ふつうの子どものレビュー・感想・評価
全121件中、1~20件目を表示
なんてすばらしい子役たち
どこからこんな味のある子どもたちを見つけてきたのだ。特に主役の子どもが最高だ。と思ってたら、呉監督の前作「ぼくが生きてる、ふたつの世界」にも出演していた。
でも最後には瀧内公美が全て持っていった。なんという強烈なインパクト。でも、実際ああいう人いるよね、と思わせる絶妙な存在感があった。
物語は環境問題への意識から子どもたちが街で、啓発活動をするのだが、子どもの発想だからそれはいたずらじみていて、しかし次第にエスカレートしていき騒動へと発展していくというもの。子どもじみたいたずらだったとしても、彼らはきちんと地球の未来を考えている。時に恋心で揺らいでしまうのもリアル。そして、何かを達成した、注目されたという高揚感に心が囚われてしまうと周囲が見えなくなることの危うさも描かれていた。
大人はこの子たちの声に耳を傾けているだろうか、責任を取っているだろうか。大人はこの子たちのことを叱る資格があるだろうか。そんなことを痛烈に突きつけつつも、笑いの絶えない96分だった。
前提ではなく、結果が生み出す群像劇。
呉美保監督の『ふつうの子ども』を観た。
『そこのみにて光輝く』(2014)はもちろん観ているが、『きみはいい子』(2015)は未見だ。『酒井家のしあわせ』(2006)、『おかんの嫁入り』(2010)は当然観ていて、今改めて彼女は家族を描き続けきたのだなぁと感慨ひとしきり。ひとりの人物にフォーカスすることは、その傍らに居る人たちを描くことになる。だから豊かな群像劇になる。それは前提ではなく結果だ。
『ふつうの子ども』の最大の成果は撮影にある。背景を飛ばし、ソフトフォーカスな映像で子どもたちの「顔」を映し出す。まるで往年のハリウッドのスターを映し出すかのようなその絵に驚嘆した。
細かいことを突き詰めていくと、日常=つまり「普通」の描写は成立しなくなる。そんなことはとっくに分かっているとばかりに、監督は敢えて彼らを暴走させる。というか、成り行きに任せる。おいおい、一体どこまで連れて行くんだ…。男ふたりと女がひとり、三人揃って走る姿は、ルルーシュの『突然炎のごとく』(1962)であり、ロベール・アンリコの『冒険者たち』(1967)そのものではないか!
その時、たまたまめぐり合わせた三人が、迷うことなく挑戦する。その様がなんとも心地良い。子どもたちの疾走を描いた先にあるのは、至って普通な大人たちの反応だ。子どもたちの周りで、至って普通な大人たちがオロオロした先で、素朴だけれど、人生を変えるようなひと言が飛び出し。あ、そうなのかと合点がいった。それが「ふつう」なのだ。子どもたちの日常にある普遍を導き出す編集が効いている。
新宿で『ふつうの子ども』を観終わった後、地元で信号待ちをしていると、道の向こうで子どもが飛び跳ねて手を振っていた。三歳手前の少女が隣に住む僕を見つけて喜んでいるのだ。子どもの健やかなまなざしを育てることは、環境問題の手前にある、最も大切なことに違いない。この一文を書かせてくれた、少女の飛びきりの笑顔に感謝を込めて。ありがとう!
