劇場公開日 2025年6月20日

ルノワールのレビュー・感想・評価

全147件中、21~40件目を表示

4.0主人公フキが、心地よく愛おしく刺さった

2025年7月10日
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鑑賞方法:映画館

1987年頃の岐阜を舞台に、闘病中の父と仕事に追われる母と3人で暮らす少女フキ、感受性と想像力豊かな彼女が、それぞれに事情を抱えた大人たちと関わり合う姿を描いた作品。

起承転結で物語性のあるドラマではなく、日々様々なことに出会い感じるフキ、その繊細かつ奔放で、怖いもの知らずな姿をひたすら追いかける展開。

それぞれのエピソードが、オトナの世界では現実的であり、その滑稽さをとても上手に描いている。

フキは、映画「お引越し」の主人公レンコ、「こちらあみこ」の主人公あみこをも彷彿とさせるが、感受性・想像力豊か、そして知的で自分を失わないフキ、観る側として多少の危うさを感じつつも、その姿を頼もしく思って見てしまう。

制作に海外の血が入っていることもあり、一般的な邦画とは異なる世界観。1987年の世相、流行、テレビ報道などがうまく描かれ、その心地よい空気感が、抜群のカメラワーク、小道具を含めた演出、巧みな音楽の使い方で描かれる。その高いプロダクションバリューもあって、終始スクリーンに引き込まれる。

オーディションで選ばれたサキを演じる鈴木唯は、撮影当時11歳とのことだが、その素晴らしい演技に魅了された。

母親役石田ひかり、父親役リリー・フランキーら助演した役者たちも味のある演技で、いい味を出しており、その他のキャスティングも冴えている。

物語性のない映画ゆえ、感じ方も人それぞれ。万人向けではないが、フキと同じひとりっ子として育ち、大人を見ながら色々と感じた自分の少年時代とも被り、愛おしくそして鋭く迫ってきたインディペンデント映画。

世間の評価はさて置き、個人的には今年刺さった映画のひとつ。

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Toru

2.5YMO

2025年7月10日
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映画自体は「訳がわからない」の一言。ただ、相変わらず、リリーさんは良かった。
YMOの曲で出てくるシーンがあったが、確かに竹の子族がホコ天でこの曲を踊っていた気がする。

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hanataro2

3.0よさげな表象を切り貼り

2025年7月9日
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なんか…感想を言語化するのが難しい映画でした。
ものすごく嫌味な言い方をすれば、「私が思ういかにもアートな映画っぽいカットを集めてみました!」みたいなものを延々と見せられている感覚を拭えなかった。
美術に全く精通していない凡人が高尚な印象画を見せられても、なんかすごいっぽいとは思うものの全く良さは分からない的な、、

それぞれのシーンの意義がいまいち分からない。ぶつぎりの「芸術映画っぽいエピソード」がぶっこまれただけみたいな。置いてけぼりを食らいすぎてしまい。

前情報いっさいなしで見たので、初め、主人公のフキがだいぶ変わっている波動を感じたので、本人的には普通にやってる行動が周囲を振り回して、最終的にとんでもない方向に…みたいな展開をぼんやり予想しながら見ていたんですが、なんかそういうわけでもないし。
フキちゃんだいぶサイコパスな言動してたけど、なんとなく周りの反応は鈍めで…
いったい何を描きたかったのか、よく分からなかったです。

カンヌで評価(されてるのかは知りませんが)されるような映画はやっぱり私みたいな大衆向け映画ばかり見てるニワカ映画好きには難しすぎましたね。関心領域とかも私だいぶ無理でしたから…

まあ、シンプルなキャラ造形や分かりやすいテーマやメッセージを求めながら見ちゃうのがいけないのでしょう。娯楽じゃない純粋な映画は、複雑で理解しがたいほど良いのでしょうね。

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romi

4.5印象派

2025年7月9日
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賛否の否が多いと聞いたが
わたしは好きだった

