ルノワールのレビュー・感想・評価
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早川メソッド
長編初監督作品『PLAN 75』で一躍注目されることとなった早川千絵監督。当然観逃すわけにはいかず、109シネマズ木場にて鑑賞です。
本作の舞台は1980年代後半。撮影監督を務める浦田秀穂氏の手によって撮られた画は、空気感まで含めてその時代を思い出すようなルックで、全く違和感を感じません。また、インターネットは勿論のこと携帯電話もまだ家庭用に普及してなかったあの頃、家電(Not カデン but イエデン)は大変に重要なツール。本作においても「浄水器の営業電話」や「伝言ダイヤル(Not 災害用 but マッチング用)」など危なっかしさ満点な「いにしえの用途」で活躍しています。
鑑賞前、何度かトレーラーを観ていたはずなのに、本編が始まってすぐ「え、そんな話?」と驚きの展開。妥協のない冒頭シーン、引っかかったのは私だけじゃないのでは。そして、淡々とした作文発表を終え、オーディエンスの反応に満足げな表情を見せる本作の主人公・11歳の沖田フキ(鈴木唯)に透かさず魅了されます。いやはやこの導入、やはり油断禁物な早川監督作品。
未知のものに対する好奇心が強いフキは、目下、「どうやら父・圭司(リリー・フランキー)の死が近いらしい」という状況にあって、初めて死生観というものに向き合っています。父を喪うことになかなか実感を持てませんが、「一人っ子で鍵っ子」の彼女は得意の独壇場において好奇心を発揮しながら、常に「信じられるものや人」に対する見極めに真剣です。そして、超能力(マジック)やおまじないなどのスピリチュアルに対する信頼や、彼女にだけ見えているものなど、時に現実離れすることもあるフキですが、唯一、父だけは言葉も無用にフキの全てを理解してくれる絶対的な存在。物語の後半に起きる「フキ最大のピンチ」とそこに「現れる」父、、、このシーンは是非ご自身で観て感じてください。
一方、母・詩子(石田ひかり)は仕事、看護、子育て、そして将来のことなど、一気に圧し掛かる負担と不安に情緒を崩しそうになりつつも、常に強い気持ちで立ち向かっています。それでも、真面目で「逃げたり、溺れたり」が出来ない彼女だって、やはり何かにすがりたい。職場での行き違いがきっかけで参加した研修における、マインドセラピーと親身になってくれるいい男。からの、路上占い師の言葉にふらついたりとやはり一人の女性です。ですがここでも、母の様子を察するフキのファインプレー(?)が飛び出して思わぬ展開に。
と言うことで、およそ半年の内に家族に起こる色々、11歳の少女には大きすぎる変化と経験ですが、小旅行から帰る母と娘が向かい合うラストシーン。母へ「強く信じられるもの」を感じるフキの表情に、思わず落涙しそうになりました。
全般通して観れば、概ねは淡々としたシーンが多くて派手さこそありませんが、時折に、ここぞとばかりの「強いメッセージ」があって思わず動揺。ですが、この不意に胸を衝く感じこそ正に「早川メソッド」なのかもしれません。今作もすっかりやられました。
鈴木唯の演技力はすごい
病室の窓にリボン
ノルタルジックな気持ちになった
万人受けする映画ではないとは思いますが、わたしは嫌いではない映画でした。
時代背景が昭和の終わり〜平成の始め頃なのか、その世代に子供時代を過ごしたわたしにはノルタルジックな気持ちになりました。
親への秘密が増えていったり、親に隠れて冒険したくなったり、大人の世界に踏み入れてみたくなったり、友達が羨ましくなったり、言葉にうまく表現できない心の機微であったり…。
とはいえ、まだまだ子供で結局自分自身も親に頼って、求めているところがあったり。そこが最後の雨のシーンで病気が治った父親が迎えに来てくれる妄想?夢?なのかと。
また、結構出演者が豪華で、こんな役やらせるの?というのもありました笑
河合優実の役はまだしも、坂東龍汰の役は…これから大注目の俳優なのに笑 色んな役を経験して…大俳優になるのかな。
ドラマふてほどに出ていたメンバーも結構出てた。
この子ちょっと嫌いかな
2025年劇場鑑賞176本目。
エンドロール後映像無し。
ジャンル全く知らず鑑賞。邦画だと思ったらいきなり外国の子供たちの映像が出てきて邦画ですらなかった?と思いましたが邦画でした。
