ふつうの子どものレビュー・感想・評価
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なんてすばらしい子役たち
どこからこんな味のある子どもたちを見つけてきたのだ。特に主役の子どもが最高だ。と思ってたら、呉監督の前作「ぼくが生きてる、ふたつの世界」にも出演していた。
でも最後には瀧内公美が全て持っていった。なんという強烈なインパクト。でも、実際ああいう人いるよね、と思わせる絶妙な存在感があった。
物語は環境問題への意識から子どもたちが街で、啓発活動をするのだが、子どもの発想だからそれはいたずらじみていて、しかし次第にエスカレートしていき騒動へと発展していくというもの。子どもじみたいたずらだったとしても、彼らはきちんと地球の未来を考えている。時に恋心で揺らいでしまうのもリアル。そして、何かを達成した、注目されたという高揚感に心が囚われてしまうと周囲が見えなくなることの危うさも描かれていた。
大人はこの子たちの声に耳を傾けているだろうか、責任を取っているだろうか。大人はこの子たちのことを叱る資格があるだろうか。そんなことを痛烈に突きつけつつも、笑いの絶えない96分だった。
前提ではなく、結果が生み出す群像劇。
呉美保監督の『ふつうの子ども』を観た。
『そこのみにて光輝く』(2014)はもちろん観ているが、『きみはいい子』(2015)は未見だ。『酒井家のしあわせ』(2006)、『おかんの嫁入り』(2010)は当然観ていて、今改めて彼女は家族を描き続けきたのだなぁと感慨ひとしきり。ひとりの人物にフォーカスすることは、その傍らに居る人たちを描くことになる。だから豊かな群像劇になる。それは前提ではなく結果だ。
『ふつうの子ども』の最大の成果は撮影にある。背景を飛ばし、ソフトフォーカスな映像で子どもたちの「顔」を映し出す。まるで往年のハリウッドのスターを映し出すかのようなその絵に驚嘆した。
細かいことを突き詰めていくと、日常=つまり「普通」の描写は成立しなくなる。そんなことはとっくに分かっているとばかりに、監督は敢えて彼らを暴走させる。というか、成り行きに任せる。おいおい、一体どこまで連れて行くんだ…。男ふたりと女がひとり、三人揃って走る姿は、ルルーシュの『突然炎のごとく』(1962)であり、ロベール・アンリコの『冒険者たち』(1967)そのものではないか!
その時、たまたまめぐり合わせた三人が、迷うことなく挑戦する。その様がなんとも心地良い。子どもたちの疾走を描いた先にあるのは、至って普通な大人たちの反応だ。子どもたちの周りで、至って普通な大人たちがオロオロした先で、素朴だけれど、人生を変えるようなひと言が飛び出し。あ、そうなのかと合点がいった。それが「ふつう」なのだ。子どもたちの日常にある普遍を導き出す編集が効いている。
新宿で『ふつうの子ども』を観終わった後、地元で信号待ちをしていると、道の向こうで子どもが飛び跳ねて手を振っていた。三歳手前の少女が隣に住む僕を見つけて喜んでいるのだ。子どもの健やかなまなざしを育てることは、環境問題の手前にある、最も大切なことに違いない。この一文を書かせてくれた、少女の飛びきりの笑顔に感謝を込めて。ありがとう!
