でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男のレビュー・感想・評価
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反省が大事
これが実話に基づいていることにぞっとする。日本の嫌なところが凝縮されたストーリーだ。事実、根拠、合理性に基づかず、感情や印象で決めつけ判断し、叩けると思えば集団リンチに走る。
週刊誌は裏取りせず無責任に母親の主張を全面的に信じ、教師の実名を出す。主人公の教員の窮地で、学校や管理職は組織防衛を優先し、彼を守らない。安易に教員に謝罪を強要する。教育委員会はまともな調査もせず教員を処分する。国民は自分のことでもないのに教員に怒りをぶつける。
この国を挙げた集団リンチの発端となった週刊文春と朝日新聞は謝罪したのだろうか? このような、「弱者」の主張や証言だけで、科学的調査や専門家の見解を十分に取材せずに扇動的な記事にしてしまったことが朝日新聞には多くある。子宮頸がんワクチンや福島原発の処理水など…。
映画にも疑念がある。母親を毒親、虚言癖のある異常な人格としてキャラ付けするのは、映画の脚色が強い。母親が異常な人格になった理由として、ネグレクトによる極貧で愛を受けられない家庭に育ち、強い周囲へのコンプレックスから現実を受け入れられず、妄想の世界に逃げ込み、現実と「こうあるべき」理想の自分のギャップに常に苦しみ、それを子供に押し付けていた、という描写。子供が嘘をついた理由を、高圧的な母親から怒られないための言い逃れとするストーリーは、完全に映画の解釈だ。
原作の著者も、実際の登場人物の「顔やキャラクターが映画とは違う」と述べている。この映画が、元になった事件の母親と子供がそのような人間だと印象付ける結果になってしまうなら、映画自体がデマの加害側になりかねない。
現実はもっと複雑だろうが、一つだけ言えるのは、何事も客観的事実と物的証拠を根拠に判断すべきだということ。どんなに信用できそうな人物でも、状況証拠があっても、証言だけで犯人を決めつけるのは極めて危険だ。
教訓:やっていないことは断固として認めてはならないのだ。
実際に起きた冤罪事件を元にした作品は、鑑賞するのに少々気後れしてしまうんですよね。冤罪に巻き込まれた気の毒な主人公を、上映終了まで見届けなければならないので、はたして救いがある結末なんだろうか? と鑑賞中ずっと気になってしまう。そうかと言ってオチを知った後だと面白さ半減なので、こればっかりは仕方なし。
我が子に体罰を振るったと、その両親から言いがかりをつけられた小学校教師が、マスゴミにも取り上げられたことから、その言いがかりはあたかも「真実」のごとく広がっていく。本来は教師の守護者であるべき校長・教頭からも無責任な指示をされ、致し方なく、主人公もその場しのぎの振る舞いを行うが、そのことで事態は後戻りできない状況に悪化していき…。
やはり冤罪に巻き込まれていく様は観ていて気の毒でしかなかった。彼の味方をしてくれる老獪な弁護士が現れてから、多少なりとも形勢逆転の目が出てきて、ようやく一息つけた感じでした。
さて作品的な演出として、言いがかりをつける両親の狂人ぶりが誇張されているものの、実際の当人はもっと普通に見える人だった気がするんですよね。でないと、大勢の弁護団が形成しての裁判まで発展しない気がする。だから怖い。
しかしもっとも恐るべきはマスゴミからネットに拡散しての「世間の声」。我が身を振り返りながら、安直に世間の声に同調しないよう心掛けるべきと感じました。
昨今、教師にまつわる事件が頻出していて、教師には分が悪すぎなので、善良教師と不良教師を線引きできる方策を立ててほしいところ。しかし学校の問題の関心って、自分の子供が卒業してしまうと途端に低くなりがちなので、その辺も難しいんだよなー。
謝罪の重さを痛感
実話だけに怖いし、重みがあります。
誠実な教師の対応が、精神的に病んでいる保護者によって、歪められて伝えられ、学校側が事を大きくしないために、事実でないことに対して謝罪してしまったため、それが事実として世間に広まってゆくことの恐ろしさを感じましたし、実話が元になっているだけに、重みがあると思いました。