主人公のような思考を持ち合わせた子供時代だったと思うが、
実際は抑えていた気がする、
1人行動は自由にできていた気がするが

ああいう行動を望んでいた
だから憧れを感じる

そして美しい

坂東さんの絶妙な不穏さがとても良い

作風すきだ

リリーフランキーさんって本当にすごいな。
もう、何かしようとせず
宿っているよね。

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✌︎

2.5なにをみせたのか。

2025年7月8日
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これは芸術であれば、私はただの映画を観るの好きな凡人である。
とにかく早く終わってほしかった。
少女の空想に付き合う時間はあまりにも長く、騙されたとしか気がしないの感想すら可哀想と思うくらい。
何かメッセージはあるでしょ。ただ分かる人に分かるという伝え方しか撮れなかったら、見終わったこの喪失感もう二度と味わいたくない。

少女が大人になった瞬間は見届けなかった。

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ナイン

2.5レビュー出来ない

2025年7月8日
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舞台挨拶付きで行きました。なので貶したくないです。ただ未成年者が危ういのは一人の普通の親として感情的に駄目かもしれません。

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michi

3.0if解釈せずに行為を観たら

2025年7月8日
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私たちの行為なんて、何の解釈もなく観察されたら、映画のあの大人たちのように自分勝手にしか観えない。私たちの行為なんてとても脆弱で、解釈を必要としている。だけど、少女フキは解釈を加えるほど甘くはない。コンテクストがはぎ取られた大人たちの行為は色あせ、コンテクストを必要としないフキの行為は輝く。フキを愛でるのは楽しい時間だった。しかし同時に観ることになる大人の行為は愉快ではない。それ故に辛い映画だった。

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定点カメラ

1.0色んな意図が自分には伝わらなかった。

2025年7月6日
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80年代が舞台なんですね。
監督の早川千絵は76年生まれだけど、何かしら思い入れがあるのだろうか。
その時代に青春の多くの時間を費やした身としてはそれっぽいキーワードは幾つか出たもののそれほど80年代を強く感じる事ができなかったので、恐らく意図してこれ見よがしなアピールはしなかったんだと思う。

主人公のフキを見てすぐに思い出したのが佐世保女子高校生殺人事件の犯人の女の子。
成績は良いが自画像は真っ黒、グロいモノへの執着、そして何よりも感情が無く、他人への共感性が欠如しているといった点などで非常に酷似している。
数年後には猟奇的な犯罪を犯すような気がしてならない気持ちの悪さをあえて演出(個人の見解です)した意図が自分には伝わらなかった。

ストーリーは山も谷もなく淡々と送られる日常を小学5年生の少女フキの目を通して描かれるのだが、ポイントごとに河合優実、中島歩、坂東龍汰などの有名どころを配置しており、それぞれの短編ドラマを見ている様なつくりは嫌いではない。

本作はフランス、シンガポールなど数カ国との国際共同作品という事で、かなり意識しリアルな日本の中流家庭の普段を静かに切り取り繊細に表現しようとした早川千絵監督のやり手感が少しだけ鼻につき、演出方法やカメラワークも自主制作映画でよく見られる手法のオンパレードだったのが少しだけ残念な気がした。

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カツベン二郎

4.0子どもの視線の先

2025年7月6日
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知的

カンヌとPLAN75の衝撃の糸口で観ました。
正直なんだかよくわからないと思いつつ、あーそんなことしちゃダメよとハラハラしながらもフキちゃんから目が離せませんでした。観ているうちに、あれはそういうことだったのかと腑に落ちるところあり。子ども時代の残酷さや好奇心、鋭さや危うさに心当たりがあるような。観てしばらくしてから、じわじわと自分が忘れていた感覚を思い出すような映画でした。

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Aki

3.0夢か現実か

2025年7月6日
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鑑賞方法:映画館

こういうジャンルは好きだし、夏のいま!が旬な内容です。
じっさい途中までは良かったけど、あわや性の餌食に…て
くだりから急に拒絶感。
仮にこのシーケンス自体が空想(夢)だったとしても。
(お迎えに来てくれる人が現実的でないので夢エピソード濃厚だけど)
逆にそうじゃない場合は、実際どうやって帰ったのか…??

