ふつうの子どものレビュー・感想・評価
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現代版『禁じられた遊び』
1.はじめに呉美保監督との相性:
1977年三重県伊賀市生れの呉美保監督の長編劇場映画は、本作を含め5本が劇場公開されている。内、下記①を除く全作をリアルタイムで観ていて、マイ評点は下記の通り。全体の相性は「上~中」。
①2006年 酒井家のしあわせ 2006.12公開 ★未鑑賞
②2010年 オカンの嫁入り ★2010.09鑑賞60点
③2014年 そこのみにて光輝く ★2014.05鑑賞 80点
④2015年 きみはいい子 ★2015.06鑑賞 100点
⑤2024年 ぼくが生きてる、ふたつの世界 ★2024.09鑑賞70点
⑥2025年 ふつうの子ども ★2025.09鑑賞95点
2.マイレビュー
❶相性:上。
★現代版『禁じられた遊び』
➋時代:現代。
❸舞台:特定されないが関東の地方都市。ロケ地は国立市、湘南学園小学校(藤沢市)。
❹主な登場人物
①上田唯士(ゆいし)(嶋田鉄太、10歳):10才の小学4年生。両親と三人家族。ふつうの男の子。最近、同じクラスの心愛が気になって、彼女に近づこうと頑張る。環境3人組を結成。
②三宅心愛(ここあ)(瑠璃、11歳):10才の小学4年生。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(2003生れ。16歳の時、国連気候行動サミットで演説。)に感化を受け、カーボンニュートラル等の環境問題に対する強い危機意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる。心愛は陽斗に惹かれている。環境3人組を結成。
③橋本陽斗(はると)(味元耀大、12歳):10才の小学4年生。クラスのちょっぴり問題児のお調子者。環境3人組を結成。
④浅井裕介(風間俊介、41歳):クラスの担任教師。熱心だが、子供たちの本音を正面から受け止められない。
⑤上田恵子(蒼井優、39歳):唯士の母。息子を信じてよく会話するが、本音はつかめていない。
⑥三宅冬(瀧内公美、35歳):心愛の母。独善的な合理主義者。娘に寄り添うことが出来ない。
⑦その他:陽斗の母(浅野千鶴)、唯士の父(少路勇介)、唯士の遊び友だち(大熊大貴)、唯士に恋心を抱くクラスメイト(長峰くみ)。校長先生(金谷真由美)等。
❺概要
①唯士は、友だちと昆虫を捕まえるのが楽しみな普通の子どもだった。
②学校で、心愛の環境問題の作文発表を聞いた唯士は、恋に落ち、環境の勉強をして心愛にアプローチする。
③でも、心愛の意中の人は、陽斗だった。
④心愛、唯士、陽斗の3人は、環境グループのメンバーとなり、集まって相談し、工場排水やゴミ問題について調べ、周辺へのアクションを開始する。
⑤最初は、環境に悪いとされる肉を食べないことから始め、町中に環境に関するビラを貼ったり、肉屋に向けてロケット花火を飛ばしたりとエスカレートしていく。そして、とうとう牧場の鍵を壊して、酪農の牛を逃がして、被害が出る事件になってしまう。
⑥校長先生は、全校生徒に事件の重要性を説明する。
⑦犯行が判明した3人の親が呼び出されて三者面談となる。そこで、親子の関係が分かってくる。3人の信頼関係に亀裂が生じる。
⑧子供たちの純粋な行動が、大人の社会のルールの中で危険な結果に繋がることになってしまったのだ。大人の社会に翻弄される子どもたちの姿がリアルに描かれていた。
⑨本作では明示されていないが、3人と保護者が何らかの処罰を受けることは間違いないと思われる。
❻考察とまとめ
①本作は、現代の環境問題を背景に、子どもたちの視点から世界をどのように見ているのかを描き出したドラマ。
②3人の環境活動は、大人が見過ごしている不都合な真実を暴き、SNSを通じて拡散される。大人たちは子供たちの行動を褒めるが、問題が大きくなると態度を変えていく。
③リーダーの心愛の環境意識は、純粋な正義感から始まったが、途中から世間の注目を浴びることに変わっていく。だから、犯罪に関わることも止めようとはしない。
④引きずられてしまう性格の唯士は、心愛への興味と、陽斗への対抗心のため、途中で止めることが出来ない。
⑤学校でも家でも安心できる居場所を得られない不安を解消するために始めた陽斗も、途中で止めることが出来ない。
⑥心愛の行動は、母親との歪な関係にあることが分かってくる。
⑦3人の中では、唯士だけが、親子の会話があるが、本音の対話は出来ていない。
⑧母親や父親、教師、校長。本作には色んな大人が登場する。彼らは子供たちが環境問題に関心を持ち行動をを起こしたことを知っても、理解しただけに留まっている。
⑨でも、実際に必要なのは、「大人の責任は何か?」、「解決のため、個人が出来ること、やらねばならぬことは何か?」等を一緒に考えていくことである。本作の大人たち全員に欠けていたことである。
⑩本作は、このことを子供たちの視線を通して訴えている。
⑪心愛、唯士、陽斗の3人は、今回の事件を通じて明らかに成長した。一方の大人たちは、今後責任ある行動
を取るようになるとは思えない。
★家庭でも、学校でも、会社・社会でも、必要なのは、上記⑨だと思う。
⑫本作を観ていて、子供の視線で描いた反戦映画の金字塔、ルネ・クレマンの『禁じられた遊び(1952)』を連想した。
★『禁じられた遊び』は、ドイツ軍の攻撃で戦争孤児になった5歳の少女と、10歳の農家の少年が、死んだ子犬等を埋葬して、立てる十字架を教会等から盗みだす話。歴史の残る傑作とは比べ物にならないが、子供たちの純真な行為が、大人社会では犯罪になるという意味で共通点がある。
⑬環境問題とは無関係だが、11才の男子2人と女子1人が、大人世界を翻弄するラブコメ『小さな恋のメロディ(1971英)』とも共通点がある。
★私には11歳の孫がいるので、本作を含むこれ等の作品が身近に感じられた。
もっと話題になっても良い
全く存じ上げない子役たちが主人公の映画だったが、とても面白かった。小学生たちの演技が自然すぎて、かつ子ども目線で撮るカメラワークも相まって、ドキュメンタリーを観ている感覚になった。
