突然、君がいなくなってのレビュー・感想・評価
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どこにでもあるかも知れないお話
美大に通う女性・ウナ。彼女が秘かに付き合っている恋人には、長年付き合って来た遠距離交際の女性・クララが居る。「クララには別れを告げて来る」と言って彼は故郷に帰った。その言葉に嘘は無かっただろう。しかし、その道中で彼は事故で亡くなってしまう。事情を知らない周囲は、悲嘆に暮れるクララに強い同情を寄せるのだが、真実を告げられないウナの深い悲しみは何処へやればいいのだろう。と言うお話。
日本映画だったらズルズルコッテリの愛憎劇になりそうですが、北欧(アイスランド)映画らしく冷めた色合いで静かに戸惑いと哀しみを描きます。それが却って観る者にジンワリ沁みて来るのです。何処にでもあり得る話なのかも知れないという思いが、その浸透性を一層強めます。よくこんなお話を映画にしたな、と感心。
突然、君がいなくなって
【今作は、愛する人を突然失った美大生の深い哀しみと、公認だった遠距離ガールフレンドに対する彼女の嫉妬と、二人の出会いと赦しを白夜のアイスランドの海面に煌く太陽光と共に描いた作品である。】
■美大生のウナは同級生のディッディと恋仲。だが、ディッディには皆が公認する彼女クララがいた。
ディッディはアイスランドの岩場の浜でウナに”クララと別れて来る。”と言い残し出かけるがトンネルでの大事故に巻き込まれ、帰らぬ人になってしまう。
悲しみに暮れるウナの前にクララが現れる。一人の美大生男子を除き、皆はクララを慰める。そのシーンを複雑な表情で見ているウナ。
だが、クララとウナは深い哀しみの中、徐々に距離を縮めていくのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・哀しい物語であるが、スクリーンに映し出される映像が大変に美しい。アイスランドの空気が澄んでいるのだろうか。
・特に、クララとウナがベッドでお互いに哀しみを癒す様に、共に寝ているショットの美しさは、アート作品の様に美しいのである。
・更に、クララとウナが、且つてウナとディッディが最後に会った、海岸に一緒に行き、共に海を観るシーンと、そこから映される白夜のアイスランドの海の上に浮かぶ太陽と、太陽光が海面に反射するショットは、亡きディッディの思い出と被り、美しき事極まりないのである。
<今作は、愛する人を突然失った美大生の深い哀しみと公認だったGFに対する嫉妬と、赦しを白夜のアイスランドの海面に煌く太陽光と共に描いた作品なのである。>
<2025年8月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
北欧=幸福の国のイメージはここにあらず!!
秘密の恋を続けるカップルが突然最愛の彼を失い、誰にも打ち明けられず焦燥の時間に奔走されるというストーリー!!
ほぼストーリーに説明らしきものがない為、初めは「これどういう事?」みたいな感覚に囚われるが、時間を追うごとにしっかりと伏線は見えてくる。
秘密の恋だからこそ亡くなった”彼”を巡る二人の行き場のない感情が涙とハグで全編に渡り、これでもかと観る者に訴えかけてくる!!
ラストでベッドで二人が見詰め合う長回しのシーンは、途中レズビアンであることを聞かれることの伏線!?
