逆火のレビュー・感想・評価
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北村有起哉がもたらす葛藤のリアリティに引き込まれる
映画の中で「映画作り」の過程を描くというメタ的な構造を持ちながら、悪夢とも呼ぶべき製作の泥沼に陥っていくチームの姿を描く。火種となるのは、映画の原作を著した若き女性の半生だ。その内容の信憑性に疑問を抱いた北村有起哉演じる助監督がジレンマに立たされつつも自分の目で真偽を見極めようとする。彼は作品をめぐる虚実に翻弄され、映画人としての善悪にも翻弄される、いわばあらゆる境界線に立つ人だ。真面目で、仕事ができ、正義感が強い。映画に対する思いも人一倍。しかし彼が夢を追い続けることで家庭は崩壊寸前。その上、仮に彼が製作中止を主張したなら、製作費をドブに捨てるだけでなく、全スタッフの雇用を奪うことになる。この運命の分かれ道で彼が何を考え、何を思うのかをじっくりと炙り出した筆致が魅せるし、何よりも主演が北村だからこそのリアリティに見入ってしまう。硬派でストイックな触感と共に、ヒリヒリした余韻が残る作品だ。
飯が食えなくなるという叫びが心に残る。
「ぎゃっか」と読むらしい。問題提起したら素材に不良があって逆噴射、つくる側が火を浴びちゃったっていうことですね。
ARISAの過去に問題があることぐらい原作が世に出た時点で分かるだろう、最悪でも映画の企画段階で調査しないの?野島にしたところでも折り合いをつけられるタイミングはたくさんあったはずなのにどうしてそこまでこだわるのか?
と、ツッコミどころ満載ながら、クセのある役者の熱演に引きづられてあまり飽きることなく最後まで観てしまいました。
イヤミス(読了後に嫌な気分になるミステリ小説)っていうジャンル?があるが、この映画は「イヤシネ」ってところかな。
理由のわからないエンディングもその印象を強くしている〜どういう話をつけたのか映画関係者はまるく収まっている。主人公の娘だけ割りを食った。何かの罰か?〜
この作品の最大のポイントは、監督と野島の言い争いで、監督がヤングケアラーなど苦しんでいる子どもたちにこの映画を見せて勇気づけたい、というのに対して野島は、その子たちはこんな映画は観ない、映画は観たとしてもアニメかハリウッドのスーパーヒーローものだって言い返すところ。そこはすっかりこの作品にも言えるところで、鬼滅に追いやられて変な時間に観る羽目になったことから深く同意するのでした。
でもこの作品で一番印象に残ったところ。それは映画が中止になりそうで、スタッフたちが口々に訴えるところ。いわく「病院の支払いがある」「奨学金を返さなきゃいけない」「半年間、準備のため収入がなかったのに」。そして野島の娘の叫び「金をくれないからしょうがないだろ」。
文化を担うものの経済的支援ってもっと何とかならないんでしょうかね?外国人の生活保護がどうたら言っているよりも日本文化を継承するという意味では大事な課題だと思うのですが。
末路
自伝小説が映画化される事になったが本の内容が嘘かもしれないという疑惑を持った助監督・野島が追求していった先に辿り着いた真実とは。
主人公の野島は映画監督になるという夢を持っています。私には甲斐性なしにも見えたのですが、家庭を顧みないせいか妻との関係もいびつで娘は反抗心剥き出しです。
ARISAが書いた本の内容が嘘なのか本当なのかで物語を引っ張っていくのですが、むむ!そっちでしたかの流れに。考えられた構成なのだとは思いますがラストの展開は唐突な感じがして少し浮いて見えてしまいました。
そして野島は何故それが起きたのかさえ理解できないですね…きっと。
岩崎う大は芸人として好きなのですが、変態系の役をやらせるとより活きる気がします。
抜けている部分の想像
結末はどこへ行くのかというストーリー展開で、その行先の選択肢も色々あった中、オチはそれかという感じでした。
“映画とは芸術か?ビジネスか?”を題材とするケースは色々あると思います。
今作では原作となった小説に疑惑が出てからの展開ですが、そもそも撮影開始間際の段階で取材を続けて疑惑が炙り出されるということはあるのかな?と思いましたし、数年も前の小説に今さら疑問が出ても「小説を原作として基づいて映画化した」で問題はないのでは?と思いましたが、どうなのでしょうか。
抜けている部分は想像に任せるというところですが。
・野島は結局この映画の助監督は降りた、と察します。
・野島はリークしたのかしなかったのか、それは世間に伝えられたのか?