タトゥーとココアとグレタさん
現代版『禁じられた遊び』
1.はじめに呉美保監督との相性:
1977年三重県伊賀市生れの呉美保監督の長編劇場映画は、本作を含め5本が劇場公開されている。内、下記①を除く全作をリアルタイムで観ていて、マイ評点は下記の通り。全体の相性は「上~中」。
①2006年 酒井家のしあわせ 2006.12公開 ★未鑑賞
②2010年 オカンの嫁入り ★2010.09鑑賞60点
③2014年 そこのみにて光輝く ★2014.05鑑賞 80点
④2015年 きみはいい子 ★2015.06鑑賞 100点
⑤2024年 ぼくが生きてる、ふたつの世界 ★2024.09鑑賞70点
⑥2025年 ふつうの子ども ★2025.09鑑賞95点
2.マイレビュー
❶相性:上。
★現代版『禁じられた遊び』
➋時代:現代。
❸舞台:特定されないが関東の地方都市。ロケ地は国立市、湘南学園小学校(藤沢市)。
❹主な登場人物
①上田唯士(ゆいし)(嶋田鉄太、10歳):10才の小学4年生。両親と三人家族。ふつうの男の子。最近、同じクラスの心愛が気になって、彼女に近づこうと頑張る。環境3人組を結成。
②三宅心愛(ここあ)(瑠璃、11歳):10才の小学4年生。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(2003生れ。16歳の時、国連気候行動サミットで演説。)に感化を受け、カーボンニュートラル等の環境問題に対する強い危機意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる。心愛は陽斗に惹かれている。環境3人組を結成。
③橋本陽斗(はると)(味元耀大、12歳):10才の小学4年生。クラスのちょっぴり問題児のお調子者。環境3人組を結成。
④浅井裕介(風間俊介、41歳):クラスの担任教師。熱心だが、子供たちの本音を正面から受け止められない。
⑤上田恵子(蒼井優、39歳):唯士の母。息子を信じてよく会話するが、本音はつかめていない。
⑥三宅冬(瀧内公美、35歳):心愛の母。独善的な合理主義者。娘に寄り添うことが出来ない。
⑦その他:陽斗の母(浅野千鶴)、唯士の父(少路勇介)、唯士の遊び友だち(大熊大貴)、唯士に恋心を抱くクラスメイト(長峰くみ)。校長先生(金谷真由美)等。
❺概要
①唯士は、友だちと昆虫を捕まえるのが楽しみな普通の子どもだった。
②学校で、心愛の環境問題の作文発表を聞いた唯士は、恋に落ち、環境の勉強をして心愛にアプローチする。
③でも、心愛の意中の人は、陽斗だった。
④心愛、唯士、陽斗の3人は、環境グループのメンバーとなり、集まって相談し、工場排水やゴミ問題について調べ、周辺へのアクションを開始する。
⑤最初は、環境に悪いとされる肉を食べないことから始め、町中に環境に関するビラを貼ったり、肉屋に向けてロケット花火を飛ばしたりとエスカレートしていく。そして、とうとう牧場の鍵を壊して、酪農の牛を逃がして、被害が出る事件になってしまう。
⑥校長先生は、全校生徒に事件の重要性を説明する。
⑦犯行が判明した3人の親が呼び出されて三者面談となる。そこで、親子の関係が分かってくる。3人の信頼関係に亀裂が生じる。
⑧子供たちの純粋な行動が、大人の社会のルールの中で危険な結果に繋がることになってしまったのだ。大人の社会に翻弄される子どもたちの姿がリアルに描かれていた。
⑨本作では明示されていないが、3人と保護者が何らかの処罰を受けることは間違いないと思われる。
❻考察とまとめ
①本作は、現代の環境問題を背景に、子どもたちの視点から世界をどのように見ているのかを描き出したドラマ。
