「バッシングという土砂降りの雨にさらされる恐怖」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
バッシングという土砂降りの雨にさらされる恐怖
20年前、日本で初めて教師による児童へのいじめが認定された体罰事件という実話に基づいている点が、この作品に計り知れない重みとリアリティを与えている。見ている人間は、この物語が「人ごとではない」普遍的な恐怖を内包していることに気づかされるはずだ。
物語は、小学校教諭・薮下誠一(綾野剛)が、教え子の母親である氷室律子(柴咲コウ)から凄惨な体罰を告発されるところから始まる 。この告発は、週刊春報の記者・鳴海三千彦(亀梨和也)によって「実名報道」され、薮下は瞬く間に「史上最悪の殺人教師」として世間の猛バッシングに晒される。彼の平穏な日常は音を立てて崩壊し、誹謗中傷と裏切りが彼を底なしの絶望へと突き落としていく。
本作を観て痛感させられるのは、「自分の信じたいものしか信じない」という人間の本質だ。劇中で象徴的に描かれる「土砂降りの雨」は、まさに世間の声、特にメディアが作り出すバッシングの嵐を視覚化したものだろう。薮下がどれだけ真実を訴えようとも、その声は土砂降りの騒音にかき消され、届けたい相手には届かない。週刊誌が簡単に「真実」を作り上げ、それを世間が鵜呑みにする構図は、現代社会における情報の危うさを浮き彫りにする。
映画はまた、現代社会における「責任」の所在にも深く切り込む。一度謝ってしまったらそれを認めることになり、悪くなくても悪いと認めてしまったらそれが事実になり、安易な謝罪が真実を歪める危険性を指摘する。
そういった日本人の「空気を読む」曖昧さが、時に悪い方向に働き、不用意な言動が「体罰」として事実化されてしまう恐ろしさを描いている。学校側が責任を恐れるあまり、無意識にクレーマーに加担してしまう構図は、教育現場の難しさと、複雑な世の中において教師への責任が過剰にのしかかっている現状を映し出す。
真実を見極めることの困難さも、本作の重要なテーマだ。藪下の弁護士は自分の足で証拠を集めたり、関係者に聞き取りを行ったりするなど、とにかく行動する。情報を精査する地道な作業をして初めて真実が明らかになる過程は、私たちが安易に情報を鵜呑みにせず、一歩立ち止まって考える勇気の必要性を教えてくれる。
最後の法廷での藪下の主張は、まさに今の教育現場に向けた、作り手からの切実なメッセージだろう。子供を真っ当に育てるのは大人の責任であり、ちゃんと叱る大人がいなければ、ろくでもない人間になってしまう。しかし、その「叱る」という行為が、いかに誤解され、一人の人間の命さえ奪いかねない恐ろしさを秘めているか。この映画は、私たちに「真実と嘘は表裏一体」であることを突きつけ、安易な断罪や、ものを考え続けることを放棄する人間の危うさに警鐘を鳴らす。
『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』は、観客の心の奥深くに突き刺さる「衝撃のエンターテインメント」でありながら、同時に私たち自身の社会や価値観、そして情報との向き合い方について深く考えさせる、忘れがたい一本となるだろう。
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