やがて海になるのレビュー・感想・評価
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三浦貴大、大活躍の2025年を締めくくる主演作としては物足りない
1985年11月10日生まれで今月40歳の節目を迎える三浦貴大。今年はクセの強い脇役の演技が高評価された「国宝」を含め映画出演作が実に5本、そのうち本作を含む2作で主演と、まさに大活躍の一年になった。
8月公開のもう一本の主演作「行きがけの空」のレビューで、「三浦貴大の演技がしみじみと良い。大きく表情を変えることなく、よく通る声のわずかな調子の変化や目の繊細な表現で、複雑な心の動きを伝えている」と書いた。本作「やがて海になる」での演技の傾向もまあまあ近いが、物語上は三浦が演じる修司が本編尺のうちかなりの時間でぐずぐず、鬱々としていることもあり、にじみ出る人間味のような良い部分があまり表現されず、物足りなさを覚えた。
沖正人監督は本作の舞台である江田島の出身。プレス向け資料に、広島を舞台にした映画には原爆や戦争やヤクザなどの強いテーマが多くあるが、それだけで語られることに偏った印象も感じ、自作では島を出た(映画監督になった和也)、島に残った(修司)、事情があって島を行き来する(スナック勤めで不倫中の幸恵)という三人の視点から江田島を描いた、という趣旨のコメントを寄せている。よく知る故郷だからこそ、よそ行きでない普段着の、日常の島の姿を見せたいという思いもわかる。ただ、せっかくご当地映画としての側面もあるのだから、江田島ならではの魅力的な場所、観客がちょっとした観光気分を味わえるようなロケーションや名物料理が登場してもよかったかなとは思う。
幸恵役の咲妃みゆに関して、Wikipediaほかで宝塚歌劇団出身であること、宝塚音楽学校在籍中に大きな問題が起きた96期生だったことなどを知った。宝塚について、元劇団員で映画やテレビで活躍する女優が多いこと以外はほとんど知らないことばかりだが、今さらのように大変な世界だな、宝塚に関わった人たちの人生もいろいろあるなと、映画に関係ないところでしみじみとしてしまった。
大の大人が何をやっているんだろう感は凄いけど、青春ってこんなものなのかもしれません
2025.10.30 イオンシネマ四條畷
2025年の日本映画(90分、G)
地元で映画を撮ることになった若手監督とその幼馴染たちとの交流を描いたヒューマンドラマ
監督は沖正人
脚本は沖正人&鈴木太一
物語の舞台は、広島県にある江田島
生まれてから向かいにある呉以外に出かけたことのない修司(三浦貴大、高校時代:後藤陽向)は、父(柳憂怜)の死後ずっと、うだつの上がらない生活をしていた
父の残した畑を手伝うわけもなく、地元でブルーカラーとして働いて、日々の酒代を稼いでいた
ある日のこと、修司の幼馴染の和也(武田航平、高校時代:市村優汰)が自身の監督作を地元で撮るというニュースが舞い込んできた
島は色めき立ち、記者会見が行われるなど盛大なものになっていたが、和也はいまだに映画の結末に悩んでいて、これだというものを思い描けていなかった
彼の映画は、母・真紀子(占部房子)との別れ、高校時代の恋人・幸恵(咲妃みゆ、高校時代:川口真奈)との別れなどがメインとなっていて、そのためか幸恵は撮影現場に姿を現さなかった
彼らは三角関係の状態だったが、和也の東京行きによって関係が壊れていて現在に至っている
和也は誰かと結婚することもなく独り身で、幸恵は店の客と不倫関係になっていて、それを本気の恋愛だと修司に告げる
だが、修司は幸恵の幸せを思い、和也と復縁することを望んでいたのである
映画は、自伝映画を撮る中で自分の気持ちを整理する和也が描かれ、彼との再会の中で自分の気持ちを整理する修司が描かれていく
ラストでは青春映画さながらのシーンが登場するが、この三人だけで盛り上がっている感が凄くて、撮影クルーを放っておいて青春に興じているのは何だかなと思ってしまった
元より「初の監督作品」と紹介されていたので、これまでの和也の実績というものがわからなかった
これまでに何らかの映像コンテンツを作って成功していたのか、あるいは俳優として活躍していたのかなど、彼自身の社会的な立ち位置と言うのは不明のまま
地元のヒーローのような扱いなので、島民としては誇れる実績を持っているのだと思うが、それが何なのか明示されないのはナンセンスだったように思えた
映画的には、本物の遺灰を使って撮影をしたことになっているが、このエピソードが宣伝に使われているのか、クルーの中だけの秘匿になっているのかもわからない
映画はちゃんと完成して、試写会を開くことができたものの、その評価というものも描かれていないので、着地点が曖昧すぎるようにも思えた
いずれにせよ、高校時代で止まっていたものが動き出したということになっているのだが、恋愛感情をすでに無くした者同士をくっつけようとする修司のマインドは最後まで理解できなかった
幸恵は修司が本気なら一緒になったと思うし、その覚悟が彼にはまだ持てなかった
修司自身は父の死が自分の写真撮影だと思い込んでいたのだが、実際にはそれは都合の良い理由であり、ぐうたらな自分であることを肯定する理由が欲しかったのだろう
幼馴染との再会で何かが変わったわけではないが、腹の底から声を出してけじめをつけたことで、そう言ったものを取っ払うことができたのかもしれない
ストンと何かが落ちてくる映画ではなかったが、随所に面白いなと感じる部分があったので、それはそれで良いのかな、と思った
ああ、瀬戸内
すぐにクビになる
実家暮らしでダラダラ生きる37歳のダラダラ男と、その高校の同級生で初監督作品を江田島&呉で撮影する男、そして呉でスナックの雇われママであるその元カノの友情物語…でいいのかな?