ストーリーは予想外の方向に進んでいき、ふつうの子どもって結局何なんだろうかという気持ちになったが、ラストの親子と先生の面談がこの作品の肝のように感じた。
やらかしたことに対して、その受け止め方はこんなにも違うのかとモヤモヤした気持ちになり、結局親が親なら子も子なのかと考えさせられた。そして、面談シーンのベテラン俳優たちの演技合戦も素晴らしく、エンドロールまで工夫が施されていた点もとても良かったです。
子供たちへの演出力はマジックのよう
冒頭、主役の男の子の顔をアップで捉えた長回しショットだけで、写し取った表情や仕草から、男の子のキャラクターが浮かび上がる。その後の作文発表のシーンでは、発表者や作文の内容だけでなく、教室内の子供たちのリアクションのナチュラルさに驚く。
カメラの存在を全く感じさせない子供たちの演技をどうやって引き出したのか。呉美保監督の子供たちへの演出力はマジックのよう。
主人公は環境問題に意識の高い同級生の女の子に魅かれ、いじめっ子の男の子も加わった3人で、悪戯のように抗議活動を始める。作中にも出てくるグレタ・トゥンベリや「環境テロ」に着想したのは明らかだが、段々とエスカレートしていくさまは、それらを揶揄しようとしているように見えて、結構際どいところ。
しかし、事が明らかになった後の保護者が揃ったシーンで、女の子が環境問題にのめり込んだ本当の動機らしきものが分かる。ここでの瀧内公美の毒親ぶりが上手くて凄い。そして主人公も本当の動機を涙ながらに話す。ハンカチを渡そうとする母親の手を払いのける姿には、グッときた。誰かの子供から一人の人間になる瞬間を見たような…
もっとシリアスになり得る題材ながら、自然光を生かした柔らかな色調で、コミカルタッチをベースに描いているので、後味は良い。エンドロールの子供たちの顔写真や優しい音楽も良い。
メインの子供3人それぞれ持ち味があって良かったが、主役の男の子に好意を抱いているらしい女の子のコミカルさが微笑ましかった。
主役の存在感がすごい
ふらっと映画館に行ったとき上映時間がたまたまあっていた「ふつうの子ども」を観ました。
全くどんな映画か分からず観初めましたが、主役の何とも言えない顔のアップから始まり、主役の何とも言えない顔のアップで映画が終わります。
終始既視感のある場面で、大人が観ると自分の幼少期を想起させるような内容でした。
始めは主人公の唯士が作文を読むシーン。自宅で母の恵子に「お腹が空いたらご飯を食べる」や「うんち」のことなどふつうの日常を書いた作文を褒めてもらうも、担任の浅井先生には「ふざけるのと自由は違う」と言われてしまい、しばらく俯いて落ち込んでいた。ここにすでに、大人に振り回されて傷つく子どもが描かれています。
唯士は自分の作文とは似ても似つかない環境問題を取り上げたヒロイン心愛の発表を聞き、恋に落ちてしまうのですが、そのアプローチの仕方がなんとも子どもらしい。知ったかぶりや、昔クラスにいたよな〜と思わせる小さな仕草がとても可愛く、微笑ましい気持ちにさせられました。
しかし心愛はクラスの悪ガキ的存在である陽斗に気があるようで、唯士はそれを好ましく思っていない。そんな時の唯士の表情や仕草がたまらなく応援したくなる。
すごくマニアックかもしれませんが、個人的に唯士が春巻きを食べるシーンが大好きです。
「肉は環境に悪いから食べない」と言った唯士に、母は春巻きに肉を入れて食べさせようとする。ここにも“大人は子どもの意見を聞かない”という風刺が込められているのですが、唯士自身はそれどころではなく、自分たちのいたずらがバレるのではないかと怯えている。その恐怖と葛藤を、一口春巻きをかじる表情だけで伝えてしまう嶋田鉄太の演技に圧倒されました。
いたずらがついに露見し、唯士が登校したときにはすでに心愛が先生と話している。そのときのクラス全体を映しただけの画面から、唯士の心情がこちらに伝わってくる。
保護者を呼び出された会議室シーンでは、ギャン泣きする陽斗とその両親、裏のある心愛の母が登場し、子どもたちの追い詰められた姿が描かれます。
そこで唯士が「ごめんなさい」とやや大きな声で言い出し、心愛に好かれたかったという不純な理由を告白する。この瞬間に、心愛の心が唯士へと傾いたのだと感じました。
そして最後の唯士と心愛の二人きりの場面。唯士というキャラクターが最高潮に輝き、ここまで観て彼を好きにならない人はいないのではないでしょうか。
大人にとっては、後味の悪い映画です。
子どもたちを微笑ましく見ていたはずが、気づけば大人として居心地が悪く、胸の奥をえぐられるような感覚に陥る。特に子どもに関わる立場の人にとっては、強烈なダメージを残すはずです。
けれど同時に、この映画は唯士という存在の重さを突きつけてきます。
彼の沈黙や視線の動き、ほんの小さな仕草にまで、子どもの不安や迷いがにじみ出ていて、大人の観客はそれを見逃すことができない。
その姿はただ可愛いだけではなく、観る側に「子どもをどう受け止めるか」を問う鏡のようでもありました。
この“居心地の悪さ”と“愛おしさ”の両立こそ、『ふつうの子ども』の特異な魅力でした。
最後に断言したいのは、この映画の主役は嶋田鉄太以外あり得なかったということ。
彼の独特な存在感が唯士に命を吹き込み、細かい表情や仕草、言葉にする前に唸る癖までもが、観客の心を掴んで離さない。
あの目線、あの食べ方、あの沈黙――その一瞬一瞬が「演技」ではなく「生きている唯士」そのものでした。
彼がいたからこそ、この映画はただの“後味の悪い社会派作品”ではなく、観る人の心をぐちゃぐちゃにして、それでも「唯士を愛おしい」と思わせる特別な体験になりました。
環境活動に取り組む小学生3名の行動を通して描かれる、ふつうの子どもの世界。地球の環境を守るのも大事だけれど、子どもの生活環境を守ってあげるのも大切な事と感じた作品です。
この監督の作品は、過去に2本観ております。…少ない。
最近観た作品が「ぼくが生きてる、ふたつの世界」で
その前の作品は「そこのみにて光輝く」
「ぼくが生きてる-」の方が記憶に新しい訳ですが、登場人物の
生きざまや心の変化を巧みに捉えて描写した作品だなぁ と
思った記憶があります。
(そこのみ-」は鑑賞がかなり前で記憶が…。 ・_・; 10年前?)