それにしても、マスコミの報道は無責任で、そこに一番の憤りを覚えます。本当の事実はどうでも良く、センセーショナルに書き立てて、部数さえ、視聴率さえ稼げて、結局は儲かればそれで良いのでしょう。誤報によって苦しむ人がいることを、マスコミ側の人は、もっと自覚する必要があると思います。
ホラー寄りのかなり社会派なエンタメ
鑑賞日6月29日。正確でない所があるかもしれません。
本サイトの解説を読んで、これは裁判で冤罪になった事件なのかなと思い、気が滅入りそうなので観るかどうか迷いました。
事件の事は何となく記憶してますが、結果どうなったのか覚えてなくて、観て良かったです。
子供が担任に暴力を振るわれたと騒ぐ両親の剣幕に押されて、取り敢えず謝罪してやり過ごそうとする校長でしたが、一度認めてしまうとその方向へ事態が悪化していき、世間から非難されて孤立する教師。
薮下と子供の両親のどちらが本当の事を言っているのか。
母親の話す事は突飛すぎるので薮下の言い分が正しいのだろう、しかし全てを信じていいのか、とも思ってしまいます。
綾野剛さんの実際の辛い経験と重ねて観てしまうから薮下に同情しましたが、この事件の詳細をウィキペディアで確認しました。原作はかなり丁寧に取材して書かれていると思いました。
母親は注目を集めたくて嘘をつく人で、自らを正当化する為に嘘を重ね、その為に利用しやすい薮下がターゲットになったと思います。
父親はたぶん家庭にそれ程関心は無いが、面子にこだわるタイプに見えました。そして二人とも、金も取れるなら出来るだけ取ってやろうと考えたでしょう。請求額を大幅に釣り上げています。
この事件は両親、校長、教育委員会、マスコミ、無関係なのに薮下を攻撃した世間も含めて非常に腹立たしく感じる事件で、特に多くのマスコミの無責任な報道が一人の教師の人生を狂わせました。私が結果を覚えてなかったのはきちんとした謝罪がされてないからかも。
本件をそのまま描くとかなり重苦しい話になるのですが、柴咲コウさんをサイコパス的なキャラにし、ホラー寄りのエンタメにしているので観易くなったのではないでしょうか。
判決後に両親は悔しがった筈ですが、本作ではあまり見せなかったので、柴咲さんのサイコパス度が際立ちました。
あり得る話だが…
小学校で長く教員をしていました。実際の学校現場でもあり得る話だと思いながら見ましたが,実話を基にした映画で,実際にああいうことが起こったのですね。背筋が寒くなります。とは言いながらも,初動での管理職の対応,藪下先生の対応は現実的にはあり得るのかとも思います。保護者からクレームが入った場合,映画のように管理職は保護者の言い分を鵜呑みにしてとりあえず認めて謝罪するということはなく,まずは事実関係をしっかり調査するということを約束して,その日は帰ってもらうようにします。その上で,藪下先生の言い分をしっかり聞き,その裏付けを取る形で関係児童,第三者の児童からも事情聴取をし,今回の作品で言えば,藪下先生の体罰は学級内で確認されなかったということを保護者に言うでしょう。藪下先生も管理職に言われるまま体罰を認めて謝罪するということはなく,とことんそのときの状況を詳しく,具体的に話し,反論するはずです。
また,教育委員会は教師の処罰をするだけでなく,教師を守る立場でもあります。校長に対してもきちんと調査の上で報告書を上げさせた上で教員への処分を科すはずです。今回の映画では,管理職と教育委員会の対応は現実にはないかなと思いながら見ていました。
しかしながら,柴咲コウ演じる保護者のような人はどこの学校にもいて,そういう意味では,どうやって自分を守るかということを教員に考えさせるような作品になっていたと思います。光石研,小林薫をはじめとしたサブキャストの存在感があり,重厚な映画となっています。個人的には木村文乃さんが離婚せずに最後まで主人公に寄り添っていたのが救われました。
実際の裁判を傍聴したことがありますが、当時の報道の様子や裁判が忠実...
柴咲コワ
モンスターマザー
マサチューセッツ州のボストン。
発音は「バストン」
ホント???
