上がっていれば私は良い
斬新なアイデア
本作は全体を6章に分け、さらに章の順序を入れ替えて見せることにより、観客を巧みに欺く仕掛けが施されています。私はまんまとその仕掛けに引っかかり、最初は女性の方を応援していたのに、物語が進むにつれて、男性を応援することになっていました。
この構成自体は非常に面白く、これまでにも似た手法があったのかもしれませんが、私にはとても新鮮に映りました。また、メインの二人の演技も素晴らしく、特に女性役の表情の演技は真に迫るものがありました。
強いて言えば、後半になると奇抜な展開にも慣れてしまい、先が読めてしまうのが少し残念でした。
(注意)
人を殺すことに全くためらいがない描写が多いので、ある意味では清々しいとも言えますが、そういった描写が苦手な方は注意が必要です。
(追記)
うっかりして、ちゃんと字幕を観ていなかったのですが、エンドロール後に流れた音声の意味が分からなかったです。
シャッフル6章という構成ギミック以上に、エモいBGMとデカいSE...
確かに面白く観た。
本作称賛のなか、
スティーヴン・キングは「巧妙な傑作」とコメント。
(今まで過去何回キングのコメントに騙されてきたことか。
同じようにタランティーノもよく利用されるが、
僕はタランティーノファンではないので別に引っかかったことがない。)
広告のJAROに訴えたいほど騙されたけど、映画ファンなので、仕方ない騙されても仕方ないと自分をなだめてきた。
しかも今日は映画館が灰色の感じ。
開場を待つ観客の髪の毛の色や服装の色が灰色ばかりである。
何が起こっているのか。
調べたら『国宝』の席が半分以上売れていた。
灰色な訳である。)
さて「ストレンジ・ダーリン」である。
こりゃあ3章から始めなきゃ面白くないだろう。
(1章から観ても大したことはない。)
ミスリードもあるから、そりゃあそうだ。
エピローグはすぐに分かる。ソコまでは巧妙ではない。
センチでウ◯チみたいな歌が流れるからシラケに
しらけた。
ただ、その意図含めて、最後まで楽しんで観ました。
35ミリフィルム撮影のこだわりは、製作側のこだわりだけに見えました。
警官は手錠をすると安心するのか、気をつけないといけません。
ヒッピーって理想だけで生きているから案外ヤワですね。
性別ではなく正論を諭す警官に対し、
女性保護を最優先しシスターフット感覚で殺害を
増やす警官。
(命拾いして逃げるその警官の愚かさに嗤うしかない。
この国も、
なぜ女性政治家の質や人数が伸びないのかの問題をも見たような気になった。)
そう、自分だけ、逃げるが勝ち。
以上。
ラストシーンの魂の顔演技に驚愕。叙述的な仕掛けも備えた深みのある「ノワール」映画。
総じて面白かったけど、個人的には冒頭の「第三章」の時点で、ネタの核心部分にほぼほぼ確信が持ててしまっていたので、そこの「びっくり」は正直あまりありませんでした。なんか、すれっからしですみません。
ただ、こういう叙述的な仕掛けや「意外な犯人」に関して、自分が気づいてしまったからといって、点数を落として評価するのはとてもアンフェアだとつねづね思っているので、ここは「その心意気や良し」ということで、大いに称揚したいと思う。
一定数の「きちんと騙された」良い観客がいて、彼らが「きちんとびっくりしてくれた」のであれば、この映画は作品としてもネタとしても成功なのだし、「気づいてしまった」側の人間が徒に評価を下げて、とやかく言う筋合いの話では全くないのだから。
おそらく誰が読んでもそのネタには気づかないのではないか? といった『十角館の殺人』(綾辻行人)のような稀有な例もないでもないが、たいていの作品の場合、早い段階で真相に気づいてしまうダメなマニアもいれば、純粋にどんでん返しや「意外な犯人」に気づくことなく作品を満喫できる多数派もいて、どちらかだけということはまずない。
あまりにバレバレすぎる場合は多少は文句をつけた方がいいかもしれないが、しっかり考えられた痕跡がある場合は、僕はたとえ自分は真相に早い段階で気づいても、「たくらみの存在」だけで高評価をつけることにしている。
そもそもミステリの場合は、きちんと伏線がはってあればあるほど、それだけ客が真相にたどり着けてしまう可能性は高まって来る。それがミステリにおけるフェアプレイの鉄則だ。