見てはいけないものをあえて見つけさせたり、
いい感じで告白してる最中に「はい!おしまい」
とか、なかなかの無自覚な悪魔。

お母さんの変化にも瞬時に反応して、こっそり
縁切りのおまじないをするあたりも機転がきく子。

ピーター・グリーナウェイの映画で流れてたようなレコードを聴いて踊ったり、
夏の夕空を眺めてみたり。画面のこちら側にも、夏の匂いがたちこめる。

しかししかし。
もう少し明確な彼女のひと夏の成長を見届けたかったなあと。
ただ、そうしてしまうと途端にテンプレートのようなありきたり夏映画になってしまう危険性もあり。

荒削りな印象はするものの、これはこれで、このまま受け止めておこう…。

※冒頭で見てたVTRは、10階の奥さんの喧嘩の原因になったテープ?捨てに行った時に話しかけたのが10階の旦那さん???じゃ一体どこから回ってきた???

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ababi

1.0途中で席を立ちたくなったのは何十年ぶりだったでしょうか

2025年7月6日
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作中、女優があんなビデオ見るんじゃなかったと吐く場面があります。私はこんな映画観るんじゃなかったと言わずにいられない
カンヌ映画祭competition出品となってますが、”ある視点”部門の方が良かったのではないでしょうか
冒頭から意味を感じられない、必然性の薄いカット割の連続で我慢を強いられました
脚本にもそもそもの物語にも観る者に伝えたいことが暗示的にも伝わらず、主題と思われる事柄との関連性が薄いいくつかのシーンも思いつきのように挟まれ、観賞後の苦い後味がながく拭いされない理由の一つになりました
ここしばらくでの最低評価であったJOKER2を下回ってしまった
映画ってある程度社会性のある創作物だと思うんですが、自己満足側に寄ってしまうとこんな感じなんでしょうか

貴重なお小遣いでしっかり作品を選んで劇場で観ているつもりの身としてはとても残念

出演した俳優さんはこのような作品で演じたことをどのように思ったのか、率直な感想を聞いてみたいと思いました

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Toshiya

3.580年代回顧の少女映画。「ちょっと変わった社交的な子」の半自叙伝的な成長譚。

2025年7月6日
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あまりに仕事が忙しすぎて、
観てから大分経ってしまったので、
細かいことはもううろ覚えなのだが、
個人的に嫌いな映画ではなかった。

昔はこんな感じの映画、よくあったよね。
80年代後半という時代感を醸し出すために、
時代考証に異様にこだわった作りも含め、
今ではなんとなく時代のはざまに捨て置かれ、
忘れられている「80年代少女映画」への
比較的まっすぐな追慕と憧憬(承継?)の
映画であるような気はする。

あと、カンヌで上映されて評判を呼んだってのは、
なんか、すごくよく分かる気がするんだよね。
だって、『ルノワール』って、フランス少女映画の
そのまま80年代日本への移植みたいな映画だから。

●考えていることがわかりにくいヒロイン
●親、学校、社会をひたすら観察する視点
●おまじないや呪術的な儀式にハマる
●少女が自ら積極的に性的冒険に乗り出す
●歳の差の離れた相手との危ない関係
●父母もしくは祖父母の大病もしくは死
●お父さんとの微妙な距離感と交情
●お母さんとのリアルな軋轢と衝突
●父、もしくは母親のアヴァンチュール
●学校での奇矯な行動とすれ違い
●シスターフッドの濃密な描写
●暴走の爆発と鎮火、日常への回帰

このあたりの要素は、80年代以降のフランス少女映画で、それこそお腹いっぱいになるほど繰り返し繰り返し描き込まれてきた「思春期性を表現する必須アイテム」だといえる。
それを早川監督は巧みに日本の80年代へと移設し、鈴木唯という優秀な女優を得て、「昔観たことのあるような懐かしさと既視感のある、少女映画らしい少女映画」に仕上げて見せた。
ここでは、エリック・ロメールやクロード・ピノトー、ジャック・ドワイヨン、クロード・ミレールといった面々の築き上げてきたフランス少女映画の伝統が、相米慎二と大林宣彦に代表される80年代日本少女映画の空気感にそのまま連結され、一体化している。
だから観ていて、単純に80年代回顧&懐古だからという以上に、やたらとむずがゆく、なつかしい感覚が押し寄せてくる。そういや、こういう映画をかつての僕は「なんとなく日本映画らしい」「なんとなく80年代らしい」と認識していたもんだなあ、と。

80年代の少女映画に大抵あって、
ここで欠けているのは、それこそ、
少女が自転車で疾走するシーン(代わりに母親がこいでるw)と、
口実を設けたヌードくらいではないでしょうか?

