夏の砂の上のレビュー・感想・評価
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ハッピーエンドは通過点
水(雨)の事故で息子を亡くし自分を失った男が、出会いと雨(水)をきっかけに再生して行く物語。
個人的にはおぞましい人間が3人登場しますが、それらに対比して長崎のロケーションがとても綺麗です。
映画、ドラマにおいて時折ハッピーエンドか否かが話題になる事があるけれど、実際にはその後も人生は続いてゆくわけでハッピーエンドは通過点に過ぎない。そんな事を劇終盤のアクシデントを見ながら感じました。
オダギリさんと松さんの最後のやり取り。恵子のキっツイ台詞に対して放つ治の言葉が極めて強烈で、あまりの破壊力に笑ってしまった。治は意図してなかったと思うけど、その後の恵子の表情、松さん流石。
ただ全体としてお客さんの観る「力」に頼り過ぎかなと。説明し過ぎる映画もどうかと思いますが、やはり伝わる事も大事ですから。
役者がいい
水と坂と猫と煙草と残心
「砂の上にも立つ二人の強固な結びつき」
まったくの予備知識なしで監督が「そばかす」の玉田真也監督、キャストを見れば、オダギリジョー、高石あかり、松たか子、満島ひかり、に誘われるように映画館へ見に行った。
お客さんも8割くらい入っていて、私みたいな中高年、若いカップル、年齢層も幅広い人たちを集めていました。
私の感想文を読んでください。
【映画感想文】
80年前、世にも恐ろしい爆弾によって火と血にまみれた街に強い雨が容赦なく降り注ぎ川は激流となっていた。
小浦治は、幼い子供を亡くし、仕事を失い、妻に浮気され家から出て行かれた、まさに三重苦に陥っていた。そこに妹が、娘優子をしばらく預かってほしいと言われやむなく姪の優子と同居することになった。
仕事を探していないと元同僚に叱責され小浦は激怒する。小浦は無力であるとともに頑張る意志も力もすでに枯渇していた。吸い上げようとしてもカラカラに干上がった井戸のように。
預けられた優子は学校にも行かずバイトをしている。ただ優子も無気力で何もない。目標、やりたいこともなく、そもそも生きる意味も持てないでいる。
優子の親代わりとなった小浦と優子の共同生活は、なにかまったりとした余裕がある。優子に嫌いなことは無視しろという小浦の言葉は、軽いのではなく自分の思い通りに生きよというあたたかみにあふれているのだ。どっちにしても行き詰っている二人は変わらない。
連日暑い日が続き、断水状態になっているとき、突然強い雨が降ってきた。優子は待ち焦がれていた雨に歓喜し鍋を持って外に出てずぶ濡れになりながら雨を集める。小浦もそれを見て濡れながら喜んでいる。
この雨は80年前の火の海を消し、小浦と優子の行き詰ったやるせなさすべてを洗い流し、枯渇した心に水がたまったように、まさに恵みの雨であった。
小浦は妻と正式に離婚した。小浦はふと妻に漏らす。何年も連れ添ってきたのに何も憶えていないと、まるで砂上の楼閣であった。
優子は小浦の家を出る決心をする。新しい生活に挑むのだ。小浦と優子は別れる。何年も連れ添おうが妻を忘れ、短い時間だが優子とは心が通い合った別れであった。言葉や態度ではない。それほど二人は傷つき生きる意味を見失っていたことを強固な結びつきで理解していた。
暗く一見救いのない映画のように見えるが、すべてを失っても砂の上にすら残るつながりがあれば、それが心の芯として生きていける、わずかな希望にみちた映画であった。
ひと夏の成長物語としてよかった
少年少女のひと夏の成長を描いた映画。ジャンル名こそない(聞いたことがない)が頻繁に見かける。若干年が上の世代だが、実は本作もそんなひと夏の成長を描いた映画だった。
オダギリジョー演じる治と、髙石あかり演じる優子。この2人を軸に物語が展開していくが、どちらがメインなんだろうと思う。やはり治なのかな。息子の死、失業、別居と三重の苦しみを味わっている姿がつらそうでやたらと切ない。
