ふつうの子どものレビュー・感想・評価
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今まで観た映画の中で最高の子供の演技
小学4年生の女の子・心愛の終盤の演技に度肝を抜かれた。
個人的に、今まで観た映画の中で最高の子供の演技だったと思う。
壊れたロボットにも見えたし、救いを求める魂の叫びにも見えた。
強制的に涙腺が決壊してしまった。
本格的な演技は本作が初だというから信じられない。
たぶん、監督の手腕もかなりあると感じた。
この映画のメッセージを体現する、とても重要な場面だったと思うが、それに見事に応える演技だったと思う。
同じ小学4年生の問題児・陽斗も、普段はクールぶっている人間が窮地に立たされた時の末路を見事に体現していた。
2015年公開の、リューベン・オストルンド監督作『フレンチアルプスで起きたこと』に出てくる父親を思い出した。
主人公の唯士は、他の二人に比べると少し幼く、純粋無垢な感じ。
彼が主人公だからこそ、映画が観やすくなっていると思う。
最初は唯士が画面に映るたびに、2022年公開の映画『LOVE LIFE』を思い出して切ない気持ちになった。
映画全体を通して、子供たちの演技や存在感がとてもリアル。
まるで子供たちの日常風景をそのまま映し取っているようだった。
読書感想文の発表会で、コソコソ話している生徒がいる感じとか、本当にすごい。
脇役の子供に至るまで、どこかで見たことがあるような気がした。
大人の描かれ方もリアル。
特に担任の先生。
読書感想文の発表会での、心の底から褒めているわけではなく、とりあえず褒めている感じがすごく伝わってきた。
また、生徒の真剣さを感じ取れず、「自由と悪ふざけは違う」と言って、心ない言葉で無自覚に生徒を傷つける感じも「あるある」だと感じた。
前半は、小学4年生の唯士、心愛、陽斗の三角関係の話になっており、小学4年生版『愛がなんだ』と思った。
自分が好きな相手には積極的に行動するが、自分を好きな相手には扱いが雑になる。
唯士に対して常にそっけない態度をとる心愛が、陽斗と笑顔で楽しそうに会話するのを遠くから眺める唯士の姿に、自分も身に覚えがありすぎて悶絶した。
中盤から、環境活動家がテロリストに変容していく様子が描かれていく。
それをやっているのが小学生3人というのが面白いところ。
彼らは根っからの悪人というわけではなく(陽斗は悪人な気もするが…)、3人それぞれの特性がまずい形で組み合わさった結果、本人たちは良いことをしているつもりなのに、結果的にテロ活動になってしまっている。
この脚本の作り方が上手いと思った。
唯士が他の二人に「ロケット花火を使ったら二酸化炭素を出しちゃうから環境に悪いのでは?」と問う場面は、子供特有の些細なことにいちいち絡んでくる面倒くさい感じで滑稽にも見えるが、過激な活動をする環境活動家の問題点を鋭くついているようにも感じた。
途中の環境問題に関する授業の場面では、教室で流されている映像が退屈すぎて、生徒たちは眠気と戦っている。
学校側としては環境問題の授業をやったつもりになっているのだろうが、こんな内容で子供たちが環境問題に関心を向けるはずもなく、ほとんどの日本人が環境問題に無関心な原因の本質をついている場面だと思った。
この映画最大の見せ場は、終盤の3組の親子が一堂に会する会議室の場面。
唯士以外の親はここで初めて姿を見せるのだが、親たちが見せるちょっとした言動だけで「こういう親に育てられたから、こういう子供に育ったんだ」という説得力が感じられた。
本作の中で最も緊張感の高い場面ではあるが、唯士の純粋無垢ゆえの馬鹿正直さに思わず笑ってしまった。
子供にとって、大人の存在がいかに大事かを痛感させられる場面だった。
本作のタイトル『ふつうの子供』には、2021年の西川美和監督作『すばらしき世界』や、昨年公開されたドイツ映画『ありふれた教室』と同様に、痛烈な皮肉が込められているように感じた。