『ストレンジ・ダーリン』の場合は、きちんと小道具の伏線や行動の違和を序盤からみっちり練り込んであるぶん、気づいてしまう観客はどうしても出てしまうと思う。
むしろ、映画との「出逢い方」が、多少「不幸」だった気がしないでもない。
封切り映画として、前宣伝で「シャッフル」とか「予測不能」とかいった要素を強調されただけで、ある程度この手のジャンルが好きなファンとしては、「仕掛け」の存在とその内容の可能性について事前にどうしても考えてしまうし、そのなかからは一定数の「ネタの当たりがついてしまう人間」も出てきてしまうからだ。
同じ映画を、いきなりつけっぱなしのWOWOWとかから流れてきた状態で、タイトルすらわからないまま予備知識ゼロで観たとしたら、ものの見事に引っかかって仰天して、周り中に隠れた傑作だと喧伝して回った未来線もあったかもしれない。
そう思うと、「気づいてしまった」自分と、その視聴環境に残念な想いは少しある。
自分自身、学生時代にマジックサークルに所属して「演じる」側にいたこともあって、この手の映画ではむしろ「綺麗に騙されてあげられる」観客で居たいと思うし、それが演者(作家・監督)と観客(読者)の関係性でいえば、一番ウィンウィンの在り方なのは間違いないのだ。
きれいに騙され、きれいに驚き、そのあとのトリック解説をきちんと理解したうえで、きれいに感心できる。こういう「上品な読者(観客)」に、僕はなりたい(笑)。
一方で、ミステリを宣伝するのはとても難しい行為だ。
宣伝するときに「仕掛けがある」こと、「意外である」ことを織り込まないと、いちばん喜んでくれるお客さんを逃すことになるからだ。
よほど隠蔽工作に自信がない限り、本当は「どんでん返し」とか「意外な結末」といった煽りは入れないに越したことはなく(とにかく予備知識ゼロの無防備な状態で体験するのがいちばんなんだし)、ネタがバレたらみんなが不幸になるだけなのだが、そこに事前告知で触れないと、そもそも客が作品を手に取ってくれない。
このジレンマについても痛いほどによくわかるので、あまり映画会社を責める気にもならない。でも、やっぱり「宣伝でああいわれちゃうと」「ネタは消去法でこれしかないよな」とは思っちゃう(笑)。
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蓋を開けて見れば、この話は『恐怖のメロディ』(71年、クリント・イーストウッド監督)や『危険な情事』(87年、エイドリアン・ライン監督、マイケル・ダグラス×グレン・クローズ)の流れを正統に受け継ぐ「恐怖のワンナイト・アフェア」「女はこわいぜ」系のスリラーだったわけだが、叙述的な仕掛けは抜きにして純粋にその手の映画として考えてみても、本作の完成度は結構高い気がする。
ジャンル映画らしいローコストな雰囲気はぬぐい切れないにせよ、とくに女優さんの大熱演のおかげで、この手の映画にありがちなチープさは感じられないし、なにより35ミリフィルムによる昔ながらの撮影ということもあって、映画としての「品格」がどこかしら保たれている。
何より素晴らしかったのは、ラストシーン。
最近、なにかですごく似たような演出を観た記憶があるなと思って脳内検索したら、『PERFECT DAYS』の役所広司でした(笑)。
今回のヒロイン役を務めたウィラ・フィッツジェラルドの迫真の顔演技は、しょうじき役所広司に全然負けていないどころか、いささか上回っているかもしれない。思わず息を殺して見入ってしまったよ。
いわゆる「ネタ明かし」が前の章で終わって、あとの時間で何やるつもりなんだろう? と思ってたら、これがやりたくてダラダラ引き伸ばしてたのね。
自分のなかにも悪魔を観てしまったおののき。
命が次第に喪われて、魂の抜けていく感覚。
だんだん近づいてくる死に対する恐怖心。
自分でも抑制の利かない悪行三昧に、
ようやく終止符を打てる解放感。
やがてとぎれる意識と感情。
活動をとめる生命機関。
力を喪う眼差し。
停まる呼吸。
断末魔。
息の詰まるような「悪の終焉」を、がっつり相手に目線を合わされた状態で凝視し続けることになるこのラストシーンこそ、本作において監督が「本当にやりたかったこと」だと言っていい。