今までアイスランドの映画は観た事が無かったので、北欧のイメージはフィンランド等でクローズアップされる幸福の国という先入観があったのだが、この作品はそういったイメージを根底から覆してくれます。
恋人でもないのにあんなにハグするんだ
アイスランド・レイキャビクの芸術大学に通うウナには、ディッディという最愛の人がいた。しかし彼には皆が知る恋人クララが居て遠距離恋愛をしていたので、ウナとの関係は周囲には隠していた。ウナはこれ以上隠すのは嫌だと言い、ディッディはクララに別れを告げにいくと車で家を出た。しかし、途中でトンネルの火災事故に巻き込まれ亡くなってしまった。その事を知ったウナは誰にも真実を語ることができないまま、最愛の人を失った悲しみをひとり抱えていたが、ウナの前に、何も知らないクララが現れた。ウナはどう対応するのか・・・そんな話。
初めて観るアイスランド作品だと思う。
アイスランドは北海道より2割くらい大きい島国で、人口が北海道の1/10以下の40万人弱らしい。
氷河と温泉を観に一度だけだがアイスランドへ行ったことが有ります。夏のアイスランドは白夜で日が沈まないから感覚がおかしくなりそうだけど。そして、ホウェールウォッチングが出来なかったからもう一度行きたいと思ってる国です。
クララと遠距離恋愛って、車で行ってたし、国内なんだろうから、1番離れてても700kmくらい、函館と根室、みたいな距離的なイメージかなぁと思って観てた。その気になれば車で10時間くらいかな?まぁ、遠距離だな。
そして、ディッディは死ぬタイミングが悪すぎだなぁ、と思った。ちゃんとクララと別れてからならウナももっと人前で色々感情を出せたのに、可哀想、ってちょっと思った。
アイスランドの人たちって恋人でもないのにあんなにハグするんだ、って驚いた。それと、車道歩いてて注意されたら逆ギレはやめようよ、とも。
もう一つ、クララがトイレのドアを開けたまま小をしたのにも驚いた。
ウナ役のエリーン・ハットルはベリーショートで悲しみを堪えた演技が印象的だった。
ウナの悲しみはいかばかりか
ウナは恋人ディッデイを事故で亡くし、
ディッデイの友だちとディッデイのもうひとりの恋人
クララと追悼する、わずか1日半くらいの話だ。
ウナよりも、クララや他の友だちは中学から
ディッデイとつるんでいたため、クララより思い出が
多いことがわかる。写真をみんなで見たり。
だから、ウナは知らないディッデイがいて、
そこもウナの淋しさ・悲しみに追い討ちをかけていると感じた。
ウナとディッデイの愛情の度合いがわかるオープニング、
それから事故、徐々にわかるディッデイの死、
その事実を受け止めざるを得ないウナの心の変遷は
ウナの表情やしぐさの演技でいやというほど
悲しさが伝わる素晴らしい演技だ。
ウナのお父さんとのやりとりが微笑ましく、
ここが救いでもある。
でも、ウナとクララが同じ思いを抱いたディッデイ
を介して、徐々に関係性が変わっていくところが
見どころだと思う。それは友情なのか愛情なのかは
わからないが。
それにしてもディッデイは二股をかけているわけだから、
そこは褒められたもんじゃない。とは思う。
アイスランドの若者は男女関係なくハグしたり
頭をくっつけたりのコミュニケーションで
思いを伝えあうのだな。
日本とは全く異なる文化にも触れられてよかった。
映像の質感もすごく美しく堪能できた。
興味深かったシーンは空想的に空を飛ぶ場面
期待をしていたのだけれど、あまり面白くなかったです。
テーマは良い感じに思えるのだけれど、ヒロイン2人に、あまり魅力を感じないのが大きいかな。
それとアイスランドの恋人間や友人間の距離感が良く分からないということも、登場人物に感情移入できない一因の気がしました。
唯一興味深かったシーンは、空想的に空を飛ぶ場面。
今度、どこかでやってみようと思います。
珍しい
タイトルなし(ネタバレ)
アイスランド・レイキャビックの芸術大学に通う女性ウナ(エリーン・ハットル)。
恋人ディッディ(バルドゥル・エイナルソン)を突然の事故で喪ってしまう。
ディッディは、元々付き合っていた幼馴染に別れを告げる直前だった。
ウナとディッディの仲は周囲はまだ知らなかった。
そんな中、ウナの前に件の幼馴染の女性クララ(カトラ・ニャルスドッティル )が現れて・・・
といったところからはじまる、アイスランド発の喪失の物語。
どんなドラマが展開されるのか・・・と期待したが、ドラマは無い。
ウナはディッディとの仲を誰にも打ち明けず、残された女性ふたりが喪失感を抱えるところで映画は終わる。
ダルデンヌ兄弟の初期作に似た感じもするが、そうでない感じもする。
安易なドラマ展開を拒否しているあたりは好感が持てるが、好感以上でもない。
観る側を選ぶ作品でしょう。
風景は美しい。
レイキャビクの学生らの物語。 若い男性が、交通事故で急逝してしまい...