でもスクリーンに映る優子が気になってしまう。挨拶はできるし無愛想でもないのに生気がないように見える表情。誰も自分になんて興味ないんでしょという態度。それが、治やバイト先の先輩立山と交流するうちに変わっていく流れだ。特に治の妻への態度は、優子の育った環境に対する嫌悪感みたいなものを感じさせて印象に残る。そして雨のシーン。治と優子の心がつながりあう、とてもいいシーンだった。出演している俳優はすごい人ばかりだったが、あの存在感をだせるのだからやはり髙石あかりはすごい。
優子が立山に書いた手紙とか優子の過去とか、説明不足な部分はある。優子も自分の将来を選択できない年代なんだよなという切なさも感じる。でも、最後の治の表情にちゃんと救いがあった。いい終わりだ。
本当におったとや?子供が、おい達に。
とても喪失感に支配されてて、心がぎゅうと潰されたままの二時間だった。それぞれの過去や感情の訳が、ゆっくりじっくり明かされていき、そのどこに自分の身を委ねようとしても居心地が悪く、辛くて悲しくてやり切れない。おまけに、夏の長崎ってどうよ。福岡からやってきた姪の優子が無神経に「ピカッーって光って、全部なくなってしまったんでしょ?この街」という。そんな無感情な余所者にはわかりきれない、夏の長崎の悲劇がある。それを長崎の人たちは言外に心に抱えている。そんな時代背景の上に、この家族の物語があると思うとさらにやるせなくなってしまっていた。小浦と優子。子を亡くし妻を失った男と、親に見捨てられた子、共鳴し合う二人。それがわずかな救いだった。
鑑賞後の満足度は悪くなかったけれど、どこか既視感のあるストーリーなのが惜しいか。それでもいいというのならいいのだけれど。土地が違えども佐藤泰志の世界観と酷似(そういえば彼の原作の映画にオダギリジョーは出演してな)していたし、姪を預かる設定は、ホアキン・フェニックスの『カモン・カモン』(こちらは甥)の二番煎じとしか思えなかったのが残念。
暑さが伝わってくる
気になってた映画で好きな俳優も出ていたので鑑賞しました
雨が一滴も降らない、からからに乾いた夏の長崎。
幼い息子を亡くした喪失感から、幽霊のように坂の多い街を漂う小浦治。
妻の恵子とは、別居中だ。この狭い町では、元同僚の陣野と恵子の関係に気づかないふりをするのも難しい。働いていた造船所が潰れてから、新しい職に就く気にもならずふらふらしている治の前に、妹・阿佐子が、17歳の娘・優子を連れて訪ねてくる。おいしい儲け話にのせられた阿佐子は、1人で博多の男の元へ行くためしばらく優子を預かってくれという。こうして突然、治と姪の優子との同居生活がはじまることに……。
高校へ行かずアルバイトをはじめた優子は、そこで働く先輩の立山と親しくなる。懸命に父親代わりをつとめようとする治との二人の生活に馴染んできたある日、優子は、家を訪れた恵子が治と言い争いをする現場に鉢合わせてしまう……。
というのがあらすじ!
観てるだけで暑さが伝わってきましたね…
夏だからなのかもしれないですけど…笑
この時代にエアコンが壊れるのはほんとに命の危機です笑
そして長崎の街並みがよかった!
一回だけ長崎には行ったことあるんですけど見たことある景色があってちょっとテンション上がりました!
もう一度行ってみたくなりました😊
小浦治が前を向いて進んでいくまでの物語だったように思います
優子と少しずつ心を通わすところがよかったですね
たくさん会話をするわけではないですが雨の降るシーンで一気に距離が縮まった気がします
優子が消えてしまいたいって言ってたけど気持ちわかるなって思いました
そして治はいろいろ失っていましたね
子どもに仕事、妻に友人、最後は指までも…
葬式のシーンなんて陣内の妻が怒る人間違ってるなって思いましたもん笑
怒りの矛先は旦那と治の妻に向けるべきだと思っちゃいましたね…
しかも妻の恵子は式場に向かったけどどうなったのか気になる…笑
指を切ったシーンはその前から危なそうって思ってたから
案の定と思いましたけどかなり痛そうでした…
でもあんまりショックな感じが見えなかったような気がします
意外とあっさりしてましたね
みなさんの演技がとてもよかったです!