今回の主人公は「ふつうの子ども」。
どんな風に子どもを描くのか、観たくなりました。
この監督の「きみはいい子」は観てないですが、この作品を理解
する上で問題はあるか無いかは気にしつつ、鑑賞することに。
さあ鑑賞。
舞台は小学校。4年生のとあるクラス。
主な登場人物は3人。同じクラスの同級生。
・上田唯士(ゆいし)=嶋田鉄太 自己主張が弱いマイペース人間
・三宅心愛(ここあ)=瑠璃 環境問題に敏感でやや攻撃的?
・橋本陽斗(はると)=味元耀大 周囲へのちょっかい出し大好き
みんなそろそろ思春期に入りかけるお年頃。(かな?)
主人公の唯士、どうやら心愛のことが気になっている。
何とかして話しかけたい。気を引きたい。
けれども目立つ行動も、なんかイヤ。
心愛が環境問題に関心があることを知り、さりげなく近づいて
声をかける。まずは教室で。心愛の対応はしょっぱい。うーん。
ただでは終わらない唯士。
心愛が図書館の本を借りて読んでいることを目ざとくチェック。
今度は図書館にでかける。" 心愛は…いないのかな…? "
そうそう都合よくは… " 居た! "
環境の本を何冊か棚から取り出し、さりげなく心愛の周りをウロウロ。
読書に集中している心愛が気付かないと、エヘンオホンと咳払い。
” 座ったら? ”
さりげない(?)アピール大成功。やったね。
心愛からお薦めの本を教えてもらい、有頂天の唯士。
クラスの中でも話ができるようになった。そんな二人の間に
" クラスの中で何かをやっていると、邪魔しにくる男 "
陽斗が割り込んでくる。
邪魔されて面白くない唯士。…なのだが、心愛の表情に気がつく。
ほんのりと上気して。
なんとなく嬉しそうで。
えぇっ 何だよぅ
焦り、二人の会話に割り込もうとする唯士。
気がつくと、環境問題をもっと周囲に広くアピールするには
二酸化炭素をばらまく大人たちに対して、止めるように訴える
具体的な行動が必要 ということになる。
ビラを作ろう。脅迫状みたいに文字を切り貼りしよう。
ビラを貼ろう。車や店の窓ガラスに。
そのうち、自分たちのマネをしている奴らがいるらしいと知る。
" もっと派手にやらなきゃ "
3人の行動は、どんどんエスカレートしていく。
肉屋さんに向かってロケット花火の発射したり。あああ。
学校の中で、この「悪質な悪戯」の事が取り上げられた。
やりすぎ。行き過ぎ。
自分のやっている事・やりかたに疑問を持つ唯士。
" これでもう、やらないよね? "
と、思っていたのに。
心愛はもっと派手にやらなきゃ。続けなきゃ。 といい
陽斗は心愛に同調する。当然だろ。続けなきゃ。
これ以上何を? と問う唯士に お前が考えろよ と陽斗
なんて勝手なことを 無責任… と思いながらも
" 心愛に嫌われたくない "
" 心愛に良いところを見せたい "
その一心で、唯士が思いついたのが…。えっ? 牛? 牧場?
悪戯で済まないのでは? 本当に? やるの?
…というお話。 モー大変。
◇
子どもの生活感をリアルに描いた作品なのか、と当初は思って
いたのですが、そう単純な内容ではなかったようです。・-・;
もちろん登場する子どもたちからは、今どきのこどもの生活ぶ
りが伝わってきました。(…すごく遠い目)
それに加えてこの作品、さりげなく現代社会が抱える重いテー
マもメッセージとして込められているのでは? と
そんな風にも感じられた作品です。
普通の子どもが育つためには、普通の環境が必要 と思います。
子どもが子どもであることを否定せず
子どもに子どもであること以上を求めず
子どもが変わろうとするなら見まもっていきましょう。
それの出来ない世の中にならないよう頑張るのは、大人の仕事。
そんな風に語りかけている気がする作品でした。
見て良かったです。良作。・_・b
◇あれこれ
■社会の問題を提起 …なの?