レイキャビクの学生らの物語。
若い男性が、交通事故で急逝してしまい。
近くの友人や恋人たちが、事情を徐々に把握し、悲しむ様子。
故人には、遠距離の恋人もいて
彼が近くの恋人を選び、遠距離に別れを告げに行く道中の事故だとは知らぬまま
一緒に悲しみのどん底に。
まだ若い者ばかり、友人または恋人の不在を受け入れるにも難儀して。
普段から近くの人々と、遠距離の幼なじみとでは、温度差もあって。
日本のドラマ好きのような観衆には、ウケが悪そうな感じもしますね。
二股解消の目前、元カノと今カノの遭遇、元の当人は進行形だと思ってる…と、書き出すと、途端に品がなくなり。
まあでも、特に欧州では、今どき異性間で1対1が全てでもないでしょうし。
劇中のセリフには "レズビアンだと聞いた" "最後の恋人は男性だった" などもありましたし。
私的には、さほど驚きません。
表情などで察する、言葉の説明をかなり抑えた、静かな作り。
葛藤を抱えながらも、距離を縮めてゆく様子。
心理描写、街並みや景色、沈みそうで沈まない太陽・・・
物語よりも、アート的に右脳を使う印象。
とっても美しい映像でした。結構好きです。
劇中のBGMも、声楽曲のような静謐なもの、友人らで偲ぶ集まりのダンストラック、それぞれセンス良く感じました。
アート映画……なんだろーな
喪失の質量は、絶望の深さと比例するのかもしれない
2025.7.2 字幕 アップリンク京都
2024年のアイスランド&オランダ&クロアチア&フランス合作の映画(80分、PG12)
二股を知らない女と全てを知る女が恋人の喪失で向き合う様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はルーナ・ルーナソン
原題は『Ljósbrot』で「屈折」、英題は『When the Light Breaks』で「光が消えるとき」という意味(映画のニュアンスだと夕日が沈むとき、という感覚)
物語の舞台は、アイスランドのレイキャビク
芸術大学に通うウナ(エリーン・ハットル)には、同じ大学に通うバンド仲間のディッディ(バルトゥル・エイナルソン)という恋人がいた
だが、二人の間は公然の秘密で、それはディッディには高校時代から付き合っている恋人クララ(カトラ・ニャスルドッティル)がいたからだった
「もう隠し通せない」というウナに対して、ディッディは「クララに別れを告げてくる」という
翌朝の飛行機で故郷に帰る予定のディッディだったが、欠航のために、ルームメイトで幼馴染のグンニ(ミカエル・コーパー)から車を借りることになった
翌朝、ディッディが出かけた後に目覚めたウナは、いつも通りに大学へと向かった
パフォーマンスの授業に遅れたウナは、そのまま教室に滑り込み、教授からの嫌味に中指を立てて応えていた
その後、昼食の時間になったウナは、友人のソレンガー(トーマス・ハウザー)たちと共に学食に向かった
そこでは複数の友人たちがネットのニュースに釘付けになっていた
そのニュースはトンネル内で爆発が起きて十数人以上の死者が出たというもので、アイスランド政府は緊急事態宣言を発令することになった
そんな折、悲痛な面持ちでグンニがウナの元にやってきた
グンニはディッディに車を貸したこと、警察から連絡があったことを告げる
ウナたちは緊急支援センターに向かい、ディッディの安否を確認することになった
同乗していたとされるクラスメイトの無事が確認されるものの、ディッディは帰らぬ人となったことが判明した
