劇場公開日 2025年7月4日

「独り彷徨う石畳。頬に零れる涙雨。乾いた心に沁みて行く」夏の砂の上 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5独り彷徨う石畳。頬に零れる涙雨。乾いた心に沁みて行く

2025年7月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

幸せ

斬新

1998年初演の戯曲の映画化と聞く。

主演の『オダギリジョー』は共同プロデューサーにも名を連ねている。
そう言えば彼は〔ある船頭の話(2019年)〕で監督・脚本も務めていたか。

舞台は坂の町、長崎。

急峻な山が海っぺりまで迫り、
住宅は斜面に寄り添うように林立。

見るだけで閉塞感はあり、
登場人物たちは始終階段を登り降っており、
彼等・彼女等が置かれた境遇のメタファーでもあるよう。

また、嘗て原爆が落とされた場所でもある。
戦後生まれの女性の口を通し
その様子は語られるが、
そこまでのリアリティは感じられない。

『小浦治(オダギリジョー)』は以前に幼い息子を事故で亡くしている。
働いていた造船所が倒産し、今は定職にも就いていない。

妻の『恵子(松たか子)』との間には距離が生じ、
今は別居している。

独り暮らす『治』の家を
妹の『阿佐子(満島ひかり)』が訪れ、
十七歳の娘『優子(髙石あかり)』を唐突に押し付けて行く。

二人だけの、奇妙な共同生活が始まる。

ここで”よそ者が来ることで世界が変わる”物語になるかと思えば、
その変化は微か。

また”喪失と再生”や”疑似的な家族関係”についても同様で、
何れもビビットな動きは見られない。

物語りは既存のストーリーや鑑賞者の期待をことごとく外して進行する。

ドラマは無いわけではない。

『恵子』との関係の行く末や、
高校にも行かずアルバイトを始めた『優子』の異性関係と
それなりの出来事は盛り込まれる。

また『優子』は『治』に
父親に抱くのに近い想いを持っているようで、
一連のエピソードは心を暖かくさせる。

それがどれもぷつんと途切れてしまう描写で、
意図的な肩透かしを目論んでいるよう。

勿論、最後にはそれなりの光明は示されるも、
そのために払う犠牲は大きい。

人が生きるスタイルは、
そうドラスティックに変わらぬのだとの、
過去作品へのアンチテーゼのようにも感じる。

〔長崎は今日も雨だった〕との唄もあるように、
同地は他の都市に比べ降雨量が多いよう。

嘗て、息子の命を奪ったのも雨だが、
その年はじりじりと太陽が照りつけ、
水不足が理性も刺激する。

感情はなかなかに爆発せず、
思いは表情から読み取るほかはない。

が、終幕で突然恵みの雨へと変わり
万感と精神が解放されるのは
〔台風クラブ(1985年)〕での乱痴気騒ぎを想起してしまった。

ジュン一
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