― ― ― ―

ということで、カンヌのフランス人たちも、なんだかけっこう懐かしい気持ちでこの映画を観ていたのではないかと思うわけだ。
ただし80年代の少女映画は、日仏とも男性監督が担い手であったこともあって、ずっとセクシャルで、ロリータ的で、いかがわしい匂いもあった。
たとえ女性が思春期映画を撮っても『ジャンヌ・モローの思春期』(79)みたいに、男性から見てさえかなり性的でどきどきするような内容に仕上がっていた時代だ。

『ルノワール』では、現代に生きる女性監督ならではの(性的に)きわめて抑制された語り口と撮影術で、「少女映画」が21世紀の女性映画のテイスト&ポリコレのラインに収まるようにリファインされているのを確認することができる。
ずぶ濡れにしたり、風呂に入れたり、脱がしたりしないのは、いまや当たり前。
それだけではない。
胸のふくらみや脇やひざやうなじや絶対領域を強調しない。
体形のわかる服や汗や吐息や口元や上気した頬を強調しない。
そういったフェティシズムから、ヒロインを徹底的に守っている。

かわりに強調されるのが、鈴木唯の眼差しだ。
世の善も悪もおしなべてまっすぐ見つめる、透徹した視線。
黒々とした瞳と、真っ白な白目。
その感情のこもらない、ただただ真っすぐ凝視する眼差しが、もうすぐ死ぬ父親を、いろいろと無理をしている母親を、靴下をビニルに詰める金満マダムを、実は見下している友人を、薄幸だけど語りだすと止まらない未亡人を、変質者のマザコン大学生を、詐欺師風のカウンセラーを、TVから語り掛けてくる超能力者を、容赦なく射貫いていく。

― ― ― ―

この映画が観ていてイマイチわかりにくいのは、
端的に言ってヒロインのキャラクターがつかみづらいからだろう。

たとえば「こちらあみ子」のヒロインはド直球のASD&ADHDで、それはそれでわかりやすい映画だった。
ロリータ時代のシャルロット・ゲンズブールは、常に子供であることへの焦燥と苛立ちにさいなまれていた。
多動や、不良や、背伸びや、反抗期や、
おしゃまさんは、わかりやすい。
思春期映画として、客が期待しているものだから。
拗らせ方が、理解の範囲内にあるから。

だが、本作で鈴木唯が演じるフキちゃんは、
ちょっと毛色が違う。
想像力豊かで、ダークなものやオカルトが好き。
両親を含む大人とは一定の距離感を保っていて、
何事も冷静に観察し、本質を見つめている。
危ないもの、傷つけるもの、死にまつわるものに
強く惹かれていて、コミットしようとする。

ただポイントとして、だからといってこの子は、
荒れたり、反抗したり、騒いだりは一切しない。
いつもスンとしていて、感情の揺れを見せず、
大人に何か指摘されたら、素直にいうことをきく。
返事は丁寧で、声はかわいく、挙動は愛らしい。
ちょっと変な子だけど、この子は社交性が異様に高いのだ。

思春期映画というのは「軋轢」を描く映画だとつい思いたくなるが、この映画でのフキちゃんは、誰とでもうまく交流できるし、うまく相手に対応ができる。
でも、彼女は同時にいちばん仲良くしてくれている友人を平気で罠にかけるし、自分から伝言ダイヤルを介したアヴァンチュールにのめり込んでいくし、得体の知れない人間の闇の深奥へとわくわくしながら分け入っていく。

社会性をあわせもった「どこか変な子」が、
次々と好奇心の対象を標的にとらえては、
ソフトに「蹂躙」していくというのが、
『ルノワール』という映画の本質ではないか。

というわけで、なかなかに感情移入しにくいヒロインではあるのだが(笑)、僕自身は実のところ、まあまあの親近感をもってフキちゃんを観ていたのだった。
なぜなら自分も、かなり「社交的だけど」「変な子」だったからだ。

