「フライング・ロータスらしい音楽と映像」アッシュ 孤独の惑星 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
フライング・ロータスらしい音楽と映像
フライング・ロータスによるSF映画『アッシュ 孤独の惑星』は、
一般的なエンターテイメント作品というよりは、
観る者の内面に静かに問いかけるような、
カラフルで瞑想的でアート性の高い作品だ。
主人公リヤに「何があったんだろう、この場所で何があったのか」
という根源的な謎を設定し、
その手がかりを少しずつ、
意図的に断片的に見せつつ物語を進める語りのビジュアル的技術は決して低くない。
観客は彼女と同様にここで何が起きたのかを巡る探索に引き込まれていく。
本作の魅力の一つは、
その独特な美術世界にある。
リアが身につけるアーマーのごちゃごちゃとしたギミック、
傷を自動で手術するメカニカルな装置、
あるいは荒廃した外部環境、
ジャングルのような空間と、
彼女の閉鎖的な内部空間を対比させるように配された、
盆栽のような小さな自然のオブジェ等々。
これらは単なるSF的な美術、ガジェットや小道具に留まらず、
登場人物の内面や、存在する世界の不均衡、
孤独感を象徴するアート作品としてギリギリ機能していると、
言えなくもない。
エンタメ作品としてではなく、
純粋なアート作品、あるいはビジュアル文学作品として、
その視覚的な詩情や象徴性に興味深い点は多い。
ストーリーは、リヤのセリフでも語られるように、
細切れの記憶やイメージで構成されている。
それはまるでノーランの「メメント」のように、
バラバラな情報の断片を提示することで、
観客にも主人公の混乱や苦悩を追体験させるかのようだ。
この編集は、物語を直線的に追うことを難しくする半面、
リヤの精神的な記憶回想やトラウマの深さを表現する上で効果的に作用している。
おそらく、当初はさらに大胆に解体された構成だったものを、
現在の形にまで編集で再構築したのだろうと推察される。
主演のエイザ・ゴンザレスは、
極限状態での孤独や精神的な揺らぎを繊細に演じている。
そして、久しぶりに見たアーロン・ポールもまた、
限られた登場時間の中で、物語の鍵を握る存在感を放っている。
全体として、
フライング・ロータス自身の持つ唯一無二の音楽的、
映像的なセンスが強く反映されている。
その奇妙で美しい世界観は、
優れた技術スタッフの手腕によって見事に映像化されており、
特に音響デザインや色彩設計は秀逸だ。
本作は、万人受けするタイプのエンターテイメントではないかもしれない。
物語の明確さやアクションを期待する観客には、
フラストレーションを感じさせる部分もあるだろう。
しかし、その実験的な語り口、
美術的なアプローチ、
様々な装置のギミックなどに丁寧に深く切り込む姿勢や、
記憶、アイデンティティ、
そして宇宙での孤独といった普遍的なテーマを、
SFというレンズを通して、
詩的に、そして時には難解に描き出した作品に仕上がっている。
EDロール途中の映像も音楽も、
ロータスらしい見逃せないものになっている。