②3人の環境活動は、大人が見過ごしている不都合な真実を暴き、SNSを通じて拡散される。大人たちは子供たちの行動を褒めるが、問題が大きくなると態度を変えていく。
③リーダーの心愛の環境意識は、純粋な正義感から始まったが、途中から世間の注目を浴びることに変わっていく。だから、犯罪に関わることも止めようとはしない。
④引きずられてしまう性格の唯士は、心愛への興味と、陽斗への対抗心のため、途中で止めることが出来ない。
⑤学校でも家でも安心できる居場所を得られない不安を解消するために始めた陽斗も、途中で止めることが出来ない。
⑥心愛の行動は、母親との歪な関係にあることが分かってくる。
⑦3人の中では、唯士だけが、親子の会話があるが、本音の対話は出来ていない。
⑧母親や父親、教師、校長。本作には色んな大人が登場する。彼らは子供たちが環境問題に関心を持ち行動をを起こしたことを知っても、理解しただけに留まっている。
⑨でも、実際に必要なのは、「大人の責任は何か?」、「解決のため、個人が出来ること、やらねばならぬことは何か?」等を一緒に考えていくことである。本作の大人たち全員に欠けていたことである。
⑩本作は、このことを子供たちの視線を通して訴えている。
⑪心愛、唯士、陽斗の3人は、今回の事件を通じて明らかに成長した。一方の大人たちは、今後責任ある行動
を取るようになるとは思えない。
★家庭でも、学校でも、会社・社会でも、必要なのは、上記⑨だと思う。
⑫本作を観ていて、子供の視線で描いた反戦映画の金字塔、ルネ・クレマンの『禁じられた遊び(1952)』を連想した。
★『禁じられた遊び』は、ドイツ軍の攻撃で戦争孤児になった5歳の少女と、10歳の農家の少年が、死んだ子犬等を埋葬して、立てる十字架を教会等から盗みだす話。歴史の残る傑作とは比べ物にならないが、子供たちの純真な行為が、大人社会では犯罪になるという意味で共通点がある。
⑬環境問題とは無関係だが、11才の男子2人と女子1人が、大人世界を翻弄するラブコメ『小さな恋のメロディ(1971英)』とも共通点がある。
★私には11歳の孫がいるので、本作を含むこれ等の作品が身近に感じられた。
「よくもそんなことができますね‼」
恋からはじまる環境問題に目覚めた男の子。そう言えば聞こえがいいが、所詮小学生。女の子に気に入られたい一心で、彼女の主張に同調し、彼女の活動を支援し、さも「出来る子供」としての優越感に浸る。でも、意志が弱い。自信がない。ボロがでる。それでいいじゃない、小学生だもの。むしろ可愛くって仕方がない。
そして痛快なのは、ませた子供を描きながら、確実に的確に強烈にグレタ・トゥーンベリを茶化している。ご丁寧に彼女に似せた子役を使って。ただそこまでなら尻つぼみなのだが、終盤、各親が出てきて、子供の世界と大人の世界の距離を一気に詰める。校長先生と担任だけだった(分別ある)大人との接点が、友達の親が登場することによって世間の多種多様な価値観をまざまざと見せつける。そしてああこの親にしてこの子あり、と思わせる妙。結婚をするならその子の親を見ろ、とは若い頃によく言われたものだが、その言葉の深意を理解するには格好の面談の場であった。
とにかく風刺、皮肉が効きすぎてて、苦笑いの連続だった。
最高に情けなく最高にカッコイイ告白
演技陣も脚本も演出もベスト。特に最後の3段階の展開には圧倒された。①裁く側が一挙に被告側になってしまう展開。観ている我々(=被告側)は、口をぱくぱくするしかない。②最高に情けなく最高にカッコイイ告白。泣けます。 ③キメ台詞。あの言葉をここで、この表情で、使いますか!完敗です。脱帽です。あまりに良かったので、再度観に行ってさらに感動して帰ってきました。
子どもたちの「無駄な動き」が素晴らしい!
