ふつうの子どものレビュー・感想・評価
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なんてすばらしい子役たち
どこからこんな味のある子どもたちを見つけてきたのだ。特に主役の子どもが最高だ。と思ってたら、呉監督の前作「ぼくが生きてる、ふたつの世界」にも出演していた。
でも最後には瀧内公美が全て持っていった。なんという強烈なインパクト。でも、実際ああいう人いるよね、と思わせる絶妙な存在感があった。
物語は環境問題への意識から子どもたちが街で、啓発活動をするのだが、子どもの発想だからそれはいたずらじみていて、しかし次第にエスカレートしていき騒動へと発展していくというもの。子どもじみたいたずらだったとしても、彼らはきちんと地球の未来を考えている。時に恋心で揺らいでしまうのもリアル。そして、何かを達成した、注目されたという高揚感に心が囚われてしまうと周囲が見えなくなることの危うさも描かれていた。
大人はこの子たちの声に耳を傾けているだろうか、責任を取っているだろうか。大人はこの子たちのことを叱る資格があるだろうか。そんなことを痛烈に突きつけつつも、笑いの絶えない96分だった。
前提ではなく、結果が生み出す群像劇。
呉美保監督の『ふつうの子ども』を観た。
『そこのみにて光輝く』(2014)はもちろん観ているが、『きみはいい子』(2015)は未見だ。『酒井家のしあわせ』(2006)、『おかんの嫁入り』(2010)は当然観ていて、今改めて彼女は家族を描き続けきたのだなぁと感慨ひとしきり。ひとりの人物にフォーカスすることは、その傍らに居る人たちを描くことになる。だから豊かな群像劇になる。それは前提ではなく結果だ。
『ふつうの子ども』の最大の成果は撮影にある。背景を飛ばし、ソフトフォーカスな映像で子どもたちの「顔」を映し出す。まるで往年のハリウッドのスターを映し出すかのようなその絵に驚嘆した。
細かいことを突き詰めていくと、日常=つまり「普通」の描写は成立しなくなる。そんなことはとっくに分かっているとばかりに、監督は敢えて彼らを暴走させる。というか、成り行きに任せる。おいおい、一体どこまで連れて行くんだ…。男ふたりと女がひとり、三人揃って走る姿は、ルルーシュの『突然炎のごとく』(1962)であり、ロベール・アンリコの『冒険者たち』(1967)そのものではないか!
その時、たまたまめぐり合わせた三人が、迷うことなく挑戦する。その様がなんとも心地良い。子どもたちの疾走を描いた先にあるのは、至って普通な大人たちの反応だ。子どもたちの周りで、至って普通な大人たちがオロオロした先で、素朴だけれど、人生を変えるようなひと言が飛び出し。あ、そうなのかと合点がいった。それが「ふつう」なのだ。子どもたちの日常にある普遍を導き出す編集が効いている。
新宿で『ふつうの子ども』を観終わった後、地元で信号待ちをしていると、道の向こうで子どもが飛び跳ねて手を振っていた。三歳手前の少女が隣に住む僕を見つけて喜んでいるのだ。子どもの健やかなまなざしを育てることは、環境問題の手前にある、最も大切なことに違いない。この一文を書かせてくれた、少女の飛びきりの笑顔に感謝を込めて。ありがとう!
