「芸術的だった、というしかない」ザ・ザ・コルダのフェニキア計画 あんのういもさんの映画レビュー(感想・評価)
芸術的だった、というしかない
私は何かを評価するときに「芸術的」という言葉を安易に使うのは好きではない。いわゆる芸術的という言葉が使われる場合、「よくわからないけど、何かすごそう」と感じるときだろう。そのよくわからないこと、すごいと思ったこと一つ一つを言語化しようとせずに、芸術的という一つの言葉で片付けるのは、あまりに暴力的で傲慢である。と、偉そうに語ってはみたものの、この映画を観終わった後の私の感想は、「芸術的だったな」である。しかしそれで終わってしまえば、自分のことが嫌いになりかねないため、一つ一つ具体的に書いていく。
まずストーリーについて。この映画は、ストーリーや会話のテンポが速く、全てを完璧に理解して観ようとすると難しい。おおまかな流れを感じ、登場人物それぞれの目的や、構図を点で捉えていくと、なんとなく掴めてくる。また、わかりづらく感じる原因の一つに、時代、国はもちろん、宗教、文化に根ざして作られており、映画全体にそれらが色濃く反映されている点が挙げられる。
この映画は大きな一つの目的のために、様々な場所で全く同じことをする。そのため、同じようなシーンが何度も繰り返され、同時に同じ音楽が繰り返し流される。何度か目にはその音楽が聴こえてくると、次の展開が容易に想像でき、段々と笑いが込み上げてくる。この同じようなシーンの繰り返しで、映画全体に一貫性を生み、それが時々破壊される。唐突なギャグや小ボケ、アクションである。しかしそれらも繰り返されるものも多々あり、そうすると伏線回収のような役割が見えてくる。これもまた一貫性を生んでいる。
この、ストーリーの緩急や間は、それ以外の点にも色濃く出ている。実はこの映画の核となる部分は今まで書いてきたストーリーではなく、それ以外の要素なのかもしれない。まずは映像表現である。前述したように、ストーリーや会話のテンポが速く、掴みづらい。しかし、この映画は内容とは直結しない、あってもなくても大して影響がなさそうなシーンに、かなりの時間を割く。単なる生活のシーンや入浴のシーンを、斬新な構図の定点で長い時間見る。聴衆はただ見るだけではなく、何かが起こりそうな気がして緊張感を持って、集中して見る。そうすると、そのシーンは鮮明に頭に残るため、ストーリーにおいては意味がなくても、映像表現においては無意味ではなく、とても効果的になる。そして、何より映画全体に強い緩急を生む。
次にセットについて。私が今まで観てきた映画にはないような世界観で、屋内や屋外、海外、飛行機の中など様々な場所が描写されているが、何か全て箱庭のような、良い意味で、作り物感が強く、しかしチープを通り越して、世界観を築いていた。また、劇中に飾られていた絵画や使われていた音楽への強いこだわりが垣間見え、そういった強いこだわりが伝わってきたからこそ、単なるチープさでは終わらずに、世界観に昇華できたのかもしれない。
最後に音楽について。劇中で多用されていたのはイーゴリ・ストラヴィンスキーという作曲家の音楽である。クラシック音楽界の中でも取っ付きづらく、あまりメジャーとは言えない作曲家だが、非常に効果的に使われていた。ストラヴィンスキーの音楽の特徴の一つに心理描写がある。それも、ときめきや、感動といったキラキラしたものではなく、おどろおどろしく、恐ろしいものである。しかしその特徴を捉え、そのまま映画に当てはめたことで体にスッと入ってくる。また、ストラヴィンスキーの音楽は非常に耳に残る。前述した、映画全体への一貫性という点では模範解答である。私が驚いたのはエンドロールである。まさか「火の鳥」の終曲を持ってくるとは思わなかった。聴いていて気持ちの良い曲だが、劇中には一切使用されていなかったため、「ここで出すか」と呆気に取られた。
様々な視点でこの映画について評価してみたが、これは「芸術的」と評する他ないだろう。しかし、私が最も評価しているのは聴衆を置いていかなかったことである。芸術的と評される作品は、聴衆を置いていくものがほとんどだが、あくまでも大衆向けの映画に仕上げつつ、ところどころで強いこだわりも見せた。非常にバランスの取れた良い映画だった。その点では芸術的ではなかったのかな。
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