子どもたちの世界を描く作品は映画にせよドラマにせよ無数にある。なるべく子どもを子どもらしく見せたいとどの演出家も考えるだろう。でも、やはり脚本がある限りどうしても子どもの演技に制約をかけてしまう。だから、あ〜大人に言われてあの様に演じているんだろうなという風に見えてしまう。
この作品ではまず主役の唯士を演じる嶋田鉄太君のボケっぷりが素晴らしい。この作品は彼のどアップで始まる。実に何も考えてなさそうで素晴らしい。後も徹頭徹尾、無表情というか顔の演技は最小限で、身体の動き全体で感情表現する。新米のママを演じる蒼井優とのコンビも絶妙。
残念ながら唯士以外の主役2名は、役柄自体が類型的でそこまでの魅力はない。
ただ、そこをカバーしても余りあるのがほかの子どもたち。学校でも公園でもじっと眺めていればよく分かるが、子どもというものは始終動いていてかつ全体の3割ぐらいは無駄な動きをしている。この作品では子供たちの動きを制約せず無駄な動きはそのまま残すことによってチャーミングである。
中でも、虫好きのメガネの少年(役名忘れた)と、メイちゃん(長峰くみという子役らしい)が素晴らしい。特に、メイちゃんは、歩く→無駄な動作→止まる→無駄な動作→しゃべる→無駄な動作、というように、生命活動のほぼすべてに無駄な動きが付随する。彼女をみるだけでもこの映画を鑑賞する意義がある。
まんま、小学生
ふつうの子どものリアルが表現された傑作
知らない子役の小学生の映画なのにエンタメとしてクオリティ高すぎました。実際、観客から笑いが起こるなど反応もよかった。
基本、ちょっとアホだけど一所懸命な小学生がコミカルに可愛く撮れてるので安心して観られる良作。
ウチの息子くんが小五の時に参加した、地元の子どもによる創作演劇を観に行ったことがある。10人くらいにグループ分けされた4グループによる公演。親なら経験あると思うけど、子どもの発表会って、我が子をみるのに精一杯で、よその子にはあまり関心がいかないものだ。
ところが子どもによる創作演劇は、子どもの妄想が爆発したような台本をベースにお話が進み、セリフがいちいち子どもらしいリアリティがあり、息子くんが絡んでないグループの演目もとても面白く観劇できた。ボク以外の親たちも同様な様子だった。
ちなみにウチの息子くんは、相方の子どもが海釣りがうまくいかず、怒って海に釣竿を投げすてるところ、肩を叩き「SDGsだぞ」と妙に落ち着いた口調で諌める芝居で親たちの爆笑をさらっていた。子どもにとって「SDGs」は、いじりたくなるネタらしい。
本作の主役は小学生。手持ちカメラで話が進み、演技みてるのかドキュメンタリー観てるのかわからなくなる。
子どものリアルが表現されており、前述の創作演劇の面白みに近いものを感じた。それほど、本作内の子どもたちのやりとりに本物感があった。
ただし、リアリティ優先のため、子役たちが何喋ってるか聞き取り辛いところ多数。いいんです、どうせ小学生の戯言よ、と広い心で観るのが正しい見方か。
主役の子役が、困り顔の人生何周目?みたいなおじさんみたいなキャラでこんな子、どこから連れてきたのかと思わされる。もちろんいい意味で。
暴れん坊の男の子も、実はああいう子は他の子より精神的な成長が早いため、周りが幼稚に見えて攻撃的になる、というのは小学生あるあるでリアリティがあった。
細かい設定がしっかりしているため、子どもがいる親なら自分の子どもが小学生だった頃を思い出してめちゃくちゃ楽しめると思う。
まだ子どもがいらっしゃらない方も、瀧内公美さんが大爆笑とってましたのでお楽しみに。急に「入国審査」ばりの尋問サイコサスペンスにする怪演かましてくれます。
👉実をいうと3人の親の対応で、一番共感できた。子どもの自立を尊重する子育てなんで。あの女の子はしっかり育つ。
ラストは聞こえ辛い小学生のセリフを逆手にとった演出でそうくるか!と心の中で拍手👏
牛
もっと話題になっても良い
