「『いちご白書』から『君がいる、いた、そんな時』へ」ふつうの子ども てつさんの映画レビュー(感想・評価)
『いちご白書』から『君がいる、いた、そんな時』へ
冒頭で、だんごむしではなくわらじむしを子どもたちが探していて、これまであまり違いを考えたことがなかったので、ちょっと驚いた。暢気そうな男の子が、ふざけた作文を書いて、母親からは褒めてもらうが、担任教師は容赦なく貶す。風間俊介氏らしくない教師振りだった。次に発表した女の子は、環境問題について大人社会批判を展開し、ここでも担任教師は真面目に取り上げない。男の子が女の子の歓心を買おうとして環境問題で一緒に学習の機会をもとうとする。しかし、乱暴な男の子が乱入し、女の子はその乱暴な男の子の方に関心をもつ。3人の関係が何とか保たれ、3人で大人社会に抗議行動をしようと持ち上がり、実行に到る。
3人の抗議行動で牛を牧場から逃がしたことが、周辺住民の被害を生じたことで、学校でそれぞれの子の保護者を呼び出して指導することになった。暢気そうな男の子の両親は、途中経過も描かれていて、父親は関心低く、母親は教育情報書を読みながら、できるだけ理解ある子育てに努めている。乱暴な男の子の両親は、意外にも、父親も小さな子どもの面倒看が良く、その男の子は母親に泣いて甘えるばかりだった。女の子の母親はしっかり者で、理屈を通す娘にも頭ごなしで叱り、女の子は環境問題を通して母親を含む大人社会への異議申し立てを続けているようである気配が感じられる。瀧内公美氏は、『由宇子の天秤』では、上司や父親の正義に反する行為を告発しようとした役柄を演じたのとは逆の役柄を演じることになった。教師たちが子どもたちに、行動の動機を訊いていったときに、乱暴な男の子が何も答えようとしないことについて、女の子は学校での日常行動との乖離を指摘する。暢気そうな男の子が、女の子が好きになって一緒に行動したという正直な気持ちを言うと、女の子の母親が大いに評価していた。最後に、担任教師が子どもたちと保護者たちを連れて、被害者に謝罪に赴くときに、暢気そうな男の子が校門の側でわらじむしをみつけていたとき、女の子も寄ってきて、笑顔をみせていた。途中で、その暢気そうな男の子に関心がありそうな別の女の子が、買い物に誘ったりしていて、そこも良い雰囲気だった。
確かに、学生運動への参加動機として、女性が男性を引き込んで進められるという『いちご白書』的な流れもみられるし、女の子が著名な環境運動家のグレタ氏にも準えられるだろう。それとともに、広島県呉市立港町小学校を舞台に、外国人系のいじめられっ子と、落ち着きのない放送委員と、子ども好きな図書館司書とが交流し、子ども同士が放送や夜間潜入したりのいたずらをするという展開の『君がいる、いた、そんな時』とも共通する子どもらしい雰囲気も感じた。