逆火のレビュー・感想・評価
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もう取り戻せない
映画副監督の野島(北村有起哉)の夢を叶えるのが、野島の正義。
(野島の家族)
・自分の夢のために家族を犠牲にしているという娘である光のコメントは的を射ている
・妻への扱いが酷い、非人道的だと感じる。自分本位すぎるゆえ、娘もこんなことに
(映画内映画)
・ARISA(丸井わん)が書いた事実をベースにした小説が原作
・この原作の事実関係を掘り下げる野島だが、嘘で塗り固められていることがわかる
・このまま映画化してよいのか逡巡する野島
・野島の正義では企画自体をやり直したいと考えている
(野島)
・ARISAの真実を WEB記者か取材されそうになり逡巡する
・自分が出したドキュメンタリーの企画は映画化が実現しそう
ARISA原作の映画は海外の映画賞を受賞していた。結局は脚本や企画は変えなかったに違いない
ラストでは野島が監督する映画の衣装合わせをやっているシーンがうつしだされるが
夢には一途だった野島が、結局は娘との関係性など、家族のことは回復できなかったであろうことが
娘の自殺シーン&娘のSNSでわかるという
実に後味の悪いエンディング。
ARISAの生き方と野島の娘 光の生き方、想像上で比較したりして、
娘にとっての毒父親の存在有無が、その後の人生を二分したのか、、、などと考えてしまった。
野島は正義の人っぽく描かれているものの、娘(家族)にとっては正義の人でなかったのだろう。
もう取り戻せない。
余韻が残る。
何もかも全部ウソだ!と…
貧困のヤングケアラーがその境遇をはね返して成功する美談を原作として映画製作が始まろうとしている。
しかし、実態は、娘はパパ活して、父を憎み、父の死をいつも願っていた。
父はいつも娘を殴っていた。
その娘が嘘をついて生命保険の作文コンクールで優勝し、成功のきっかけをつかむ。
お涙頂戴の本筋よりこの真実のほうがよほど映画として面白い気がする。
内田英治監督もそう思うのじゃないかしら。
プロデューサーの女性はそんな映画をひとは見たがるかしらとセリフを吐くが、内田監督はそれを嘘くさいセリフとして脚本を書いている気がする。
ラスト·ラブレターは国際的映画賞を受賞し、野島は老老介護の映画監督としてデビューするのであるから、野島もこの映画製作に協力したのだ。
みんな嘘くさい。
内田監督は「嘘くさいでしょ」と観客に言っている気がする。
野島はノンフィクションとして製作される映画が嘘で塗り固められていることに大きな葛藤を抱えているが、プロデューサーの言う通り、ARISAが父殺しをしていないなら大きな問題ではあるまい。
作文コンクールに嘘があったことも何ほどのことか。
ARISAは責任を取ると言っていた。
最後に自殺するのはARISAかと思ったら、野島の娘。
ARISAが自殺したのなら彼女は父を殺したのだろうが真実は闇のままだ。
野島の娘の内面を推し量るなら、スマホを破壊された時、徹底的に父を憎んだのだろう。
そして最も効果的なタイミングで父に復讐を果たした。
死顔は喜びに満ちていた。
この映画は二つの父殺しの物語のように見える。
野島の娘(光)はなぜあんなに父を憎んだのか。
もはや誰にも分からない。
正義、真実、生活、きれい事、葛藤、と作品全般に交錯するが、全部「嘘くさい」のだ。
これがこの映画の肝に思える。
内田英治監督はこれを意識的に描いていると思いたい。
「全部ウソでしょ」が娘(光)の自殺だと言うのは穿ち過ぎだろうか?
「逆火」とはバックファイヤー
エンジンにおいては、燃焼室で燃えきらなかったガスが、吸気側や排気側に逆流して爆発する現象を指します。
本来燃えるべきところで燃えずに、あってはならないところで燃料は爆発した。
これが裏目に出たと言う意味だ。
逆火は馴染みのある単語ではない。
謎掛けだと感じた。
抜けている部分の想像
結末はどこへ行くのかというストーリー展開で、その行先の選択肢も色々あった中、オチはそれかという感じでした。
“映画とは芸術か?ビジネスか?”を題材とするケースは色々あると思います。
今作では原作となった小説に疑惑が出てからの展開ですが、そもそも撮影開始間際の段階で取材を続けて疑惑が炙り出されるということはあるのかな?と思いましたし、数年も前の小説に今さら疑問が出ても「小説を原作として基づいて映画化した」で問題はないのでは?と思いましたが、どうなのでしょうか。
抜けている部分は想像に任せるというところですが。
・野島は結局この映画の助監督は降りた、と察します。
・野島はリークしたのかしなかったのか、それは世間に伝えられたのか?