全く存じ上げない子役たちが主人公の映画だったが、とても面白かった。小学生たちの演技が自然すぎて、かつ子ども目線で撮るカメラワークも相まって、ドキュメンタリーを観ている感覚になった。
ストーリーは予想外の方向に進んでいき、ふつうの子どもって結局何なんだろうかという気持ちになったが、ラストの親子と先生の面談がこの作品の肝のように感じた。
やらかしたことに対して、その受け止め方はこんなにも違うのかとモヤモヤした気持ちになり、結局親が親なら子も子なのかと考えさせられた。そして、面談シーンのベテラン俳優たちの演技合戦も素晴らしく、エンドロールまで工夫が施されていた点もとても良かったです。
惜しいPart1
レビューの高得点に釣られて、どうせまた騙されたってなるんだろうなと覚悟しつつ、行きました😅
退屈とまではいかないけど、前半があまり響くものがなくて、後半で一気に盛り返した感じだけに、ちょっともったいないなって思いました😒
いかにも天才子役ばっかりだと、リアリティがなくなって興ざめすることもありますが、いい塩梅のそこらにどこにでもいそうな子供達ばかりなのが、リアリティがあって良かったですね☺️
後は毒親あってのこの子ありだなって、改めて思います😌
少子化対策に必要なのは、子育て支援も一理ありますが、一番大切なのは、親になるための資格を取得するべくの大人を教育する学校なんだよなと、自分は、常々、思っています😁
子供たちへの演出力はマジックのよう
冒頭、主役の男の子の顔をアップで捉えた長回しショットだけで、写し取った表情や仕草から、男の子のキャラクターが浮かび上がる。その後の作文発表のシーンでは、発表者や作文の内容だけでなく、教室内の子供たちのリアクションのナチュラルさに驚く。
カメラの存在を全く感じさせない子供たちの演技をどうやって引き出したのか。呉美保監督の子供たちへの演出力はマジックのよう。
主人公は環境問題に意識の高い同級生の女の子に魅かれ、いじめっ子の男の子も加わった3人で、悪戯のように抗議活動を始める。作中にも出てくるグレタ・トゥンベリや「環境テロ」に着想したのは明らかだが、段々とエスカレートしていくさまは、それらを揶揄しようとしているように見えて、結構際どいところ。
しかし、事が明らかになった後の保護者が揃ったシーンで、女の子が環境問題にのめり込んだ本当の動機らしきものが分かる。ここでの瀧内公美の毒親ぶりが上手くて凄い。そして主人公も本当の動機を涙ながらに話す。ハンカチを渡そうとする母親の手を払いのける姿には、グッときた。誰かの子供から一人の人間になる瞬間を見たような…
もっとシリアスになり得る題材ながら、自然光を生かした柔らかな色調で、コミカルタッチをベースに描いているので、後味は良い。エンドロールの子供たちの顔写真や優しい音楽も良い。
メインの子供3人それぞれ持ち味があって良かったが、主役の男の子に好意を抱いているらしい女の子のコミカルさが微笑ましかった。
主役の存在感がすごい
ふらっと映画館に行ったとき上映時間がたまたまあっていた「ふつうの子ども」を観ました。
全くどんな映画か分からず観初めましたが、主役の何とも言えない顔のアップから始まり、主役の何とも言えない顔のアップで映画が終わります。
終始既視感のある場面で、大人が観ると自分の幼少期を想起させるような内容でした。
始めは主人公の唯士が作文を読むシーン。自宅で母の恵子に「お腹が空いたらご飯を食べる」や「うんち」のことなどふつうの日常を書いた作文を褒めてもらうも、担任の浅井先生には「ふざけるのと自由は違う」と言われてしまい、しばらく俯いて落ち込んでいた。ここにすでに、大人に振り回されて傷つく子どもが描かれています。
唯士は自分の作文とは似ても似つかない環境問題を取り上げたヒロイン心愛の発表を聞き、恋に落ちてしまうのですが、そのアプローチの仕方がなんとも子どもらしい。知ったかぶりや、昔クラスにいたよな〜と思わせる小さな仕草がとても可愛く、微笑ましい気持ちにさせられました。