→映画は完成されて賞を取ったくらいなので何事もなかったと思えます。
・娘はその後どういう生活だったのか?
→(高校生を続けているということだったが)病んでいたか引きこもりだったかと想像します。
映画賞を取ったニュースが流れるテレビは野島家のリビング?
ずっと家具や置物がなくて白けていたのは意味があると思いながら観ていましたが、時を経て豪華に変貌していたのも意味を持っているのでしょうか。
ラストは登場人物はそれぞれが笑顔で、唯一不幸だったのが娘というのが結末。
そこから野島はどうなるのかは想像を絶します。
ARISAのその後がどうなったのかも想像の世界。どうなったでしょうか。
この作品のメッセンジャーの一人は娘だと思うのですが、このくらいの親であればそのせいであそこまで屈折するというのはないだろうというのも思いましたし、そうではなく自分勝手に壊れて落ちていく世の中なのかなということを思いました。
それはこの作品のテーマである“巻き込まれないで生きること”にも合致しているのかと思います。
こうやって色々振り返る衝撃度がある作品でした。
評価も分かれる作品でしょうが、間を取って3.5としました。
過去の偽りの代償、償いとは何だったのか
映画のクランクイン直前に、原作実話小説に疑惑が浮上。
助監督は、その小説の内容が真実であるかどうか調査を始めるが…。
それが嘘だった場合、映画に携わる大勢の人々の生活を犠牲にしてでも、告発し製作を中止するべきか。
倫理的な問題と、スタッフたちの生活の保障が無いという日本の映画製作に関わる問題点も描く。
好きな俳優、北村有起哉の主演作。
仕事として若い女性の美談の真偽を追求しながらも、生活が荒れている自分の娘からは逃げている。
家族を犠牲にして、自分の夢を追っている姿が実に痛々しい。
監督役の岩崎う大の静かで冷静な佇まいが実にリアル。
絶望的なラストは、同じ監督作の「ミッドナイトスワン」を思わせるが、「ミッド…」で若者に託された未来を切り開く力が、本作では親のエゴに力無く潰されてしまう違う方向の未来に着地してしまうのは、今の世の中に対する監督のどの程度の思いの込められた回答だろうか。
ただただ救いが無く重い。
描かれなかったARISAの思わせぶりな「償い」が知りたい。
重い。。。
色々説明不足が多すぎて映画が終了した後友人とああだこうだと1時間程想像しながら補いあう。どうすればよかったか。。という結論。(同じタイトルの映画も彼女と視聴)
主人公はやだな。監督以上に偽善者。ありささんと娘の対比がよくできてる。恵まれない環境でも自分を腐らせないで逞しく生きるありさ。そこそこ衣食住足りてるのに自分wを大切にしない娘。娘はどうしてトー横キッズになったんだろう。主人公のビールを奥さんが用意するシーンが主人公の傲慢さを表してると思った。普通の夫婦のように見えるけどなんだか緊張感のある関係。娘さんここまで壊れる前に気づけなかったのかなあ。
映画自体が「逆火」?