いい映画をありがとうございました!
希望に向かっていくストーリーに救われる見応えのあるドラマに満足です
蝉が鳴く火傷しそうなほどの真夏の日差し、蜃気楼の様にゆらゆらする風景、うだるような暑さの中で汗をかきながら上る長崎の坂の町・・・が何とも居心地の悪さを突きつけてくるけど、希望に向かっていくストーリーに救われる見応えのあるドラマに満足です
子供、職、妻をなくし失意のドン底でなんとかギリギリの精神状態で生きている主人公 治を演じるオダギリジョーさんの演技が素晴らしい
中盤、絶望から完全にキレる演技は圧巻、それを必至で抑えようとする姪の優子を演じる髙石あかりさんの演技も素晴らしかったです
そして2人が全てを洗い流す様に叩きつけるどしゃ降りの雨の中でふざけ合うくだりは何だか観ているこっちも心洗われる気分で、いいシーンだなと思いました
優子の役が人とのコミュニケーションが苦手だったり過集中があったりする設定なんだろうけど、治とは初めから普通に話したり、時折 同僚との飲み会で毒はいたり、出会ったばかりのバイト先の先輩で高橋文哉さん演じる立山の誘いに簡単にのってしまい結局しないけど、セックスしようとしたりとちょっと謎な人物ではあるけど、それだけ精神が不安定ってことなんでしょうか、若干 不可思議でした
優子の母親を演じる満島ひかりさんのダメ女っぷりがメチャクチャ合ってた(笑)し、松たか子さんの終始 機嫌が悪そうで疲れ切った仏頂面もなかなかの凄味があったし、光石研さんは相変わらず人の良さそうなオジサンを演じているし、と実力派俳優たちが脇を固め、とても見応えのある良い作品にまた出会えました
叔父と少女。ふたりで暮らして得たもの。
我が子を亡くしてしまうことは想像を絶するほどの哀しみと喪失感がある。子どもが居る幸せを一度知ってしまうと、二人だった頃の幸せでは物足りない。出来てしまった余白に何を入れたらいいのか分からない。そして…入れるものは何もなかった。二人は、二人で、見つけられなかった。最初から子どもが居なかったら、生涯を共にできたのだろうか…
愛を知らない少女は、愛の受け取り方が分からない。求められたらただ応えるだけで、そこにはなんの感情もない。彼の家にお呼ばれされたものの、ふつうの家庭を知らないから馴染めない。逃げて帰ってきてしまうのも無理はない。居心地が悪かったのだろう、家族愛なんてものがよく分からないから。場違いだと思って、惨めな気持ちにもなっていたかもしれない。
少女は愛を失った叔父の憂いを感じながら、少しの日々を生きた。愛を追い求める母親との暮らしとはまた別の家族のかたち。叔父をかばい、叔父をなだめ、叔父と笑う。そのどれもが愛ということを、彼女はまだ知らないままだろうか。雨の日のできごとが叔父との思い出として心の片隅にいつまでも残りますように。ぬくもりが消えませんように。と願う。
愛を追い求めて夜に生きる女の「今度は大丈夫」という言葉ほど信じられないものはない。叔父と少女との二人暮らしが、また何年後かに始まるかもしれない。
愛は失ったが、愛とは何かを知っている叔父。少女からの愛に触れ、安堵し、晴々としたようにも見える表情が印象的だった。
暑い
渇くことの厳しさと潤うことの大切さ
不思議な作品です。
生きることに疲れた男と、その家に預けられた姪の話。
二人とも、とことん不器用で生きるのが下手なんだが、絶望まではしていない。お互いに接点を持たないように生きていながら、共に暮らしていることで絆が生まれていきます。
渇水の長崎を舞台に二人の先の見えない生活が続きます。渇いた街の渇いた生活。
二人が少し前向きになったとき、ついに長崎に雨が降り、二人の微かな絆が確かなものになります。
男はいくつかのものを失い、姪は新たな街に旅立ち、二人の短い共同生活は終わりますが、それは二人のこれからをしっかり支えるものとなっていくでしょう。
何かが明確に起こるわけではなく、わかりやすい説明もない。それでいて見たことで心にしっかりと残る作品でした。
砂の上に成り立っている人生
原作は全く知りませんが、文学的な物語で、ひょっとして名作なのでは思いました。
