「ロッテマントマトが期待値を上げ過ぎ」ストレンジ・ダーリン Minaさんの映画レビュー(感想・評価)
ロッテマントマトが期待値を上げ過ぎ
映画好きならば、大抵の"衝撃の展開"などと言う謳い文句には踊らされず、予想の範囲内で終わってしまう事もあるだろうが、本作はそれらの"先入観"や"思い込み"を逆手に取った様な構成の物語だった。本作を鑑賞する前に各映画著名人が絶賛してる旨の広告や、何しろ辛口でお馴染みのロッテマントマトで100%というかなりの武器を携えて日本にやって来た様だが、どうもそれで期待値を散々上げ過ぎてしまった気もする。それでもしっかり面白かったし、特段文句も無いのだが、ハードルを上げすぎでは??と少し思ってしまった。
本作は6章に分かれて物語が進む構成になっているのだが、1章から順に追っていく物語では無く、最初から真っ只中の第3章からスタートし、次が第5章...とバラバラにストーリーが始まっていく。それが上手く先入観という物に拍車をかけて一気に引き込まれていく形である。演者もあえてそれらを助長する様に表情を変えずにいて不気味さを表現していたり、そういう演出が見事なまでに光っている。
だが、良く考えれば物語をバラバラに展開していけばそれは勿論話が読めなくて当然だし、点と点が繋がる様になるのも当然といえば当然では無いだろうか。間違いなくそうやって見せているからこそ本作が面白いのであって成り立つのだが、普通に1章から順に見せていくとありきたりなサスペンスに成り下がるだろう。個人的には満足のいく作品だったが、好き嫌いはきっぱり分かれるはずだ。
その醍醐味をへし折ってしまっては元も子もないが、ただ時系列をバラバラに描くのではなく、順当に追っていって「え!…えぇっ!」という驚きに舵を切って欲しかったという事を思ってしまった。
そう考えるとデイビット・フィンチャー監督の「セブン」や、ジョーダン・ピール監督の「ゲット・アウト」、「US/アス」等は凄かったなと改めて思った。それでも、我々がイメージするシリアルキラーの人物像や、映画というものの概念を覆す展開の本作は一見の価値ありである。