経歴・学歴詐称
私の母親も東洋英和女学院卒だと長いこと「嘘」ついていました。
元祖エセ港区女子。
キリスト教でもないし。
本当は巣鴨の東洋女子学園らしい。
成り上がりの氷室律子にとって、小学校の担任は発達障害の息子を守る母親を演じるために使われる道具でしかなかった。一番迷惑な代理ミュンヒハウゼン症候群ともいえますな。
PTSDになったのは藪下誠一のほう。
10年後、教育委員会から停職処分取り消し決定通知書が届いた後のエンディング。
民事訴訟といえども不服申立てを続けることはとても大事なことでした。
商店街でみたあの親子の幻。
三池崇史監督は同学年で誕生月も同じ。
オトナになりました。
小林薫と北村一輝
光石研と大倉孝二
安藤玉恵、美村里江の出番をもうちょっと増やして、証言台にあげてもらいたかったですが、同じ列で観てたJKには申し訳ないけど、オトナの映画でしたね。
鵜呑みにしない大事さ
綾野剛劇場
実話をベースにした「でっちあげ事件」の映画化。
“殺人教師”薮下誠一と、“教師に虐めを受けた子の母親”氷室律子、同じ出来事それぞれの視点から描くことで、観るものへ違和感を与え、後半の裁判では傍聴者として見つめさせる。
前半の描き方が、映画「怪物」にそっくりで、どうしてもノイズになり、ちょっと飽きてしまいましたが、後半の裁判での弁論や事実が浮き彫りになっていく様は面白く観ることができました。あの弁護士さんに出会えたことは、薮下さんにとって不幸中の幸いだったのでしょうね…。
終始全くカッコよく見えない綾野剛が良かったです。偏向報道や思考停止で受け止めてしまう世間の人々という、当時よりも更に悪化している昨今に訴えかける作品だと思います。
三池監督ぽさは抑えだな〜と思いつつ、必要以上に鼻血が出てたのには拘りを感じました。笑
キャストの演技合戦がすごい
実話に基づくストーリーなので、週刊誌や思い込みによって、加害者にも被害者にもなり得るので改めて考えさせられた。
綾野剛さん、柴咲コウさんの演技力が特にすごかったが、他のキャストも素晴らしい方ばかりで最後まで飽きる事なく見応えがあった。
是非色々な方に観て欲しい。映画だと思った。
『怪物』や『それでもぼくはやってない』との近似性
私自身も、『怪物』との類似性を想定していた。だんだんと、『それでもぼくはやってない』に近くなっていった。最終盤で、原告母親の根拠が覆り、それでも弁護士は、依頼人の主張の援護を続けていた。主張の根拠を覆された原告母子の幻影がみられるが、実話において、病的傾向を治すことができたのか気になる。県外の赴任地で起こった虐待事件では、関係者からの情報が疑わしいと考え、被告支援者から証人依頼を受けたことがあるけれども、弁護士との話で証人までの依頼はこなかったことがある。
タイトルなし(ネタバレ)
2003年、ある民事裁判。
小学校教師の薮下誠一(綾野剛)は、児童・氷室拓翔(三浦綺羅)への体罰・自殺強要により拓翔少年をPTSDに追い込んだことで訴えられた。
裁判より以前、マスコミは薮下は「殺人教師」と呼びつらい、言語道断と弾劾していた。
裁判は冒頭、拓翔の母・氷室律子(柴咲コウ)の証言から始まった・・・
といったところからはじまる物語。
巻頭、律子の口から証言される薮下の行為は正視に耐えないほどの凄まじさ。
しかし、薮下が法廷で口にしたのは、「すべて事実無根の・・・」とタイトル『でっちあげ』と映し出される。
このタイトルが出た時点で、この映画は只者ではない、と確信。
周防正行監督『それでもボクはやってない』に匹敵する冤罪映画の力作。
柴咲コウ演じるモンスターペアレント、ややステレオタイプっぽい演技なれど、怖いねぇ。
ほんと、かかわりたくないタイプ。
綾野剛の演技も凄まじい。
アバンタイトルまでの悪魔のごとき人物と、被告の身となっても拓翔少年を気遣う人の好さ、その両方をリアリティをもって演じている。
薮下の弁護を引き受ける弁護士役に小林薫。
深みのあるいい演技だ。
若い頃ならば、彼が薮下の役を演じていたかもしれない。
「殺人教師・薮下」をでっちあげてしまう週刊誌記者役の亀梨和也。
かつてアイドルだったことなど微塵も感じさせない演技だ。
それにしても、当事者でない者が「正義」の言下で偽情報を信じてしまうことの怖さ。
怖い怖い。
いま観るべき映画の1本でしょう。
初期対応が大事
感情を揺さぶられる作品
この話にはね、現実感がないんですよ
この小林薫演じる弁護士の言葉に膝を打った。SNSの洪水に溺れ、まともな感覚が失われがち。
綾野先生、救世主にもっと感動してと画面に呼びかけるも、今回の綾野剛はものすごく気が弱い。校長と教頭の情けなさは誇張されているのだろうが、こういう人は多いのか。世間のバッシングに疲れ果てて反応が薄い。大丈夫?
