「煩悶し憔悴する北村有起哉の演技が素晴らしい」逆火 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
煩悶し憔悴する北村有起哉の演技が素晴らしい
『ミッドナイトスワン』の内田英治監督による作品で、主演は北村有起哉でした。中学時代にヤングケアラーだった小原有紗(円井わん)が執筆したノンフィクション小説を原作として、これを映画化するプロジェクトに助監督として参加する野島浩介(北村有起哉)を中心に展開していきます。
有紗は、半身不随となった父親を懸命に介護していましたが、ある日その父親が階段から転落し死亡。彼女は、父の残した保険金をもとに成功を掴んでいきます。しかし、浩介が取材を進めるうちに、小説に書かれた内容と実際の出来事がまったく異なることが明らかになっていき、浩介は深く煩悶し、次第に精神的にも追い詰められて行きました。
実際の父親はDV加害者であり、有紗自身も彼を憎んでいました。また、有紗は金銭目的で“パパ活”も行っていた過去があり、さらに、父親の死も彼女が手を下した可能性すら浮上します。こうした事実を知った浩介は、監督(岩崎う大)やプロデューサー(片岡礼子)に映画の制作延期や中止、内容の見直しを訴えますが、関係者の生活や制作会社の経営などを理由に却下され、彼の苦悩はさらに深まり、ますます憔悴していきました。
本作の魅力の一つは、3組の「父娘関係」の絶妙な対比と絡み合いにあります。
まず一つ目は、浩介と娘・光(中心愛)の関係。通信社で安定した職に就いていた浩介が、夢を追い映画の世界に飛び込んだことで家計は悪化。妻(大山真絵子)は派遣社員として働くことを余儀なくされ、光も経済面で犠牲を強いられていました。過去の有紗と同じように、夜の仕事で金を稼ぎホストに貢いでいる様子が描かれます。浩介はそんな娘に手を焼きますが、客観的に見ると、妻や娘とのコミュニケーション不足が家庭崩壊の遠因であったことが伺えました。
二つ目の父娘関係は、有紗と実父との現実の関係。先述の通り、父親は暴力的で、有紗は彼を深く憎んでいました。
三つ目は、有紗が小説の中で描いた父娘関係。小説では、有紗は愛情深く父を介護し、父の転落死も「自分に傘を届けようとした父が足を滑らせて死んでしまった」という悲劇として描かれます。さらに、父が密かに加入していた保険の存在を死後に知る、という筋書きになっていました。しかし、これらはすべて創作であり、保険金の話も生前から知っていたというのです。こうした事実に直面し、苦悩する浩介の姿には共感せざるを得ません。
特に興味深かったのは、有紗のキャラクターの変化です。最初の登場時には明らかに観る者に不快感を抱かせる存在だった彼女が、浩介との関係を深める中で小説が虚構であることを認め、次第に浩介に心を開いていく様子が丁寧に描かれていました。小説に描いた理想の父親像を夢見ていた有紗が、「浩介のような人が父親だったらよかった」と語る場面は、感情を大きく揺さぶられる瞬間でした。もしこれが“パパ活仕込み”の計算だとすれば驚きですが、文脈から見る限り、彼女の本心だったように思え、それがまた切なく印象的でした。一方で、浩介と実の娘・光との関係は改善するどころか、さらに悪化していきます。
こうした3つの父娘関係の描写は非常に巧みで、物語全体に深みを与えていました。
また、映画制作における「虚構」と「現実」の取り扱いについても、内田監督自身の葛藤が投影されているように感じられ、印象的でした。有紗の真実を知って映画化に疑問を抱く浩介と、ヤングケアラー問題を象徴的に伝えることの意義や、制作現場の事情から続行を求める監督やプロデューサーたちの対立は、現実の映画制作の裏側を覗かせるようで興味深いものでした。
一方、映画的な省略については納得できるものとできないものがありました。前半の山場である浩介と監督の対話シーンは、非常に重要だった一方、監督が有紗の真実を聞いても動じない様子はやや不自然でした。もし真実を知っていて映画化を進めていたのであれば、それは相当な悪人ともなりますが、そうではないと思われるだけに、もう少し驚きや葛藤を見せてほしかったところです。
ただ、終盤の“省略”は非常に効果的でした。浩介が通信社の取材に応じた直後、一気に1年後へと時間が飛ぶ演出。有紗をモチーフとした映画がフランスの映画祭(カンヌ風)で賞を受賞し、高評価を得たことが示されます。一方で浩介が、小説の真実性に疑いを持った通信社の取材にどう応じ、通信社がどのような記事を書いたのかは明示されず、観客の想像に委ねられていました。このように、観賞後の余韻を残す作りは非常に好ましく感じました。
そして、終盤の悲劇的な展開の演出もまた見ごたえがありました。内田監督らしく、後味の悪さを残す展開でしたが、それがまた本作の印象を強くする要因ともなっていました。
最後に、何よりも印象的だったのは、主演・北村有起哉の演技です。仕事と家庭、両面で悩みを抱えながらも映画制作に没頭する男の姿を、リアルかつ繊細に演じていました。有紗役の円井わんについては、当初ミスキャストではないかと思ったものの、物語が進むにつれてその印象は覆され、特に中学生時代を自然に演じ切った姿には説得力がありました。監督役の岩崎う大も、実在の映画監督のような存在感で、キャスティングとして非常に的確でした。
全体として、本作は「虚構と現実」「理想と現実」「親と子」というテーマを通じて、多層的に観客に問いを投げかける秀作であり、見応えのある一本でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。