・ヤングケアラー(だよねー 陽斗クン)
・空き家問題(勝手に入ったらダメですよ 三バカ)
・子育て放棄(してたのか? 心愛の母さま)
・パワハラ?(娘が萎縮してますよ 心愛の母さま)
・etc
色々な問題を描きながらも、この小学校のみんなは
生き生きと学校生活を楽しんでいるように見えました。
なんか良かった。・▽・
■恋心のかけら …かな
子ども同士の恋愛模様がこのあと始まるのか?
と、思って見守ってました。
誰のことかって 貴女ですよ。えーっと 名前?
生きものがかりの女の子。…名前不明です(涙)
この子、さりげなく唯士クンの近くにいるのです。
目立たないけど何気なく。
こういうのが、恋心の芽生えなのかなぁ。 (遠い目)
とても素敵なものを見せてくれて有り難う。(遠い目)
この子たちの将来を温かく見守っていきたくなりました。
◇最後に
エンディングが、出演した子どもたちの紹介映像でした。
みんな良い表情していて、ほっこりしながら観てました。
最後は唯士クン。
" ふあぁ "
大あくび。そしてお終い。
なんか いいな。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
結局のところ”大人“がいなかった。
始まってすぐと終わりの方の呼び出しくっての話し合いぐらいかな?笑えたのは。
これは立ち位置で評価が変わるよね。
理由はともあれ子どもはいつも”真剣“なのです。
知ってしまった自分たちの未来が危ういのを。
出来ることはなにか?小さな事しか出来ないからテロじみた事でも何でも手に染めるのです。
“それ”を利用して色々と自分の物にしようとする汚い大人たち。
でも何もしないよりはマシ。
そんな世界を小さな画面から流れてくる現代。
身近なおとなは何もしてくれないし正面から向き合って考えてもくれない。
はいはいわかったわかった。無理なんだから無理。の一点張りだったりするわけだ。
希望も未来も見えない時代を親から子へ、子から孫へさらにその先へ………負の遺産とも取れる問題を処理する事も対策や自分たちに出来ることも何もせず。
ずっとですよ。ずっと。
文明が発展するにつれ増えてくる問題を人任せに見なかったこと知らなかったことにして便利さや恩恵だけを受け流されてゆくおとなたち。
真剣な眼差しの子どもたちにきちんと向き合う大人になりませんか?
おもしろかった
嶋田鉄太くんが、朝山家のドラマに出ていて、その演技がうますぎて、鉄太くんが主役のこどもの映画がやるという事で、ぜっっっったいに見たいと思って、見に行きました。鉄太くんも、素晴らしいけど、味元くんや、瑠璃ちゃんも、本当に素晴らしくて、あと、生き物係のそうまや、メイちゃんも、本当に大好きすぎる☺️最近の子は、演技が自然で、すごいなって思う。味元くんは、昔、私が好きだった男の子に似ている。とにかく顔がカッコ良い。舞台挨拶とかを拝見するかぎり、逆の性格なのかな?って思うが、そこが、才能なんだなって感じる。子供たち中へ、自然と入っていき、いろいろとやらかす?感じが心愛が好きになる気持ちが分かりすぎる。秘密基地へ行ったら、3人をキレキレな仕切りでいろいろと指示を出していく。その、3人のパワーバランスというか、細かな演技に見えない演技が、小さい頃の、子供の人間関係をとても思い出した。
瑠璃ちゃんは、環境問題に、傾倒した、小学生にして、ここまで入れ込む事ができる女の子は、そうそう居ないと思った。その背景を考えると、少し切なくなる。牛が、小学校に来ても、ひるまない凄さ。私なら、自分のやってしまった事に、怖気付き過ぎて、結局は、中途半端になるだろうと思う。
そして、その子を演じる瑠璃ちゃんの凄さ。やっぱり才能だなと思う。
鉄太くんは、朝山家では、発達に課題のあり男の子を演じていたから、映画でも、そういう演技なのかなと思ったら、ナチュラルさで、終始ふつうの子として、引っ張っていく。感嘆した。特段、キャラとして目立つわけでもないが、細やかな表情。特に、保護者会で、お母さんの蒼井優さんが、部屋に入ってきた時、お母さんが、本当にやったの?みたいな表情で、鉄太くをの顔を覗き込む。その顔を見返す時の表情、あぁ、本当にやったんだなって言うお母さんの表情、全て、セリフがなくて、親と子の気持ちだけの演技、リアルすぎる。
保護者会での、鉄太くんの、誰から言い出したのかとか、問われる時、細かな頷き、覚えがありすぎる気持ち。それを演技としてやれてしまう事。すごいなと思う。
味元くんは、実は小さな弟が2人もいる事、そして、多分お母さんは、大変だろうという事。味元くんの、バックグラウンドが、こうだったんだって保護者会で、わかって切なかったこと。泣きじゃくる気持ち。
瑠璃ちゃんの、保護者会での、落ち着き。お母さんに責められる気持ち。赤ちゃんの時は可愛かったんですよ。どんぐりとか、たくさん持ってきて。それを耳に入れられる子供の気持ち。あのお母さんの気持ちも分かってしまう。小さなタトゥーをしていたけれど、していなくても、ああいう気持ちになるお母さんの気持ちがわかる。でも、瑠璃ちゃんは、泣きながらグレタさんの英語のスピーチを言い続ける。あぁ。泣。
鉄太くんの、お母さんも、子供の自己肯定感を上げるために凄く頑張るお母さんだ。それも、分かる。私も一生懸命にやっている。でも、1人の子供を育てるって、最後に、鉄太くんのお母さんが、行くよーって声を掛けてくれるところを見ても、カバー出来ない、大人が見ようとしない部分や、見切れない部分があるのだなと思った。
蒼井優さんの、お母さんは、良いお母さん代表の役なのかなって思ったけど、本当は、色んな角度から、みんな、一生懸命にやっている、ただそれだけだと思う。
先生も、こういう先生いそうだなと思った。
鉄太くんが、先生が撮影中に本気で怒ったエピソードを喋っていたが、すごく面白かった。怒っちゃったんだなと思った。
個人的に、そうまくん、大好きだ。キャラもかわいい。鉄太くんが、もしかしたら犯人かもしれないと思ったときの、微妙な演技。いきもの係の仕切り。面白すぎる。
駄菓子屋のメイちゃん、普通にキャベツ太郎を食べる。メイちゃんの表情かわいい。
小学生のリアル
唯士を演じた嶋田鉄太くんが素晴らしかった。
彼の演技ですべて成り立っている作品と言ってもよい。
もちろん心愛役の瑠璃ちゃんも素晴らしいし、
