「サーシャというキャラクターの意味」ヤマトよ永遠に REBEL3199 第四章 水色の乙女(サーシャ) PJLBNさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 サーシャというキャラクターの意味

2025年10月15日
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鑑賞方法:映画館

興奮

ドキドキ

オリジナルの「ヤマトよ永遠に」を見たときに、新たなる旅立ちからのつながりの中で、サーシャというキャラクターの存在意義がいまいちつかめず、あまり感情移入出来なかった。

この新しい3199では、このサーシャのキャラクターの意味を再度深掘りしていて興味深かった。

人によっては、映画のサーシャ自身の台詞よろしく、なんで回り道してるんだ?とストーリーの展開に文句をつけそうだ。ただ、このあたりの丁寧な見せ方は、ストーリーよりもサーシャ自身の子供っぽさや情熱、葛藤を古代との関係で見せることが物語のドラマツルギーとして大事なのだと訴えているように見えた。

イスカンダル王族の生き残りとしての、神秘的な特殊な力を持つサーシャは、ご都合主義的なヒロインに見えがちだ。だが物語が、彼女が信用されないことを通して、能力ではなく信頼関係や内面的な葛藤として描くのは、サーシャというキャラクターの意味をきちんと見せようとしている意図を感じた。

サーシャと古代進の関係は叔父と姪というより、お互いの内面性を鏡のように反射している。彼らは本心は情熱を持ちながらそれを吐露出来ずに、自分の大事な人に対して罪悪感を抱いている。この構図はそのまま地球に残されたアルフォンソと森雪や、旧地球防衛軍のひとたちにも同じように対比される。彼らの罪悪感は、望む未来のために今を犠牲にすることに発しており、これはそのまま現在の地球と未来からきたデザリアムとの関係と同じなのだ。

だからこそヤマト、そしてそのクルーたちが、その悪循環である罪悪感から抜け出すために、サーシャや古代が持つ純粋な情熱が必要なのだ。その意味でサーシャの無知や涙、迷いや逡巡は意味がある。古代がかつて敵のガミラスを兄の仇と憎んだが、その後戦いを通して学んだように、サーシャもその道を歩むはずだから。ヤマトのカタルシスはそのような情熱やひたむきさが挫折しながら到達する精神にある。

PJLBN
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