「ふつう」の映画ではない「ふつうの子ども」
「ふつうの子供たち」の見事な肖像画
マンションのエレベーターに乗って下りる唯士の顔の存在感!その顔を極端な背景ぼかしとソフトフォーカス気味のアップでとらえたキャメラは、そのまますべるように、学校に向かって走り出す唯士とともに走りだし、そして陽光きらめくなか、あいさつをかわしながら追い抜いてくる女子の同級生をとらえます。まるで競走馬のように朝の光の中を走り抜けるこどもたちのその姿がなんともよい。この冒頭数分の映像の躍動感が、まずもって目を見張るほど素晴らしいと思いました。
ヴィムベンダース監督の確か「都会のアリス」でしたか、自転車に乗って移動するこども達をとらえたみずみずしい映像があって感銘を受けた記憶がありますが、それ以来の体験でした。そして、この子供特有の躍動感が、なんと冒頭から最後まで、転がるように途切れず、持続するのです。
なぜだろう?(以下ネタバレあり)
ただ可愛いだけ、天使みたいなあどけなさを強調するようなだけの演出だったら、多分こうならなかっただろうなと思いますが、この作品では子供の心の中にあるある意味ドロドロした側面もちゃんと見せていくのです。そして環境テロに至っては、それが自分たちの世代に害を及ぼす大人社会に対する信念のように見えて、実はそれぞれが抱える、子供らしく素直で切実な自身の問題に由来するものであることが、おとなたちとの会話のなかで、見えてくるに至って、「ふつうの子ども」の、生き生きとした生の姿の肖像が鮮明に浮き彫りになっているように思えました。
素晴らしい作品でした。
「普通」と『不通」が入り混じる
この映画での「ふつう」は、「普通」と「不通」の二つが入り混じっている。十歳の少年が同級生の少女を好きになる。きわめて「普通」だ。しかしその少女は他の少年が好きで少年の恋心は彼女には「不通」だ。
二人の少年と一人の少女三人で地球環境問題を考え実際に行動に移していく。最初はいたずらの範囲であったが、一人の少年と少女はさらにエスカレートしていく。残った少年は彼女を「好き」がまさって同調していき、ついに問題がおこる。
それでも少女は環境問題に貢献し大人に罰を与えていると信じ、もっと行動を続けると言う。しかし少年二人は徐々に引いていく。ここで少女と少年二人の思いは「不通」になる。学校でびくつく二人。逆に少女は堂々とした姿を変えない。
少女が環境問題について作文で発表するとき、環境の悪化は「大人のせい」を強調する。彼女は頑なに大人を「不通」扱いする。しかしそこには彼女の家庭環境がそうさせたことを呉美保はのちに明らかにする。
この映画の主役は子どもであるが、もう一方の主役は母親だ。問題をおこした一人の少年が母親に告白する。そこで子どもたちと三人の母親と担任の先生、校長先生と話し合うシーンが、子どもと母親の関係性を見事に描写している。
子どもは家庭環境をうつすこともあるし学校で別人になることもある。この話し合いで一人の子どもと母親が「普通」に接するが、他の二人の子どもと母親が「不通」であることが明らかになる。ここで主役は完全に母親になる。一人の少年は母親にしがみつき泣きじゃくり、母親は自分の子どものせいではないと強調する。特に少女の母親、瀧内公美と少年の母親、蒼井優の母親像は真逆である。前者は子どもを攻め、後者は子どもを見守る。
攻められる子どもは大人を攻める「普通」ではないか。見守ってくれる少年は「普通」にぼそぼそと理由を明かすことができる。ラストシーン、少女は少年に微笑み、言葉にせず口パクするが伝わらない。少女の顔は「普通」にうれしいという感情にあふれていた。
リアリティ以上のリアルな子供たちの演技
子どもたちの演技がとても素晴らしい。
どうしても騒動の中心にいる女の子の自然環境論理がグレタ並みに破綻しているのが気になり、作りごとの創作とはいってもイラついて仕方なかった。
実際に近くにいたら殴りたいw
逆に言えば、そのくらいヒロイン役の瑠璃ちゃんと、主人公の嶋田鉄太くんの演技が上手くて、ほんとに彼らが作中の悪戯をしでかしたと思い込みそうになるほどリアルでした。
また、なんでそんな子供に育ったのかがよくわかる、子供に対する親の態度を、脇を締める大人の実力派俳優たちが完璧に演じていて。
脚本的にも楽しかった。
ただ……
始まって2分で、画面酔いして吐きそうになりました。
子ども目線で、子どもの動きを追う意図はわかるが、全編手持ちカメラは、4DXより遥かに強く三半規管を直撃して船酔いみたいになりました。
要注意。
今も昔も変わらない、のかな?
