ふつうの子どものレビュー・感想・評価
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なんてすばらしい子役たち
どこからこんな味のある子どもたちを見つけてきたのだ。特に主役の子どもが最高だ。と思ってたら、呉監督の前作「ぼくが生きてる、ふたつの世界」にも出演していた。
でも最後には瀧内公美が全て持っていった。なんという強烈なインパクト。でも、実際ああいう人いるよね、と思わせる絶妙な存在感があった。
物語は環境問題への意識から子どもたちが街で、啓発活動をするのだが、子どもの発想だからそれはいたずらじみていて、しかし次第にエスカレートしていき騒動へと発展していくというもの。子どもじみたいたずらだったとしても、彼らはきちんと地球の未来を考えている。時に恋心で揺らいでしまうのもリアル。そして、何かを達成した、注目されたという高揚感に心が囚われてしまうと周囲が見えなくなることの危うさも描かれていた。
大人はこの子たちの声に耳を傾けているだろうか、責任を取っているだろうか。大人はこの子たちのことを叱る資格があるだろうか。そんなことを痛烈に突きつけつつも、笑いの絶えない96分だった。
前提ではなく、結果が生み出す群像劇。
呉美保監督の『ふつうの子ども』を観た。
『そこのみにて光輝く』(2014)はもちろん観ているが、『きみはいい子』(2015)は未見だ。『酒井家のしあわせ』(2006)、『おかんの嫁入り』(2010)は当然観ていて、今改めて彼女は家族を描き続けきたのだなぁと感慨ひとしきり。ひとりの人物にフォーカスすることは、その傍らに居る人たちを描くことになる。だから豊かな群像劇になる。それは前提ではなく結果だ。
『ふつうの子ども』の最大の成果は撮影にある。背景を飛ばし、ソフトフォーカスな映像で子どもたちの「顔」を映し出す。まるで往年のハリウッドのスターを映し出すかのようなその絵に驚嘆した。
細かいことを突き詰めていくと、日常=つまり「普通」の描写は成立しなくなる。そんなことはとっくに分かっているとばかりに、監督は敢えて彼らを暴走させる。というか、成り行きに任せる。おいおい、一体どこまで連れて行くんだ…。男ふたりと女がひとり、三人揃って走る姿は、ルルーシュの『突然炎のごとく』(1962)であり、ロベール・アンリコの『冒険者たち』(1967)そのものではないか!
その時、たまたまめぐり合わせた三人が、迷うことなく挑戦する。その様がなんとも心地良い。子どもたちの疾走を描いた先にあるのは、至って普通な大人たちの反応だ。子どもたちの周りで、至って普通な大人たちがオロオロした先で、素朴だけれど、人生を変えるようなひと言が飛び出し。あ、そうなのかと合点がいった。それが「ふつう」なのだ。子どもたちの日常にある普遍を導き出す編集が効いている。
新宿で『ふつうの子ども』を観終わった後、地元で信号待ちをしていると、道の向こうで子どもが飛び跳ねて手を振っていた。三歳手前の少女が隣に住む僕を見つけて喜んでいるのだ。子どもの健やかなまなざしを育てることは、環境問題の手前にある、最も大切なことに違いない。この一文を書かせてくれた、少女の飛びきりの笑顔に感謝を込めて。ありがとう!