耳の後ろのタトゥー
”ふつう”って何だろう
9月に公開された本作。観たいと思いながらも都合がつかず、ようやく今回キネコ国際映画祭での上映で劇場鑑賞が叶いました。ちなみにキネコ国際映画祭は「アジア最大級の子ども映画祭」と銘打たれており、当日も多くの子どもたちが来場していました。
もっとも本作は“子どもが主役の映画”ではあっても、必ずしも“子ども向けの映画”ではない点が興味深く感じられました。もちろん子どもでも楽しめる内容ではありますが、大人が観ても考えさせられる部分の多い作品でした。
物語の主人公は小学4年生の唯士(嶋田鉄太)。普段は友達と虫を捕まえたりする“ふつうの子ども”ですが、想いを寄せるクラスメイト・心愛(瑠璃)が、グレタ・トゥーンベリよろしく環境問題に目覚めたことに触発され、彼女に注目されたくて環境活動にのめり込んでいく――というお話です。
ただ心愛は、グレタさんを模したと思しき海外の環境活動家に影響されているものの、仲間を煽ってどんどん過激化していく様子は、どちらかといえば永田洋子を彷彿とさせるタイプ(あくまでイメージですが)。唯士のほか、クラスメイトの陽斗(味元耀大)も巻き込み、“テロ”まがいの活動を実行していきます。最初は車に張り紙を貼る程度だったのが、次第にエスカレートしてついにはケガ人まで出る事態に。3人の母親は学校に呼び出され、先生を交えて話し合う場面となるのですが――この場面こそが本作最大の見どころでした。
もともと性格も環境問題へのスタンスも異なる唯士・心愛・陽斗の三人の対比が描かれていましたが、彼らの母親たちもまた全く異なるキャラクターとして描かれ、そのコントラストが非常に面白かったです。
唯士の母・恵子(蒼井優)は標準的で中立的な立場。一方、陽斗の母は完全に“わが子びいき”で、普段学校では活発な陽斗が泣きじゃくる中、彼女は必死にかばおうとします。
そして圧巻だったのが、心愛の母・冬(瀧内公美)。その場の空気を一瞬で支配する迫力と、人前で娘を罵倒する筋モノのような風格で、まさにすべてを持っていった感がありました。
しかし、冬=瀧内の圧倒的な存在感がMVPをさらいそうになったその瞬間、唯士が絞り出すように、環境問題に関わった本当の理由――心愛への恋心――を告白します。その言葉に冬も唯士を見直し、最後には心愛からも「I love you」と言われるという、思わぬ“モテ男誕生”で幕を閉じました。
物語全体を通じて、「ふつうとは何か」を考えさせられる作品でした。子どもが裏山や公園で遊ぶのは昔から“ふつう”でしたが、今では外で遊ぶ子どもの姿はむしろ珍しい。心愛のように大人びた子もいれば、陽斗のようにやんちゃな子もいる。つまり“ふつう”には幅があり、“ふつうじゃない”ことを探すほうが難しいのかもしれません。
互いの“ふつう”を認め合い、尊重することこそ大切なのだと、改めて感じさせられる作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
ふつうじゃない!
How dare you って何?
ここ十数年、世界各地での異常気象に伴う災害、生態系の変化による弊害は収まる気配はない。明らかに環境問題が元凶であるが、トランプ大統領などはそんな問題などない。と開き直っている。我々のような年寄りが生きてる間は壊滅的なことは起きないだろうが、今の子供たちが社会の中心にいる頃は今とは大きく違う生活環境になっているだろうし、考えられない程大きな災害も起きるのだろうと思う。何かとても申し訳ない、。
心愛(ここあ)の環境問題を解決する気がない大人に対する怒りはとても正しい。そんな彼女に憧れる唯士(ゆいし)の純なところもわかる。大騒ぎすることが好きな陽斗(はると)のような危なっかしい子どももいるだろう。そのほか出演した4年生の生徒(特にいきものかがりの子どもたち)を含め、皆が「ふつうの子どもたち」である。そして、先生を演じた風間俊介も唯士の母親の蒼井優も、かなりキツめの心愛の母親の瀧内公美も「ふつうの大人たち」でしかない、。
心愛のその大人に対する怒りの作文に対しふつうの大人の「ふつうの先生」の風間俊介は「先生まで怒られちゃいそう」と茶化し「SDGsの授業でね」と逃げた。先生には自分の意見などはないことを悟った3人は(色んなやり取りの後)、自分たちの行動で社会を変えようとする。イタズラ半分なところもあったが真面目に考えてやったのだと思う。げっぷがメタンガスの原因となる牛たちが行き場を失い学校や街中に出現し大騒ぎになり、3人は学校で呼び出され父兄も呼ばれてしまう、。3人の子どもの母親の、子どもの守り方や突き放し方がとてもリアルであったが、それに全く屈しない心愛は母親を無視し持論を喋り続けた。凄い子ども(もはや、ふつうの子どもではない)に脱皮したように私には見えた。心愛の「はうであゆー」に首をかしげる唯士の方が将来大物になるかもしれないけどね、。
映画はとにかく子どもたちの自然な演技が素晴らしく良質なドキュメンタリーを観ている気にさせてくれる。今、子どもを育てている監督やスタッフの皆さんが等身大の今の子どもたちに愛情を込めて作ったのだからだろう。良い映画をありがとうございます。
なんとまあ、おしゃれな終わり方
「ふつうの子ども」の「ふつう」は、「その環境にあったら、“ふつう”にそうなるよなぁ」のふつうで、それぞれに違った「ふつう」が描かれつつ、そのどれにも心を寄せられる作品だった。
主人公唯士役の嶋田鉄太や、母役の蒼井優がいいのはもちろんなのだが、今作は、突然、後半から出てくる瀧内公美が優勝!