もう少し問題提起があっても良かったかもしれない
今年167本目(合計1,708本目/今月(2025年7月度)16本目)。
ある事件で有名になった女子高生がコンクールか何かで出した小説が賞を取り、そこから有名人になり、その小説をもとにした映画を作ろうという段階になって、何かおかしくない?という展開。
「やや」ミニシアターよりの作品かなという印象はあります。ただ、ディズニーくらすの映画でもなければ、映画内でいう「何がどうであろうがこのまま進めないと間に合わない」という趣旨は当てはまると思います。
総じていえば、主人公(女子高生)と小説を受け取った出版社の間には双方の同意があるので問題にならないところ、その「真実らしきもの」を信頼した第三者をどう保護するかという外観法理的な観点でみました(あるいは、民法95条(錯誤))。ただ、それは形式的なもので、誰かが明らかに悪いわけではありません。
映画は「意外な展開」に向かいますが、この点は見てのお楽しみといったところでしょうか。
評価は以下まで考慮しています。
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(減点0.2/心裡留保と善意の第三者)
・ 心裡留保は、善意の第三者には対抗できません(序盤のところ)。
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地味
バックファイヤー🔥←なるほど
北村有起哉さん主演とあらば観ないわけにいかない!!と思って久々のテアトル新宿さんへ。
鬱展開なのにとっても静かでゆったりしていて(途中寝息すーすー聞こえるほど)爽やかさすら感じられる不思議な映画。
内田英治監督の作品ってこれまで観てきた(数少ない母数の中では)探偵マリコくらいしか刺さったものが無かったけどこれは考えさせられた‼️
考え方の違いはあれど、立場も役割も生活も何もかも違う人たちの集合体である社会の一面を切り取ってみたら『十人十色』という言葉がよく当てはまる。その切り取る一面を映画製作の助監督さん中心に映し出したという、社会の縮図の切り取りと映画製作の裏側がとってもわかりやすく描かれていた良作💜
そしてとにかく北村有起哉さんがいい✨
普通の人を普通に演じることが一番難しいんぢゃないかなーと思うんだけどお見事でした。
そして今も今後も楽しみな若手女優さんふたり(円井わんさんと中心愛ちゃん)も凄くいい!
複雑な苦い現実世界の肯定
現実の苦さをこれでもかと突きつけてくる映画。
その苦さを北村有起哉さんが見事に体現している。
映像の世界の裏方を物語の舞台として、
感動物語に偏向しがちな業界への批判、
合わせてビジネスという観点での難しさ、作り手の苦悩を
さまざまな立場の関係者の群像劇として
複雑、多層的にみせる構成がすばらしい。
冒頭とラストの屋上シーンの対比も見事。
自分に嘘をついても、逞しくしたたかな人間が生き延び、
自分に嘘をつけない正直な人間は、
救いの希少な現実世界に苦しみ、落ちていく。
明快な示唆、シンプルな答えによって
誰かが背中を押してくれることなんてほとんどなく、
それぞれが悩み、苦しんで答えを探していくしかない、
そんな複雑な現実世界を肯定してくれるような映画でした。
真実の行方‼️❓フィクションのリアリティ‼️❓
絶望への行進
セピア色がかった画像。
昭和を感じさせるレトロなオフィスの室内。
やはり昭和を感じさせる半ば朽ちたようなアパートや建物群。
そんな風景を背景にしてある映画製作の光景が描き出されます。
感動的な実話の映画化に向けて最初は希望に溢れていた関係者たち。
けれどクランク・インが近づくにつれて漂いだした微かな不協和音がやがて轟音をたてて関係者を巻き込んでゆく様が、淡々としているだけにかえってその逃れようのない閉塞感と絶望を際立たせて描き出されます。
本作の主人公は映画の原作となった実話の少女を始めとした様々な立場の若い女性たちだと思いました。
レトロな背景と対照的な彼女たちのイマドキ風な生態。
様々な立場と言っても、それは皆が堕ちてゆく地獄にどれだけ近いか遠いかの違いに過ぎないように思われます。
素直に堕ちてゆく少女たちと、彼女たちを取り囲む建前と正論のバランスをとれない大人たち。
現代社会が孕んだ絶望感を斬新な切り口で提示した作品でした。
やりきりないなぁ…
逆火(ぎゃっか)は、ガス火炎を使用中に火炎が火口からガスの供給側へ戻る現象。 機器類を破裂させることがある。
(Wikipedia)
緻密に計算された脚本/演出に裏打ちされた なかなかの傑作だとも思うが……