しかし心愛はクラスの悪ガキ的存在である陽斗に気があるようで、唯士はそれを好ましく思っていない。そんな時の唯士の表情や仕草がたまらなく応援したくなる。
すごくマニアックかもしれませんが、個人的に唯士が春巻きを食べるシーンが大好きです。
「肉は環境に悪いから食べない」と言った唯士に、母は春巻きに肉を入れて食べさせようとする。ここにも“大人は子どもの意見を聞かない”という風刺が込められているのですが、唯士自身はそれどころではなく、自分たちのいたずらがバレるのではないかと怯えている。その恐怖と葛藤を、一口春巻きをかじる表情だけで伝えてしまう嶋田鉄太の演技に圧倒されました。
いたずらがついに露見し、唯士が登校したときにはすでに心愛が先生と話している。そのときのクラス全体を映しただけの画面から、唯士の心情がこちらに伝わってくる。
保護者を呼び出された会議室シーンでは、ギャン泣きする陽斗とその両親、裏のある心愛の母が登場し、子どもたちの追い詰められた姿が描かれます。
そこで唯士が「ごめんなさい」とやや大きな声で言い出し、心愛に好かれたかったという不純な理由を告白する。この瞬間に、心愛の心が唯士へと傾いたのだと感じました。
そして最後の唯士と心愛の二人きりの場面。唯士というキャラクターが最高潮に輝き、ここまで観て彼を好きにならない人はいないのではないでしょうか。
大人にとっては、後味の悪い映画です。
子どもたちを微笑ましく見ていたはずが、気づけば大人として居心地が悪く、胸の奥をえぐられるような感覚に陥る。特に子どもに関わる立場の人にとっては、強烈なダメージを残すはずです。
けれど同時に、この映画は唯士という存在の重さを突きつけてきます。
彼の沈黙や視線の動き、ほんの小さな仕草にまで、子どもの不安や迷いがにじみ出ていて、大人の観客はそれを見逃すことができない。
その姿はただ可愛いだけではなく、観る側に「子どもをどう受け止めるか」を問う鏡のようでもありました。
この“居心地の悪さ”と“愛おしさ”の両立こそ、『ふつうの子ども』の特異な魅力でした。
最後に断言したいのは、この映画の主役は嶋田鉄太以外あり得なかったということ。
彼の独特な存在感が唯士に命を吹き込み、細かい表情や仕草、言葉にする前に唸る癖までもが、観客の心を掴んで離さない。
あの目線、あの食べ方、あの沈黙――その一瞬一瞬が「演技」ではなく「生きている唯士」そのものでした。
彼がいたからこそ、この映画はただの“後味の悪い社会派作品”ではなく、観る人の心をぐちゃぐちゃにして、それでも「唯士を愛おしい」と思わせる特別な体験になりました。
環境活動に取り組む小学生3名の行動を通して描かれる、ふつうの子どもの世界。地球の環境を守るのも大事だけれど、子どもの生活環境を守ってあげるのも大切な事と感じた作品です。
この監督の作品は、過去に2本観ております。…少ない。
最近観た作品が「ぼくが生きてる、ふたつの世界」で
その前の作品は「そこのみにて光輝く」
「ぼくが生きてる-」の方が記憶に新しい訳ですが、登場人物の
生きざまや心の変化を巧みに捉えて描写した作品だなぁ と
思った記憶があります。
(そこのみ-」は鑑賞がかなり前で記憶が…。 ・_・; 10年前?)
今回の主人公は「ふつうの子ども」。
どんな風に子どもを描くのか、観たくなりました。
この監督の「きみはいい子」は観てないですが、この作品を理解
する上で問題はあるか無いかは気にしつつ、鑑賞することに。
さあ鑑賞。
舞台は小学校。4年生のとあるクラス。
主な登場人物は3人。同じクラスの同級生。
・上田唯士(ゆいし)=嶋田鉄太 自己主張が弱いマイペース人間
・三宅心愛(ここあ)=瑠璃 環境問題に敏感でやや攻撃的?
・橋本陽斗(はると)=味元耀大 周囲へのちょっかい出し大好き
みんなそろそろ思春期に入りかけるお年頃。(かな?)