幼少期からこそ培うべき想像力と判断力の大切さ
純真無垢ゆえの思想の暴走。同じ目的に向かっているようで水面下の目的は異なり、同調圧力あり、自分の立ち位置を知る場であり…大人社会の縮図がすでに幼いうちから形成されていることを実感させられた。
まだ保護者や大人の目がある程度行き届き怒られうる/非難されうる時期に、能動的に考えて試して失敗することの大切さを巧みに伝えてくれていると思った。
昨今、叱られることは減ったとは言え、意見する監視する人間は低い年齢層の方が関わりが多い。
失敗回避と受動的な生活習慣下である程度身体が成長し自我が確立された後の想像力・判断力・忍耐力の欠如ゆえの暴走が一番タチが悪い。
そして、色々な親がいるなぁと視聴者が感じている日常を、作者も監督も演者もよく理解し観察した上で丁寧に映像化されていて、現実味があって良かった。
とても緻密に、かつ繊細に作られていました。
某ミニシアターで、「この映画本当に面白いですよ。」という声を背にしながら、鑑賞。パンフは売り切れということだったのでネットで監督さんのこの作品についてのインタビュー記事を見つけて、参考にさせていただきました。
全くのフィクションでありながら(本当だったら大変だ)主役の3人の子どもをはじめ、登場人物がそこに実在するようなリアリティを感じました。前出のインタビュー記事によると、
例えば休み時間の教室の様子も主役級の子どもだけでなく、一人一人の動きや台詞が決まっていてとても緻密に作られていたということがわかりました。
この映画を観てから、アメリカ映画の「KIDS」のリバイバル上映を観る機会がありました。結果的に無軌道になっていく若い人たちの姿を描いているということは実は共通しています。その映画では男の子や女の子が集まってお喋りをするシーンが多いですが、アドリブはなくてそのほとんどが脚本通りで、あまりのリアリティに主役級の男性俳優の方は役の人物(セックスマシーンとして描かれていた)と同一視されて困っていたそうです。心愛を演じた瑠璃さんにはそんなことはないと思いますが。(有名なスウェーデンの環境活動家の少女と重なるかもしれません。)
別の話です。私は元小学校教員ですが、何年かに一度、担任や同じ学年の子どもに心愛のような子がいたような気がします。(女の子ばかり)めちゃくちゃ頭が良くて、よく言えば純粋、悪く言えば原理主義者的で他人と群れず、子どもの中に大人が紛れている「ふつうの子ども」じゃない子でした。そういった子にとっては背伸びしているのでなくて通常運転なのかなと思います。心愛が架空の人物ながら、どんな大人になっていくのかドキドキします。いい方向に育って、社会を動かすような人になって欲しいなあと思いました。
「ふつう」とは?
タイトルなし(ネタバレ)
めっちゃ子供の世界!
かわいい、ワクワク子供の気持ちを思い出し、でもハラハラ、最後まで目が離せない。
やっちゃダメなこと、親には言わなかったこと、自分もあったな〜と懐かしいって気持ち。
子役の方達がみんな自然な演技で素晴らしい
特に嶋田鉄太くんは「僕の生きてるふたつの世界」や「それでも僕は妻としたい」でも素晴らしいと思っていたけど、自然すぎてびっくりする。
きょとんとした表情とそこにただ存在してるふつうの子供そのもので愛らしさが爆発してました
子どもたちの自然な空気がドキュメンタリーをみているかのように思える場面もあって面白かった。
大人に介入されてどんなことになるんかと思ったけど、胸糞悪い感じがなく後味も良かった。
3人共通して言えることは好きなもので心が動かされていたこと。
心愛の好きなものを一方的に共有する形だったけど、唯士は最後のシーンで自分の"好き"についても話せてよかった。
何かを成し遂げるために行動を起こすことは素晴らしいこと。でもやってはいけないことはある。それが子供の未熟な考え方でダメな方向に発展してしまっても、行動を起こそうとした事実は認めてあげることは大事だと思う。
キャストがみんな良い演技をしていた
瀧内公美さんは特に演技が強烈で目を惹きつけられた、
怖い母親だけど、思わず笑ってしまうような演技をしててよかった。
世界の名画にペンキをぶっ掛けている連中が、劇中の子供達以下…
…劇中の子供達以下だと云う事が判明した。
小4で環境問題に目を向けて真剣に考えるその姿勢は、大変結構!確かに素晴らしい。
でも、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
自己を絶対の正義と疑わず、他者に迄その価値観を押し付けて、受け入れなければ敵と見做し口撃や攻撃を加える…
それは最早【悪】である…と私は思う。
好きな娘と距離感を縮めたい!