酒のにおいプンプンで遅く起きて来て、仕事は昼からと宣う主人公。
初監督作品は地元江田島で、と意気込んでいるのかと思ったら、どこか浮かないウダウダ監督。
妻子持ちと知りながら、借金抱えたおっさんと堂々と浮気するスナックママ。
そんな設定をみせて始まって行くけれど、そりゃあ仕事も続きませんよね。
畑仕事なんかもっと出来ないだろうし、別に売ったっていいんじゃね?
3人が3人とも、抱えている思いの出どころというか、心情というか、なんでその思考になるのか全くわからないし、終盤急になんですかその絶叫大会は…。
しかもそれで地固まる?
もうちょい共感出来る背景や人間性で描けなかったのかなという感じ。
何度も観たくなる名作!
登場人物たちの「心の機微」が伝わってこない
まるで、都会から離れた島で生活しているかのようにゆったりと流れる時間の感覚や、ピアノを主体としたBGMが心地よい。
海と島と橋が織り成す瀬戸内の美しい風景にも、心が洗われるような気分になる。
その一方で、高校の同級生だった3人を巡る人間ドラマのはずなのに、彼らと彼女が、何を考えているのかがよく分からないし、何よりも、「心の機微」のようなものが伝わってこない。
特に、主人公については、父親が遺した畑を継ぐことを頑なに拒否し続けているので、余程深刻な理由があるのだろうと想像していると、畑で写真を撮ってあげた父親が、次の日にそこで急死してしまったからだと分かって、「えっ、そんなことで?」と、拍子抜けしてしまった。もともと寝坊癖がある上に、そんな理由で畑仕事を忌避している主人公の姿を見ていると、単に仕事をするのが嫌なだけで、怠けているようにしか思えないのである。
主人公が、ヒロインのアパートを訪れて、玄関先で、お互いに「頑張れ」と言い合うくだりは、居合わせたスナックの女の子も良い味を出していて、本作で最も面白いシーンであったのだが、無職で不甲斐のない主人公には、本当に「お前が頑張れ」と言いたくなってしまった。
そのヒロインと、幼なじみの映画監督にしても、お互いに、相手のことをどう思っているのかがはっきりしない。
高校時代に付き合っていたのだから、今でも、相手への想いを引きずっているのだろうと想像していると、せっかく近くにいるのに、お互いに、会いに行こうとする気配が一向にないし、ひょっとすると、「大嫌い」と言い合っていたのは本気だったのかとも勘繰ったが、だとしても、その理由が思い当たらない。仮に、「自分の存在が、相手の幸せや成功を妨げる」と思っているのだとしても、それを納得させるような描写が一切ないので、「悲劇の主人公」の自分に酔っているとしか思えない。
最後の最後に、ようやくと、3人が一堂に会することになるのだが、結局、ここでも「大嫌い」と言い合うヒロインと映画監督の姿には、高校時代に戻ったというよりも、その「成長のなさ」に残念な思いを抱いてしまった。
「現実は、すべて映画だ」という台詞も、この映画の大きなテーマになっていて、実際、雨の撮影現場から実際の雨が降り出すまでのワンカットで、映画監督とヒロインの別れを描いたシーンや、映画監督と、映画の主人公を演じる俳優とが同一人物になっているシーンなどでは、現実と映画の境界線が曖昧になったような感覚が味わえる。
そういう意味では、海辺でのクライマックスの撮影中に、3人が、いきなり告白合戦を始めて、水を掛けながらじゃれ合うシーンも、「映画のような現実」を描こうとしたのだろうが、その、余りの唐突ぶりに呆気に取られてしまったし、「映画の撮影中に、そんなことをやっている場合ではないだろう」と突っ込みたくなってしまった。ここは、この映画のクライマックスでもあっただけに、感動するどころか、どこか空回りした感じを覚えてしまったのは、前述の「大嫌い」の言い合いと合わせて、残念に思えてならなかった。
そらから、呉や江田島という地名を聞きて、真っ先に思い出すのが、「大和ミュージアム」や海上自衛隊の基地、あるいは旧海軍兵学校なのだが、それらの風景が、まったくと言ってよいほど出てこなかったのは、どうしてなのだろう?