もうひとりの女の子、長峰くみちゃんがとてもいいキャラ
で、癒される。
話としても心愛が好きな唯士は、彼女に好かれたくて
環境問題にイタズラを手段として取り組むのだが、
背中を押した存在が陽斗(味元耀大くん)であり、
加速度的にイタズラをしていく。
当人たちは至ってまじめに取り組むのだが。
唯士が心愛を「心愛」と呼んだ時に、
心愛が「あ"心愛?」とツッコむところは秀逸だった(笑)
唯士の母を蒼井優が演じているが、
夫との関係が微妙な中、唯士を大切に育てているのが
わかるし、コミュニケーションも絶妙だ。
唯士がいかにいい子に育ったがよくわかる母親像だ。
その対比が瀧内公美演じる心愛の母親だ。
毒親寸前だと言ってよいだろう。
それにしても学校の先生も超大変だ。
ましてやこんなイタズラをされたら尚更だ。
それを風間俊介が非常に巧みに演じていて好感が持てた。
ラストの心愛による声にならない
唯士への「I LOVE YOU」にグッときた。
※パンフレットで確認したところ、はう、であ、ゆぅ。
全然違った(笑)
現代小学生のリアルがここにある。
クスッと笑えるシーンが多々あるが、
リアルすぎて笑えないこともしばしば。
それが、ふつうの子どもなのであろうと感じる。
なんと言っても本作は嶋田鉄太くんの演技に尽きる。
そこを見事に引き出した呉美保監督は天晴である。
呉美保監督作品は、リアルで、それでいながらドキュメンタリー的な第三者的な映像ではなく、もう一歩登場人物に踏み込んだ当事者的な目線で描くのが魅力的。
これは、令和版「小さな恋のメロディ」だね。
主演の嶋田鉄太くんは、ドラマ「それでも俺は、妻としたい」や「こんばんは、朝山家です。」でリアルな演技をしていた子役。上記の演技は、演技とは思えない素の感じである意味すごかった。
で、今回、とても素直に彼の良さが出ていた。
呉美保監督は、いつものようにとてもリアルな世界を構築する。
彼女の監督作品はどれも、リアルで、それでいながらドキュメンタリー的な第三者的な映像ではなく、もう一歩登場人物に踏み込んだ当事者的な目線で描くのが魅力的。
今回も同様に、子どもたちの世界をリアルに楽しく描く。
「禁じられた遊び」のように、大人からは非難される行動をするのだが、その動機が当事者三人とも三様でそれがまた面白い。彼女、彼らの真剣さがちょっと強烈だし、大人から非難されてしまう。
なぜそのようなことをしたか。当事者の保護者を集めて、学校で話し合われるが、首謀者の女の子は、純粋に地球温暖化のための活動なのが、主人公の鉄太くんは、好きになってしまった彼女のために行ったと。それがとてもいい。
もうそれだけで、この映画の結末は気持ちよく終われた。
保護者役で滝内公美が出てくるが、彼女が出てくるだけで、画面をさらってしまう。
毎度のことながら、強烈でうまく使わないと浮いてしまう存在。今回はギリギリ良かった。
(高学歴の保護者で、先生を批判するのは、最近のPTAではアルアルだし。)
とても楽しい映画だった。呉美保監督は、また瑞々しい傑作をものにした。
子どもの「主体性」の育て方
「ふつうの子ども」というタイトルから、少し嫌な予感もした。「子どものナチュラルな姿が可愛いでしょ」という大人の自意識が透けて見えるような映画だったら。または子どものキャラ任せで投げ出すような映画だったら。しかし、どちらも杞憂に終わる快作だった。
子どもの無邪気さ、ズルさや怖さをありのままに描くための、冷静な観察眼や再現力。さらには大人のほうも裸にされる覚悟なしには、こういう映画は作れないと思う。
まずは前半に出てくる授業のシーンが良い。「私の毎日」という題で発表される小学生たちの作文は、子どもらしい発想ともいえるが、テーマのおおざっぱさに乗じたユルいシロモノ。担任の先生(風間俊介さん)は昔のように頭ごなしに否定もできず、指導に苦心する。
グレタ・トゥーンベリばりに大人批判の演説を書いたミヤケさん(瑠璃さん)には、「そういう内容はSDGsの授業でやろうか」といなそうとして反撃に遭う。毎日のルーティンを正直に綴った主人公のユイシ(嶋田鉄太さん)には、失われた先生の威厳を取り戻すかのように「自由とふざけるのは違う」と冷たく切り捨ててしまう。
そう、子どもを枠にはめずに主体性を伸ばす教育が求められているけれど、大人もどこまで認めていいのか分からない。男女問わず「さん」付けで呼ぶ先生、「つぶさない子育て」を愛読しているユイシの母(蒼井優さん)。それを疑問視しながらも妻の料理へのリップサービスは忘れない夫。みんなどこか不安を抱えながら令和の大人を演じている。
映画の後半は大人への底知れぬ怒りを抱えたミヤケさんに、やんちゃなハルト(味元耀大さん)、惚れた弱みでいいところを見せたいユイシらが加わり、直接行動も辞さない環境活動家ごっこが始まる。
もちろん結局はバレて叱られてしまうわけだが、3人の中で一番凡人のユイシが抱える「やってしまった」感は法廷映画ばりに痛切に胸に迫ってきた。「ミヤケさん好きさのあまり魔が差しました」という告白は英雄的といっていい名場面だと思う。
それに天真爛漫な女の子(長峰くみさん)と駄菓子屋でデートする場面は、まるで政治犯が逮捕される前のつかの間の幸せだね。
惜しむらくは、いきなりの街頭活動は唐突に感じ、もう少し自然なきっかけが欲しかった。そうしたら大人に一矢報いる痛快感がもっと出たと思う。学校の授業でSDGsのポスターを作るなど「主体性」を教育するエピソードがあると、大人の矛盾もいっそう際立ったのではないか。
お父さんの不在
とまでは言えないとしてもその存在感の薄さ、軽さということが印象に残りました。唯士のお父さんはママに比べたら0.75くらい、陽斗のお父さんはママに比べたら0.5かそれ以下。心愛のお父さんはゼロ。離婚しているのかもしれません。お父さんたちはどうしちゃったんだろうと思うけど、これが現在のリアルな姿、でしょうか。
最後の会議室のシーン、ふだん教室ではいばってる陽斗は泣いてばかり。唯士も頼りない。でも、追い詰められて途中、意を決する姿は凛々しい。心愛は一人、逃げない、投げ出さない、ひとのせいにしない、言い訳もしない。映画をこの上なく心地よいものしているのは、監督の信頼と希望を示すこのシーンのおかげかと思います。
How dare you!