しばらくこの映画くらいの子供と直接触れ合う機会がほとんどないので何が本当だかわからないが、もしこの映画が今の子供を正しく反映しているのだとしたら、世の中いろいろ変わっても本質的なところは変わっていないのだろう。
主役の男の子のはまり具合が最高。結構ストレートな子供たちに対し、親・先生はちょっとズレた俗物ばかりなのが印象的。まあ瀧内公美さんのズレっぷりはちょっとではないけれど。
セリフが聞き取りにくいところが何回かありちょっと引っかかった。自然な流れを重視したのかもしれないが、号泣や絶叫ならともかく普通の会話が聞きとれないのはどうなんでしょ。
その昔、映画より少しだけ上の子供だった頃、悪ふざけの度が過ぎて担任が激怒したことがあったけど、その後だいぶ経ってからその先生から謝られた。感情に流され怒りをぶつけたのは間違っているからということなんだけど、まあ100%悪いからこっちは全く気にしていなかったけどね。お元気だろうかI先生。
まあ今の時代ではそんなやり取りもありえんかな。
【”エコテロリズムの裏に秘めた恋心。”今作は小学生男女三人の過激な環境保護活動の陰に隠された夫々が抱える事情を、現代社会が抱える諸問題を寓話性を含ませて描いた逸品であり、名子役多数出演作でもある。】
■小学生のユイシ君は、子供の自主性を伸ばす教育に熱心なお母さん(蒼井優)の下で育つ、生きものと駄菓子が好きな普通の男の子である。クラスメイトには環境問題に高い意識を持つココアさんがいる。
或る日、作文を各自が発表する時間に、ココアさんは環境問題に無関心で、車を乗り回したりする大人達を、舌鋒鋭く批判する作文を毅然とした顔で読み上げる。その姿を見たユイシ君は彼女に惚れてしまい、直ぐに、”環境問題に高い意識を持つ”小学生に変身し、ココアさんに近づいていく。だが、どうもココアさんは、ヤンチャなチョイ、イケメンのハルト君が気になるようである。
三人は活動を開始する。
スーパーの駐車場に停めてある車のガラスに”車を使うな!”と新聞紙の切り抜き文字で作った紙を貼ったり、肉屋さんにロケット花火を打ち込んだり、果ては酪農家の牛舎の柵を取り外すのである。すると、牛が町に出て来てしまい、大騒動。
三人は保護者と共に担任の先生(風間俊介)とオッカナイ女性先生から呼び出しとなるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・大変に面白く、且つ寓話性に富んだ内容でありながら、小学生の男の子の淡い恋心を見事に描き出している作品である。
又、小さな名優多数登場作であり、特にユイシ君を演じた嶋田鉄太君とココアさんを演じた瑠璃さんは、凄かったなあ。アンナに自然な演技が出来る俳優さんって、大人でもそうそうはいないと思った程である。
・ユイシ君がココアさんの気を引くために、環境の本を彼女から借りたり、図書館でもわざとらしく咳をしながら、ちゃっかりと彼女の隣に座る姿は、とても可愛いのである。
・だが、ココアさんはまるで、グレタ・トゥーンべリさんの如く、背筋を伸ばし”キリッとした顔で”環境問題の本を読むのである。彼女の眼中でのユイシ君は、”只のエコテロリズムのメンバー”なのである。(涙)
そして、彼らの大人に対する攻撃は、何処か、誰かに同調して他者に圧力を駆ける現代の風潮を描いているような気がしたのである。
■だが、三人の行動はあっと言う間にバレて、保護者と共に担任の先生とオッカナイ女性先生から呼び出しとなるのであるが、このシーンが良かったのである。
1.ヤンチャなハルト君は、小さな姉弟を三人抱えたお母さんに抱き着くばかり。チョイ、情けない。そして、ナント!”首謀者はユイシ君”と主張するココアさんに同調するかの如く、彼の顔を見ずに指指すのである。お母さんは、”息子は首謀者じゃない。”というばかり。そんな彼を冷ややかな顔で見るココアさん。
