「デジタル的感性の極北を見る思い デジタル•ネイティブ世代とデジタル移民世代とのジェネレーション•ギャップ??」無名の人生 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
デジタル的感性の極北を見る思い デジタル•ネイティブ世代とデジタル移民世代とのジェネレーション•ギャップ??
私はこの作品を観て生まれて初めて映像作品の作り手との間にジェネレーション•ギャップめいたものを感じました。私は古希手前の60代ですが、青春映画を観ても初恋を扱った恋愛映画を観てもジェネレーション•ギャップを感じたことはありません。それはそこで描かれていることが普遍的なことであり、ああその気持ちわかるよ、といった心持ちになるからです。ところが、この作品では物語を展開してゆく手法に今まで感じたことがないような違和感を感じました。
まず、序盤から画面上で展開される内容の情報量の多さに圧倒されました。次から次へと出来事が発生してくるような感じ。読書に例えると文字量が多く、文字からの情報を絶えず処理しなければならない本を読んでいるみたいな感じです。文芸作品を読むときには「行間を読む」、文字に書かれていない部分に思いを馳せるというのは読書の醍醐味のひとつだと思いますし、映画鑑賞でも同様にスクリーン上で展開される物語を見ながら、登場人物それぞれの心情に思いを馳せるのは大きな楽しみだと思うのですが、この作品では何しろ情報処理にかかりっきりになりますので、従来型の映画鑑賞の醍醐味はまったくないということになります。
次に登場人物やストーリー上で発生する出来事の記号化について。この作品の登場人物は血の通った人間ではなく作り手のコマのようで記号化されている感じがします。序盤に高齢ドライバーが交通事故を起こし、ストーリーが前進しますが、そのシーンで必要だったのは「高齢ドライバーによる交通事故」という記号だけだったようで過程が示されることなく事故だけが突然起きます。ひょっとしたら、その高齢者は娘の離婚話とそれに伴う孫の親権のことで悩んでいてそれで注意力が散漫になっていたのかも知れないのですが、記号として一瞬登場し、あっという間に退場します。また、この物語の主人公は若い頃、芸能事務所に所属し、アイドルを目指していたのですが、彼のことを記号Aとしましょう。彼の所属する事務所の社長は色付きのメガネをかけた細身の初老の男で、少年に対する性加害で問題になった あの芸能事務所社長を彷彿とさせ、見事に記号化されているので、これを記号Bとします。本篇の中で記号Aは記号Bになぜか突然暴力ふるって事務所を辞めることになり、ストーリーが前進します。本篇ではそうなる過程があまり描かれていなかったようなので、どうして暴力を振るったのか私にはよくわからなかったのですが、記号Aと記号Bがうまく機能して、ああ、あれね、といった感じでストーリーが前進します。
この作品ではストーリーが次のステップに進む際に暴力が使われることが多いです。それもそこに至る過程はごく短く示されるだけで突然暴力ドン!で場面展開してゆきます。主人公の記号Aはデジタル的で ”1” のときは暴力的になり、 “0” のときは何を考えてるのかよく分からない無反応人間になるみたいな感じです。で、過程はほぼ省略みたいな感じにして、結果、結果、結果の出来事の連続でストーリーはサクサク進んでゆきます。私は「情報処理」に余念がありませんでしたから、物語の持つ意味などはよくわかりませんでした(苦笑)。
この作品の作り手の鈴木竜也氏は個人制作で1年半かけてこのアニメーション長篇作を完成させたとのことです。作品を拝見させて頂いて、きっと物心ついたときには周囲にデジタル機器があったデジタル•ネイティブ世代なんだろうなと思ってネットで調べてみたら、1994年12月生まれとのこと。やっぱりなあと感じました。こっちは30代半ばぐらいにして、ようやくインターネットやらeメールやらの新語を聞いたデジタル移民世代だからなあ、感性が違うのもあたりまえか、と思いました。が、結局は個人の感性の違いということなのでしょう。
なんだか、よく分からなかったけど、何か新しいものを見せてもらえたような気もするし、新しいひとつの才能に出会えたことと今後の鈴木氏の活躍を祈念して、星五つ進呈です。