→映画は完成されて賞を取ったくらいなので何事もなかったと思えます。
・野島の娘はその後どういう生活だったのか?
→(高校生を続けているということだったが)病んでいたか引きこもりだったかと想像します。
映画賞を取ったニュースが流れるテレビは野島家のリビング?
ずっと家具や置物がなくて白けていたのは意味があると思いながら観ていましたが、時を経て豪華に変貌していたのも意味を持っているのでしょうか。
色々あった挙句にそれぞれが笑顔を迎えられた中、唯一不幸だったのが野島の娘というのが結末。
その後そこから野島はどうなるのかは想像を絶します。
ARISAのその後がどうなったのかも想像の世界。どうなったでしょうか。
この作品のメッセンジャーの一人は娘だと思いますが、この親にしてもあそこまで屈折するというのはないだろうというのも思いました。
ただ親のせいだけでなく、周囲の大人や環境は若者が自分勝手に壊れて落ちていく仕組みを作っているという、今の世の中の描写があるように思いました。
それはこの作品のテーマである“巻き込まれないで生きること”にも合致しているのかと思います。
こうやって色々振り返る衝撃度がある作品でした。
評価も分かれる作品でしょうが、間を取って3.5としました。
過去の偽りの代償、償いとは何だったのか
映画のクランクイン直前に、原作実話小説に疑惑が浮上。
助監督は、その小説の内容が真実であるかどうか調査を始めるが…。
それが嘘だった場合、映画に携わる大勢の人々の生活を犠牲にしてでも、告発し製作を中止するべきか。
倫理的な問題と、スタッフたちの生活の保障が無いという日本の映画製作に関わる問題点も描く。
好きな俳優、北村有起哉の主演作。
仕事として若い女性の美談の真偽を追求しながらも、生活が荒れている自分の娘からは逃げている。
家族を犠牲にして、自分の夢を追っている姿が実に痛々しい。
監督役の岩崎う大の静かで冷静な佇まいが実にリアル。
絶望的なラストは、同じ監督作の「ミッドナイトスワン」を思わせるが、「ミッド…」で若者に託された未来を切り開く力が、本作では親のエゴに力無く潰されてしまう違う方向の未来に着地してしまうのは、今の世の中に対する監督のどの程度の思いの込められた回答だろうか。
ただただ救いが無く重い。
描かれなかったARISAの思わせぶりな「償い」が知りたい。
煩悶し憔悴する北村有起哉の演技が素晴らしい
『ミッドナイトスワン』の内田英治監督による作品で、主演は北村有起哉でした。中学時代にヤングケアラーだった小原有紗(円井わん)が執筆したノンフィクション小説を原作として、これを映画化するプロジェクトに助監督として参加する野島浩介(北村有起哉)を中心に展開していきます。
有紗は、半身不随となった父親を懸命に介護していましたが、ある日その父親が階段から転落し死亡。彼女は、父の残した保険金をもとに成功を掴んでいきます。しかし、浩介が取材を進めるうちに、小説に書かれた内容と実際の出来事がまったく異なることが明らかになっていき、浩介は深く煩悶し、次第に精神的にも追い詰められて行きました。
実際の父親はDV加害者であり、有紗自身も彼を憎んでいました。また、有紗は金銭目的で“パパ活”も行っていた過去があり、さらに、父親の死も彼女が手を下した可能性すら浮上します。こうした事実を知った浩介は、監督(岩崎う大)やプロデューサー(片岡礼子)に映画の制作延期や中止、内容の見直しを訴えますが、関係者の生活や制作会社の経営などを理由に却下され、彼の苦悩はさらに深まり、ますます憔悴していきました。
本作の魅力の一つは、3組の「父娘関係」の絶妙な対比と絡み合いにあります。
まず一つ目は、浩介と娘・光(中心愛)の関係。通信社で安定した職に就いていた浩介が、夢を追い映画の世界に飛び込んだことで家計は悪化。妻(大山真絵子)は派遣社員として働くことを余儀なくされ、光も経済面で犠牲を強いられていました。過去の有紗と同じように、夜の仕事で金を稼ぎホストに貢いでいる様子が描かれます。浩介はそんな娘に手を焼きますが、客観的に見ると、妻や娘とのコミュニケーション不足が家庭崩壊の遠因であったことが伺えました。