だが、お母さんから”お兄ちゃん、お兄ちゃん。”と呼ばれる彼が、学校でヤンチャだった理由も分かるのである。お母さんに頼られ過ぎて、寂しかったんだよね。
2.ココアさんのお母さん(瀧内公美)が”キリッとした顔で”遅れて入って来る。お母さんは首にタトゥーが入っているキャリアウーマン風で、イキナリ”この子が首謀者でしょ!”と我が子を睨みつけるのである。そして”この子、昔は可愛かったんですよ!”と大きな声で皆に告げるのである。
成程なあ、ココアさんが激しく大人を糾弾していた理由が分かるシーンである。
それにしても、流石、瀧内公美さんである。抜群の存在感である。そして怖かったなあ。その脇で、ココアさんは固い表情で、英語で環境問題について涙を一粒流しながら話し続けるのである・・。
3.その時にユイシ君は、ハッキリした声で言うのである。
”僕がやりました。ココアちゃんが好きだから!”このシーンは沁みたなあ。そして私は思ったのである。”君は、立派だ。自分の非を認めない変な大人より、キチンと謝れる君は、余程立派だ!”とね。
更に、ココアさんのお母さんが”立派だねえ。”と大きな声で言うと、ユイシ君のお母さんは毅然として”少し、黙って!”とキツイ顔で、ココアさんのお母さんの顔を睨みつけるのである。
”瀧内公美VS蒼井優”シーンであり、蒼井優が優しくも息子を想う強き母である事を示しているシーンでもある。
・そして、皆は警察の事情聴取に行くのだが、ユイシ君は大好きな昆虫を見つけて、掌に載せていると、そこに昆虫には興味が無かった筈のココアさんが駆けて来て”その虫の名前は何ていうの?”と笑顔で問いかけ、更には声に出さずに、グレタ・トゥーンべリさんの如く”How dare you”と呟くのである。
<今作は、小学生男女三人の過激な環境保護活動の陰に隠された夫々が抱える事情を、現代社会が抱える諸問題を寓話性を含ませて描いた逸品であり、名子役多数出演作でもあるのである。
お見事です、呉美保監督。>
<2025年10月19日 刈谷日劇にて観賞>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■初めて、刈谷日劇に来場される方へ
<HPには記載されていない事です。>
1.HP記載の上映時間と共に、学校のチャイムの如き音が鳴り、劇場内は暗転し、一本だけ映画の予告編が流れ、映画泥棒が流れて、直ぐに本編が始まります。シネコンと違うので、お早目の到着をお願いいたします。
2.WCは待合室にはありません。スクリーン1も2も劇場内に入らないと行けません。
時折、いや、頻繁にスタッフの方に”WCは何処ですか?”と聞くお客さんがいらっしゃるので、ここも肝要です。因みに『刈谷日劇』が入っているビル内にもありません。
3.飲料販売機はありますが、ポップコーンはありません。パンフレットはあったりなかったりです。基本的にセカンド上映で良作を上映してくれる映画館ですから。
■西三河に一軒だけある歴史70年を超すミニシアター『刈谷日劇』は、残念乍ら年内で閉館されるそうです。それまでに一度来館されては、如何でしょうか?
名古屋からでも、豊橋からでも刈谷駅乗り換えで、結構早く来れますよ。
子供たちの宇宙
公開最終日に滑り込んで観賞。
そもそもは「人間のクズ」がいっぱい出てくるドラマが好きなんだけど、今回は逆。
なんだか、どこか歪んでたり打算的だったりもするけど、自分なりにそこには「そうありたい」という前向き思いがあったりもする。
(この先、多少のネタバレが入りますのでご注意下さい。)
まずは主人公の男の子唯士を演じた、嶋田鉄太くん。
もうこの子の佇まいや表情がものすごく良い。時々、くたびれた中年サラリーマンにも見えてくる。そんな広がりのある演技だった。
そして、唯士と3人組となる環境活動の女の子、心愛と、最後まで勝手なあの男の子、陽斗とは別に、主人公と駄菓子屋デートをするあの女の子、メイ役の長峰くみちゃん。
もう、あの子はなに?(笑)
あれ、全部監督の演技指導なの?