子どもたちの人間関係と日常をメインに、ありそうな問題をいくつも、フラットな視点でうまく詰め込んである構成が素晴らしい。
地球温暖化は待ったなしの喫緊の問題で、無関心な方がどうかしているんだが、日本人はほんとに危機意識が薄い。それどころか危機感を募らせる人たちを奇異の目で見たりする。
小学4年生の女の子・心愛は、それを真剣に考え、周囲の啓発を試みる。
クラスメイトはそんな彼女に引いて遠巻きにするが、彼女にハートを射抜かれた普通の男の子唯士は、彼女に好かれたい一心で温暖化について学び始める。子供らしく杜撰であからさまな作戦に笑ってしまうが、そこにクラスの問題児の陽人も加わり、3人だけの秘密結社ができる。心愛が陽人に魅かれているようで唯士は気が気ではない。
最初のうちは3人の子供らしい行動力を微笑ましく見ていたが、だんだん笑えなくなってくる。人様の家に勝手に入り込んで好き勝手し放題、ライバルの出現に対抗意識を燃やして行動がエスカレートする。ライバルとの競争とか自己顕示欲のほうに目的がずれていき、環境問題よりそっちが重要になって、テロリストもどきの行動に走る。その昔の過激派組織の成長過程のよう。
また、「牛肉を食べない」など、ひとつの象徴的な事柄をかたくなな教義にしてしまうところは、宗教のようでもある。
視野の狭い未熟な人たちの集団が陥りがちな、極端に走る傾向が描かれており、これを見せるところがすごい。
そして、How dare you! と、大人が子供から糾弾されているようだとも思いました。
心愛は、一番身近な大人である自分の母親のありさまから「大人全般」はこんなものだと思い込み、大人全般に絶望し怒りを抱えて、テレビで見た環境活動家の少女の言葉に同化するくらいの共感を覚えたんだろうとは思う。
でも、我々大人は無意識に、良くないなと分かっていることでも、あきらめつつ結果的に容認しているようなところがある。また、極力責任は人任せにしたい。
担任教師は、責任回避ファースト。子供に寄り添ったり深入りすることを放棄しているよう。なので無神経な発言も目立つ。「誰が最初に言い出したのか」は、関係者全員いるところで聞いたらダメなのでは。
とはいえ、そもそも、子どもたちの不始末に、何で教師が責任を問われるのか、子育ては家庭の責任ではないのか。先生が、持つべきでない責任を回避するのは当然だという気もする。そうでなくては自分自身を守れない。
3人の「犯行」がバレて学校に親が呼び出されるが集まるのは母親だけ。
陽人のところは父も来たが、完全部外者の体で下の子供の世話要員に徹している。
3家庭とも子育ての責任を母親のみに負わせて父親は不在か他人事のようにしか子育てに関わらない。
母親たちにはそれぞれ問題があるように見えるが、一緒くたではない。
唯士の母は頭でっかちかもしれないが、少なくとも将来を見据えて子供の幸せを願って試行錯誤している。他の二人の母は、自分に都合の良い子供像に沿ったありよう以外は認めない。大事なのは自分で、子供自身に良いようにとはまるで考えていない。それぞれの子供の態度に、それぞれの親の子育てが如実に表れていた。
牧場に謝りに行く途中で陽人が度々泣き崩れてしゃがみ込むのは、卑怯者な自分にやりきれなさが募ったからだろう。子供社会では「卑怯者」は何より嫌われる。アウトロー的でちょっとカッコいい雰囲気の「問題児」が「卑怯者」に大幅格下げで、今後の学校における自分の居心地を考えて絶望したかも。こういう子供にしたのは親であることは一目瞭然だ。
そして、心愛がかわいそうで胸が痛くなる。くやしさに涙をこぼす姿に、私も悔しさでいっぱいになった。生まれて10年も経っていない子供であるがゆえに視野が狭く考えは極端になりがちだが、オトナ相手に堂々と、ひるむことなく、理路整然と自分の主張を言えるのは大したものだ。「出る杭は打たれる」が激しい日本の社会、この子がつぶされることなく成長できるような世の中にするのも大人の役目じゃないだろうか。
大人たちが自分の責任を真面目に考えて、世の中が良くなるよう実行に移すことは、大人たちにとってもいいことなのだ。
唯士には、自己肯定感がすくすく育っているよう。親の愛情を疑わず安心して子供でいられる幸せな子供に見える。見かけはイケてないが、心愛とちゃんと言葉を交わして自然に人間関係を築ける力が備わっているよう。
親は、子供の人間形成に決定的に影響するのだとつくづく感じる。親ガチャは確かにあるのだ。
こんど本を貸してあげるね、とにっこり笑いあう心愛と唯士に、本来の子供らしさを見て微笑ましかったです。心愛は、あの修羅場でちゃんと言うべきことを言い、自分を好きだと言った唯士の気持ちがうれしかったと思う。
「大事件」を経験して、3人は、それぞれ葛藤し、成長の足掛かりにできたらいいなと思いました。
子役たちの演技が驚異的。自然でまるで演技なんかしていないよう。特になんかとぼけた普通の子どもの嶋田鉄太くんが素晴らしい。全員が天才なんじゃない!?
