「刺激的な作品でした」デコチン DECO-CHIN うつ蝉さんの映画レビュー(感想・評価)
刺激的な作品でした
バンド活動を諦めゾンビのように編集者として働く主人公の松本。seico氏演じる元バンドメンバーのベースの女性は彼の音楽の才能を信じ、発破をかける為に雑誌の表紙撮影の現場に乗り込むもモデルと揉み合いになり刺され、文字通り自らの血で松本の頬に「ロック」のと書き付ける。
己も他人も傷つける事を厭わず信念貫く姿勢がロックなのだとしたら松本を生かそうとして不具になり、自分の一部が死んだともいえる彼女の行為は正にロックだ。
一方の松本は、件のベースの女性と性交をするのを「翌日のベースが良い音が鳴るから」と言って憚らない。早い段階で 音楽>SEX という松本の価値観が示される。
そこまでして松本を音楽の道へと引き戻そうとするバンドメンバーの行為も虚しく、その後も編集として望まぬ仕事を続ける松本。しかし遂に、彼の運命を変えるバンド「ザ・コレクテッド・フリークス」に出会う。
彼らの音楽に魅了されバンドメンバーになる事を望む松本だが、身体障害者で編成された彼らは「私達は健常者を差別する」と松本を拒絶する。そんな彼らに対し、松本は自ら障害者になるという禁断の手術に手を染める。
理屈はわかる。そうであるとしても、両手両足を切断し、額に性器をつけるという大がかりな自己奇形化する必要があったのか。
だが、あの姿は、尊敬する稀有なバンドのメンバーとして松本が最も美しく相応しいと考える、彼なりの敬意の表明のようにも思える。
極端な手術をした松本は、ライブの後に性器から精液も血も髄液も放ち映画は幕を閉じる。
個人的には、あの後彼は死んだんじゃないかと理解している。
荒唐無稽な原作の映画化だとしても、あの状態で普通に生きられるとは思えなかったのだ。
彼が最も「生きて」いるあのシーンで終わったという点に、どう生きるのかという監督のメッセージが込められていると思うし、死んでも良いほど生きたかった…という松本の想い自体が重要で、その後はどうでもよいとも言える。
しかし、もし死んだと仮定するならば、初ライブの前に挟まれた濡れ場は、生物としての快楽より、考える葦として思考し自身を表現する快楽が勝ったという象徴なのではないか。
双頭の双子とさんぴーする、刺激的な生殖行為で得られる肉体の興奮よりも、自分が自分であると表現する脳の快楽。
性交時には多分そうはならなかったであろう「ぶっ飛んだ」状態にライブではなってしまったんじゃないかと感じた。
何に「生」を感じるのか。
比較的オーソドックスな生き物としての「生」の在り方を逸脱してしまう人々。外見だけではない。人からは簡単に伺い知れない心の在り方の歪さというより描きにくいものを描こうと奮闘しているように感じた。
原作から加えられた様々なエピソードや登場人物。これは、カラッと描いた中島らもの内面を弄るようにして臓物を明るみに引き出そうとする試みなのではないか。
島田監督の作品は兎に角言葉による状況説明が多い。
私程度しか映画を観たことなくても、気持ちや状況は台詞ではなく映像で示せ…という映画が映像の芸術であるが故のテーゼは聞いたことある。故に、監督のそのような作風はテーゼを揺るがそうとする敢えてのパンク魂なのではないかと感じているのだが、説明的な長台詞は役者の力も観る側の集中力や想像力も消耗する。8年前の作品ということもあり、その辺りの監督の色が最近の作品よりマイルドな点も、島田作品の中でもよりポップに見れる要因なのかなと思った。