この映画で残念だったのは、環境活動がダメなものとして描かれている点。
あまり環境問題に関心がない人がこの映画を観たら、「環境活動なんてろくなもんじゃない」という印象を与えかねないと感じた。
もしかしたらそれが監督の本音なのかもしれないが…。
行きすぎた活動はもちろん良くないが、環境問題自体は存在するわけで、もう少し環境活動のポジティブな面も描かれていればと思った。
今年は子供視点の映画が豊作な気がした。早川千絵監督作『ルノワール』やベルギー映画『Playground 校庭』、あとこれは公開は昨年だが、今年のアカデミー賞で短編版が短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた『小学校 それは小さな社会』など、心に残る傑作揃いだが、夏の終わりにさらにとんでもない子供視点の傑作が出てきたと思う。
映画を観終えて部屋を出ようとしたら、母親とランドセルを背負った息子が横並びに歩いていたが、二人は会話もせず静まり返っていた。
目の前を歩く少年がこの映画を観て、何を感じたのかが気になった。
上手い。
なんか変な違和感を感じながらずーと観ていて、最後に何とも言えない好感を感じる作品。
賢い女子を中心に活動がエスカレートしていく様は安保活動家を彷彿させたけど、蓋を開けたら環境問題を本気に考えている子は誰もいなくて家庭環境が根本の問題だったと言うお話。
けどなんというか最後の最後でどの親も子も教師も憎めない不思議な日常感に着地して、「ふつうの子ども」ってタイトルに繋がるんだなと思った。
1番流されて活動した主人公が環境活動家になる将来をラストに見た。
すごかった
子どもどうし、親や先生たちのそれぞれの強さと弱さが描かれていて、この映画の場面の外でも人生を送っているような実在感がある。今あの子はどうしているんだろうなどと考えてしまう。
グレタ・トゥンベリの影響で活動家のような女の子が、連合赤軍みたいに過激化する。彼女は人を支配したがる面があり、要注意だ。しかしそんな彼女がお母さんに一歩も引かずやりあって、グレタの主張を暗唱する場面は圧巻だ。あの会議室の場面が本当にすごくていたたまれない。イキリ坊主がずっとお母さんにしがみついて泣いていてみっともない。主人公の男の子は喧嘩やフィジカルは弱いけどしなやかな強さがある。
めっちゃくちゃ素晴らしかったし圧倒された。彼ら以外の過激派は最後まで現れない。
色々な側面はあるが、ふつうの子どもの恋の大冒険映画なのだ
勉強が特に出来るわけでもなく、スポーツが万能なわけでもない、ごくごく平凡なふつうの子どもが主人公。
この手の男子は、自分が考えた事もない難しい事を言っている美人をガラにもなく好きになるのだ。
一緒に駄菓子を食べ、自然と話しが出来る女の子とのほうが幸せになれるのに、気づかないバカなのである。
恋のライバルも含めた3人による環境問題活動は、かつての学生運動を見てるかのように、過激化の一途を辿り、女性リーダーは暴走し、内ゲバ、裏切り、密告、そして巨大な敵である大人の前に完膚なきまでに打ちのめされる。
しかも、その敵は風間俊介ぐらいなら良かったものの、無敵の瀧内公美では立ち打ち不可能だ。
しかし、この映画の良い所は環境問題映画でもなく、大人と子ども関係性を問う映画でもなく、単にふつうのバカな男の子の恋の冒険映画であることだ。
しかも冒険の果ての大失敗も、肝心要の恋の顛末も本人はどうやら良くわかっていないようで、なんとも愛おしい。
普通の内容、非凡な作品
呉美保監督の割に、重さはなく、子どもの生態をそのまま切り取ったような作品。
冒頭から、非常に自然な日常が描かれる。
はじめは喋り方に違和感があったが、あの頃ってああいう芝居がかった口調になったりするよね。