全体として、中々よく練られた作品だと思った。
<ここからは、ネタバレあります>
・学校や課外の生活が、今どきのリアリティを大切に、とても自然に描かれていて好印象。
・公立小学校で、「私の毎日」という作文を宿題にして、全員があのレベルで発表できるとしたらすごすぎる面はあるが、内容のバラエティさが程よくて面白かった。
・風間俊介が、モロに小学校教諭の風情。「集団」を押し付け過ぎない、開かれた学級の雰囲気が伝わってきた。
・唯士の作文、先生にバッサリ切られてしまったけれど、当たり前に思っていたことを粒立てられる感性が伸びたら、末は星野源並みの歌詞が書けそう。
・どの親がいい悪いではなく、それぞれの親子が思っている「ふつう」が違うことが提示された会議室の場面は、特に面白かった。
・お兄ちゃんと呼んでいる時点で、半分アウトなところをちゃんと描く脚本が鋭い。
・とにかく、瀧内公美!
ビジネスの世界では有能なのだろうということを匂わせつつ、「それ、平気で子どもに言えちゃうんだ」という「とんでもセリフを言いそうな雰囲気」をビシバシ醸し出していて、素晴らしかった。思わず声を出して笑ってしまった。
・テロの起こし方がだんだんエスカレートしていく感じや、目的が自己顕示欲の方向に変わっていくのに、それを正当化する瑠璃と、ついていけなさを感じ始めても引きずられる唯士とか、ちょっと「ワン・バトル・アフター・アナザー」の感じや、かつての過激派の末路と重なった。
・相手のせいにして押し付け合わない展開が、子どもを主人公とした作品として、とてもよかった。
・ラストの瑠璃のセリフ。口の動きだけでは全然分からず、自分は唯士と全く同じで「え?」だったのだが、妻に「あれは、“はうであゆー”って、つまり“よくもまあ、ぬけぬけと人前で好きなんて言ってくれたよね”ってことだと思うよ」と解説してもらって納得。
なんとまあ、おしゃれな終わり方でしょうか。
・・唯士のことを多分好きな女の子。とっても豊かな子だなぁと思った。孫たちがあんな子に育ってくれたらうれしい。
「ふつう」の映画ではない「ふつうの子ども」
「ふつうの子供たち」の見事な肖像画
マンションのエレベーターに乗って下りる唯士の顔の存在感!その顔を極端な背景ぼかしとソフトフォーカス気味のアップでとらえたキャメラは、そのまますべるように、学校に向かって走り出す唯士とともに走りだし、そして陽光きらめくなか、あいさつをかわしながら追い抜いてくる女子の同級生をとらえます。まるで競走馬のように朝の光の中を走り抜けるこどもたちのその姿がなんともよい。この冒頭数分の映像の躍動感が、まずもって目を見張るほど素晴らしいと思いました。
ヴィムベンダース監督の確か「都会のアリス」でしたか、自転車に乗って移動するこども達をとらえたみずみずしい映像があって感銘を受けた記憶がありますが、それ以来の体験でした。そして、この子供特有の躍動感が、なんと冒頭から最後まで、転がるように途切れず、持続するのです。
なぜだろう?(以下ネタバレあり)