ドラマ?サスペンス?あっホラー?と冒頭ジャンルが目まぐるしく判断に迷いましたがドラマ系でした。
お父さんが末期がんなので死が身近にあり、全ての行動はそれが元になっていると思うのですが、周りの大人がその事に全然気付いていないのがイライラします。女の子は女の子で育ちが悪いのか行動にたまにやっぱりイラつきます。脱いだ靴下人の家の食卓に置くのほんとキツかったし、その後の行動はもっとなかったです。その後の顔もめちゃくちゃムカついたし。
その後ひどい目にあいそうになるのですがそれに気づいてないのもちょっといやでした。
河合優実は自分の好みの女優ではない(ちょっとキツい感じが苦手)のですがやっぱり上手いなと思いました。
見る人を選ぶ作品
共感できる場面も人物も最後まで全然出てこなく、私にとっては残念な作品であった。この映画の時代設定の頃に主人公のフキの歳と近かった世代の人間だと思うので、場面に出てくるブラウン管テレビや古めかしい冷蔵庫など、こんなだったなあと懐かしい感覚はあったが、理解できたのはそのくらい。今では手に入りにくいであろう、こうした貴重な小道具を多大な労力をかけて準備して、この時代設定にした必然性も特に感じられずもったいなく思った。あえて理由があるとすれば、伝言ダイヤル(今だとマッチングアプリ?)にまつわるエピソードをどうしても入れたかった、ということか。幸運にも、取り返しのつかない事件にまでは至らず終わって良かったが、フキはこの体験で何を感じたかも特に描かれていなかったように思われ、何のためのシーンだったのか理解しがたい。
予告編映像や「"哀しい"を知り、少女は大人になる」とのキャッチコピーが、この映画に興味を持ったきっかけだったが、フキちゃんがはたして、非行に走らず命も落とさず無事成年を迎えられたのだろうか。そういったことを想像させる場面も(私が見逃しているのでなければ)何も描かれていなく、後味悪いまま作品が終わってしまった。そういえば、タイトルに選ばれたルノワールも、内容との関係性があまり明確でないように思う。フランスの映画祭に出品するためフランス人画家の名前を冠した方が目をひく、ということかと考えざるを得ない。
演者や製作者の立場であれば、優れた見どころが多いのかもしれないが、そうではない私には合わない作品であった。
変な人ばっかり
『PLAN75』は長編短編とも好きだから期待しすぎたのか、これはちょっと好みじゃなかった。
まぁカンヌのコンペって、なんで⁈ってのが選出されたりするからね。
子供の頃やってた変な超能力番組や、マルチまがいの健康食品、謎の民間療法など、うわぁあったなーと感じるところもあったのだけど、なにしろ登場人物に共感できる人がいなかった。どちらかといえば嫌いのカテゴリーに入る人ばかりなのが残念。
キャンプファイヤーのアバンギャルドなダンスは好き、なんで子供たちがあのダンスを?
お目当ての河合さんは、今回も長尺の一人語りで魅せてくれました。
主人公の女の子が『ふれる』の時はまだまだ子どもだったのが、ちょっと大人になってる。
1年前の映画なのに、子どもの成長は早いなぁ。
生と死と、好奇心と想像力と感受性と
衝撃的な近未来映画『PLAN 75』で注目を集めた早川千絵監督の長編第2作でした。今回は11歳の少女・フキ(鈴木唯)を主人公に、末期がんを患い入退院を繰り返す父親(リリー・フランキー)との関係の中で、彼女が“死”に向き合いながら成長していく姿が描かれます。
『PLAN 75』同様、“死”が一つの大きなテーマにはなっているものの、本作には随所にコメディ要素やファンタジー的な表現も織り交ぜられており、重さと軽さが同居する独特の味わい深さを醸し出していました。物語の舞台は、一応携帯電話がまだ普及していなかった1980年代後半とされており、「伝言ダイヤル」の登場や、ナースキャップを着けた看護師の描写など、時代性を感じさせる一方で、母親(石田ひかり)が職場でのパワハラにより研修を命じられるという現代的なエピソードも含まれており、時間軸のねじれた世界観も非常に魅力的でした。
また、物語は冒頭、フキが殺されるというショッキングな展開から始まりますが、これは実は彼女の想像(作文)だったことが明かされ、その後も彼女の空想が物語の中にたびたび挿入されることで、現実と虚構が入り混じる巧みなシナリオ構成が光りました。