本篇について論じる前にまずはこの作品のキャッチコピーについて。「この女は、悲劇のヒロインか、犯罪者か?」とあります。ポスター•ビジュアルではこのコピーを縦書き3行にして赤い字で上から下へと配し、船が何隻か浮かぶ海を背景にして、この映画の登場人物のARISA(演: 円井わん)と野島(演: 北村有起哉)が並んでベンチに腰をおろしています。このキャッチコピーの「この女」とは ARISA のことで、公式サイトにあるあらすじを読んでみても、この映画で中心に描かれているのは ARISA のことだと錯覚します。でも ARISA はこの物語の中では、いわば化学の実験における触媒のような存在で、その実験の中心にあって化学反応を起こしているのは、彼女の自伝的小説を映画化した『ラストラブレター』の助監督を務める野島なのです。この映画は徹頭徹尾、この野島の物語です。この『逆火』という映画のプロモーションには「羊頭狗肉」(羊の頭を店先にかかげて犬の肉を売るというヤツですね)感を感じてしまいます。
まあでも映画の中身は犬の肉などではなく、なかかなか上質の肉と言ってもいいと思います。物語は上記の『ラストラブレター』のクランクイン直前からスタートします。映画の原作である ARISA の実話を基にしたと言われる自伝的小説の内容に疑念を抱いた野島は彼女の過去を調べ始めます。小説の中では彼女は体の不自由な父の面倒を彼が事故で亡くなるまでみた健気なヤングケアラーです。でも実態はそんな美談などではなく、父親のDVがあったり、父親にかけられた生命保険があったり、おまけにARISA(有紗)の少女時代の素行が芳しくなかったり、とドロドロしていたことがわかってきます。野島は真実ではない美談を映画にしてよいかと苦悩し、監督(演: 岩崎う大)やプロデューサー(演: 片岡礼子)とも相談しますが…… と、苦悩する職業人として野島。
一方、家庭人としての野島も娘のことで苦悩しています。素行不良の娘はホストに入れあげてカネに不自由している模様。新宿の東横あたりにも出没しているみたいで父親の言うことなどまったく聞かない。野島は仕事中心の生活で家庭のことをあまり顧みてこなかったようで、娘とコミュニケーションがとれません。妻ともとれてない感じです……
と、現代の社会問題と絡めながら物語は進んでゆきますが、中心にいるのは野島。私も身につまされますが、彼は職業人としても家庭人としてもなんだかポイントもタイミングもズレている感じで、視野が狭く、問題点を客観的に俯瞰して見ることができません。でも、この映画の最初の部分の描写からすると、彼は助監督としてはなかなか優秀で監督やスタッフとの関係もいいみたいです。小器用で調整役には向いているけど、肝心要のところでは何もできなかったり、余計なことをしてしまう…… そんなタイプでしょうか。
結局、野島は物語のラストで家庭人として、というか、人間として、かなり重い結末を受け止めざるを得なくなります。
ということで、この『逆火』、脚本、演出ともしっかりとしているし、俳優陣の演技も北村有起哉を筆頭にいいし、なかなかの傑作だと思いました。でも、この映画、好きか? って訊かれたら、私はうーんと唸りながらノーと答えると思います。確かによく計算された脚本、演出なのですが、作り手側のあざとさのようなものを感じてしまうんです。実は一番最初に決まっていたのはあの重いラストシーンではないか、あのラストありき、で後ろから前へとストーリーを構築していったのではないか、という考えが鑑賞直後に頭に浮かびました。そうなったのも、物語の運び方に人工的で不自然な何かを感じていたからかもしれません。緻密に計算されているけど、ちょっとあざとい。作り手側がこうなら、送り手側(配給側)も最初に書いたようにちょっとミステリーっぽく宣伝しようとしていて、これまた、あざとい。鑑賞後に違和感を感じてしまって評価に困ってしまう、そんな作品でした。
煩悶し憔悴する北村有起哉の演技が素晴らしい
『ミッドナイトスワン』の内田英治監督による作品で、主演は北村有起哉でした。中学時代にヤングケアラーだった小原有紗(円井わん)が執筆したノンフィクション小説を原作として、これを映画化するプロジェクトに助監督として参加する野島浩介(北村有起哉)を中心に展開していきます。
有紗は、半身不随となった父親を懸命に介護していましたが、ある日その父親が階段から転落し死亡。彼女は、父の残した保険金をもとに成功を掴んでいきます。しかし、浩介が取材を進めるうちに、小説に書かれた内容と実際の出来事がまったく異なることが明らかになっていき、浩介は深く煩悶し、次第に精神的にも追い詰められて行きました。