別に、ご当地映画だから、名所旧跡や観光ポイントを登場させなければならないという決まりはないし、特に、思想的な意図がある訳でもないのだろうが、それでも、その土地を象徴するような景色が映し出されなかったことには、違和感を覚えざるを得なかった。
心に静かに広がる余韻
決して派手ではないのに、最後まで目が離せませんでした。母と子、仲間たち、それぞれの絆が少しずつ重なり合っていく描写がとても丁寧で、気づけば自分の思い出と重ねていました。静かに進む物語なのに、見終わった後は胸いっぱいになる。不思議とまた見返したくなる映画。
誰にも共感出来ない
広島県西部の島、江田島で生まれ、島から出ることなく生きてきた修司。父親が家の畑で突然死し、一緒にいたのに助けられなかったことに責任を感じていた修司は、残された母と実家で暮らしていた。しかし、父を亡くしたショックから立ち直れず、仕事も真面目にせず、文句を言い酒飲んで日々を過ごしていた。ある日、テレビを見ていた修司は、東京で映画監督として活躍していた幼なじみで親友の和也が、故郷の江田島を舞台に映画を撮ることを知った。そして、修司と和也が思いを寄せていた幸恵は、妻子ある男性と交際していた。3人のそれぞれの思いが交錯する中、島では和也の映画の撮影が始まった。さてどうなる、という話。
25年7月8日、広島凱旋最速上映、舞台挨拶の回を鑑賞した。
瀬戸内海の風景は綺麗だったし、修司役の三浦貴大、和也役の武田航平、幸恵役の咲妃みゆとも良かったとは思う。
ただし、誰にも共感できなかった。
修司は父親を亡くすまではどうだったのかわからないが、あんな時間にルーズですぐ暴力振るってたら、誰も使いたいと思わないだろう。
映画監督の和也は幸恵に惚れてたのに37歳になるまでなぜ何も行動しなかった?高校の時付き合ってたが、一旦別れたのは仕方ないとして、もっと早く何らかの行動をすべきでは?20年以上ずっと好きだったなら。
そして1番わからないのが幸恵。マドンナが妻子持ちの男と不倫したんじゃ全く共感出来ない。相手が既婚者だと知らなかったのなら仕方ないが、知っててどういう事?
海辺で3人がはしゃいでたシーンもどうかと思った。
レビューを書いたのは2025年7月8日だけど、本作は未完成らしく、エンディング曲も未収録。中途半端なレビューになりそうなので、8月29日以降、完成版を観た後にレビューを公開する事にします。
9/6再度鑑賞により追記
エンディングまでしっかり完成したので再度劇場鑑賞。
エンディング曲は本作に合ってたと思う。
前回気づかなかったが、横浜の港らしき所で、江田島はどちらの方角?なんて質問は変だよね。
広島はどちら、ならわかるが。
それと、幸恵と和也は何も無いまま、というラストのもなんかモヤモヤするが、それで良いのだろうか。
地方映画の大失敗作で地元にリスペクトなし
広島に縁があってみ観た。江田島出身の監督が脚本も書いたって事だが、地元愛ってあるのか?映画からは何も伝わってこない。三人の恋愛でもなく、生きている葛藤などあるようで無い。登場人物に感情移入出来ないし浅い掘り下げだから観ていて退屈。
主人公の修司は何がしたかったのか?自分が写真を撮ったから死んだと思って勝手に暴れているならただのサイコパス。
和也も何のために江田島で撮影しようと思ったのか?見えてこない。
中盤で雨降らしのシーンで和也が過去の自分に演出してしまうシーンも無駄な演出。方程式ができたのに無駄な演出が鼻につく。
幸恵が一番意味が解らない。不倫してる事を堂々と言ってるし、4年も付き合ってその傷つき方はないだろう。考えが幼稚園児。
演出が駄目なのか?感情がバラバラでついて行けない。
最後の東京か横浜で「江田島はどの方向」って気の利いたセリフを言わせたつもりなのか?知ってるわけ無いだろう。
店で働くアイシャドーが昭和なキャラもなんなんだろう?ぶち壊している。
ラストの散骨シーンも何故か途中からダサい青春恋愛モードになって、あれ?散骨したいんじゃないの?映画撮りたいんじゃないのって???
書き出したらきりが無い位つまらない作品。
回想の入り方も単純で、これ面白いですよねっていつまでとやるので終盤は飽きるを通り越して、無心の状態。
広島で先行上映あったみたいだが地元の人はこれを良しとして観ているのか?
映画は三者三様の観方、感じ方があると思うが酷い映画は全員が酷いと思うと信じてる。
これの映画を酷いと思える事が日本の映画偏差値を上げる事だ。
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