というくらい、可愛らしくて魅力的で、でも切なくもあった。(レゼだったら「心臓もらっちゃう」なのに、メイちゃんだとああなるんだね。)
基本的にはずっとコミカルに話は進む。
前半は「子供たちの宇宙」の中での話だったものが、どんどんエスカレートして大人を巻き込んだ現実社会に侵食していき、ある一線を越えたところで、大人達と対峙しなくてはならなくなる。
「小学生」という世代を考えれば、本来親を呼ばれて散々説教されて「はい、おしまい」となるところが、まったく怯まない瑠璃、話にならない陽斗、そして、ちゃんと正直に答える唯士。
あのシーンは泣けた。
だって、ホントに唯士は結局他の2人に振り回される形で活動に巻き込まれていったワケだし。
そこでカッコ付けずにちゃんと自分の気持ちを自分の言葉で唯士が語った時、母親役の蒼井優に「お母さん、あなたの教育は正しかったよ!」と言いたくなった。
加えて、それぞれの親にはそれぞれの思惑や教育方針がある。別に、誰が間違ってるということもない。
そしてラスト、コントロールできないレベルに広がった「子供たちの宇宙」は、またもとの規模に収束し、唯士たちは少しだけ成長して、またその世界に戻っていく。
映画を観ていて、「この物語はどこにいくんだろう」という感じの楽しさがある。
基本的にはコメディなので、何か怖い事が起きるワケではないはずのに、じんわりホッコリ子供たちの生活と平行して、裏にピリッとした危うさも含んでいるのがすごく楽しかった。
これは観ておいてよかった。
導火線
ランドセル背負って帰り道爆走していた頃がもう何年も前…時の流れが早すぎて残酷だなぁと思う今日この頃です。
公開から時間が経っていたので観に行けるかなーと思っていましたが、良い具合に時間が噛み合ったので鑑賞。
てっきり子どもたちの遊びの延長線での出来事かなと思っていたら、ガッツリ迷惑をかけまくるというエッジの効いた作りになっており、主人公の原動力のひとつに好きな子のためというのがあると思うんですが、そのパワーがMAXまで溜まるとこうなるのか…と画面内での出来事にやられっぱなしでした。
導入されていた事自体は知っていましたが、今の小学校にはiPad的なやつが導入されている絵面はやはりインパクトがありました。
何かを検索する時なんてパソコン室でカチャカチャ調べるのが超ワクワクしたなーとか思っていたのに、今は手元でサクッと調べれるようになっているのはジェネレーションギャップを感じるなと思いました。
そこから主人公が惹かれる女の子がめちゃくちゃ活動家のような発言を連発していくので中々にドン引きし、先生に対しても真っ向から口論していくスタイルなので、この子のどこを好きになったんだ?とまず疑問に思ってしまいましたが、キケンな女の子に惹かれちゃうってのがこの年頃にはあるのかな?と思ってなんとか飲み込みました。
10歳でここまで意識を高く持つってのは中々出来ないなとは思うんですが、それを広めるのではなく、怒りにして攻撃しまくるのは今も未来も相当危ないんじゃ?と思ってしまいました。
これだけ言うなら車とか絶対使うなよ?と思いましたが、その辺の描写は自転車爆走のみだったのでなんとも。
肉も食べずに避けているんですが、それもフードロスに繋がってるよな…でも目の前の事しか見えてない感じだな…とモヤモヤ。
主人公がなんとか気を引こうとして環境の勉強をしたり、通ってる図書館に行ってみたり、本を貸してもらえた時はめっちゃ嬉しそうだったりと、子供らしさ全開でニヤニヤしっぱなしでした。
正直こういうテイストをずっと求めていたので、活動家パートはあまり好きではないです…。
一種の勉強の様に観ていました。
そこからクラスのやんちゃ坊主(落ち着きのなさはかなり気になる)と活動家ガールと主人公で、車や服屋に張り紙を貼ってみたり、ハリボテを設置したり、ロケット花火を店に向かって撃ってみたりと、かなり過激な行動に出ていくのでヒヤヒヤしながら観ていました。
やってる事は絶対にアカンことなんですが、当人たちにまったく罪の意識なんかは無く、自分たちが変えてやってるという意識の元動いているので純粋無垢な悪の様で怖かったです。