主人公の唯士、どうやら心愛のことが気になっている。
何とかして話しかけたい。気を引きたい。
けれども目立つ行動も、なんかイヤ。
心愛が環境問題に関心があることを知り、さりげなく近づいて
声をかける。まずは教室で。心愛の対応はしょっぱい。うーん。
ただでは終わらない唯士。
心愛が図書館の本を借りて読んでいることを目ざとくチェック。
今度は図書館にでかける。" 心愛は…いないのかな…? "
そうそう都合よくは… " 居た! "
環境の本を何冊か棚から取り出し、さりげなく心愛の周りをウロウロ。
読書に集中している心愛が気付かないと、エヘンオホンと咳払い。
” 座ったら? ”
さりげない(?)アピール大成功。やったね。
心愛からお薦めの本を教えてもらい、有頂天の唯士。
クラスの中でも話ができるようになった。そんな二人の間に
" クラスの中で何かをやっていると、邪魔しにくる男 "
陽斗が割り込んでくる。
邪魔されて面白くない唯士。…なのだが、心愛の表情に気がつく。
ほんのりと上気して。
なんとなく嬉しそうで。
えぇっ 何だよぅ
焦り、二人の会話に割り込もうとする唯士。
気がつくと、環境問題をもっと周囲に広くアピールするには
二酸化炭素をばらまく大人たちに対して、止めるように訴える
具体的な行動が必要 ということになる。
ビラを作ろう。脅迫状みたいに文字を切り貼りしよう。
ビラを貼ろう。車や店の窓ガラスに。
そのうち、自分たちのマネをしている奴らがいるらしいと知る。
" もっと派手にやらなきゃ "
3人の行動は、どんどんエスカレートしていく。
肉屋さんに向かってロケット花火の発射したり。あああ。
学校の中で、この「悪質な悪戯」の事が取り上げられた。
やりすぎ。行き過ぎ。
自分のやっている事・やりかたに疑問を持つ唯士。
" これでもう、やらないよね? "
と、思っていたのに。
心愛はもっと派手にやらなきゃ。続けなきゃ。 といい
陽斗は心愛に同調する。当然だろ。続けなきゃ。
これ以上何を? と問う唯士に お前が考えろよ と陽斗
なんて勝手なことを 無責任… と思いながらも
" 心愛に嫌われたくない "
" 心愛に良いところを見せたい "
その一心で、唯士が思いついたのが…。えっ? 牛? 牧場?
悪戯で済まないのでは? 本当に? やるの?
…というお話。 モー大変。
◇
子どもの生活感をリアルに描いた作品なのか、と当初は思って
いたのですが、そう単純な内容ではなかったようです。・-・;
もちろん登場する子どもたちからは、今どきのこどもの生活ぶ
りが伝わってきました。(…すごく遠い目)
それに加えてこの作品、さりげなく現代社会が抱える重いテー
マもメッセージとして込められているのでは? と
そんな風にも感じられた作品です。
普通の子どもが育つためには、普通の環境が必要 と思います。
子どもが子どもであることを否定せず
子どもに子どもであること以上を求めず
子どもが変わろうとするなら見まもっていきましょう。
それの出来ない世の中にならないよう頑張るのは、大人の仕事。
そんな風に語りかけている気がする作品でした。
見て良かったです。良作。・_・b
◇あれこれ
■社会の問題を提起 …なの?
・ヤングケアラー(だよねー 陽斗クン)
・空き家問題(勝手に入ったらダメですよ 三バカ)
・子育て放棄(してたのか? 心愛の母さま)
・パワハラ?(娘が萎縮してますよ 心愛の母さま)
・etc
色々な問題を描きながらも、この小学校のみんなは
生き生きと学校生活を楽しんでいるように見えました。
なんか良かった。・▽・
■恋心のかけら …かな
子ども同士の恋愛模様がこのあと始まるのか?
と、思って見守ってました。
誰のことかって 貴女ですよ。えーっと 名前?