ただ可愛いだけ、天使みたいなあどけなさを強調するようなだけの演出だったら、多分こうならなかっただろうなと思いますが、この作品では子供の心の中にあるある意味ドロドロした側面もちゃんと見せていくのです。そして環境テロに至っては、それが自分たちの世代に害を及ぼす大人社会に対する信念のように見えて、実はそれぞれが抱える、子供らしく素直で切実な自身の問題に由来するものであることが、おとなたちとの会話のなかで、見えてくるに至って、「ふつうの子ども」の、生き生きとした生の姿の肖像が鮮明に浮き彫りになっているように思えました。
素晴らしい作品でした。
「普通」と『不通」が入り混じる
この映画での「ふつう」は、「普通」と「不通」の二つが入り混じっている。十歳の少年が同級生の少女を好きになる。きわめて「普通」だ。しかしその少女は他の少年が好きで少年の恋心は彼女には「不通」だ。
二人の少年と一人の少女三人で地球環境問題を考え実際に行動に移していく。最初はいたずらの範囲であったが、一人の少年と少女はさらにエスカレートしていく。残った少年は彼女を「好き」がまさって同調していき、ついに問題がおこる。
それでも少女は環境問題に貢献し大人に罰を与えていると信じ、もっと行動を続けると言う。しかし少年二人は徐々に引いていく。ここで少女と少年二人の思いは「不通」になる。学校でびくつく二人。逆に少女は堂々とした姿を変えない。
少女が環境問題について作文で発表するとき、環境の悪化は「大人のせい」を強調する。彼女は頑なに大人を「不通」扱いする。しかしそこには彼女の家庭環境がそうさせたことを呉美保はのちに明らかにする。
この映画の主役は子どもであるが、もう一方の主役は母親だ。問題をおこした一人の少年が母親に告白する。そこで子どもたちと三人の母親と担任の先生、校長先生と話し合うシーンが、子どもと母親の関係性を見事に描写している。
子どもは家庭環境をうつすこともあるし学校で別人になることもある。この話し合いで一人の子どもと母親が「普通」に接するが、他の二人の子どもと母親が「不通」であることが明らかになる。ここで主役は完全に母親になる。一人の少年は母親にしがみつき泣きじゃくり、母親は自分の子どものせいではないと強調する。特に少女の母親、瀧内公美と少年の母親、蒼井優の母親像は真逆である。前者は子どもを攻め、後者は子どもを見守る。
攻められる子どもは大人を攻める「普通」ではないか。見守ってくれる少年は「普通」にぼそぼそと理由を明かすことができる。ラストシーン、少女は少年に微笑み、言葉にせず口パクするが伝わらない。少女の顔は「普通」にうれしいという感情にあふれていた。
リアリティ以上のリアルな子供たちの演技
子どもたちの演技がとても素晴らしい。
どうしても騒動の中心にいる女の子の自然環境論理がグレタ並みに破綻しているのが気になり、作りごとの創作とはいってもイラついて仕方なかった。
実際に近くにいたら殴りたいw
逆に言えば、そのくらいヒロイン役の瑠璃ちゃんと、主人公の嶋田鉄太くんの演技が上手くて、ほんとに彼らが作中の悪戯をしでかしたと思い込みそうになるほどリアルでした。
また、なんでそんな子供に育ったのかがよくわかる、子供に対する親の態度を、脇を締める大人の実力派俳優たちが完璧に演じていて。
脚本的にも楽しかった。
ただ……
始まって2分で、画面酔いして吐きそうになりました。
子ども目線で、子どもの動きを追う意図はわかるが、全編手持ちカメラは、4DXより遥かに強く三半規管を直撃して船酔いみたいになりました。
要注意。
今も昔も変わらない、のかな?