唯士くんが心愛ちゃんの気を引こうと起こす行動は、身に覚えもあり微笑ましい。
自分なら面倒くさくて勘弁だけど、あれに大人っぽさを感じて惹かれるのもあの歳ならではか。
(絶対おかっぱの子にしといた方がいいと思う)
陽斗くんは不快感の方が強いけど、物語の推進力としてはアリだし、確かにああいう子もいる。
最初の貼り紙程度なら、「結局手書きもしとるやん」というのも込みで楽しくも見ていられた。
ロケット花火からは笑えなくなるが、子どもならリアルにやる範囲なんだよなぁ。
模倣犯に対抗心を燃やす描写も然り気なく上手い。
自覚はないだろうが、義憤よりもやはり遊びや背伸びの感覚が強いのだ。
グレタさんっぽい少女の言葉を英語で暗誦できるあたり、心愛ちゃんも真剣ではあるのだが…
最終盤では、瀧内公美がぜんぶ持ってった。笑
陽斗くんのみっともなさや、正義を盾に言い返すことも出来ない心愛ちゃんが霞むクセの強さ。
あの中では一番正論だし合理的ではあるんだけど、正しくはないのもいい塩梅。
大人も子どもも演技が自然だし、描かれる内容もどこでも起こりえるものばかり。
そういった意味で、タイトルに偽りなく“ふつう”なのだが、これを撮れるのはふつうじゃない。
子どもたちの無垢な暴走とはいえ嫌悪感は否めない
自分にとっては決定的な映画監督である呉美保(おみぽ)さん。
「そこのみにて光輝く」は我々夫婦の物語だった。30年以上、日本映画のマイベストワンだった小津安二郎監督の「麦秋」と替わった。
そして「ぼくが生きてる、ふたつの世界」は自分と母の物語だった。もう泣くしかなかった。
これは本当にあり得ない奇跡。
そんな決定的な呉美保さんの新作は小学4年生の3人の子どもたちを描いた自分の人生とはまったく交わることがない作品。
同じクラスの女子が気になるけど、その子は他の男子が好きみたい、な〜んてことはよくある話なのだけど、そんな幼い恋心でつながった3人が環境活動で盛り上がり、エスカレートした行動は犯罪の域に。
思考回路にむかつく。
学園紛争時代の過激派を思った。
まあ、そんなことを思うのは我々世代くらいか。
無垢な子どもたちだと分かりながらも強い嫌悪感を覚えてしまう自分が嫌になる。瀧内公美さんが演じた女子の母親のわかったような言葉にも強く反発した。
思えば反発しまくっていた。
それが監督の狙いかも知れんけど。
子どもだってちゃんとできる
テレ朝系ドラマ『こんばんは、朝山家です。』を見て気になっていた嶋田鉄太主演ということで、見てきました。彼が演じる役は、どれも自然で、何か障がいのある役だと、実際にそういう子じゃないかと思ってしまうほどです。今回のこの映画でも、いわゆる「子役の演技」ではなく、本当にそういう子の普通の振る舞いにしか見えません(普段の彼を知りませんが)。
よく子どもだからできなくてもしょうがない、というスタンスの大人がいますが、そういう人はこの子が出演している作品を見てみて欲しいです。子どもだからって、バカにしていないかと。ちゃんと対応すれば、子どもでもちゃんとできるでしょうに、ちゃんと対応することを大人が怠けているだけじゃないでしょうかね?
この映画でも、ちゃんと対応することを怠けている大人が出てきます。いろいろ言い訳はするものの、大人たちの都合であったり、メンツだったりして、結局は何もしません。そんな大人たちを見ていて、動機はなんであろうと、何とかしなきゃと思う子どもたち。
今の小学校に関わる機会がありませんが、周りの子どもが騒いでいて、メインの子のセリフが聞き取りづらいというシーンがありました。あれはリアルな教室に見えるように、わざとなんでしょうか? それと校舎内なのに「飛び出し注意」という立て札があったのにはビックリ。
電車の中で、隣に座っている子どもが話しかけても、カラ返事でスマホゲームに夢中の親を見たことがあります。子どもに対して適度に適切に向かい合うことが必要じゃないでしょうかね?