カウンセラーを生業とする妻には、あんたは純度100%のADHDだよと断じられているが、自分はとにかく昔から忘れ物と立ち歩きの多い問題児童だった。
けじめがつけられない。授業中のおしゃべりがとめられない。
鞄を電車に置き去りにして、手ぶらで家に帰る。
そんなことがしょっちゅうだった。
そのわりに誰とでもたいてい仲良くできて、諍いごとを一切起こさないので(たぶん人生で喧嘩したことも人に文句をいったことも一回もない)、小学校で入った塾で半年ほどいじめられた以外は、学校は小中高大と、とにかく居心地のよい場所で、仲間とつるんでは遊んでばかりいた。ついでにいうと、成績も悪くなかったので、教師から見たらまあまあむかつくガキだったはずだ(笑)。
とはいえ、
3歳のときに電柱の貼り広告をたどってひとりで書道教室に出向いて、先生に頼み込んでノート一冊分「魔」という漢字をびっしり書きとりして帰ってきたという(もはや自分では覚えていないけど親から教えられた)エピソードなんかを訊くと、やはり自分はまともな子供ではなかったんだろうなあ、と我ながら痛感する。
とにかく小さい頃は昆虫をたくさん殺したし、小学生のときから首が飛んだり串刺しにされたりする映画が好きで好きでたまらなかった。
小学校低学年のときは『鬼太郎』に異常にのめりこんで、ノートにびっしり「自分で考えた妖怪」を描きまくっていたし、高学年になると今度は『必殺』にのめりこんで、毎日前を行く人の首の急所を貫くことばかり夢想しながら歩いているぶっそうな子供だった。
性的にも明らかに暴走していて、幼稚園の頃から近所の子供たちを組織して、山狩りをしてはビニ本を収集していたし、他にもここでは書けないようなろくでもない悪戯をいっぱいやった。

でも、少なくとも中学以降はずいぶんと「良い子」になった、と自分では思っている。
少なくとも悪いことはしなくなったし、誰かに危害を加えたこともない。
今ではこんなに穏やかで無害な初老のおっさんに収まりました……。

でも、まかり間違えば、僕は自分がサイコキラーや性犯罪者に落ちぶれていても全然おかしくなかった人間だと、本気で思っている。
僕を救ってくれたのは、人殺しや妖怪変化の出てくる映画や本格ミステリや時代劇やコミックといった「代替物」であり、現実世界で良い子でいるかわりに、暴走する妄想を無限に解き放てる脳内の空想世界だった。
まさに江戸川乱歩いうところの、
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」だ。

そんな僕にとって、フキちゃんのダークサイドは、
なんとなく理解できるし、共感の持てるものだ。
ヤバいもの、普通じゃないもの、妖しい連中。
「闇の引力」に常に無抵抗に引き寄せられる様は、
当時の自分を観ているようで、何だか空恐ろしい。

もちろん共感できない部分もある。
自分には、友人の負の反応が観たくて
ひどい罠を仕掛けるようなフキちゃんの
「サイコパス」的な側面はなかったし、
あれだけ妖怪や必殺の虜になっても、
なぜかオカルトには全くはまらなかった。
それでも、フキちゃんの底暗い感性や、
醒めた世界認識と死生観には親近感を抱く。

徹底した80年代後半の文物に対するこだわりぶりから見ても、フキちゃんはまさに早川監督の「分身」のようなものなのだろう。
監督は48歳というから僕よりはある程度年下で、80年代後半にはちょうど小学校高学年くらいだったはずだ。
早川監督は多感だった小学校高学年の時期に、いかがわしくも魅惑的だった80年代を体験した。彼女にとって80年代は、強烈なノスタルジーを呼ぶ時代であると同時に、「どちらに転ぶかわからなかった危ない少女時代」を思い出すよすがでもある。
彼女は結局「闇の引力」に引きずり込まれることなく成長し、大人になって、ヤバい人間になる代わりにクリエイティヴな職業を選択し、遅咲きでそこにたどり着くことができた。

そんな彼女の人生は、僕の人生とも被る部分がある。
闇に引き付けられながらも、それをフィクションの世界で消化し、クリエイティヴな生業へと反映させていく。そうやって「バランス」を保ってきた生き方には、共感を寄せざるを得ない。

