「上半期の私的ベスト5に入る『でっちあげ』。もう一度観たい」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
上半期の私的ベスト5に入る『でっちあげ』。もう一度観たい
主役への印象が、最初の30分とその後でこんなにガラリと変わるドラマも珍しい。
いや、TVのベタなサスペンスドラマでは有りがちかもしれないが、実話を元にした、しかも教師による児童へのいじめ(もはや虐待レベル)についての「日本初」と言われた裁判を元にしているからか、リアリティが半端ない。
まるで「再現ビデオ」のような陰湿なシーンが容赦なく続く導入は、子役のトラウマを心配してしまうほどであり、本当に胸糞が悪くなる。
鑑賞者はこうして例外なくその教師の所業に驚き、嫌悪し、演じる綾野剛という実在の俳優にすら、憎しみを抱いてしまうだろう。
そして、それに続く裁判シーンの罪状認否で教師が
「私は無罪です。すべて拓翔くんとそのお母さんの氷室律子さんのでっちあげです」
と供述するのを聞くに到って、鑑賞者の怒りは「この野郎、この期に及んで卑怯だ。素直に認めろ。絶対に赦せない」とマックスまで高まる。
・・・・・ところがその後一転して、薮下の優しく子ども好きな教師としての日常と、彼の妻(演:木村文乃)や一人息子との温かい家庭の様子が淡々と描かれて行くに連れ、鑑賞者は混乱し始める。
何なんだ、これは? この人物は二重人格のサイコパスなのか? そういうドラマか? 先ほどまでの悪辣な所業は悪夢だったとかいう設定か何かか?
・・・・・・・
無論、この落差は脚本と演出の巧みさによるものだが、何と言っても、まったくの別人に見えてしまうほどの綾野剛の演技力が、鬼のように突出しているということに尽きる。
そして不気味な、こちらこそサイコパスじゃないかと思える母親律子(演:柴咲コウ)、徹底的に権威と保身の権化である校長(演:光石研)、糾弾し社会正義の実現に酔う週刊誌記者(演:亀梨和也)のプレーヤーたちが、否応なく教師を絶望のどん底に叩き落とす。
550人もの大弁護団を擁した告発者の氷室家に対し、たった1人のベテラン弁護士、湯上谷(演:小林薫)が教師の弁護に立つ。ああ小林薫、また良い役をやってる(笑)。
この映画の演出のクォリティの高さは、鑑賞者の見立てを極限まで誤らせ、自分の理性と感情への信頼を揺るがせることにある。
それは同じように法廷ドラマだった『落下の解剖学』にも通じる。
鑑賞者は薮下の「殺人教師」ぶりを寸分違わず信じ込まされ、怒りに震えたと思ったら、それは母親律子だけが見ている異様な妄想に過ぎないようだ、と磁場が逆転してしまう。
そこで鑑賞者は自らの「思い込み」の誤りを突き付けられ、教師に抱いた嫌悪感の根源に差別とヘイトの存在を見てしまう。
だから、小林薫の弁護士と、夫・父を信じ抜く妻と息子の存在は、鑑賞者にとって免罪符のようにありがたい。
観ている方はついさっきまで週刊誌記者や記事を信じた世間と同じように教師を憎み、弾劾し、スクリーンを観ながら一緒になって心理的に集団リンチを加えていたからだ。
いやぁ、あれだけ教師がイジメていたシーンを最初に見せられれば、誰だってそう思ってしまいますよ。だってあれは、そもそも虚言癖のある子どもの嘘と母親の妄想と、それを拡大した週刊誌が生み出したものでしょう?
果たしてそうだろうか?
程度の差はあれ、私たちは日々似たような思い込みを無意識のうちにしていないだろうか。
週刊誌であろうとSNSであろうと「誰かが言っている」ことを自然に鵜呑みにして、わっしょいわっしょいと再生産していないか。
この作品が秀逸なのは、それを痛烈に投げつけてくるところにほかならない。