グンニに加え、彼らの幼馴染のバッシ(アゥグスト・ウィグム)、シッギ(グンナル・フラブン・クリスチャンソン)たちの悲しみの輪に入れないウナは姿をくらまし、父(ベネディクト・エリリングソン)に家まで送ってもらうことになった
その後、ウナはグンニから電話を受け、一緒にいたいと言われる
ウナが彼らの元に向かうと、そこに故郷の恋人クララがやってきた
誰もが恋人を亡くしたクララを憐れむものの、ウナはその秘密を誰にも言えない
だが、グンニだけは二人の関係、ディッディが故郷に向かった理由を知っていて、「このことは誰にも言うな」と釘を差すのである
映画は、二股を知るウナと何も知らないクララの邂逅が描かれていて、クララはディッディがウナとバンドを組んでいることを知っていた
恋人を奪われると思っていたクララだったが、ディッディからウナはレズビアンだと聞かされていて安心していた
それを聞いたウナはレズビアンであることを否定し、少し不穏な空気が立ち込める
その後、慰霊祭を終えた彼らはディッディの思い出を振り返るのだが、そこでウナはたまりかねて号泣してしまう
その様子を見たクララは、ウナとディッディの関係に気づいてしまうのである
クララを直視できないウナだったが、クララはウナとの時間を取ろうとする
二人でキックボードに乗って海岸に行き、ディッディと一緒に見た沈む夕日を眺める
クララは「ディッディを見送っているみたい」と言い、二人はそのままディッディが住んでいた部屋へと足を運ぶことになった
物語は、決定的なことは表現しないものの、クララが気づいていること、ウナの後ろめたさやクララの怒りというものがうまく表現されている
ガラス越しにウナとクララが対峙する場面では、二人の姿が重なり、まるでクララが怒っているように見えるショットがあった
その後も、二人は決定的なことを何も言わないものの、ウナがディッディの恋人であると感じた後のクララは、彼女が抱えている喪失を癒そうと考え始めていく
そして、ラストではディッディのベッドで向き合いながら、抱き合って夜明けを迎えていく
ラストショットは朝日であり、これまでに二度登場した夕日との対比になっていて、さらに無音のエンドロールが流れる、という演出になっていた
いずれにせよ、かなり観念的な部分が多い作品で、わずか半日を切り取っているので、余白が多く感じられる作品になっていた
クララがウナの存在をどのように理解し落とし込んでいくか、という物語になっていて、ウナとしては自身で動くことはできない
受動的な主人公でありながら、自分の思いの成就の末に悲劇があって、それは誰にも理解されないものだったと思う
だが、クララだけはウナがディッディを大切に想っていた人であることに気づき、同じ喪失を抱える者としての配慮を見せていく
クララの中にあるディッディとの距離感は映画では描かれないが、ウナのことに対して嘘をついていたことで、ある程度の距離感を再確認したように思う
さらに、自分以上に悲しむウナを見たクララは、彼女自身が抱えている喪失の大きさに打ちのめされる
それを語ることはできないのだけれど、クララだけはウナの喪失の重さに気づき、自分とディッディとの間にあったものの軽さというものを感じ取ってしまう
クララは許せないと思うものの、やがて同じ人を愛した者同士としての共感を高めようと考えていく
そして、ウナはクララにディッディが愛していたものを見せることで、彼女の思いの終着点へと導いていったのではないだろうか
何故かしらどこかしら新しい。
21世紀も既に四半世紀を過ぎた、今の映画だなーという気がすごくしました。(本国での公開は2024年?)