簡単に言えば、主人公の治は優子(姪かな?)を預かっている間、踏んだり蹴ったりの人生を送ることになりますが、ラストに優子は自らのお金で買った帽子を治に贈ります。この場面が非常に胸に沁みます。
治の家は、坂道に建てられていて、地震等が来たら脆く崩れるのではないかと思います。砂の上にある物は、土台がしっかりしていないため、何でも脆く崩れてしまいますが、わずかな希望でも持てば、原爆投下の長崎が復興したように幸せな道が開けるのではないかと感じる映画でした。
ミニマリズム文学? よくできた短篇小説のような潔さが光る佳作 でも時代感覚にはズレ
映画を観ている最中に私が30年ほど前に読み漁っていたレイモンド•カーヴァーの短篇小説群のことを思い出しました。その頃の私はこの映画の主人公 小浦治(演: オダギリ•ジョー)ほど酷くはないにしろ、公私ともドツボはまりの状態にありまして、当時の気分にぴったりだったカーヴァーの短篇を次から次へと読んでいたという次第です。
レイモンド•カーヴァーは1970-80年代に活躍したアメリカの短篇作家で1988年に50歳の若さで亡くなっています。日本には村上春樹が翻訳して紹介されました。アメリカの「立派ではない」人々の人生の断片を切り取って淡々と描写した短篇を得意としていました。彼の短篇にはこの映画の主人公の小浦治のようなドツボにハマってる人物もたびたび登場します。彼はミニマリズム文学の代表的な作家とされています。簡潔で直接的な表現で登場人物の日常生活や内面を淡々と描写しました。
この映画は戯曲が原作ということもあり、なんだかミニマリズムっぽい感じです。ちょっと閉塞感のある地方都市•長崎での、主人公とその周辺にいる人たちのある夏の日々が現在形で淡々と描かれてゆきます。
主人公の治はかなり酷いドツボはまりの状態にあります。息子を亡くし、職を失うというダブルパンチのあとに、妻の恵子(演: 松たか子)に逃げられて塞ぎ込んでいたら、妹の阿佐子(演: 満島ひかり)がやってきて彼女の娘の優子(演: 髙石あかり)をしばらく預かってくれないかと押し付けられる始末です。阿佐子と優子の年齢差からいって、阿佐子はいわゆる「ヤンママ」(「ヤン」は「ヤング」のヤンとも「ヤンキー」のヤンとも言われておりました。昭和末期の頃の流行語)のなれの果てといった感じで、男癖があまりよくない雰囲気も漂っております。私はここで治にとっては姪にあたる少女の名前「優子」に軽い違和感を覚えました。ヤンママの娘の名前が優子ってけっこう古風だな、と。あ、そうか、’80年代の始め頃にヤンママが生んだ娘なら優子って名前はありだよな、ということで、’90年代後半頃のお話かな……
実はこの映画の原作は1998年初演の戯曲です。ということで、90年代後半頃を舞台にしているらしいことは納得できます。登場人物の女性たちの名前が「…子」ばかりであることも、バブル経済崩壊後で造船業が不況に陥ったことも。ところが、映画のほうではスマートフォンが出てきたりして現在の長崎を舞台にしている模様です。なんだか30年前の物語をムリやり現在に移植した感があってそこだけが少し残念でした。
でも、私はこの映画の表現スタイルはけっこう好きです。今そこにある現在だけが頭から順に淡々と現在形で描写されてゆきます。説明的な回想シーンとか入りませんし、時間軸を弄ったりもしません。時折り優子の視点が入りますが、基本的に治の視点で余計な説明抜きで簡潔に直接的に表現されてゆきます。
あるドツボはまりの状況下にいる中年男のもとに、運命に弄ばれ漂流している感のある彼の姪がやってきて少しの間だけ時間を共有するーー両者にとってたぶん忘れることはないであろう、長崎でのあの夏の日々…… 人生の断片をスパッと切り取って余計な装飾を施さず、簡潔に描くーーそこによくできた短篇小説のような潔さを感じました。
長崎の街並みが美しい
雨が降らず乾き切った長崎の街を舞台にそれぞれの男女の人間模様を描いたヒューマンドラマ。主演と共同プロデューサーを兼ねたオダギリジョーと絶賛売り出し中の高石あかりの共演が見どころで雨のシーンが非常に印象的でした。長崎の街並みを映した景色も非常に美しく見栄えのする映像です。
2025-104
オダジョーさん、大丈夫か?