その一心で特段興味も無い環境問題について何かと本を読み始める10才男子…
それだけでコイツすげぇなって私はなる。
10才だった当時の私に其処迄の行動力なんてまるで無かったから。
つか、今って学校がタブレットを支給してくれて、ソレを使った授業が当たり前なん?😮
ザ・ジェネレーションギャップ🤣😱
«周りとはちょっと違った孤高の意識高い系女子»
そのままだと、多分…あと5年も経てば、、立派な【ツイフェミ】に為り果てそうな娘を好きになったばっかりに、
主人公はドンドンとあらぬ泥沼に嵌ってしまうワケですが、
中盤迄…主人公男児にとっては遣る瀬無い展開の数々😓
だって、好きな娘の好きな子が…《自分ではない》って事を、まざまざと思い知る事になるから😁
よりにもよって、好きな娘の好きなヤツが…ちょっと自分本位で、苦手なアイツだなんて😢
例えば、、愉しく遊んでいる輪の中に許可も得ず土足で踏み散らかして、批判を受けてもヘラヘラ嗤っているタイプ…本来なら、クラス中から総スカンを喰らって無視コースだろうに。
なまじイケメンなのが腹が立つ😁
好きな娘の表情が自分と話している時と、ソイツとじゃあからさまに違う。
自分は名前呼びを拒否られるのに、ソイツはすんなり…😅
俺なら泣くわ😭そして…直ぐに恋破れて諦める😖
だけど、主人公男児、、半成人・10才の唯士くんは諦めない!
好きになったコに近づけると嬉しくなって有頂天になるのがヒトの常…
しかして…近くなればなる程に、遠目から見ていた一面とは、また別の一面も自然と視えてくるのが世の習い。
最初は身勝手な振る舞いも“周りとは違う”剽軽なヤツと好意的に見ていた一面が、
過ごす時間が長くなると、
単にノリと勢いだけで、禄に考えていないだけだと気付く。
アイツのメッキが剥がれたのか?それともアノ娘の眼が晴れたのか?
他の連中と大差無い只のモブだと思っていた唯士が、ナンヤカンヤで、結局…自分の空虚な理想論を一生懸命聴いてくれていた…たとえソレが【好きだから近づきたい】ちゅう不純な理由だろうと。
不思議なモンだよ。
10才児なら初恋故の初々しい健気な行動にみえるのに、
これが中2以上になったら、只のストーカー行動に見えてしまうのだから😱
ふつうの子ども…とは、一体誰にとっての何なんのか?
社会にとって脅威にならない存在か?
教師にとって聞き分けの良い子か?
親にとり従順な我が子か?
単純なのに難しいな。
キムチもCo2を大いに発生させるぞ。でも、キリが無い
ヨーロッパでの再生可能エネルギーへの運動は、こんな形ばかりではない。日本の場合、原子力発電所の依存度が高いので、原子力発電への抗議行動には全く触れていない。
ヨーロッパの再生可能エネルギーへの運動は、先ずは原発の反対運動が起原になる。
なぜなら、チェルノブイリが制御されないままで、新たにザポリージャ原発が地球滅亡の鍵になってしまっているからである。
さて
やはり、演出家のアイデンティティを考慮するなら、出生国籍の「原子力潜水艦」の反対運動への環境問題に派生してもらいたいものだ。
「IPCCは人間活動が温暖化を加速させたことは疑う余地がない」
は
ほぼ当てにならない。
でも、
子供へのいじめはこんな事から始まる。
可愛かった子供もこのくらいの年齢から化け物になる。きちんとした指導をしないとウマシカな大人へと変化する。それが実存主義と言うもの。
どうせ、大人になるのだから、わらじ虫をとってゆっくり。でも、原発は怖い事だけは頭の中に入れておこう。
まぁ、どちらにしてもカタストロフィがやって来てしまえばどうにもならない。
子供たちよ。そうならないように頑張れ!