生きものがかりの女の子。…名前不明です(涙)
この子、さりげなく唯士クンの近くにいるのです。
目立たないけど何気なく。
こういうのが、恋心の芽生えなのかなぁ。 (遠い目)
とても素敵なものを見せてくれて有り難う。(遠い目)
この子たちの将来を温かく見守っていきたくなりました。
◇最後に
エンディングが、出演した子どもたちの紹介映像でした。
みんな良い表情していて、ほっこりしながら観てました。
最後は唯士クン。
" ふあぁ "
大あくび。そしてお終い。
なんか いいな。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
認知された高揚感は危険
主人公の男の子が気になる女の子に近づきたくて環境問題に関心を持つようになるお話。恋する気持ちって、いろんなことの原動力になるよな。なんて思いながら観ていたら、彼らの環境問題に対するアクションがどんどんエスカレートしていく。
何かを成し遂げたって感覚と、誰かに注目されたって感覚による高揚感は危険だ。強いモチベーションを生むことになるが、そのことが目的化してしまうと本来の目的を歪めていく恐れもある。全く違うことだが、あさま山荘事件を起こす連合赤軍をモデルにした「レッド」という漫画を思い出した。たとえ小学生であっても、大人の世界と似たような思考になってしまうのかもと想像すると結構怖かった。
それにしても少女は少年よりも早く大人になり、いざという時に肝が座る。なんてしたたかで移ろいやすいのか。ラストで三宅さんが見せる表情と発言に対して、意味が分からず戸惑う主人公・唯士の表情が男女の違いを象徴的に表していた。
そして親や教師の描き方も面白い。普通に見えて、少しずつ変なところがあるという手法。蒼井優も瀧内公美も素晴らしい存在感だった。子どもたちをアップに撮ったシーンが多めに映し出されるのも少し新鮮だった。ともすると説教臭くなりそうな内容を、あくまで「普通の」子どもたちの日常としてサラッと描く。クライムサスペンスではなく、あくまで子どもたちの成長物語(のように思える)なのがいい。なかなかすごい監督だな。
大人と子どもの世界の接点
カーボンニュートラルに目覚めたおませな心愛。大好きな心愛の気を引きたい一心で彼女とつるむ唯士。ただいたずらをしたいだけで彼らと行動をともにする、けんかっぱやい陽斗。この三種三様のキャラで、環境問題は大人が悪いと連呼して、カーボーンニュートラルごっこをおっぱじめる。この穢れなきいたずらが、周囲の大人を巻き込むことになり、彼らと彼らの母親たちは、学校に呼びつけられ、校長と担任から説明を求められる。
このシーンが、大人と子どもの世界の微妙な接点。親、子ども、教師のそれぞれの立ち位置なり姿勢が露呈され、社会の縮図と化す。本当は先ずは自分の非を認めて、親も子も謝ることから始まるはずなのに、お互いけん制し合って突如大人の世界が発動する。誰がそそのかしたのか。自分は悪くない。真実に目をそむける。大人の世界の「逃げ」が、子どもの世界に伝播する怖ろしい瞬間。
その中で、なぜ事に至ったかを、親から指図されたでもなく、恥ずかし気に、けれど自分の言葉で、そして大人、子どもが雁首をそろえる中、か細い声で絞り出すように、ただひとつ放たれた、「ごめんなさい」
世界は、けっしてこの小さき英断に味方するとは限らない。でも……。感極まって涙があふれた。
結局のところ”大人“がいなかった。
始まってすぐと終わりの方の呼び出しくっての話し合いぐらいかな?笑えたのは。
これは立ち位置で評価が変わるよね。
理由はともあれ子どもはいつも”真剣“なのです。
知ってしまった自分たちの未来が危ういのを。
出来ることはなにか?小さな事しか出来ないからテロじみた事でも何でも手に染めるのです。
“それ”を利用して色々と自分の物にしようとする汚い大人たち。
でも何もしないよりはマシ。
そんな世界を小さな画面から流れてくる現代。
身近なおとなは何もしてくれないし正面から向き合って考えてもくれない。
はいはいわかったわかった。無理なんだから無理。の一点張りだったりするわけだ。
希望も未来も見えない時代を親から子へ、子から孫へさらにその先へ………負の遺産とも取れる問題を処理する事も対策や自分たちに出来ることも何もせず。
ずっとですよ。ずっと。
文明が発展するにつれ増えてくる問題を人任せに見なかったこと知らなかったことにして便利さや恩恵だけを受け流されてゆくおとなたち。
真剣な眼差しの子どもたちにきちんと向き合う大人になりませんか?
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