しばらくこの映画くらいの子供と直接触れ合う機会がほとんどないので何が本当だかわからないが、もしこの映画が今の子供を正しく反映しているのだとしたら、世の中いろいろ変わっても本質的なところは変わっていないのだろう。
主役の男の子のはまり具合が最高。結構ストレートな子供たちに対し、親・先生はちょっとズレた俗物ばかりなのが印象的。まあ瀧内公美さんのズレっぷりはちょっとではないけれど。
セリフが聞き取りにくいところが何回かありちょっと引っかかった。自然な流れを重視したのかもしれないが、号泣や絶叫ならともかく普通の会話が聞きとれないのはどうなんでしょ。
その昔、映画より少しだけ上の子供だった頃、悪ふざけの度が過ぎて担任が激怒したことがあったけど、その後だいぶ経ってからその先生から謝られた。感情に流され怒りをぶつけたのは間違っているからということなんだけど、まあ100%悪いからこっちは全く気にしていなかったけどね。お元気だろうかI先生。
まあ今の時代ではそんなやり取りもありえんかな。
【”エコテロリズムの裏に秘めた恋心。”今作は小学生男女三人の過激な環境保護活動の陰に隠された夫々が抱える事情を、現代社会が抱える諸問題を寓話性を含ませて描いた逸品であり、名子役多数出演作でもある。】
■小学生のユイシ君は、子供の自主性を伸ばす教育に熱心なお母さん(蒼井優)の下で育つ、生きものと駄菓子が好きな普通の男の子である。クラスメイトには環境問題に高い意識を持つココアさんがいる。
或る日、作文を各自が発表する時間に、ココアさんは環境問題に無関心で、車を乗り回したりする大人達を、舌鋒鋭く批判する作文を毅然とした顔で読み上げる。その姿を見たユイシ君は彼女に惚れてしまい、直ぐに、”環境問題に高い意識を持つ”小学生に変身し、ココアさんに近づいていく。だが、どうもココアさんは、ヤンチャなチョイ、イケメンのハルト君が気になるようである。
三人は活動を開始する。
スーパーの駐車場に停めてある車のガラスに”車を使うな!”と新聞紙の切り抜き文字で作った紙を貼ったり、肉屋さんにロケット花火を打ち込んだり、果ては酪農家の牛舎の柵を取り外すのである。すると、牛が町に出て来てしまい、大騒動。
三人は保護者と共に担任の先生(風間俊介)とオッカナイ女性先生から呼び出しとなるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・大変に面白く、且つ寓話性に富んだ内容でありながら、小学生の男の子の淡い恋心を見事に描き出している作品である。
又、小さな名優多数登場作であり、特にユイシ君を演じた嶋田鉄太君とココアさんを演じた瑠璃さんは、凄かったなあ。アンナに自然な演技が出来る俳優さんって、大人でもそうそうはいないと思った程である。
・ユイシ君がココアさんの気を引くために、環境の本を彼女から借りたり、図書館でもわざとらしく咳をしながら、ちゃっかりと彼女の隣に座る姿は、とても可愛いのである。
・だが、ココアさんはまるで、グレタ・トゥーンべリさんの如く、背筋を伸ばし”キリッとした顔で”環境問題の本を読むのである。彼女の眼中でのユイシ君は、”只のエコテロリズムのメンバー”なのである。(涙)
そして、彼らの大人に対する攻撃は、何処か、誰かに同調して他者に圧力を駆ける現代の風潮を描いているような気がしたのである。
■だが、三人の行動はあっと言う間にバレて、保護者と共に担任の先生とオッカナイ女性先生から呼び出しとなるのであるが、このシーンが良かったのである。
1.ヤンチャなハルト君は、小さな姉弟を三人抱えたお母さんに抱き着くばかり。チョイ、情けない。そして、ナント!”首謀者はユイシ君”と主張するココアさんに同調するかの如く、彼の顔を見ずに指指すのである。お母さんは、”息子は首謀者じゃない。”というばかり。そんな彼を冷ややかな顔で見るココアさん。
だが、お母さんから”お兄ちゃん、お兄ちゃん。”と呼ばれる彼が、学校でヤンチャだった理由も分かるのである。お母さんに頼られ過ぎて、寂しかったんだよね。
2.ココアさんのお母さん(瀧内公美)が”キリッとした顔で”遅れて入って来る。お母さんは首にタトゥーが入っているキャリアウーマン風で、イキナリ”この子が首謀者でしょ!”と我が子を睨みつけるのである。そして”この子、昔は可愛かったんですよ!”と大きな声で皆に告げるのである。
成程なあ、ココアさんが激しく大人を糾弾していた理由が分かるシーンである。
