「『批判』の先にある対話の積み重ね」能登デモクラシー エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
『批判』の先にある対話の積み重ね
福岡にあるKBCシネマで五百旗頭監督の舞台挨拶付き上映を鑑賞。監督の作品ならすぐ満席になるはず!と思って3日前に座席を確保しましたが、当日来てみると空席が目立つ状態。九州は公開が遅いうえ、舞台である石川から距離があるため観客の関心が薄いのか…ぜひ沢山のひとに観てもらいたい作品です。
本作品の主人公である滝井元之さんは、石川県穴水町の山奥にある限界集落で手書き新聞を発行し、町の魅力や政策に関する意見を積極的に発信している元・中学校教師。滝井さんは新聞『紡ぐ』を毎月発行し、自らの手で公共施設や各家庭へ配達を行う。さらに週5日はボランティアで子供向けテニススクールのコーチをしており、80歳になるとは思えないバイタリティ溢れまくる御仁である。
そんな滝井さんの言葉で印象的だったのは「批判のための批判ではない」というもの。滝井さんは旧態依然としている議会のあり方や、私欲に走る議員をしっかり批判するが、批判して「終わり」ではない。手作り新聞で自らの意見を表明し、各家庭を回って町民の声に耳を傾け、困りごとがあれば手を差し出し、要望を役場まで届け、自ら批判した議員とも笑顔で協力する。滝井さんの批判の先には、愛する故郷をより豊かにするための具体的かつ地道な行動が伴っているのだ。そして、16年に渡る行動の積み重ねによって、地域での厚い信頼を獲得している。それに比較して、常日頃の自分を振り返ってみると、いかに行動が伴っていないかを痛感させられる。なにかを変えたければ、滝井さんのように自ら行動しなければならないのだ。
舞台挨拶のなかで監督は「穴水には分断がない」と表現していた。昨今のSNSでは立場や意見が少しでも違えば、徹底的に攻撃するのがあたりまえ。意見の違う相手は敵と見なされ、そこには話し合いや妥協の余地は存在せず、時には人格さえ否定する。まさに批判のための批判である。それに対して穴水では、滝井さん、町民、町議会議員、町長、五百旗頭監督…みんな立場も意見も異なるが、相手を同じ人間として尊重し、協力しようとする意志がそこには存在する。ある議員は滝井さんに触発されて仮設住宅を訪問して回り、町長は屈託ない笑顔で滝井さんに漢字の書き方を教える。悪い部分があれば批判もするが、意見や立場が違うからといって相手を完全にシャットアウトするわけではない。分断なき対話の積み重ねがこそが、時間をかけて民主主義を形成し、よりよい町をつくってゆくのではないだろうか。
ちなみに監督は前作『裸のムラ』で警戒されていたにも関わらず、議員たちが誠実に取材を受けてくれたことに対して好感を抱いたそうだ。そしてなんと、金沢の舞台挨拶では商品券を受け取った問題の議員2人がゲストとして登壇したうえパンフレットを購入して帰ったそうで、監督は「そんなこと普通ありますかね」「彼らのそういう人間味のあるところは好きです」と笑っていた。
穴水町の現状は、私たちが住む町の未来の姿でもある。自分ができることは何なのか、考えさせれられる映画でした。他人のために身を粉にして働く滝井さん、滝井さんを支える可愛らしい順子さん、たくさんいる猫ちゃんたち。みんなが故郷で穏やかに楽しく過ごせることを応援すると同時に、自らも地域のための行動を起こしたいと思う。