最終的には牛のいる厩舎の鍵をぶっ壊して牛が脱走して学校に入ってきたり、交通事故が起こってしまったりとで大ごとになっていてもう肝が冷えまくりでした。
やっとこさ悪事がバレて親御さんと子供と先生たちでの会議が行われるんですが、これまた肝を冷やす展開になっており、なぜか家族総出できたやんちゃ坊主のお母さんは保身に走りまくるし、やんちゃ坊主は泣いて逃げようとするしでタチが悪いですし、活動家ガールは相変わらず自分の言ってることを曲げないし、罪をなすりつけようとするし、と思ったら母親がエグいくらい脅しをかましてきて小便ちびりそうでした。
瀧内さん凄すぎるけど怖すぎました。
ただ脅しパートがコントの域に入ってしまってちょっと笑ってしまいました。
会議シーンの閉塞感ったらありまくりなんですが、そこから解放された後の活動家ガールのなんの反省の無さも嫌でしたが、主人公がキョトンとしながら終わっていったは面白かったです。
子役の子達が本当に素晴らしくて、ありのままでありながらもフィクションとノンフィクションの境目をいく絶妙な感じだったのも最高でした。
ぜひ今後の作品でも追いかけていきたい存在です。
トータル苦手寄りではあるんですが、ふつうがどれだけ大変なのかとか親御さんの気苦労とか、ある程度歳を重ねたからこそ分かるものもあるなと思いました。
鑑賞日 10/9
鑑賞時間 17:15〜18:55
よかった。
ライトで観やすい作品ながら深い話
小学校のクラスにグレタ・トゥンベリーさんがいたら!
そんなところから始まる本作。
日々平凡に暮らしていた小学生の上田君はある日
同じクラスの三宅さんが作文で環境問題に言及し、
先生にも臆せず自分の意見を口にする姿に衝撃を受け
それ以来三宅さんのことが気になって仕方ない。
ところが三宅さんはクラスの乱暴者の橋本君が気になる様子。
三宅さんと橋本君が接近するのを阻もうと、
何とか二人の間に割り込む上田君。(めっちゃかわいい!)
いつしか三人の環境保護活動は思わぬ方向に走り出してしまう〜〜
笑える映画でしたね!
子供らしい表情の一方で最近の子供ってしっかりしてんな〜〜
な部分とが行ったり来たりで観ている間中、ニタニタしてしまった。
教育問題といえば大袈裟だけど、
子供を取り巻く世界のことを、危うさや、新しい時代の価値観を
真剣に考えさせられる作品でした。
ぜひ、劇場で!!
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
呉美保監督の「そこのみにて光輝く」と「きみはいい子」が
高評価なのは知っていましたが、内容が辛そうで未見でした。
今回の作品は比較的ライトな予告編だったので鑑賞してきました。
母親が子供の自己肯定感を損なわない様に努力してきた結果、
比較的のびのびと育って来ている主人公の上田君。
上田君に影響を与える三宅さんや乱暴者の橋本君も
実はその家庭の中では色々あって、
それが学校ではこういう形になって噴出している事が
後半分かってくると「ああ、みんな大変!!」
唸ったのは子供ファンタジーとして終わらせるのではなく、
ちゃんと、現実の社会として「けり」をつける終盤の展開は見事だと思う。
ファンタジーにしてしまうと、大抵のことが
「まあ、そうでしょう〜な〜」で終わってしまって
ちょっと思考停止っぽくなってしまうのは私はあんまり好きではない。
私は昭和の生まれで、この映画の子供達は年齢的には
孫と言って良い年頃なので
この映画、孫のいるジージ、バーバにこそ観て欲しいかも〜〜。
自分たちの時代と違って、今の子育ては
全方向的に色々と大変なんだと理解してあげて欲しい。
昭和の経験はあんまり役に立たない時代になってることを
頭の隅に置いて、大らかに孫と親達を
見守ってあげて欲しいと思ったりしました。
小学生の頃を思い出した。