実際の父親はDV加害者であり、有紗自身も彼を憎んでいました。また、有紗は金銭目的で“パパ活”も行っていた過去があり、さらに、父親の死も彼女が手を下した可能性すら浮上します。こうした事実を知った浩介は、監督(岩崎う大)やプロデューサー(片岡礼子)に映画の制作延期や中止、内容の見直しを訴えますが、関係者の生活や制作会社の経営などを理由に却下され、彼の苦悩はさらに深まり、ますます憔悴していきました。
本作の魅力の一つは、3組の「父娘関係」の絶妙な対比と絡み合いにあります。
まず一つ目は、浩介と娘・光(中心愛)の関係。通信社で安定した職に就いていた浩介が、夢を追い映画の世界に飛び込んだことで家計は悪化。妻(大山真絵子)は派遣社員として働くことを余儀なくされ、光も経済面で犠牲を強いられていました。過去の有紗と同じように、夜の仕事で金を稼ぎホストに貢いでいる様子が描かれます。浩介はそんな娘に手を焼きますが、客観的に見ると、妻や娘とのコミュニケーション不足が家庭崩壊の遠因であったことが伺えました。
二つ目の父娘関係は、有紗と実父との現実の関係。先述の通り、父親は暴力的で、有紗は彼を深く憎んでいました。
三つ目は、有紗が小説の中で描いた父娘関係。小説では、有紗は愛情深く父を介護し、父の転落死も「自分に傘を届けようとした父が足を滑らせて死んでしまった」という悲劇として描かれます。さらに、父が密かに加入していた保険の存在を死後に知る、という筋書きになっていました。しかし、これらはすべて創作であり、保険金の話も生前から知っていたというのです。こうした事実に直面し、苦悩する浩介の姿には共感せざるを得ません。
特に興味深かったのは、有紗のキャラクターの変化です。最初の登場時には明らかに観る者に不快感を抱かせる存在だった彼女が、浩介との関係を深める中で小説が虚構であることを認め、次第に浩介に心を開いていく様子が丁寧に描かれていました。小説に描いた理想の父親像を夢見ていた有紗が、「浩介のような人が父親だったらよかった」と語る場面は、感情を大きく揺さぶられる瞬間でした。もしこれが“パパ活仕込み”の計算だとすれば驚きですが、文脈から見る限り、彼女の本心だったように思え、それがまた切なく印象的でした。一方で、浩介と実の娘・光との関係は改善するどころか、さらに悪化していきます。
こうした3つの父娘関係の描写は非常に巧みで、物語全体に深みを与えていました。
また、映画制作における「虚構」と「現実」の取り扱いについても、内田監督自身の葛藤が投影されているように感じられ、印象的でした。有紗の真実を知って映画化に疑問を抱く浩介と、ヤングケアラー問題を象徴的に伝えることの意義や、制作現場の事情から続行を求める監督やプロデューサーたちの対立は、現実の映画制作の裏側を覗かせるようで興味深いものでした。
一方、映画的な省略については納得できるものとできないものがありました。前半の山場である浩介と監督の対話シーンは、非常に重要だった一方、監督が有紗の真実を聞いても動じない様子はやや不自然でした。もし真実を知っていて映画化を進めていたのであれば、それは相当な悪人ともなりますが、そうではないと思われるだけに、もう少し驚きや葛藤を見せてほしかったところです。
ただ、終盤の“省略”は非常に効果的でした。浩介が通信社の取材に応じた直後、一気に1年後へと時間が飛ぶ演出。有紗をモチーフとした映画がフランスの映画祭(カンヌ風)で賞を受賞し、高評価を得たことが示されます。一方で浩介が、小説の真実性に疑いを持った通信社の取材にどう応じ、通信社がどのような記事を書いたのかは明示されず、観客の想像に委ねられていました。このように、観賞後の余韻を残す作りは非常に好ましく感じました。
そして、終盤の悲劇的な展開の演出もまた見ごたえがありました。内田監督らしく、後味の悪さを残す展開でしたが、それがまた本作の印象を強くする要因ともなっていました。
最後に、何よりも印象的だったのは、主演・北村有起哉の演技です。仕事と家庭、両面で悩みを抱えながらも映画制作に没頭する男の姿を、リアルかつ繊細に演じていました。有紗役の円井わんについては、当初ミスキャストではないかと思ったものの、物語が進むにつれてその印象は覆され、特に中学生時代を自然に演じ切った姿には説得力がありました。監督役の岩崎う大も、実在の映画監督のような存在感で、キャスティングとして非常に的確でした。
全体として、本作は「虚構と現実」「理想と現実」「親と子」というテーマを通じて、多層的に観客に問いを投げかける秀作であり、見応えのある一本でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
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