二つ目の父娘関係は、有紗と実父との現実の関係。先述の通り、父親は暴力的で、有紗は彼を深く憎んでいました。
三つ目は、有紗が小説の中で描いた父娘関係。小説では、有紗は愛情深く父を介護し、父の転落死も「自分に傘を届けようとした父が足を滑らせて死んでしまった」という悲劇として描かれます。さらに、父が密かに加入していた保険の存在を死後に知る、という筋書きになっていました。しかし、これらはすべて創作であり、保険金の話も生前から知っていたというのです。こうした事実に直面し、苦悩する浩介の姿には共感せざるを得ません。
特に興味深かったのは、有紗のキャラクターの変化です。最初の登場時には明らかに観る者に不快感を抱かせる存在だった彼女が、浩介との関係を深める中で小説が虚構であることを認め、次第に浩介に心を開いていく様子が丁寧に描かれていました。小説に描いた理想の父親像を夢見ていた有紗が、「浩介のような人が父親だったらよかった」と語る場面は、感情を大きく揺さぶられる瞬間でした。もしこれが“パパ活仕込み”の計算だとすれば驚きですが、文脈から見る限り、彼女の本心だったように思え、それがまた切なく印象的でした。一方で、浩介と実の娘・光との関係は改善するどころか、さらに悪化していきます。
こうした3つの父娘関係の描写は非常に巧みで、物語全体に深みを与えていました。
また、映画制作における「虚構」と「現実」の取り扱いについても、内田監督自身の葛藤が投影されているように感じられ、印象的でした。有紗の真実を知って映画化に疑問を抱く浩介と、ヤングケアラー問題を象徴的に伝えることの意義や、制作現場の事情から続行を求める監督やプロデューサーたちの対立は、現実の映画制作の裏側を覗かせるようで興味深いものでした。
一方、映画的な省略については納得できるものとできないものがありました。前半の山場である浩介と監督の対話シーンは、非常に重要だった一方、監督が有紗の真実を聞いても動じない様子はやや不自然でした。もし真実を知っていて映画化を進めていたのであれば、それは相当な悪人ともなりますが、そうではないと思われるだけに、もう少し驚きや葛藤を見せてほしかったところです。
ただ、終盤の“省略”は非常に効果的でした。浩介が通信社の取材に応じた直後、一気に1年後へと時間が飛ぶ演出。有紗をモチーフとした映画がフランスの映画祭(カンヌ風)で賞を受賞し、高評価を得たことが示されます。一方で浩介が、小説の真実性に疑いを持った通信社の取材にどう応じ、通信社がどのような記事を書いたのかは明示されず、観客の想像に委ねられていました。このように、観賞後の余韻を残す作りは非常に好ましく感じました。
そして、終盤の悲劇的な展開の演出もまた見ごたえがありました。内田監督らしく、後味の悪さを残す展開でしたが、それがまた本作の印象を強くする要因ともなっていました。
最後に、何よりも印象的だったのは、主演・北村有起哉の演技です。仕事と家庭、両面で悩みを抱えながらも映画制作に没頭する男の姿を、リアルかつ繊細に演じていました。有紗役の円井わんについては、当初ミスキャストではないかと思ったものの、物語が進むにつれてその印象は覆され、特に中学生時代を自然に演じ切った姿には説得力がありました。監督役の岩崎う大も、実在の映画監督のような存在感で、キャスティングとして非常に的確でした。
全体として、本作は「虚構と現実」「理想と現実」「親と子」というテーマを通じて、多層的に観客に問いを投げかける秀作であり、見応えのある一本でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
あなたのその言動は、大切な人の「逆火の火種」になっているのかもしれません
2025.7.16 アップリンク京都
2025年の日本映画(108分、PG12)
映画監督を目指す助監督が制作と家庭問題に振り回される様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は内田英治
物語の舞台は、都内某所(ロケ地は神奈川県横浜市&横須賀市)