それにしても、流石、瀧内公美さんである。抜群の存在感である。そして怖かったなあ。その脇で、ココアさんは固い表情で、英語で環境問題について涙を一粒流しながら話し続けるのである・・。
3.その時にユイシ君は、ハッキリした声で言うのである。
”僕がやりました。ココアちゃんが好きだから!”このシーンは沁みたなあ。そして私は思ったのである。”君は、立派だ。自分の非を認めない変な大人より、キチンと謝れる君は、余程立派だ!”とね。
更に、ココアさんのお母さんが”立派だねえ。”と大きな声で言うと、ユイシ君のお母さんは毅然として”少し、黙って!”とキツイ顔で、ココアさんのお母さんの顔を睨みつけるのである。
”瀧内公美VS蒼井優”シーンであり、蒼井優が優しくも息子を想う強き母である事を示しているシーンでもある。
・そして、皆は警察の事情聴取に行くのだが、ユイシ君は大好きな昆虫を見つけて、掌に載せていると、そこに昆虫には興味が無かった筈のココアさんが駆けて来て”その虫の名前は何ていうの?”と笑顔で問いかけ、更には声に出さずに、グレタ・トゥーンべリさんの如く”How dare you”と呟くのである。
<今作は、小学生男女三人の過激な環境保護活動の陰に隠された夫々が抱える事情を、現代社会が抱える諸問題を寓話性を含ませて描いた逸品であり、名子役多数出演作でもあるのである。
お見事です、呉美保監督。>
<2025年10月19日 刈谷日劇にて観賞>
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■初めて、刈谷日劇に来場される方へ
<HPには記載されていない事です。>
1.HP記載の上映時間と共に、学校のチャイムの如き音が鳴り、劇場内は暗転し、一本だけ映画の予告編が流れ、映画泥棒が流れて、直ぐに本編が始まります。シネコンと違うので、お早目の到着をお願いいたします。
2.WCは待合室にはありません。スクリーン1も2も劇場内に入らないと行けません。
時折、いや、頻繁にスタッフの方に”WCは何処ですか?”と聞くお客さんがいらっしゃるので、ここも肝要です。因みに『刈谷日劇』が入っているビル内にもありません。
3.飲料販売機はありますが、ポップコーンはありません。パンフレットはあったりなかったりです。基本的にセカンド上映で良作を上映してくれる映画館ですから。
■西三河に一軒だけある歴史70年を超すミニシアター『刈谷日劇』は、残念乍ら年内で閉館されるそうです。それまでに一度来館されては、如何でしょうか?
名古屋からでも、豊橋からでも刈谷駅乗り換えで、結構早く来れますよ。
子供たちの宇宙
公開最終日に滑り込んで観賞。
そもそもは「人間のクズ」がいっぱい出てくるドラマが好きなんだけど、今回は逆。
なんだか、どこか歪んでたり打算的だったりもするけど、自分なりにそこには「そうありたい」という前向き思いがあったりもする。
(この先、多少のネタバレが入りますのでご注意下さい。)
まずは主人公の男の子唯士を演じた、嶋田鉄太くん。
もうこの子の佇まいや表情がものすごく良い。時々、くたびれた中年サラリーマンにも見えてくる。そんな広がりのある演技だった。
そして、唯士と3人組となる環境活動の女の子、心愛と、最後まで勝手なあの男の子、陽斗とは別に、主人公と駄菓子屋デートをするあの女の子、メイ役の長峰くみちゃん。
もう、あの子はなに?(笑)
あれ、全部監督の演技指導なの?
というくらい、可愛らしくて魅力的で、でも切なくもあった。(レゼだったら「心臓もらっちゃう」なのに、メイちゃんだとああなるんだね。)
基本的にはずっとコミカルに話は進む。
前半は「子供たちの宇宙」の中での話だったものが、どんどんエスカレートして大人を巻き込んだ現実社会に侵食していき、ある一線を越えたところで、大人達と対峙しなくてはならなくなる。
「小学生」という世代を考えれば、本来親を呼ばれて散々説教されて「はい、おしまい」となるところが、まったく怯まない瑠璃、話にならない陽斗、そして、ちゃんと正直に答える唯士。
あのシーンは泣けた。
だって、ホントに唯士は結局他の2人に振り回される形で活動に巻き込まれていったワケだし。
そこでカッコ付けずにちゃんと自分の気持ちを自分の言葉で唯士が語った時、母親役の蒼井優に「お母さん、あなたの教育は正しかったよ!」と言いたくなった。
加えて、それぞれの親にはそれぞれの思惑や教育方針がある。別に、誰が間違ってるということもない。
そしてラスト、コントロールできないレベルに広がった「子供たちの宇宙」は、またもとの規模に収束し、唯士たちは少しだけ成長して、またその世界に戻っていく。
