「ブルータス、お前もか!」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
ブルータス、お前もか!
『福田ますみ』による原作は既読。
単行本のタイトルは〔でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相〕。
2010年の文庫化にあたり「でっちあげ事件、その後」の章が追加されており、
映画でもほぼそこまではカバーされている。
「モンスターペアレント」との呼称がまだない時代。
しかし、その萌芽は1990年代頃からと聞く。
イマイマでは様々な対策が取られるようになったとはいえ、
教師の側を守る手段としては十分ではないだろう。
それが2003年時点では、いかばかりのものだったか。
きっかけは「朝日新聞」の報道で、
それに「週刊文春」が追随する。
片や社会の公器を標榜し、
一方は「文春砲」とそやされながら、
両者の言い分をきちんと聞かず、
丁寧な取材無しにセンセーショナリズムに奔ったのがこの結果。
とりわけ後者が自社の方向性とは異なる報道に対して
徹底した弾劾姿勢を執ったのは書籍でも書かれているところ。
他のメディアも流れに乗る。
部数がはけて数字を取るために人権を無視するのは
何時から始まったのか。
学校というヒエラルキー社会の中で、
校長や教頭の事なかれ主義は昔からあり、
謝って嵐が通り過ぎるのを待てば、
自己の地位も安泰との考えは、相手を軽く観ているから。
時としてしっぺ返しも喰らうのは世の常。
教育委員会についてもそれは同様。
結論が先にありきで、一教員の言い分など鼻から聞く耳を持っていない。
勝ち馬に乗ることを優先したのはメディアだけではない。
大掛かりに組織された原告の弁護団とて同罪。
主任弁護士は依頼人の利益の為に働くのは当然も、
社会正義を成す立場の者が
虚偽の履歴を述べていることすら検証しないのは罪が重い。
また精神鑑定医にしたところで、
正しい面談が行われていないのは明らかで
結果が一人の人間を破滅に追いやる可能性など顧みもしない。
こうしてみると、
社会的な権威とされるもの全てが
間違った拙速な判断を下した故の免罪と取れる。
2008年の控訴審が結審した後でも、
(とりわけ)メディアの側からは何の検証もされていないと
記憶している。
被告となる教師を演じた『綾野剛』は
自信無さげに過ぎるように感じたが、
改めて原作を読み返すと
そうでもなさそう。
そして「サイコ」とも見える母親を演じた『柴咲コウ』が嵌っている。
〔蛇の道(2024年)〕に次いでのダークな役柄。
ただでさえ白目勝ちの大きな目を見開き瞬きもしない。
表情を消した面立ちは爬虫類をも思わせ、
観る者の心胆を寒からしめる。
『三池崇史』は、よくぞこの二人をキャスティングした。