観ている間、とくに授業中なんかは自分がそのクラスの一人であるような不思議な感覚に陥った。そうだよね、自分が6年間通った生活がスクリーンに映ってるんだから。いたいた、あんなやつ。興味も無いのに好きな子の趣味とか一緒にやってみたり。ヤンチャな子なんか、卒業式でめちゃくちゃ泣いてたり。あのお母さんが学校に呼ばれたシーンは同じ経験あるな。広場で石投げて遊んでたら塀を越えて隣のお店のガラス割っちゃってあんな感じだった。3人居たけど結局割ったのは誰なんですか〜、みたいな・・・
あの頃の感情って今考えると本当に純粋でしたね。好意を持ってる人と行動したり真似したり悲しんでたら自分も悲しくなっちゃったり。そんな小学校時代に戻れる作品でしたね。
最後のシーンの大逆転。好きだな〜
タトゥーとココアとグレタさん
現代版『禁じられた遊び』
1.はじめに呉美保監督との相性:
1977年三重県伊賀市生れの呉美保監督の長編劇場映画は、本作を含め5本が劇場公開されている。内、下記①を除く全作をリアルタイムで観ていて、マイ評点は下記の通り。全体の相性は「上~中」。
①2006年 酒井家のしあわせ 2006.12公開 ★未鑑賞
②2010年 オカンの嫁入り ★2010.09鑑賞60点
③2014年 そこのみにて光輝く ★2014.05鑑賞 80点
④2015年 きみはいい子 ★2015.06鑑賞 100点
⑤2024年 ぼくが生きてる、ふたつの世界 ★2024.09鑑賞70点
⑥2025年 ふつうの子ども ★2025.09鑑賞95点
2.マイレビュー
❶相性:上。
★現代版『禁じられた遊び』
➋時代:現代。
❸舞台:特定されないが関東の地方都市。ロケ地は国立市、湘南学園小学校(藤沢市)。
❹主な登場人物
①上田唯士(ゆいし)(嶋田鉄太、10歳):10才の小学4年生。両親と三人家族。ふつうの男の子。最近、同じクラスの心愛が気になって、彼女に近づこうと頑張る。環境3人組を結成。
②三宅心愛(ここあ)(瑠璃、11歳):10才の小学4年生。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(2003生れ。16歳の時、国連気候行動サミットで演説。)に感化を受け、カーボンニュートラル等の環境問題に対する強い危機意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる。心愛は陽斗に惹かれている。環境3人組を結成。
③橋本陽斗(はると)(味元耀大、12歳):10才の小学4年生。クラスのちょっぴり問題児のお調子者。環境3人組を結成。
④浅井裕介(風間俊介、41歳):クラスの担任教師。熱心だが、子供たちの本音を正面から受け止められない。
⑤上田恵子(蒼井優、39歳):唯士の母。息子を信じてよく会話するが、本音はつかめていない。
⑥三宅冬(瀧内公美、35歳):心愛の母。独善的な合理主義者。娘に寄り添うことが出来ない。
⑦その他:陽斗の母(浅野千鶴)、唯士の父(少路勇介)、唯士の遊び友だち(大熊大貴)、唯士に恋心を抱くクラスメイト(長峰くみ)。校長先生(金谷真由美)等。
❺概要
①唯士は、友だちと昆虫を捕まえるのが楽しみな普通の子どもだった。
②学校で、心愛の環境問題の作文発表を聞いた唯士は、恋に落ち、環境の勉強をして心愛にアプローチする。
③でも、心愛の意中の人は、陽斗だった。
④心愛、唯士、陽斗の3人は、環境グループのメンバーとなり、集まって相談し、工場排水やゴミ問題について調べ、周辺へのアクションを開始する。
⑤最初は、環境に悪いとされる肉を食べないことから始め、町中に環境に関するビラを貼ったり、肉屋に向けてロケット花火を飛ばしたりとエスカレートしていく。そして、とうとう牧場の鍵を壊して、酪農の牛を逃がして、被害が出る事件になってしまう。
⑥校長先生は、全校生徒に事件の重要性を説明する。
⑦犯行が判明した3人の親が呼び出されて三者面談となる。そこで、親子の関係が分かってくる。3人の信頼関係に亀裂が生じる。
⑧子供たちの純粋な行動が、大人の社会のルールの中で危険な結果に繋がることになってしまったのだ。大人の社会に翻弄される子どもたちの姿がリアルに描かれていた。