映画監督を目指して日々努力をしている助監督の野島浩介(北村有起哉)は、大沢監督(岩崎う大)が手掛けている「ラスト・ラブレター」の制作の大詰めを迎えていた
撮影開始1ヶ月前に差し掛かり、原作のアパートを再現する物件の下見に訪れていた浩介は、撮影カメラマンの斉田(岡谷瞳)、セカンド助監督(辻凪子)、サード助監督の三船(小松遼太)らとともに念入りなチェックを行なっていた
プロデューサーの橘(片岡礼子)は予算の関係からセット撮影が厳しいとこぼしていたが、大沢監督は「映画の大事なところ」と言い、セットを組むことを譲らなかった
浩介には反抗期の娘・光(中心愛)がいて、妻・幸(大山真絵子)に面倒を押し付けている
娘が裏垢であることないことを呟いているのを知ってから、娘との距離感を取れずにいた
ある日のこと、原作小説を執筆した元ヤングケアラーの有紗(円井わん)の父(三島ゆたか)の兄(世志男)に会いに行った浩介は、本人の墓がないことを知る
浩介は原作の気になるところを裏取りして関係者から話を聞いていたのだが、墓を作っていないことに違和感を持っていた
それは、父の保険金2000万を受け取ったにも関わらず、父の墓すら建てていないことが不思議で、浩介はその事実を確かめるために有紗の母(島田桃依)に会いに行くことになった
母親は「娘のために残したお金だから、自分のために使うのを良しとしなかったかも」と言い、墓を建てていない事を否定はしなかった
その後も聞き込みを続けていた浩介は、高校時代の同級生・由奈(松原怜香)と会い、そこで介護時代の有紗の本音と保険金についての話を聞いてしまう
また、当時住んでいたアパートの大家さん(有希九美)からも事故直後の話を聞き、浩介は「小説の中身が嘘ではないか」と思い始め、さらに「事故ではなく、殺人だったのでは?」と疑い始めるのである
映画は、自分のキャリアアップの途上にて難問に遭遇する浩介を描き、同時に娘との関係がさらに悪化していく様子が描かれていく
同級生からホストに貢いでいることを聞き、カフェと称する風俗の面接に来ていた事を知った浩介は、妻に仕事を休ませてまで監視させていく
それがさらに娘の反感を買い、素行不良がエスカレートしていく
援交のためのPR動画の撮影にまで至った事を知った浩介は、娘が居そうな繁華街で捜索を開始し、見つけて動画を突きつける
そして、感情的になった浩介は、娘からスマホを取り上げて踏み潰してしまうのである
映画は、小説の中身は嘘であることを知った浩介が、正義感から公開中止を模索するものの、大沢監督は「訴求すべきテーマはブレない」と言い、プロデューサーは「作者が殺人を行ったと言う証拠がなければ問題ない」と言う
スタッフたちも「生活がかかっている」と言い、憶測だけで中止にすることに反対の立場だったが、やがて浩介の行動は週刊誌のライター(岩男海史)らに勘づかれてしまう
そして、撮影当日、浩介はある行動に出るのだが、映画はそこから1ヶ月後に飛び、彼が告発をしなかった世界線を描いていく
浩介は映画のヒットのおかげで自身の企画を映画化できるようになり、大沢監督も国際映画賞を受賞する
だが、その絶頂の時、娘はある行動を起こしてしまう
この時の彼女の髪色は全てがピンクに染まっていて、当初は一部のカラーリングだったものがが全体に及んでいた
この髪色は娘が入れ込んでいたホストの髪色と同じで、それが奪われたことに依るわかりやすい闇堕ちのスケールとして演出されている
映画のタイトルでもある「逆火」は「本来とは真逆の炎の動き」を意味する言葉だが、これは「良かれと思った行為が正反対の結果を生み出している」と言う意味にも思える
あの時浩介が行ったことは正しかったように思えるが、娘の目線では「夢のために自身の正義感や道徳も捨てた」ように見えるので、それが最後の行動に至っていると言えるのだろう
彼女は「今度はブルーに染めよう」と言って飛び降りるのだが、これは彼女自身も自分の人生を後悔していて、それを止めてくれる愛情がなかったことを暗に示している