大人がこしらえたステレオタイプ的な子どもではなく 本当に「ふつう」で自然で「ありのまま」の子ども
まず、『ふつうの子ども』というタイトルがいい。本当に自然でありのままのふつうの子どもが描かれています。細かいことですが、小学4年生の子どもたちの群像劇なので、4年生までに習う漢字を考えると「普通の子供」ではなく「ふつうの子ども」なんでしょうね、やはり。で、小4の「ふつう」が大人たちの考える「普通」とずれている感じもいいです。これぐらいの年ごろって、(後から大人になって考えると)何かとんでもなく非常識なことをそれこそ「ふつうに」やってた記憶ってないですか。私はあります(恥ずかしいから内容は秘密です)。
ちょっと新鮮だったのは、心愛ちゃんが小4にして大人に対して「異議申し立て」をしていたことです(随分、成長が早いなあと思いました)。それもちゃんと「理論武装」して(今は必要な情報にアクセスしやすいですからね。表面的には)。こういうときの教師の対応の仕方としては「なかなかいいところに気づいたね。みんなはどう思う?」あたりが考えられるのかもしれませんが、まあ彼女の話について行けて意見が出せるクラスメイトがいる可能性が低いので、風間俊介が演じた担任の先生のように「極端だなぁ」といったコメントでお茶を濁しておくしかないのかもしれません。でも、結果論になりますが、心愛ちゃんの異議申し立てをぞんざいに扱ったことは教師側の初動にミスがあったと言われても致し方ないところかもしれません。結局のところ「活動家」はクラスメイトの男子ふたり(唯士くんと陽斗くん)を巻き込んで「理論的指導者」をも兼任して「活動」を始めます。
カメラワーク、よかったですね。子どもの目の位置は大人より地べたに近いところにあります。興味の対象を見つけるとそれに向かって視線が地べたに近いところを疾走してゆきます。立ち止まって俯瞰して物事を見るなんてことには不向きな構造です。気づいたら、ふつうの子どもがふつうに始めたことがふつうでないところまで来ていました。
そして、問題発覚後の、当事者の子ども3人、その保護者たち、先生(担任の先生とその上司)が集まってのミーティング。心愛ちゃんの母親の様子を見るにつけ、彼女の大人に対する異議申し立ての根っ子が社会問題なんぞにあるわけではなく、もっと地べたに近いところにあるのではないかという疑念が立ちのぼり始めます。ちょっと男をあげたのは我らが唯士くんです。ふつうの子どもとして、ありのままを誠実に陳述して、好感が持てました。え、陽斗? まあ幼すぎるというか、精神年齢が低いというか……
ということで、以下、ヘビに足を描いてみました。
さて、あの事件から、10年ほどの月日が流れました。唯士は大学で洋上風力発電の研究をしているそうです。環境問題を研究するサークルにも所属しているとのこと。心愛は大学の法学部に進みました。将来的には司法試験に合格して弁護士を目指したいとのことです。え、陽斗? 高校生のときに何か問題を起こしたという噂を聞きましたが、それっきり。なんとか立ち直ってくれるといいのですが……
ふつうの子どもが普通の大人になるのにもいろいろとあるようで。
母親に対する3人の子どもの反応は、そのまま家庭内教育の影響が出ていましたね
2025.9.10 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(96分、G)
好意によって引き起こされる騒動を描いた青春映画
監督は呉美保
脚本は高田亮
物語の舞台は、とある小学校
4年生の上田唯士(嶋田鉄太)は、友だちの颯真(大熊大貴)たちと昆虫を捕まえるのが楽しみな子どもだった
唯士の母・恵子(蒼井優)は子育ての本を読み込む養育ママだったが、父・篤士(小路勇介)は入れ込みすぎないようにと思っていた