⑨本作では明示されていないが、3人と保護者が何らかの処罰を受けることは間違いないと思われる。
❻考察とまとめ
①本作は、現代の環境問題を背景に、子どもたちの視点から世界をどのように見ているのかを描き出したドラマ。
②3人の環境活動は、大人が見過ごしている不都合な真実を暴き、SNSを通じて拡散される。大人たちは子供たちの行動を褒めるが、問題が大きくなると態度を変えていく。
③リーダーの心愛の環境意識は、純粋な正義感から始まったが、途中から世間の注目を浴びることに変わっていく。だから、犯罪に関わることも止めようとはしない。
④引きずられてしまう性格の唯士は、心愛への興味と、陽斗への対抗心のため、途中で止めることが出来ない。
⑤学校でも家でも安心できる居場所を得られない不安を解消するために始めた陽斗も、途中で止めることが出来ない。
⑥心愛の行動は、母親との歪な関係にあることが分かってくる。
⑦3人の中では、唯士だけが、親子の会話があるが、本音の対話は出来ていない。
⑧母親や父親、教師、校長。本作には色んな大人が登場する。彼らは子供たちが環境問題に関心を持ち行動をを起こしたことを知っても、理解しただけに留まっている。
⑨でも、実際に必要なのは、「大人の責任は何か?」、「解決のため、個人が出来ること、やらねばならぬことは何か?」等を一緒に考えていくことである。本作の大人たち全員に欠けていたことである。
⑩本作は、このことを子供たちの視線を通して訴えている。
⑪心愛、唯士、陽斗の3人は、今回の事件を通じて明らかに成長した。一方の大人たちは、今後責任ある行動
を取るようになるとは思えない。
★家庭でも、学校でも、会社・社会でも、必要なのは、上記⑨だと思う。
⑫本作を観ていて、子供の視線で描いた反戦映画の金字塔、ルネ・クレマンの『禁じられた遊び(1952)』を連想した。
★『禁じられた遊び』は、ドイツ軍の攻撃で戦争孤児になった5歳の少女と、10歳の農家の少年が、死んだ子犬等を埋葬して、立てる十字架を教会等から盗みだす話。歴史の残る傑作とは比べ物にならないが、子供たちの純真な行為が、大人社会では犯罪になるという意味で共通点がある。
⑬環境問題とは無関係だが、11才の男子2人と女子1人が、大人世界を翻弄するラブコメ『小さな恋のメロディ(1971英)』とも共通点がある。
★私には11歳の孫がいるので、本作を含むこれ等の作品が身近に感じられた。
「よくもそんなことができますね‼」
恋からはじまる環境問題に目覚めた男の子。そう言えば聞こえがいいが、所詮小学生。女の子に気に入られたい一心で、彼女の主張に同調し、彼女の活動を支援し、さも「出来る子供」としての優越感に浸る。でも、意志が弱い。自信がない。ボロがでる。それでいいじゃない、小学生だもの。むしろ可愛くって仕方がない。
そして痛快なのは、ませた子供を描きながら、確実に的確に強烈にグレタ・トゥーンベリを茶化している。ご丁寧に彼女に似せた子役を使って。ただそこまでなら尻つぼみなのだが、終盤、各親が出てきて、子供の世界と大人の世界の距離を一気に詰める。校長先生と担任だけだった(分別ある)大人との接点が、友達の親が登場することによって世間の多種多様な価値観をまざまざと見せつける。そしてああこの親にしてこの子あり、と思わせる妙。結婚をするならその子の親を見ろ、とは若い頃によく言われたものだが、その言葉の深意を理解するには格好の面談の場であった。
とにかく風刺、皮肉が効きすぎてて、苦笑いの連続だった。
最高に情けなく最高にカッコイイ告白
演技陣も脚本も演出もベスト。特に最後の3段階の展開には圧倒された。①裁く側が一挙に被告側になってしまう展開。観ている我々(=被告側)は、口をぱくぱくするしかない。②最高に情けなく最高にカッコイイ告白。泣けます。 ③キメ台詞。あの言葉をここで、この表情で、使いますか!完敗です。脱帽です。あまりに良かったので、再度観に行ってさらに感動して帰ってきました。
全121件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。