もちろんスマホだのAIだのテクノロジーだの、そんな上辺の話ではなくて。
描こうとしている対象や描き方が、どこか新しい。
これはまあ感覚的な話で、残念ながら具体的な説明は何一つできないので、自分の気のせいと言われれば何も反論はできないのですが(笑)。
ただ少なくとも自分は、見たことのないものを見ることができているという新鮮な楽しさをずっと感じながら見ていました。
そもそも映画ってのは、、というかドラマとかフィクション作品全般、、もっと言っちゃうと芸術なんてものは、ある人があるシチュエーションで感じたことを、真似事でないその作品としての切り口で切り取ることによって成立してるものなんじゃないかと思います。
ただそれはその人の心で、魂で、本当に感じたことでなくてはいけないから、そんなに簡単ではないのですが。
何言ってるかわからないかもですが(汗)、要はテクノロジーや機材とかでなく(もちろんそれを使ったっていいけど)新しい領域を拓く可能性が映画にはいつでもあって、この映画が描いてるものに自分はそれを感じたということです。
そういう新しいものだけが持つ瑞々しいい力を確かに持っている映画だと思います。
これだけじゃ何のこっちゃなのでもう少し具体的なこと書いた方がいいですね(笑) 、、
とにかく映像は美しいです。
これを否定する人はいないと思います。
自分はカメラワークだのなんだの詳しいことはわかりませんが、素人目にも凝った撮り方をしてるのがわかる箇所がいくつもあり、印象的かつ効果的に使われていたと思います。
俳優たちの演技は申し分なく、脚本も嘘臭さゼロで(何気にリアルに描くの難しい題材だと思うけど)、音楽の使い方も絶妙です。
総じて映画としての完成度は高く、高品質な作品だと思います。
いわゆるアート系の、つかみどころのない作品に見えるかもしれないですが、主人公は意外と感情がストレートに表に出るし、周囲の人間関係も過不足なく自然と説明されているので、いい意味でわかりやすいです。
ただその感情や人間関係の描き方の正確さが、普通じゃない。
セリフ、表情、仕草や行動、周りの情景までもが絡み合いながら、登場人物の複雑に揺れ動く感情の、今その瞬間にしかない形を、見事に捉えていたと思います。
その正確さ、解像度の高さ故に、一つ一つが見たことのない新鮮な場面に見えるということなのかも・・・。
まあぶっちゃけ地味な映画ではあります。
目を引くようなイケメンや美人は出てきません。
自分は基本的に、映画にのメインキャラクターは見た目的にスクリーンに映される資格のある人であって欲しいと思う方なので、予告編見た時点では、主人公ヘンテコな髪型してるし、彼氏の今カノもなんかボヨーンて感じなので(笑)、正直どうかなーと思ってたとこもあったのですが、本編見てる間はそんなこと思い出しもしませんでした。
そんなことが気になるレベルの映画ではないので、もし見た目のパッとしなさに躊躇している人がいたら、そこは気にせずに見に行くことをおすすめします。
あとあれですね、映画の中のあれ、いつか現地に行ってやってみたい!っていうランキングの、かなり上位に来ますね。
見た人はすぐわかると思いますが、、あの教会の前のあれです!
風景はきれいなんだけど
大学生の恋愛と友情が描かれているようですが、なんか何も知らずに恋人を失ってしまった田舎の彼女がかわいそうで・・・
どこの国でも地元を離れたら新しい彼女が出来てしまうのね。
真実を知ったら怒りが先にたっ悲しみが吹っ飛ばないのかな?悲しみは後からじわじわと来そうな気がする。
キャストが役柄よりお年をめしてらっしゃる気がした。
ハルパの光
アイスランド出身のアーティスト、オラファー・エリアソンがデザインに参加した、会議場兼コンサートホールのハルパが、撮影に使われている。それが観たいがために、この作品を観た。蜂の巣形状の窓に、ところどころ着色してあって、光が柔らかく色付く。きれい。あと、ハットルグリムス教会もすてき。ウナと同じことをやる人が、これから出てくるに違いない。私もやってみたいが、アイスランドは遠すぎる…。
チラシには夏と書いてあったが、ウナや仲間達が外を歩く時は、ずっしりした上着(コート?)を着ていた。ということは、夏でもそんなに暑くないのね。地球温暖化の影響はどうなのだろうか。
ウナのベリーショートを見ていたら、やまじえびねのマンガを連想した。展開が静かな作風も似通っている。このままマンガにしても、まったく違和感ないかも。
クララは何となく、彼の気持ちが離れているのをわかっていたのではないだろうか。ウナと直接対面して、確信したと思う。2人は本来、敵対する関係だが、彼がいなくなったおかげで、悲しみを共有することになった。言葉を交わさずとも、肌を寄せ合いあたためあう。捨てられた子猫がぴったりくっついているみたいで、ウナとクララをまとめて抱きしめたくなった。
音楽はほぼヨハン・ヨハンソン、エンドロールが音楽なしというのは、潔い。
後半のウナは迫力だけど…演者たちの魅力が乏しくて😔
喪失
これは辛い
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