「表面的な情報に踊らされる社会の怖さ」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 泣き虫オヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
表面的な情報に踊らされる社会の怖さ
予告を観たときは、「どちらが真実?」と観るものに問うような展開を想像したが、そうではなかった。冒頭に「事実に基づく・・・」と掲げられたので鑑賞後に調べたら、福岡で起きた実在の事件に基づくものらしい。20年以上前の事件で、基本的には既に白黒はっきりしているので、曖昧な終わり方はしないので、ご安心を。
【物語】
薮下誠一(綾野剛)は小学校教諭。2003年のある日、クラスの生徒氷室拓翔(三浦綺羅)の母親律子(紫咲コウ)が学校を訪れ、薮下が拓翔にいじめ同然の体罰や差別的発言を行ったとして校長・教頭に詰め寄る。苦情を受けた校長と教頭は薮下に「面倒なこと起こしやがって」と言わんばかりの態度で、ろくに事実を確認しようともせず、ただただ騒ぎを丸く収めることだけしか考えない。 薮下には「親のいうことに反論するな。ただ謝れ」と迫る。言うことを聞かなければ担任を外すとまで言われた薮下は不服ながらも言われたとおりにする。
しかし、校長・教頭の意図に反して騒ぎは拡大。週刊誌が実名報道したため薮下は世間から猛烈なバッシングを受ける。騒動の収拾に終始する県教育委員会から停職処分を受け、さらには律子が民事訴訟を起こし、5800万円の賠償請求を受ける。世論の風を受けて律子には550人もの大弁護団が結成されるのに対し、弁護を引き受けてくれる弁護士が見つからない。
身に覚えの無いことで一方的に責め立てられ、学校・世間からも見放された薮下は絶望の淵に突き落とされる。
【感想】
法廷ものを観ると、いつも真実の追求の難しさを感じる。
今作の場合、客観的に見れば律子側には小学生の息子の証言以外に根拠はなく、明らかに主張はお粗末なのなのだが、その場を収めるためだけの謝罪や処分が根拠になってしまうという恐ろしさ。やはり声の大きい奴が勝つのかという絶望感、はたまたすぐ安易に盛り上がってしまう世間の無責任で野次馬的非難が、もう真実を主張することさえ封じ込めてしまいそうになるのが怖い。 今だったら、週刊誌が取り上げなくてもSNSの存在でより容易に炎上してしまうだろう。
そんな情報の怖さを考えさせられる。様々な情報が溢れかえる現代に生きている我々は、いつも「この情報は正しいのか?」と慎重な考えを常に持つことが必要なのだろう。 匿名ネット情報はもちろんだが、テレビ・新聞の情報だって慎重に扱うべきなのだと思う。実際この事件ではTVのワイドショーはこぞって「教師のいじめ」を報道したらしい。人間は誰しも個人の経験・願望・都合等で物事を観てしまう生き物だから、意識して多面的な情報を集めることが必要なのだと思う。
そういう意味で不満だったのは、理不尽に思える言動を続けた母親側の深堀が無かったこと。母親がなぜここまで一方的に薮下を責めたのか、息子の言葉を妄信したのか。何か理由があったのでは? 「そう思い込むのも分かる」と思える何かが。原作がそこまで書いていなかったということかも知れないが、藪下側の「謝罪してしまった」の裏側が十分描かれているのに対して、律子側は表面的な主張しか描かれていないのは残念。
役者では、ちょっと情けない薮下の戸惑い、焦り、絶望、憔悴をリアルに演じた綾野剛はさすが。柴咲コウは可愛さを完全に封印して、薮下を常に冷たい視線で責め立てる怖い女を好演している。 その他の役者の好演もあり、社会の怖さを垣間見ることができる本作は一見の価値があると思う。