とても良かったです。
あれ程の短期間に、あのような出来事が立て続けに起こって、これからどうやって前向きに生きて行くか、オダジョーさん、本当に大変だと思いました。
鑑賞動機は松田さんの原作だからです。古い話ですが、黒木和雄監督との作品は大好きです。今作ももし黒木監督が生きていたらどんな演出をするのだろうかと、最初は考えながら観ていたのですが、直に玉田監督の演出に引き込まれました。
坂の演出が素晴らしいですね。室内シーンもロケでしか出せない生活感が漲っていました。
キャストはもちろんオダジョーさん、あの飄々とした佇まい、寂しそうで、無気力に見えて、でも優しくて、雨水のシーンの楽しそうな顔。やっぱり主演俳優はこうじゃなくちゃと言った感じです。
髙石あかりさんは、例のアクション映画は最初の1本でつまらなくてギブアップしたので主演級で観たのは初めてでした。なんか、危なっかしい演技が絶妙でしたね。おいおいおいおい、高校生がいいのかよ!? って何回も思いました。最後、「残れよ!」と感じたわたしはハッピーエンド支持者です。
松たか子さんは南果歩さんかと思いました。なぜあの佇まいだったんでしょうか。満島さんの作品は久々に観ました。篠原さん、とても良かった。最近は、欠かせない女優ですね。
演出では、「暑さ」を余り感じなかったのがどうかなぁと思いました。歩く、食べる、働く、喧嘩する、Hする(途中までですけど)、どのシーンも汗を感じませんでした(と言うか、汗かいてない。クーラーない設定でしたが)。意識的なんでしょうか。
いやー、でも長崎の街は魅力的ですけど住むのは大変そうですね。断水は日常的なんですか。旅行で行くなら寒い時期にします。
まとめれば、もう一度見たくなる素晴らしい作品でした。
もう少し掘り下げてほしかった *7月12日追記あり*
***注***本編以外に「美晴に傘を」のネタバレを含みます
そう言えば設定がとても似ている映画を思い出してしまった。
「美晴に傘を」(2025年製作)と共通点が多い。
・息子を亡くした主人公は海がある街で一人暮らしをしている
・夏のある日。その日は息子が亡くなってからの節目の日だった
・疎遠だった親族(シングルマザー)が、アポなしで、しかも
居候することを前提に娘を連れてくる
・娘は若干人と違うところがある
・主人公は渋々居候を受け入れる
・連れて来た娘と地元の人々とのひと夏の交流
・地元で度々行われる居酒屋での飲み会
・この夏の出来事を通して登場人物それぞれに少しずつ変化が訪れる
本編の元となった戯曲「夏の砂の上」は1998年に舞台化され
何度か上演されたようだが「美晴に傘を」との関連性は分からない。
「夏の砂の上」の脚本・監督、そして「美晴に傘を」の脚本・監督も
自身の劇団を主宰している人という共通点がある。
勝手な想像だが業界内でテンプレート(ひな形)を共有しあって
それぞれが自分なりに加筆して映画化しているのかな?知らんけど。
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以下、7月10日に投稿済み
合うか合わないかで言ったら合わない方だった。残念。
予告編を見た限りでは何かしら心に残るものがありそうだったし
出演者に髙石あかりの名前があったので鑑賞。
オダギリジョー・松たか子・満島ひかりといった主役級の役者さん
たちも出演しているので期待した。でも自分に響く内容ではなかった。
”愛を失った男、愛を見限った女、愛を知らない少女”という触れ込み
だったがそこに至る経緯・心の変化が映画の中で語られていないので