― ― ― ―

●お、さだまさしか、と思ったら、リリー・フランキーだった(笑)。
腹水の表現が生々しくて怖い。そういやリリー・フランキーは、いとうせいこうやみうらじゅんと並ぶ「90年代サブカル」のまさにアイコンだったんだよね。今は俳優になっちゃったけど。ちなみに、石田ひかりもまた「90年代」は、姉の石田ゆり子の10倍は有名なアイドル女優だった。

●中島歩の挙動や声が竹野内豊すぎて痺れる。

●この映画って、実は一筋縄ではいかないつくりになっていて、アヴァンに出てくる「フキちゃんの考えた虚構」であるはずの「子供が泣いているヴィデオ」が、時系列では「後」であるはずの河合優実の独白のなかで、旦那が性的関心を持って観ていたと思しきスナッフフィルムとして登場する。要するに、想像が現実に侵蝕してきて彼我の境界が融解していくような構造を、わざと「違和」として仕掛けてきてるんだよね。
ほかにも、終盤出てくる虚実の曖昧な、死にかけている父との散歩や身体を拭くシーン(ここだけは「いかにも少女映画」と言いたくなるようなセクシャルな描写になっている)や、最後の船上でのダンスシーンなど、現実と夢想のあわいをぼかしていく描写が散見される。

●そういや、なんでタイトルが『ルノワール』なんだろうね?
パンフ買いそびれたからわかんないや。
フキちゃんが気に入ってルノワールの「イレーヌ嬢」の複製画を飾ってたのは覚えてるけど。
そこがわかっていない以上、もしかすると僕はこの映画のキモの部分を、本当に何もわかってないのかもしれない……(笑)

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じゃい

5.0子供の目線

2025年7月5日
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観る人を選ぶ映画。
「PLAN75」は高齢化社会という社会的な問題が大きなテーマになっていた分、ある意味非常にわかりやすい映画だったのかもしれない。
今回は、分かりやすいテーマ性が取り払われて、この監督の本性がいよいよ牙を剥いたな、と戦慄すら覚えた。例えとして不適切かもしれないが、「PLAN75」のラストシーンを延々と見せられているような感覚に陥った。
舞台が80年代なのも相まって、自らの子供時代を鮮烈に呼び起こされると共に、この感覚を今まで忘れていたと、強烈な懐かしさに襲われる。
この感覚を共有できるかどうかが、この映画の評価の分かれ目かも知れない。

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nahaha

3.0フランス映画のような、という印象

2025年7月5日
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難しい

多感な女の子が大人の間で何を感じて何を考えているのか、考え探りながら観ていくという少し難しさを感じた映画。

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peakhumter

3.0不穏な空気がずっと続く

2025年7月5日
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鑑賞方法:映画館

観客にとって面白い映画と映画祭で評価される映画は全く違う。
この作品の不穏な空気や違和感は賞を取った者故の審査員への忖度の結果なのかもしれないと思ったり思わなかったり。

とにかく主人公の感情はチラホラ見えるが本意はわからない。

愛を知らないから愛せないのか、
愛を知らないから愛されたいのか、
愛を知らないから試したいのか、
愛を知らないから壊したいのか。
まったくわからないまま話は進んでいく。

まったくわからないから絵作りの昭和のディテールへの病的なこだわりに目が行き、主人公が橋を颯爽と漕ぎ渡る自転車の「昔オカンが乗ってたやつ」との完全シンクロに脳みそをぶん殴られる。そんな映画でした。

とにかく導入の夢のシーンからもう本当に胸糞悪い気分でそのまま最後まで行ってしまった感じ。

ポスターの多幸感と実際の内容がここまでかけ離れてるとそのシーンが映された時の驚きと違和感は半端ないな。

取り留めないけどこんな感想の映画もあるよね。
あと大好きなベンジー出てた!やっぱ彼のダメ男役最高だ!

それではハバナイスムービー!