繁華街での顛末で母親が「ずっとそばにいる」と絶叫するのだが、その言葉ですら無意味であった事を示していて、娘に最後まで向き合えなかった故の顛末として演出されていたのだと感じた
いずれにせよ、娘が「父親の夢のために犠牲になっている」と言い放つように、娘は父親に対して無関心ではなかった
だが、仕事を理由に娘への接触を避け、さらに自身の倫理観を投げ捨てて夢に固執している様を見ると、映画の成功は娘への無関心を肯定しているようにも思える
彼女があの瞬間を選んだのは偶然ではなく、計画された復讐であり、それにすら気づけなかったのが両親であるとも言える
有紗が両親の影響を受けて今の彼女があるように、娘もまた両親の影響を受けてあの決断に至っている
ヤングケアラーの問題と、ある種の毒親の存在が重なっている部分があり、センセーショナルな関係以外にも「逆火」を生み出す動線は存在している
そう言った意味において、本作はかなり深く、核心をついたシナリオになっていたのではないか、と感じた
監督との会話はお互いとってある種の合せ鏡
面白かったです。
商業的な本の出版や映画製作に関係する本質的な胡散臭さみたいなものを描いています。
主役の北村有起哉さん、疑惑の女役の円井わんさんが良かった。
私の好きな辻凪子さんと片岡礼子さんも、重要な役で出ていて満足。
「逆火」というタイトルは、テーマ性を強く表していて、とても良いと感じました。
主役の行動は、正義感からではないと思う。
創作に深く携わっていこうと決めた人間として、どうしてもそこに迷い込まざるを得ない。監督との会話は、お互いとってある種の合せ鏡だったと思います。
外向きに発した力が何故か身を焼き尽くす、ということは、人生においてままあることだと思っています。
そのジリジリとした矛盾を上手く物語にしている思いました。
却下
名バイプレイヤーのイメージの強い北村有起哉と円井わんがメインということで鑑賞。
有紗が作文をでっちあげた動機は分かる。
出版社の対応も、世間知らずのJKがそれに従うのも、ゴーストライターが金のために引き受けるのも。
学生実業家の自伝小説なんて、所詮(近しい人間でも読んでないくらい)ニッチなジャンルだしね。
でも、メジャー監督で映画化となると話は違う。
ほぼほぼ嘘だと分かった段階で、撮影直前だろうと、いやだからこそ緊急会議にならなきゃおかしい。
事実を知ってる人間は沢山いて、スタッフ内にも広がりつつあり、嗅ぎ回ってる記者までいる。
いつ誰からリークされたり強請られるかも分からないのに、いつまで個人レベルで会話してるんだ。
また、率直に言って娘のくだり要りましたかね。
有紗と重なるでも対比になるでもなく、本筋にも関係なく、それでラストにあれ見せられても…
「有紗だと思った?娘でしたー!」で面白くなるとでも思ってるのか。
そんなのより有紗の言ってた「償い」を見せてくれよ。
浜辺で野島が言う「他人のせいにしてるだけ」は、第三者ならいいけど親が言っちゃあかんやろ。
結局『ラスト•ラブレター』は何事もなく公開され、賞まで取って、野島は監督デビュー?
画作りも退屈で、テーマも取っ散らかり、結局これはなんの話だったんだ。
有紗役も円井わんである必要もなく、むしろJDやJK役はサスガにキツかったのでミスキャスト。
『ラスト•ラブレター』内での有紗役が可愛かったのに、中盤以降出てこなくて残念。
円井わん、いいねぇ
報道者としての正義感をそのまま映画制作に持ち込む野島が、多大な犠牲を払って有紗から聞き出した真相は、撮ろうとしていた映画のテーマとは別の、より深い闇の中にあった、というストーリー。
自分は家族の為に頑張っていると何度も言い立てるものの、その家族からのフィードバックを受け付ける気のない野島は、その一方通行が、有紗の父親の暴力同様に娘を追い詰めていることに最後まで気づかない。有紗は、周囲の様々な思惑絡みとは言え、書く事に活路を見出したが、光は…あれはひょっとして有紗の「償い」の代わりか?
北村有起哉は元通信社員の狂気じみた視野狭窄ぶりを熱演。円井わんは虚勢と罪悪感が同居した、根はいい人を好演。
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