ムカつく大人たちを演じた俳優さんたちも好演。
特に担任ののらりくらりの風間俊介と、不快感ともにMAXな陽人の母(名前が分かりません)と心愛の母瀧内久美の、思わず「黙れ」と言いたくなるような嫌な奴演技が大変堂に入ってました。
そして、監督・呉美保、脚本・高田亮、恐るべし!
子どもは面白くて深い
子どもの主観にかなり立脚していて、自然と子どもの頃の気分になって見入った。子どもは新鮮で振り回されるけど将来の希望だなと思った。子役は勿論、蒼井優、風間俊介、瀧内公美が各々微妙な役回りを流石の演技。特に瀧内さんの役どころはスカッとした。日経夕刊のシネマ万華鏡の紹介(これを読んで観に行くことにした)や、パンフレットの川内三郎氏の解説などとても参考になった(クラスメート皆さんの自己紹介とかも良い)。
突貫小僧を思い出しました‼️
純粋でまっすぐな子供たちによる、矛盾だらけの大人社会への挑戦‼️二酸化炭素の排出による地球温暖化を危惧する小学生の女の子、彼女に好意を抱き、気に入られたいために同じく地球温暖化に興味を抱く男の子、そしてお調子者のガキ大将・・・‼️とにかく子役たちの演技、表情が素晴らしい‼️主役の三人はもちろんなんですが、主人公の男の子に好意を寄せ、一緒に駄菓子屋で買い物をする女の子が特に可愛いですね‼️すぐ大人になっちゃうんだろうな・・・‼️そんな三人の子供たちによる子供なりの抵抗‼️手作りの「車に乗るな」チラシを駐車場の車に片っ端から貼り付けていったり、お肉屋さんへのロケット花火攻撃、そして牧場の牛を逃がしてあげたり・・・‼️そんな子供たちの姿を躍動感たっぷりに、テンポ良く描いた微笑ましい秀作ですね‼️さりげなく社会問題も盛り込み、ラスト、犯人(?)である三人が親と共に集められた席上での女の子の外国語での涙の訴えまで、私は小津安二郎監督も「生まれてみたけれど」を思い出しました‼️いつの世も子供たちの純粋な瞳と好奇心、探求力は物事の本質を鋭く突き刺しますね‼️
現代版禁じられた遊び
ってか。ウシの出没地点とか三者三様のお母さんとか、グレタトゥーンベリにちょっとイラッとする気持ちとか、面白い作品にしようという努力は大いに感じられた。
反面、焦点は絞り切れずに終わった感。いきなりモテ期到来してもね・・最近の子どもは基本的に弁が立つねェ。
上手い。
なんか変な違和感を感じながらずーと観ていて、最後に何とも言えない好感を感じる作品。
賢い女子を中心に活動がエスカレートしていく様は安保活動家を彷彿させたけど、蓋を開けたら環境問題を本気に考えている子は誰もいなくて家庭環境が根本の問題だったと言うお話。
けどなんというか最後の最後でどの親も子も教師も憎めない不思議な日常感に着地して、「ふつうの子ども」ってタイトルに繋がるんだなと思った。
1番流されて活動した主人公が環境活動家になる将来をラストに見た。
すごかった
子どもどうし、親や先生たちのそれぞれの強さと弱さが描かれていて、この映画の場面の外でも人生を送っているような実在感がある。今あの子はどうしているんだろうなどと考えてしまう。
グレタ・トゥンベリの影響で活動家のような女の子が、連合赤軍みたいに過激化する。彼女は人を支配したがる面があり、要注意だ。しかしそんな彼女がお母さんに一歩も引かずやりあって、グレタの主張を暗唱する場面は圧巻だ。あの会議室の場面が本当にすごくていたたまれない。イキリ坊主がずっとお母さんにしがみついて泣いていてみっともない。主人公の男の子は喧嘩やフィジカルは弱いけどしなやかな強さがある。
めっちゃくちゃ素晴らしかったし圧倒された。彼ら以外の過激派は最後まで現れない。
普通の内容、非凡な作品
呉美保監督の割に、重さはなく、子どもの生態をそのまま切り取ったような作品。
冒頭から、非常に自然な日常が描かれる。
はじめは喋り方に違和感があったが、あの頃ってああいう芝居がかった口調になったりするよね。
唯士くんが心愛ちゃんの気を引こうと起こす行動は、身に覚えもあり微笑ましい。
自分なら面倒くさくて勘弁だけど、あれに大人っぽさを感じて惹かれるのもあの歳ならではか。
(絶対おかっぱの子にしといた方がいいと思う)
陽斗くんは不快感の方が強いけど、物語の推進力としてはアリだし、確かにああいう子もいる。
最初の貼り紙程度なら、「結局手書きもしとるやん」というのも込みで楽しくも見ていられた。
ロケット花火からは笑えなくなるが、子どもならリアルにやる範囲なんだよなぁ。
模倣犯に対抗心を燃やす描写も然り気なく上手い。
自覚はないだろうが、義憤よりもやはり遊びや背伸びの感覚が強いのだ。
グレタさんっぽい少女の言葉を英語で暗誦できるあたり、心愛ちゃんも真剣ではあるのだが…
最終盤では、瀧内公美がぜんぶ持ってった。笑
陽斗くんのみっともなさや、正義を盾に言い返すことも出来ない心愛ちゃんが霞むクセの強さ。
あの中では一番正論だし合理的ではあるんだけど、正しくはないのもいい塩梅。
大人も子どもも演技が自然だし、描かれる内容もどこでも起こりえるものばかり。
