「肚を括った演技の説得力」渇愛 墨田ペトリ堂さんの映画レビュー(感想・評価)
肚を括った演技の説得力
先ず、剃髪した石川野乃花の頭蓋骨が美しい。
撮影が終わっても一定期間は髪が短いまま暮らさなければならず、そうしてまでも演じて見たい役だったのだと思う。
題材とジャンルは嫌いな映画だが、ストーリーとしてはそう悪くない。
設定とストーリーには、見終えてから引いて見ると「?」を感じないでも無いが、役者陣の熱演・怪演で見ている間は然程気にならない。
主演の石川野乃花の芝居の確かさが芯としてあり、脇を固める芸達者の怪演が多少の矛盾や無理は煙に巻いてしまう。
芥川龍之介の文学に対する理解が表層的であるようには感じたが、象徴的なアフォリズムに悲劇の背景を担わせるための物であったのだと思う。
心が空のお城に住んでいる役を演じる加藤睦望の、鳥の囀りのようなリフレイン。 科白に歌がある。
「親としてできる限りの事はしてあげたい」、観る者とししてそう思わせしめる加藤睦望の演技が、この映画のシナリオの無理の有る部分を無理と感じさせない肝になっている。
「芝居」と言う物の素晴らしさは味わえる映画。
カメラの位置や構図、照明などについては、臨場感を出すための手持ち撮影に若干の拙さを感じた以外は違和感なく。
但し、扱う題材の性格上大量に出るゴミの扱いには、芸術の為には多少の(多大な)迷惑は省みない同人映画人の傲慢さが垣間見られて、ストーリーや出来上がった映像とは別に脳裏に浮かぶ「おそらくこうであったであろう撮影現場」が私を醒めさせた。
体当たりの演技は求めつつ、役者の尊厳は守る演出で描き出した後、唐突に尊厳を無視した撮り方に変わる
宮刑に処す場面は仄めかすだけで十二分に伝わるのに、敢えてやって見せる
etc...
権力の勾配と遣り甲斐搾取が透けて見えるが、それが意識的なものなのか無意識的なものなのかは分からない。
石川野乃花は救いようの無い役者バカなので、作劇上必要だと割り切ったら何でもやると思うが、それは「何でもやらせて良い」事を意味しない。