映画を観ていて、「この物語はどこにいくんだろう」という感じの楽しさがある。
基本的にはコメディなので、何か怖い事が起きるワケではないはずのに、じんわりホッコリ子供たちの生活と平行して、裏にピリッとした危うさも含んでいるのがすごく楽しかった。
これは観ておいてよかった。
導火線
ランドセル背負って帰り道爆走していた頃がもう何年も前…時の流れが早すぎて残酷だなぁと思う今日この頃です。
公開から時間が経っていたので観に行けるかなーと思っていましたが、良い具合に時間が噛み合ったので鑑賞。
てっきり子どもたちの遊びの延長線での出来事かなと思っていたら、ガッツリ迷惑をかけまくるというエッジの効いた作りになっており、主人公の原動力のひとつに好きな子のためというのがあると思うんですが、そのパワーがMAXまで溜まるとこうなるのか…と画面内での出来事にやられっぱなしでした。
導入されていた事自体は知っていましたが、今の小学校にはiPad的なやつが導入されている絵面はやはりインパクトがありました。
何かを検索する時なんてパソコン室でカチャカチャ調べるのが超ワクワクしたなーとか思っていたのに、今は手元でサクッと調べれるようになっているのはジェネレーションギャップを感じるなと思いました。
そこから主人公が惹かれる女の子がめちゃくちゃ活動家のような発言を連発していくので中々にドン引きし、先生に対しても真っ向から口論していくスタイルなので、この子のどこを好きになったんだ?とまず疑問に思ってしまいましたが、キケンな女の子に惹かれちゃうってのがこの年頃にはあるのかな?と思ってなんとか飲み込みました。
10歳でここまで意識を高く持つってのは中々出来ないなとは思うんですが、それを広めるのではなく、怒りにして攻撃しまくるのは今も未来も相当危ないんじゃ?と思ってしまいました。
これだけ言うなら車とか絶対使うなよ?と思いましたが、その辺の描写は自転車爆走のみだったのでなんとも。
肉も食べずに避けているんですが、それもフードロスに繋がってるよな…でも目の前の事しか見えてない感じだな…とモヤモヤ。
主人公がなんとか気を引こうとして環境の勉強をしたり、通ってる図書館に行ってみたり、本を貸してもらえた時はめっちゃ嬉しそうだったりと、子供らしさ全開でニヤニヤしっぱなしでした。
正直こういうテイストをずっと求めていたので、活動家パートはあまり好きではないです…。
一種の勉強の様に観ていました。
そこからクラスのやんちゃ坊主(落ち着きのなさはかなり気になる)と活動家ガールと主人公で、車や服屋に張り紙を貼ってみたり、ハリボテを設置したり、ロケット花火を店に向かって撃ってみたりと、かなり過激な行動に出ていくのでヒヤヒヤしながら観ていました。
やってる事は絶対にアカンことなんですが、当人たちにまったく罪の意識なんかは無く、自分たちが変えてやってるという意識の元動いているので純粋無垢な悪の様で怖かったです。
最終的には牛のいる厩舎の鍵をぶっ壊して牛が脱走して学校に入ってきたり、交通事故が起こってしまったりとで大ごとになっていてもう肝が冷えまくりでした。
やっとこさ悪事がバレて親御さんと子供と先生たちでの会議が行われるんですが、これまた肝を冷やす展開になっており、なぜか家族総出できたやんちゃ坊主のお母さんは保身に走りまくるし、やんちゃ坊主は泣いて逃げようとするしでタチが悪いですし、活動家ガールは相変わらず自分の言ってることを曲げないし、罪をなすりつけようとするし、と思ったら母親がエグいくらい脅しをかましてきて小便ちびりそうでした。
瀧内さん凄すぎるけど怖すぎました。
ただ脅しパートがコントの域に入ってしまってちょっと笑ってしまいました。
会議シーンの閉塞感ったらありまくりなんですが、そこから解放された後の活動家ガールのなんの反省の無さも嫌でしたが、主人公がキョトンとしながら終わっていったは面白かったです。
子役の子達が本当に素晴らしくて、ありのままでありながらもフィクションとノンフィクションの境目をいく絶妙な感じだったのも最高でした。
ぜひ今後の作品でも追いかけていきたい存在です。
トータル苦手寄りではあるんですが、ふつうがどれだけ大変なのかとか親御さんの気苦労とか、ある程度歳を重ねたからこそ分かるものもあるなと思いました。
鑑賞日 10/9
鑑賞時間 17:15〜18:55
よかった。
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