そういった意味で、タイトルに偽りなく“ふつう”なのだが、これを撮れるのはふつうじゃない。
母親に対する3人の子どもの反応は、そのまま家庭内教育の影響が出ていましたね
2025.9.10 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(96分、G)
好意によって引き起こされる騒動を描いた青春映画
監督は呉美保
脚本は高田亮
物語の舞台は、とある小学校
4年生の上田唯士(嶋田鉄太)は、友だちの颯真(大熊大貴)たちと昆虫を捕まえるのが楽しみな子どもだった
唯士の母・恵子(蒼井優)は子育ての本を読み込む養育ママだったが、父・篤士(小路勇介)は入れ込みすぎないようにと思っていた
ある日のこと、作文を発表することになった唯士は、母に褒められた内容を披露するものの、担任の浅井先生(風間俊介)からは「ふざけないように」と言われて恥をかくことになった
塞ぎ込んでいた唯士だったが、次に発表することになった心愛(瑠璃)の発表を聞いて目が覚めてしまう
それから唯士は心愛の興味を引くために環境問題の話をし始め、その距離を近づけていこうとするのである
映画は、心愛に好意を持つ唯士が2人だけの時間を持てるようになる様子を描くのだが、心愛は問題児・陽斗(味元耀大)のことが気になっていることもわかってしまう
そして、心愛を振り向かせるために、さらに環境問題にのめり込んでいく
陽斗も2人が何かを始めるのだと思っていて、面白そうだと乗っかってきて、いろんなアイデアを出していく
そして、町中に環境に関するビラを貼ったり、肉屋に向けて花火を飛ばしたりしていく行為がエスカレートしていき、とうとう牧場の鍵を壊して、酪農の牛を逃がそうと行動してしまうのである
環境問題に関心のある心愛は同年代の少女(林田茶愛美)が動画で訴えていることに感銘を受けていた
いわゆる某環境活動家をモチーフにしたようなキャラクターになっていて、大人はその主張をバカバカしいと思っている
それは、少女は大人に利用されて「言わされているだけ」ということを知っていて、それらが環境問題ビジネスの一環だと見破っているからである
だが、無垢な子どもは「自分よりも意識が高い人がいる」とか、「少女の主張が真っ当に聞こえる」などの一面だけを都合の良いように解釈していく
そして、それがあたかも正義であり、それができる自分は特別であると思ってしまう
事件発覚後に校長先生(金谷真由美)が全校生徒に子どもたちに伝える「行動が起こす影響とその可能性」というものは、心愛には響かないものの、唯士は「大変なことをしてしまった」と思っているし、陽斗は被害者のふりをしながら嘘泣きを続けていたりする
そうした、自分を救おうとする回避行動も三者三様であり、そんな中でも唯士は本音を吐露することになった
それは心愛もほぼ同じような原因を持っていて、それを突きつけられる瞬間でもあったと言える
「子どもたちは良いことをしようとして間違ったのでは」と恵子は言うものの、自分の興味のある情報ばかりに傾倒するのはダメだと断罪する心愛の母・冬(瀧内公美)もいて、子どもが起こしたことに対する大人の反応も様々だった
陽斗の母・房子(浅野千鶴)は自分の子どもが言ったことを信じたいし、その態度がいつもと違うと指摘する声も聞き流していく
子どもを守ろうとする親は、それで子どもを本当に守っているとも言えず、これらの有事に際してどのように対応するかというのも親の役割だと言えるのだろう
いずれにせよ、子役の演技が神掛かっている作品で、印象が強いのは主演3人よりは、唯士に恋心を抱くメイ(長峰くみ)の存在だった
彼女のアプローチは結構巧妙で、さらに情報収集能力にも長けていて、相手に知られずに本音を引き出すのが上手いキャラだったと思う
これらを演じさせているシナリオとか演出などが凄い域に達していて、子役の演技が上手いからだけではない何かがあるのだと思う
心愛はあの動画で語られている英語を暗記するほどまで没入しているのだが、これは現代ゆえに起こる病巣の一つであると思う
AIなどによる最適化によって与えられる情報というのは、かなり一面性を強調しただけのものになっている
そう言ったからくりに気づける人、さらにそういった偏りから抜け出せる人には問題ないものの、子どもは与えられたものが全てだと思い込んでしまう
大人が見れば「子どもを使った環境ビジネス」だと看過できる動画も、子どもにとってはその判断にまで辿り着かないものだと思う
SNSを含むネット情報に対する未成年の関わりで一番怖いところがそこであり、規制が難しい部分でもある
映画ではサラッと描いているのだが、本来は大人に羞恥を与える目的で作られた恣意的な動画も、ケースによっては間違った行動を引き起こすこともある
なので、そう言った大枠について子どもと情報共有をしながら、理解を深めていく必要があるのではないか、と感じた
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