映画メインビジュアルの綾野剛の表情。これは狂気か、絶望か。どちらともつかない。ネタバレを避けたうまい表情だ。
監督さんの名前から暴力が多いなら嫌だなと思ったが、そうでもなく、途中、腑に落ちてからは安心するとともに現代に生きる難しさに目眩がしそうになった。大人も子どもも病んでいる。
映画レビュー『殺人教師と呼ばれた男』
「教育」と「経営」は一見遠いようで、本質は近い。映画『殺人教師と呼ばれた男』は、学園内の腐敗と向き合った一人の教師の姿を描きながら、組織における“本当のリーダーシップ”とは何かを問いかけてくる異色の社会派ドラマだ。
物語の主人公・桐島は、暴力、いじめ、不正が蔓延る高校に赴任し、「教育は命がけで変えるものだ」と過激な指導を始める。やがて彼はメディアに「殺人教師」と報じられ、世間からは敵視される存在に。しかし、その裏には、生徒一人ひとりの未来を本気で考え抜いた“覚悟”と“責任”があった。
私は経営者として、彼の行動に強い共感を覚えた。結果を出すために嫌われ役を引き受けるリーダーは、時に誤解され、孤独にもなる。だが、長期的な視野で見れば、その厳しさが人を育て、組織を変える。短期的な人気取りに走らない桐島の姿勢は、noteに毎日理念を書き綴る自分自身の姿と重なった。
彼が生徒たちに配った“note”には、「お前の本音を書け。誰にも見せなくていい」とだけ記されていた。そこから生徒の心が少しずつほどけていく描写は、組織においても「安心して本音を出せる場所」の重要性を感じさせられた。結局、信頼は仕組みではなく、“人”と“想い”でしか築けないのだ。
結末では、彼の行動が数年後の卒業生の進路や価値観に大きな影響を与えていたことが明かされる。たとえその時理解されずとも、正しい信念は時を超えて届く——そのメッセージは、短期成果ばかりを追いがちな現代のリーダーにこそ突き刺さる。
この作品は、ただの学園ドラマではない。理念と信念を問われるすべての経営者にとっての、魂の鏡だ。
三池崇史監督の本領が垣間見えるホラーチック作品
三池崇史という監督は、ホラーチックな作品を撮ると本領を発揮するようだ。これが完全なホラー映画になると、抑制が上手く効かずに目茶苦茶なことを仕出かす傾向があるように思う(時にはそれが魅力にはなるのだが)。
本作は、ホラーチックな作品であり、三池監督の本領がよく発揮されていると言える。
主演の綾野剛さんは、普段の二枚目キャラとは違う、周りの雰囲気に流されて追い込まれる主人公を好演している。
映画は、まず氷室律子から見た事実から始まり、その後に主人公の藪下誠一による事実を描く。いわゆる羅生門スタイルの映画だ。藪下という主人公名もおそらくはこれに由来しているはず。
黒澤明による「羅生門」は芥川龍之介の「羅生門」と「藪の中」を原案とし、誰が真実を言っているのかわからないという話だが、映画の最後では捨てられた赤子を語り手の男がもらい受ける場面を設けて希望を出している(「赤ひげ」もそうだが黒澤明という人は極めてヒューマニストである)。
本作では、教育委員会に児童への暴力を認定され、マスコミから「殺人教師」というレッテルを貼られてても、妻は夫を応援し、子供は父親と同じ教職を目指している。そこに希望めいた光はある。
名探偵コナン君は「真実はひとつ」とは言うが、「事実はひとつ」とは言わない。事実は各人の認識した事柄だが、真実はより客観性のある俯瞰されたものだ。
それだけ、人は容易に真実には到達し得ない。
本作でも真実には到達はしていない。氷室律子とは何者かという疑問は残るし、藪下が失ったものは本当に回復されたのかも分からない。
虚言癖の女と彼女に翻弄された家族はどこかへと消えるが、おそらく彼らは我々の世間の中へと埋没し、何時でも再登場する機会を狙っているのだろう。
それ故に、本作はホラーチックと言える。
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