ウマシカな大人のやった事が子供に及ぶと言う少女の訴えは絶対に間違っていない。
訴えの主旨はともかく、わからないウマシカな大人が悪いのだ。
少女終末旅行だね。
この映画のテーマは最後にある。
実は、警察権力への民事介入暴力がうっすらと臭うな。
追記
我が亡父は、こんな時、僕をボコボコにした。おかげて、ウマシカジジイを今でも続けている。
ちびっ子三人組
子どもたちの個性豊かな
自然な演技に驚かされます
呉監督の"きみはいい子"も好きな作品
でしたがこの作品もじんわりと心に響く
子どもたちの心理や顔の表情とか
主役の嶋田鉄太くんは
目が離せないほど可愛い
心愛ちゃんに好かれたくて
ひたすら言うこと聞いて
心愛ちゃんに惑わされる姿は
ちょっと切なく可笑しい
リーダー格の心愛役の瑠璃ちゃんも
堂々とした態度は大物そのもの
(何となく母親に似ているかな)笑
動じない所は大人もタジタジ
秘密基地での三人は楽しそうで
ウシの下りはそこまでやるか~と
結末はそうなるよねという終わり方
この三人のやったことは行き過ぎた行為
だったけど後に思い出として笑える日
がくるかな~?…と思う
環境問題は興味なかったのに…
唯士をはじめとし
子どもたちの目線で楽しめました
みんな…ふつうの…子どもだよね
とにかく鉄太くんは最高でした
ふつうの学校、ふつうの教室、ふつうの先生、ふつうの親たち、そして…
オープンスペースの教室も
机の上に置かれたタブレットも
黒板に映写される動画スクリーンも
給食のカレーライスも
どれも、今どきの学校の風景。
そんなふつうの学校、ふつうの教室に
ふつうの先生、ふつうの親たち、
そしてふつうの子どもたち。
彼らの日々の生活の
そこここにある日常を
映し取るカメラの高さが
子どもの目線に合わせていることからも
とてもリアルに伝ってくる。
時代は変われども
子どもたちの中に渦巻く
様々な出来事の中に
大人になった自分にも
身に覚えのあることや
共感できることが見つかるだろう。
そして、本作中の子どもたちがやっていることを
下手な道徳観や倫理観で
簡単に定義づけしようとはしない
映画の作り手側の構え方が好ましい。
『ふつうの子ども』
楽しんで見ることができた。
耳の後ろのタトゥー
”ふつう”って何だろう
9月に公開された本作。観たいと思いながらも都合がつかず、ようやく今回キネコ国際映画祭での上映で劇場鑑賞が叶いました。ちなみにキネコ国際映画祭は「アジア最大級の子ども映画祭」と銘打たれており、当日も多くの子どもたちが来場していました。
もっとも本作は“子どもが主役の映画”ではあっても、必ずしも“子ども向けの映画”ではない点が興味深く感じられました。もちろん子どもでも楽しめる内容ではありますが、大人が観ても考えさせられる部分の多い作品でした。
物語の主人公は小学4年生の唯士(嶋田鉄太)。普段は友達と虫を捕まえたりする“ふつうの子ども”ですが、想いを寄せるクラスメイト・心愛(瑠璃)が、グレタ・トゥーンベリよろしく環境問題に目覚めたことに触発され、彼女に注目されたくて環境活動にのめり込んでいく――というお話です。
ただ心愛は、グレタさんを模したと思しき海外の環境活動家に影響されているものの、仲間を煽ってどんどん過激化していく様子は、どちらかといえば永田洋子を彷彿とさせるタイプ(あくまでイメージですが)。唯士のほか、クラスメイトの陽斗(味元耀大)も巻き込み、“テロ”まがいの活動を実行していきます。最初は車に張り紙を貼る程度だったのが、次第にエスカレートしてついにはケガ人まで出る事態に。3人の母親は学校に呼び出され、先生を交えて話し合う場面となるのですが――この場面こそが本作最大の見どころでした。