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きーろ

空虚をまとう「芸術風」への怒り

2025年7月5日
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単純

 私はこの映画を全く評価しない。最大の問題は、この映画が観客の知性や感性をまるで信頼していないことにある。題名は「ルノワール」。しかし、その名が意味する絵画的背景や人物像、芸術思想に踏み込む描写は極めて乏しく、ジャン・ルノワールの絵画を父の病室に飾る、ただそれだけに等しい。それは“ルノワール”という看板を借りた、まやかしのブランドにすぎない。
 確かに、演出は一見「印象派的」だった。だが、そこに明確な意図や構造美があったとは到底言えない。無音とノイズを用いた場面転換は単調で、リズムの変化も読めてしまう。演出意図が透けて見えるほど浅く、むしろ想像力を萎えさせる。物語も問題だらけだ。起承転結がなく、一貫性も欠けている。自由奔放な少女の心象世界を描くためにあえて構造を破壊したのだとしても、それが成立しているとは思えなかった。類似の構造を持つ作品「怪物」は、あどけなさや危うさを描きながらも、大衆映画としての体裁を保っていた。この映画はそれすら持たない。終盤の“家出”が夢オチであるという演出も、明確な伏線や文法的示唆がなく、観客の理解に委ねすぎている。たまたま私には読み解けたが、同行した母は「どうやって帰ってきたの?」と私に尋ねた。そこに対し「夢オチなんだよ」と説明することはできたが、それは観客に課すには過酷すぎる読解の強要だった。加えて、時代設定にも整合性がない。1980年代という設定の中で、「コンプライアンス」や「パワハラ」への言及が登場するのは、あまりにも安直な現代性の押し込みである。まるで時代に対する理解や敬意が感じられない。
 私がこの映画に向ける怒りは、ただ「つまらなかった」というような感情的なものではない。これは映画という形式に対する冒涜だ。映画は芸術であっていい。しかし、同時に「娯楽」としての顔も持っている。観客がいてこその映画であり、独りよがりのオ○ニー作品を観客に強いることは、「映画」という形式そのものを裏切る行為である。私はこの作品を見ている間、ひどい前衛音楽のコンサートに閉じ込められたような、不快さを覚え続けた。形式に酔い、意味を殺し、感性を麻痺させるその手法は、もはや虚飾でしかなかった。仮にこの映画が賞を受賞したとしても、私はその審査員やその賞の価値を疑わざるを得ない。なぜならこの作品は、賞を得るために「らしさ」に全振りした、空疎な模倣品にすぎないからだ。
 「意味はなく、その時間を感じるだけの映画」その時間は私にとって、ただ無意味な苦痛でしかなかった。

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あんのういも

1.5良くわからん

2025年7月3日
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その行動がそのシーンが何を意味しているのか意図が分からない。
主人公の感情も伝わりにくく、何がしたいのやら。

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ニックネーム

4.0懐かしき時代

2025年7月3日
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知的

癒される

「ルノワール」を観ていると2018年の韓国映画「はちどり」を思い出させました。

「はちどり」のウニ演じるパク・ジフの演技は意図的に演技をしている感じがせず、パク・ジフ自身が持ち合わせる素直な表情や感情を脚本に沿って表している感じがしました。

そして「ルノワール」の沖田フキ演じる鈴木唯の演技も同じ自然体の演技を感じさせられました。

また、「はちどり」と「ルノワール」の時代背景も1980年後半~1990年代と似ています。

ひょっとしたら「ルノワール」の早川千絵監督は「はちどり」にインスパイアされたのではと思うほどでした。

50代の自分にはとても突き刺さる良い映画でした。

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クロレッツ

4.0かわいい

2025年7月3日
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悲しい

楽しい

怖い

子役から女優への過渡期

80年代の雰囲気がよく伝わる。
ガンも治癒せず、オカルトに走る時代背景をよく演出している。
テレクラとかテレフォンアポイントメントシステムとか現在のレジェンド。

古き良き時代に入り込めた。

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four7777

4.5198✗

2025年7月2日
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1980年代後半が舞台らしく、携帯もない、テレビでは超能力番組、伝言ダイヤルという遺物まで登場

年頭にリバイバル公開された相米慎二「お引越し」を思い出した(田畑智子のデビュー作で母親役が桜田淳子!)

石田ひかりが母親役なのだが(姉のゆり子はよく見る)90年代は紅白の司会までやり、石田ひかりの時代が当時あったのだ

最近の小泉今日子や常盤貴子を見ても思うのだが、人は確実に年を◯るのだな、と(もちろん自分も含みマスヨ〜(゚∀゚)

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たれぞう