「長崎は今日も雨だった」夏の砂の上 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
長崎は今日も雨だった
オダギリジョーが主演と共同プロデューサーを務めており、まさに「オダジョーの、オダジョーによる、オダジョーのための作品」と言える一本でした。
長崎の造船所に勤務していた小浦治(オダギリジョー)は、会社の倒産によって失業。不幸はそれだけに留まらず、数年前の豪雨の際には、最愛の一人息子・アキオ(5歳)が排水溝に転落し、命を落とすという悲劇にも見舞われたことが明かされます。その出来事がきっかけだったのか、妻・恵子(松たか子)との関係も悪化。やがて恵子は、治の元同僚・陣野航平(森山直太朗)とダブル不倫関係となり、家を出て行ってしまいます。
また、やはり元同僚であり、造船所閉鎖後はタクシードライバーとして働いていた持田隆信(光石研)も、仕事中の交通事故で命を落とすなど、周囲の状況も悲劇に満ちています。治自身も、ようやく再就職を果たした中華料理店で、調理中に包丁で自らの指を三本切り落とすという事故にも遭い、まさに踏んだり蹴ったり。
そんな治のもとに、妹・阿佐子(満島ひかり)が、姪の優子(髙石あかり)を半ば強引に預けていきます。ようやく優子との間に小さな絆が芽生え始めた矢先、気まぐれな阿佐子が突然彼女を連れ戻してしまうという展開も加わり、まさに不幸の連続といえる物語でした。
こうして書き出してみると、徹底して暗い内容のように見えるのですが、実際に鑑賞してみると、坂の街・長崎の穏やかな風景と、ゆったりとした空気感が全編に漂い、不思議と重苦しさを感じさせません。そして、どんな逆境にも飄々と生きる治の姿に、かえって勇気づけられるという印象すら覚えました。
特に印象的だったのが、物語の冒頭と終盤で繰り返される大雨のシーン。これは、息子を失った過去と向き合う治の内面を象徴するものであり、また、バケツで雨水を集め、それを治と優子が一緒に飲む場面に象徴されるように、優子との関係を通して、治の心に突き刺さっていた「喪失」の棘が、少しずつ抜け落ちていく過程が丁寧に描かれていたように思えました。渇水に見舞われた夏の長崎は、乾ききった治の心のメタファーであり、そんな彼の心に慈雨=潤いをもたらしたのが、他ならぬ優子でした。
作中唯一の挿入歌として登場したのが、持田が酔ったときに口ずさんでいた「長崎は今日も雨だった」という点からも、まさに「雨」というモチーフが全編を貫く、象徴的な作品だったといえます。
物語自体は地味な部類に入るかもしれませんが、オダギリジョーをはじめ、松たか子、髙石あかり、満島ひかり、高橋文哉など、主役級、4番バッター級の実力派をズラリと並べた俳優陣は、実に豪華でした。ただ面白かったのは、それぞれが目立ちすぎることなく、逆に本作の物語世界に完全に溶け込んだ演技を見せてくれたところでした。
流石に主役のオダギリジョーは、いつものようにヨレっとした風情の中にも独特の色気を漂わせていましたが、松たか子は『ファーストキス 1ST KISS』の時のキラキラ感満載の演技から一転、くすんだ日常を背負った妻役を深みのある演技で表現していました。
中でも特筆すべきは、優子を演じた髙石あかり。『ベイビーわるきゅーれ』シリーズや『ゴーストキラー』などアクション作品での印象が強い彼女ですが、本作では、母親に捨てられ、バイト先では男(高橋文哉)に体を求められ、遅刻を理由に職も失うという不遇な境遇の少女・優子を、繊細な表情と台詞まわし、そして全身からにじみ出る演技力で見事に体現していました。
去年大ヒットした『ラストマイル』でカッコいい主人公を務めた満島ひかりも、身勝手でどこか抜けている感じの役柄を、実にそれらしく演じていました。
そんな訳で、長崎の風景と役者の演技を楽しめた本作の評価は、★4.2とします。
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