「裁判劇としてのカタルシスはないものの、現代社会の問題点は伝わってくる」でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
裁判劇としてのカタルシスはないものの、現代社会の問題点は伝わってくる
序盤に、裁判での原告の証言として描かれる「殺人教師」の言動は、まさに教師による生徒に対するいじめでしかなく、「これは酷い」と思わせる。
ただ、その後に、被告の証言を引き継ぐ形で、無音で映し出される「でっちあげ」という印象的なタイトルによって、それまでのショッキングな映像が「嘘」だったということの察しがついてしまう。
これ以降は、被告の証言に基づいて同じ出来事が描かれるという「羅生門」的な展開となるのだが、すでに、こちらの映像の方が「真実」であろうと分かっているので、証言の真偽よりも、どうしてこんな冤罪が生み出されたのかということが興味の焦点になっていく。
その点、最大の問題は、教師を守ることよりも、父兄の顔色をうかがうことを優先し、原告に謝罪を強要した校長や教頭の対応にあったということが分かるのだが、我々の社会には、その場を穏便に収めるためだとか、ことを荒立てないためだとかで、とにかく謝罪した方が良いと考える風潮が確かにあると思われて、何だか身につまされてしまった。
その一方で、もう一つの問題点であるマスコミの報道については、事実の信憑性について何の裏取りもせず、一方の当事者の言い分だけを鵜呑みにして、しかも加害者と疑われる人物を実名で記事にするなど、雑誌やテレビの対応がお粗末すぎて、かえってリアリティが感じられなかった。これが本当なら、もってのほかとしか言いようがないのだが、せめて、オールドメディアは匿名で報道し、SNS上でプライバシーが暴かれたり、誹謗中傷が過熱したりといった流れにした方が、現在のマスコミの実態が浮き彫りになったのではないだろうか?
同様に、PTSDの鑑定をした心理学者の対応も杜撰すぎて、すんなりとは納得できないし、原告にいじめられていた子供の母親が、裁判での証言を固辞する理由もよく分からなかったので、ここは、原告の夫婦による買収や脅迫が明らかになるといった展開にした方が、物語に説得力が増したのではないかと思われる。
ラストは、予想したとおり、被告を無罪とする判決が下されるのだが、裁判劇としての一発逆転のカタルシスが無かったことには、物足りなさを感じざるを得ない。
あえて言えば、原告がアメリカ人の血を引いているという嘘がバレるところが、形勢逆転の契機となるのだが、それでも、どうして、あんな「でっちあげ」を仕組んだのか、その動機が分からないままなので、ここでは、原告の精神的な異常さが、もう少し強調されても良かったのではないかと思えてならない。
また、被告がいじめをしていたという嫌疑が、10年という月日を経て晴らされるという結末は良いにしても、被告を陥れた原告の親子にしても、無責任な報道をした雑誌記者にしても、ことなかれ主義で事態を悪化させた校長や教頭にしても、「悪い奴ら」が「痛い目にあっていない」ところには、どこか釈然としないモヤモヤとした感覚が残った。
その一方で、裁判のクライマックスで原告が陳述した「厳しく叱ることも愛情」という言葉には、ハラスメントを恐れるあまり、しつけや指導を行うことに萎縮してしまいがちな現代社会の問題点が感じられて、心に響くものがあった。