ある日のこと、作文を発表することになった唯士は、母に褒められた内容を披露するものの、担任の浅井先生(風間俊介)からは「ふざけないように」と言われて恥をかくことになった
塞ぎ込んでいた唯士だったが、次に発表することになった心愛(瑠璃)の発表を聞いて目が覚めてしまう
それから唯士は心愛の興味を引くために環境問題の話をし始め、その距離を近づけていこうとするのである
映画は、心愛に好意を持つ唯士が2人だけの時間を持てるようになる様子を描くのだが、心愛は問題児・陽斗(味元耀大)のことが気になっていることもわかってしまう
そして、心愛を振り向かせるために、さらに環境問題にのめり込んでいく
陽斗も2人が何かを始めるのだと思っていて、面白そうだと乗っかってきて、いろんなアイデアを出していく
そして、町中に環境に関するビラを貼ったり、肉屋に向けて花火を飛ばしたりしていく行為がエスカレートしていき、とうとう牧場の鍵を壊して、酪農の牛を逃がそうと行動してしまうのである
環境問題に関心のある心愛は同年代の少女(林田茶愛美)が動画で訴えていることに感銘を受けていた
いわゆる某環境活動家をモチーフにしたようなキャラクターになっていて、大人はその主張をバカバカしいと思っている
それは、少女は大人に利用されて「言わされているだけ」ということを知っていて、それらが環境問題ビジネスの一環だと見破っているからである
だが、無垢な子どもは「自分よりも意識が高い人がいる」とか、「少女の主張が真っ当に聞こえる」などの一面だけを都合の良いように解釈していく
そして、それがあたかも正義であり、それができる自分は特別であると思ってしまう
事件発覚後に校長先生(金谷真由美)が全校生徒に子どもたちに伝える「行動が起こす影響とその可能性」というものは、心愛には響かないものの、唯士は「大変なことをしてしまった」と思っているし、陽斗は被害者のふりをしながら嘘泣きを続けていたりする
そうした、自分を救おうとする回避行動も三者三様であり、そんな中でも唯士は本音を吐露することになった
それは心愛もほぼ同じような原因を持っていて、それを突きつけられる瞬間でもあったと言える
「子どもたちは良いことをしようとして間違ったのでは」と恵子は言うものの、自分の興味のある情報ばかりに傾倒するのはダメだと断罪する心愛の母・冬(瀧内公美)もいて、子どもが起こしたことに対する大人の反応も様々だった
陽斗の母・房子(浅野千鶴)は自分の子どもが言ったことを信じたいし、その態度がいつもと違うと指摘する声も聞き流していく
子どもを守ろうとする親は、それで子どもを本当に守っているとも言えず、これらの有事に際してどのように対応するかというのも親の役割だと言えるのだろう
いずれにせよ、子役の演技が神掛かっている作品で、印象が強いのは主演3人よりは、唯士に恋心を抱くメイ(長峰くみ)の存在だった
彼女のアプローチは結構巧妙で、さらに情報収集能力にも長けていて、相手に知られずに本音を引き出すのが上手いキャラだったと思う
これらを演じさせているシナリオとか演出などが凄い域に達していて、子役の演技が上手いからだけではない何かがあるのだと思う
心愛はあの動画で語られている英語を暗記するほどまで没入しているのだが、これは現代ゆえに起こる病巣の一つであると思う
AIなどによる最適化によって与えられる情報というのは、かなり一面性を強調しただけのものになっている
そう言ったからくりに気づける人、さらにそういった偏りから抜け出せる人には問題ないものの、子どもは与えられたものが全てだと思い込んでしまう
大人が見れば「子どもを使った環境ビジネス」だと看過できる動画も、子どもにとってはその判断にまで辿り着かないものだと思う
SNSを含むネット情報に対する未成年の関わりで一番怖いところがそこであり、規制が難しい部分でもある