登場人物に共感しにくい。
主人公の小浦治は幼い息子を亡くした喪失感から妻・恵子と別居。なら
どれほど息子を可愛がっていたかが描かれていても良さそうなものだが
その肝心な部分は回想としても出てこない。
息子が事故死した直接の原因が彼にあるのなら自責の念が強くあると
いうことで納得もするが(自分の見落としでなければ)その詳細は
描かれていない。
タクシー会社に再就職した元同僚も事故死!それにしても今年何本
事故死を扱った邦画を観ただろう?もう数えるのも面倒くさい。
妻・恵子はどの時点で夫を見限ったのか、なぜ別の男の元へ行こうと
したのかもよく分からない。
治の姪・優子が愛を知らないというのは単純に恋愛未経験のことを
言っているのか愛のない家庭で育ったことなのか?対人関係で何か
心を閉ざしたくなるような経験をしたのか?
そんな感じで脚本の段階で人物の成り立ちが曖昧なままだった。
演者だってこの脚本で具体的にどんな人物として演じたらよいのか
やりにくかったのではないか。
役者さんたちの演技自体は良かった。中でも短い出演場面ながら
しっかり存在感を示した満島ひかりはさすがだと思った。せっかく
良い役者さんがそろったのだから、人物像の掘り下げがもう少し
あれば映画の印象も変わっていたと思う。
結局あの夏の出会いと別れで登場人物それぞれは何を感じ、その後の
人生にどんな影響があったのか?もう少し具体的に見たかった。
”不器用ながらも懸命に父親代わりを務める治”って、父親らしいこと
何かしたっけ?ヤリモクの男が家にいたのを追い出すところかな?
治と優子に疑似親子的な感情は芽生えたか?その他諸々、行間を読む
とか想像で補う系なのかもしれないが鈍い自分には分からなかった。
あまり自分の感情を揺さぶられない映画だった。その中で一番良かった
のが終盤近く、断水の後久しぶりに大雨が降ってありったけの鍋に
水を溜めた後の場面。飲めるかな?と飲んでみたら意外に美味しい。
そこからの”室内水掛け祭り”が楽しそうで見ているこちらも楽しい
気分になった。吹っ切れて心機一転できたのならあれは良かった。
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恥ずかしながら松たか子が出ているのに松嶋菜々子と混同してた。😳
長崎の夏は暑いけん。それは昔から変わらんと。
時代や街は目まぐるしく変わってゆくけど自分の中にある想いは変わらないでありたいと。
まるで氷河のように時間がかかるけど少しずつ少しずつ動いて流れていたのに、まるで気候変動のようになり氷もいっきに溶け崩壊してしまった。
色々あり目が覚めたら夏の日差しが相変わらずキツかったのに気付いた。
時間は平等に流れているのに個人差があるからお互いの事を理解するのがなかなか上手くいかないよね。
別に裏切ったり捨てたりした訳じゃないけどミスマッチが余計な感情を生み出してしまうんだよね。
劇中にピカッと光ったら何もかも消えてしまった。私も消えたい。みたいに表現したけど。やはり……いかがなものか。
まともに学校も行かせてもらえないし愛もよくわからない環境で育ったとはいえ。
それなのに伯父さんの痛みは理解してあっさり寄り添うように見えたのがちょい安易かな。うん。
もう少し丁寧に、長崎の坂道を映したように丁寧に描いて欲しかったな。
でないと観た側からすると色々ちょっと乱暴に観えちゃう気がするね。
でも………でも良かったです。キャラクターの持ち味に長崎の夏。
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