叙述トリックは、仕掛けの一端に過ぎない。
この物語は、本質的には犯罪者が魂を燃やし尽くし、やがて滅び去るまでを注視しつづける筋金入りの「ノワール」であり、イーストウッド的な「女性恐怖」映画の体裁を取りながら、その実「フェミニズム的視線」をも備えた「女性映画」でもあるのだ。
エレクトリック・レディに「はまって」身を亡ぼす官憲というのは、まさに『カルメン』や『情婦マノン』と同じ、「ファム・ファタルに運命をくるわされた男」の典型例であり、いったん気づいてみれば、これほどノワールらしいノワール映画もない気もする。
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●章タイトルが出て、音楽(ショパンのノクターン第1番変ロ短調)が流れるつくりは、昔の無声映画などを模している可能性もあるが、同じ趣向は『スティング』(73)などでも観られる。
各章の語られる「順序」に大きなポイントがあるという意味では、『メメント』(00)に代表されるクリストファー・ノーランの時系列シャッフル映画がまずは想起されるけれども、純粋に叙述トリックを仕掛けるためにシャッフルが用いられているという点では、どちらかといえば60年代アメリカにおけるニューロティック・スリラーや、00年代以降日本の新本格作家によって盛んに執筆された「時系列錯誤系」叙述ミステリなどの小説群に近いもののような気がする。
●ライフルを持った男に追われている割に、森で拾ったタバコや酒を嗜みながら休憩をとる様子とか、明らかにもともと着ていたとは思えない真っ赤な手術着のような変なファッションを身にまとっているとか、出だしの第三章からすでに「そこはかとない違和感」が立ち込めている。
要するに、彼女がまっとうな「被害者」ではない可能性の気配は、別段隠すことなく最初から漂っているのだ。
●ベッドにおける女と男の虚々実々の駆け引きは、「性暴力は男の意思のもと無理やり実行される」という先入観を基底に置きつつ、その「常識」を徐々に揺るがしていくというスリリングな作りになっている。
ウィグや手錠、小銃、コカイン、スタンガン、熊撃退スプレーといった小道具の出し入れも巧みで、脚本としてかなり練り込まれている印象。
男が女側の過激な提案に乗って、「これでいいのかな?」と探り探り進行しているなかで、少し図に乗った瞬間に相手に素に返られて「それは求めてない」とダメ出しされるのは、SMでなくても大いにありうるシチュエーションなわけで、かなり「プレイ」としては生々しい。基本、男性はよほどの自己中キャラでないかぎり、「そこはダメ」とか「やめて」という言葉にいつもおびえながら、ことに及んでいるとは思うんですよね(笑)。
●独特の色彩設定とクセの強いアングルの選択は、監督および撮影監督の美意識の一端を示す。パンフレットによれば、監督は大のベルイマン&フェリーニの信奉者で、監督と撮影監督は準備段階でブライアン・デ・パルマ、デイヴィッド・クローネンバーグ、デイヴィッド・リンチの映画を丹念に研究したらしい。プロダクト・デザイナーに対しては、リンチの『ブルーベルベット』(86)とヴィンセント・ギャロの『バッファロー’66』(98)を参考に進めるように示唆していたとのこと。なるほどたしかに!
二人ともきわめて良い趣味の持ち主であり、心からの共感と同胞意識を覚えざるをえない(笑)。もちろんそのセンスは、この作品の全体に十分に生かされているといってよい。
●クローネンバーグ映画としては『戦慄の絆』(88)の名がパンフでは挙げられていたが、個人的には女性の描き方や刹那的なラストも含めて、『ラビッド』(77)と共通点が多い気がする。
●序盤、森の中で展開されていた猫と鼠のゲームは、中盤に入って老夫婦の住むヴィクトリア様式のコテッジに舞台を移すが、この老夫婦のどこかうろんな気配が、作品になんともいえない奇妙なツイストを加えている。
ちょっとデイヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』風とでもいうのか。
とくに、あの朝ごはんのえげつなさ!(笑)
あれ、アメリカ人が観たら容易に何か思い浮かべるような、ヒッピー独特の食習慣とかあるんだろうか??