映画ではサラッと描いているのだが、本来は大人に羞恥を与える目的で作られた恣意的な動画も、ケースによっては間違った行動を引き起こすこともある
なので、そう言った大枠について子どもと情報共有をしながら、理解を深めていく必要があるのではないか、と感じた
『いちご白書』から『君がいる、いた、そんな時』へ
冒頭で、だんごむしではなくわらじむしを子どもたちが探していて、これまであまり違いを考えたことがなかったので、ちょっと驚いた。暢気そうな男の子が、ふざけた作文を書いて、母親からは褒めてもらうが、担任教師は容赦なく貶す。風間俊介氏らしくない教師振りだった。次に発表した女の子は、環境問題について大人社会批判を展開し、ここでも担任教師は真面目に取り上げない。男の子が女の子の歓心を買おうとして環境問題で一緒に学習の機会をもとうとする。しかし、乱暴な男の子が乱入し、女の子はその乱暴な男の子の方に関心をもつ。3人の関係が何とか保たれ、3人で大人社会に抗議行動をしようと持ち上がり、実行に到る。
3人の抗議行動で牛を牧場から逃がしたことが、周辺住民の被害を生じたことで、学校でそれぞれの子の保護者を呼び出して指導することになった。暢気そうな男の子の両親は、途中経過も描かれていて、父親は関心低く、母親は教育情報書を読みながら、できるだけ理解ある子育てに努めている。乱暴な男の子の両親は、意外にも、父親も小さな子どもの面倒看が良く、その男の子は母親に泣いて甘えるばかりだった。女の子の母親はしっかり者で、理屈を通す娘にも頭ごなしで叱り、女の子は環境問題を通して母親を含む大人社会への異議申し立てを続けているようである気配が感じられる。瀧内公美氏は、『由宇子の天秤』では、上司や父親の正義に反する行為を告発しようとした役柄を演じたのとは逆の役柄を演じることになった。教師たちが子どもたちに、行動の動機を訊いていったときに、乱暴な男の子が何も答えようとしないことについて、女の子は学校での日常行動との乖離を指摘する。暢気そうな男の子が、女の子が好きになって一緒に行動したという正直な気持ちを言うと、女の子の母親が大いに評価していた。最後に、担任教師が子どもたちと保護者たちを連れて、被害者に謝罪に赴くときに、暢気そうな男の子が校門の側でわらじむしをみつけていたとき、女の子も寄ってきて、笑顔をみせていた。途中で、その暢気そうな男の子に関心がありそうな別の女の子が、買い物に誘ったりしていて、そこも良い雰囲気だった。
確かに、学生運動への参加動機として、女性が男性を引き込んで進められるという『いちご白書』的な流れもみられるし、女の子が著名な環境運動家のグレタ氏にも準えられるだろう。それとともに、広島県呉市立港町小学校を舞台に、外国人系のいじめられっ子と、落ち着きのない放送委員と、子ども好きな図書館司書とが交流し、子ども同士が放送や夜間潜入したりのいたずらをするという展開の『君がいる、いた、そんな時』とも共通する子どもらしい雰囲気も感じた。
家畜を逃がしてしまういたずらの既視感の一つに、『梅切らぬばか』が思い当たった。
ちびグレタたち
観るか迷ったけど観てよかった。
他の方のクチコミ通り子供たちが素晴らしい。
それを演出している大人も素晴らしい。
もちろん、蒼井優や風間俊介など大人俳優陣も自然でとても良い。
子供たちはふつう。
可愛いし
怖いし
憎たらしいし
怒りさえ覚えます。
それでいて愛らしい。
最後のシーンは良かったな。
とても演技とは思えない。
最後はウルっときたよ。
全体的に、ふつうの話の延長線。
自分の子供時代も、秘密基地作ったし、罪悪感もなくひどいのこともしていたな。
ふつうなので、
誰かが殺されたり、ひどい虐待とかはありません。
出汁が効いた薄味の料理みたい。
テレビドラマでは伝わりにくい、これぞ劇場で観るべき映画ですね。
帰り際、観客の夫婦の奥さんが切れてた。
「ほんとうに時間とお金のムダ」だって、劇場内でほざいてたよ。旦那さん可哀想。