もともと性格も環境問題へのスタンスも異なる唯士・心愛・陽斗の三人の対比が描かれていましたが、彼らの母親たちもまた全く異なるキャラクターとして描かれ、そのコントラストが非常に面白かったです。
唯士の母・恵子(蒼井優)は標準的で中立的な立場。一方、陽斗の母は完全に“わが子びいき”で、普段学校では活発な陽斗が泣きじゃくる中、彼女は必死にかばおうとします。
そして圧巻だったのが、心愛の母・冬(瀧内公美)。その場の空気を一瞬で支配する迫力と、人前で娘を罵倒する筋モノのような風格で、まさにすべてを持っていった感がありました。
しかし、冬=瀧内の圧倒的な存在感がMVPをさらいそうになったその瞬間、唯士が絞り出すように、環境問題に関わった本当の理由――心愛への恋心――を告白します。その言葉に冬も唯士を見直し、最後には心愛からも「I love you」と言われるという、思わぬ“モテ男誕生”で幕を閉じました。
物語全体を通じて、「ふつうとは何か」を考えさせられる作品でした。子どもが裏山や公園で遊ぶのは昔から“ふつう”でしたが、今では外で遊ぶ子どもの姿はむしろ珍しい。心愛のように大人びた子もいれば、陽斗のようにやんちゃな子もいる。つまり“ふつう”には幅があり、“ふつうじゃない”ことを探すほうが難しいのかもしれません。
互いの“ふつう”を認め合い、尊重することこそ大切なのだと、改めて感じさせられる作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
ふつうじゃない!
How dare you って何?
ここ十数年、世界各地での異常気象に伴う災害、生態系の変化による弊害は収まる気配はない。明らかに環境問題が元凶であるが、トランプ大統領などはそんな問題などない。と開き直っている。我々のような年寄りが生きてる間は壊滅的なことは起きないだろうが、今の子供たちが社会の中心にいる頃は今とは大きく違う生活環境になっているだろうし、考えられない程大きな災害も起きるのだろうと思う。何かとても申し訳ない、。
心愛(ここあ)の環境問題を解決する気がない大人に対する怒りはとても正しい。そんな彼女に憧れる唯士(ゆいし)の純なところもわかる。大騒ぎすることが好きな陽斗(はると)のような危なっかしい子どももいるだろう。そのほか出演した4年生の生徒(特にいきものかがりの子どもたち)を含め、皆が「ふつうの子どもたち」である。そして、先生を演じた風間俊介も唯士の母親の蒼井優も、かなりキツめの心愛の母親の瀧内公美も「ふつうの大人たち」でしかない、。
心愛のその大人に対する怒りの作文に対しふつうの大人の「ふつうの先生」の風間俊介は「先生まで怒られちゃいそう」と茶化し「SDGsの授業でね」と逃げた。先生には自分の意見などはないことを悟った3人は(色んなやり取りの後)、自分たちの行動で社会を変えようとする。イタズラ半分なところもあったが真面目に考えてやったのだと思う。げっぷがメタンガスの原因となる牛たちが行き場を失い学校や街中に出現し大騒ぎになり、3人は学校で呼び出され父兄も呼ばれてしまう、。3人の子どもの母親の、子どもの守り方や突き放し方がとてもリアルであったが、それに全く屈しない心愛は母親を無視し持論を喋り続けた。凄い子ども(もはや、ふつうの子どもではない)に脱皮したように私には見えた。心愛の「はうであゆー」に首をかしげる唯士の方が将来大物になるかもしれないけどね、。
映画はとにかく子どもたちの自然な演技が素晴らしく良質なドキュメンタリーを観ている気にさせてくれる。今、子どもを育てている監督やスタッフの皆さんが等身大の今の子どもたちに愛情を込めて作ったのだからだろう。良い映画をありがとうございます。
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