目を疑うような大量のバター。黒焦げのウインナー。投下されるホットケーキ。
大量の目玉焼き。上からかけられる尋常じゃない量のベリージャム。シロップ。
うげげげげげげげ!!! 気持ち悪いようwww(フェリーニとかブニュエルの食の悦楽を描いた作品や、『サブスタンス』の食事シーンを想起させられる)。
「『甘い』と『しょっぱい』の無限ループを!!」と高らかに歌い上げていたのは『3月のライオン』のあかりさんでしたが、これはさすがにカオスすぎんだろ(笑)。
●あと、老夫婦が「私たちはただのヒッピーでもバイカーでもない。終末論者なんだ」とかいってて草。ちょっとこのへんの話は、誰か(町山さんとか)詳しい人に説明してもらいたいなあ。アメリカにはヒッピー崩れで山奥に隠遁しながら終末に備えて準備している特定のカルト層がいるってことだよね。
●『ストレンジ・ダーリン』では、ホテルの従業員にせよ、山小屋の老夫婦にせよ、警察官にせよ、エレクトリック・レディの犠牲者には、単なる犠牲者という以上の愚かさとコミカルさと因果応報の感覚が付きまとう。そのあたり、ちょっと『シリアル・ママ』(94)と通底するコメディ感覚があるかも。
「こういうタイプの女性がそんな恐ろしいことをやるわけがない」という先入観を隠れ蓑に殺戮を繰り返すシリアル・キラーという点で、両者には深い共通点がある。
●ちょっとバングルズのヴォーカルみたいな声のシンガーソング・ライター、Z・バーグの楽曲が全編を彩り、サントラを形成している。僕にとっては未知の歌手だが、抒情的で好ましい曲を書く人だと思った。なんでも、監督が曲を使わせてほしいと連絡したら、全編で楽曲を書き下ろすという条件でOKを出したらしい。カッコいい!
●パンフで『そらのおとしもの』や『これゾン』に出ていた声優の野水伊織が、ガチ勢の映画ライターをやっていてびっくり。しかもものすごくちゃんとしたことを、ものすごくしっかりした文章で書いている! おみそれいたしました。
小粒ですが、楽しめました
逃げるトランプ追うポリス
いやあ、「でっちあげ」そのものでしたね。ビックリしました。ヤク中とはいえ、モンスターでしたねこの姉ちゃん。シチュエーション、真相、シチュエーション、真相のジェットコースターでした。最後までハラハラ感が続きました。エピローグ前でこれで終わりと思いました。実際、隣の男性ここで帰りました。気持ちはわかりますが、あの男性と私とは、この作品の感想は絶対違うと思います。私は場内明るなるまで座ってます。改めて、皆さん、場内明るくなってから帰りましょう。
カラクリ以上のものはなかった
冒頭、
連続殺人がナンタラ、っていうテロップが流れた後、
運転席に座る口ひげを生やした中年の男性に、
助手席から女性の声で
「あなたはシリアルキラーなの?」
というカット。
その後、
その男性が上半身裸で、
おそらくベッドで馬乗りになっているであろう短いカット
(腰から下は映ってない)をはさんだと思ったら、
いきなり「第3章」。
これだけでもう、ミスリードを狙ってることが分かる。
女性の運転する赤いフォードを
男性の乗る黒くてゴツい車が追いかけ、
途中でライフルを取り出して撃つ。
赤いフォードは横転して停止。
負傷した女性が這い出して森へ逃げ、
最後は森の中の民家にたどり着く……
一見、男性がシリアルキラーのように見えるが、
これは逆に違いない。
男性の撃ち方が堂に入っていて、プロにしか見えないし。
続いて、4をとばして「第5章」。
民家を捜索する男性。
その仕方が、どう見ても軍か警察。
しかも、家の主の死体が転がってる。
ここで、確定。
ここまで20分ぐらいだったか。
* * *
あとは、
1章→4章→2章→6章→エピローグ
と進むにつれ、小ネタを含めて種明かし。
でもまあ、それだけ。
そうなった背景が描かれるわけでもなく、
感情移入したくなるような要素も一切ないので、
単なるクイズの答え合わせでしかない。
残念。
そして、
ひと安心かと思ったら……
というのもまあ、お約束というか。
ラスト、さらにもう一捻りあるかと思ったら、
そこまでしつこくはなくて、これまた残念。
――拳銃をもう1丁持ってたはずなので、
運転手を撃って車が事故って炎上、
みたいなラストを予想したんだけど
(ありきたり?w)
* * *
それにしても、
森の民家に住む終末論者の老夫婦の、日曜の朝食が、
異常なほど多量のバター、これまた大量のシロップとホイップクリームをのせた目玉焼きとパンケーキとソーセージ(と若干の苺)で、
しかもその作り方を真上から、料理教室よろしく撮ってたのは、
いったい何だったんだろう。
あと、
エレキベース?の爆音で
ゴォーンという子供騙しで虚仮威しの効果音を多用するのはご勘弁願いたい。
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