その言葉で、私の映画の余韻は台無し。
濃い味が好きな人、思いやりのない人には向いてないかも。
またあの子たちに会いたくなる一作
結構以前から貼りだされていたポスターで気になっていた本作、呉美保監督の『ふつうの子ども』。サービスデイのシネスイッチ銀座へ期待を膨らませて向かいます。
教育者でもなければ、親でさえなく、更には既に50代半ばである自分は現代における子育て、教育について云々言える立場ではないし、現実を知らなすぎると自覚もしています。(それでも、ふるさと納税では必ず「教育、子育て」を用途に選択しています。)「タブレット端末を使う授業や宿題」「生徒を“さん”付けで呼ぶ教師」など、まさか疑っていたわけではなくとも「本当にそうなんだな」と思いながら鑑賞する私。ところが、今も昔も大して違わない子供たち(特に男子)の思考回路や、それによる言動をみればどこかホッとするし、タイトルからも伝わる欺瞞のなさに素直に共感が出来て楽しめます。
宿題の作文発表にて、自分なりに考えて工夫したオチを教師にあっさり否定されて頭の整理がつかない唯士(嶋田鉄太)。すると、「地球温暖化」をテーマに、堂々と「大人たちに対する反抗」の意を訴える心愛(瑠璃)の凛々しさに圧倒され、すぐに心を奪われて恋に落ちる唯士。あくまでテーマに対する共感を示し「やましさ」を隠して心愛に近づこうとする唯士ですが、ちょっかいを出すことでしか他者に近づけない陽斗(味元耀大)に目をつけられて邪魔が入ります。ところが、それまで唯士につれない反応だった心愛が陽斗の登場で態度が変わり、いつしか3人でチームを組んでアクティビストとなり、地球温暖化を阻止するべく彼らなりの「社会運動」を始めるのですが…
まず、捉えることのできる周波数帯も狭くなった爺である私の耳に、聞き取りが超難解な唯士の「ゴニョゴニョ口調」は所々何言っているのか解らない、、のですが、これこそリアルな感じがして全くネガティブな印象はなし。そもそも「元男子」である私には唯士の思考が手に取るように解るので無問題だし、最早唯士の恋心に対する「応援気分」が勝っています。何せ、唯士が心を寄せる心愛のあざとさは、目的にストレートで大変に堂に入っている。そして、それをお見通しで娘を論破しにかかる母・冬(瀧内公美)を見れば「この母にして、この娘」。いやはや、この母娘、無敵だわ。。w
他にも要所要所で唯士に助け舟を出す藤井メイ役・長峰くみさんはナイスキャラクターで最高ですし、唯士の母・恵子役の蒼井優さん、子供たちの担任教師・浅井役の風間俊介さんなど芸達者な「大人」たちがいるからこそ、抑えが利いて物語が散漫せず、しっかりと説得力を感じます。
勿論、昨今の教育現場における子どもに対することへの難しさ、もどかしさなどを考えると楽しんでばかりいられないと理解しながらも、やっぱり現代の子どもだって昔の自分たちとほぼ変わらない姿は実に微笑ましい。どうせなら、堅苦しく考えず普通に笑いながら観るほうがむしろ意義がある、大変に楽しい作品に仕上がっていると思います。またあの子たちに会いたくなる一作です。
ふつうって何だろう
鑑賞動機:呉美保監督10割
今回は早いペースで新作公開となり嬉しい。こどもたちが生き生きしてる。おとなもこどもも、男性陣はおおむねへっぽこ感が漂う中、土壇場のその発言はよく頑張った。でもさあ、その子じゃなくて、おちゃらけてるけど洞察力が鋭いあちらの子について行った方が、絶対幸せにはなれる気がする。
おとな側も蒼井優をはじめ、的確なサポート。瀧内さんが登場シーンが少ないのにインパクト強いし。
こども側に焦点を当てているものの、やはり監督は「家族」のあり方に興味があるのかなと思う。
女性が世の中を動かしているという話かな?
虫とウ◯チは小学生男子の定番
全121件中、81~100件目を表示