キャスティングも見事でした。母親が参加するパワハラ防止研修の講師として登場し、母と不倫関係になる男を演じた中島歩、そして伝言ダイヤルでフキを呼び出し手籠めにしようとする変態男を演じた坂東龍汰と、二枚目俳優があえてアンチモラルなキモい役柄に挑んでいた点が印象的でした。また、近年めざましい活躍を見せる河合優実も、夫を事故で亡くした女性役で短い登場ながら強烈な印象を残しました。さらに、物語の中ではこの“死んだ夫”の性癖が坂東演じる変態男へと引き継がれているなど、エピソード同士がミルフィーユのように重なり合い、緻密に構築されたシナリオの完成度には驚かされました。
リリー・フランキーも安定の演技を見せており、娘を深く愛する良き父親としての顔と、病床にありながら部下の企画書に赤を入れる“モーレツサラリーマン”としての一面を併せ持つ役柄を絶妙に演じています。加えて、その彼を陰でディスる部下の声をフキが聞いてしまうという展開もあり、彼のキャラクター性がさらに奥行きを増していました。
最後に、本作を観て思い出されたのは、相米慎二監督の『お引越し』でした。こちらも小学校高学年の少女が主人公で、両親との3人家族が描かれていました。『お引越し』では田畑智子が天才的な演技を見せましたが、本作の鈴木唯もそれに匹敵する存在感を放っていました。どちらもショートカットで、躍動する若さと溢れるエネルギーを全身で体現していた点も重なりました。鈴木唯の今後の活躍が非常に楽しみです。
そんな訳で、練りに練ったシナリオやファンタジックな世界観の描き方が素晴らしかった本作の評価は★4.6とします。
主演の鈴木唯の存在感が圧倒的且つ圧巻!!
主演の鈴木唯の存在感&演技が圧倒的すぎる!
これだけでも観る価値がある。
鈴木演じるフキは小5、1980年代の設定である。
その目線で大人の嫌なところ、汚いところを望まずとも見せつけられてしまう。
体感してしまう。
そして自身も好奇心から怖い思いをする。
友だちに残酷とも思える仕打ちをする。
そうやって少しずつ大人になっていく。
そういう作品だ。
フキの体験(想像や夢なども含む)を通して、
自身がこの年代だったときに
どんなことを大人に感じていただろう?
私自身はフキのような情報量はなかった。もっぱら同級生や家族からの情報しかない時代だ。
雑誌やテレビで興味を持っていたのはフキと同じく、
超能力などの類だったりする。
だからフキの存在がすごくリアルなのだ。
残酷さも含め。
なので、映画世界にもすんなりと入り込めた。
が、しかし、大人を見ると、
ここまでの汚さというか怖さというか異常さというか
そういうことは私自身は同年代時代に体感してこなかったが、
環境によってはフキのような体験はするのだろう。
母親との関係性が時間とともに少しずつ良好になっていくフキを見るにつけ、
すごく安心してしまった。ここが軸な気がする。
それにしても、様々な人物像を演じた俳優陣、
そして、外の風景、景色の美しさ、
シーンとしては豪雨の橋のシーンが秀逸だったように思う。
人の心を抉るような本作のような作品をつくれるのは、早川千絵以外いないのではないか。
実に芳醇な作品だと思う。
個人的に刺さったのは、サマーキャンプでYMOの「RYDEEN」をBGMに小学生が踊るシーン。
YMOを劇場の大音量で聴けて幸せだった☺️
見る人を選ぶかも
冒頭はかなり心を掴まれた。よく分からない映像が流れて、起こってる事も説明がないので、なにみ見せられてるのか分からないが…これは過去の事なのか?未来の事なのか?それとも想像なのか?しばらく見てると分かってくるのだが、冒頭の掴みとしては十分だ。かなり独特な世界観の装いをまとっているが、起きてる事は1980年代のある家庭の出来事。普通の家庭かどうかと言われると微妙だが、特別金持ちとか特別貧乏とかではなく一般的な家庭に見える。
主人公のフキが感受性が豊かで、彼女の行動から目が離せない。彼女の目から見た大人の世界を見てるような感覚。比較的説明が少ないタイプの映画なのでそーゆーのが苦手な人は見ていて退屈かもしれない。後半色々あるが、それをどう捉えるかもこちら側に委ねられる。正直、私も前半はフキを見てるのが面白くもあるが、見せられてる事に対する退屈さも感じる。
悪い映画ではないかもしれないが…好きではない(笑)
色々な意味で恐怖を感じる映画でした。
冒頭のビデオテープの映像からマンションのゴミ置き場でのやり取りまでとても不穏で怖かった、その怖さが映画の底で流れ続けて後半の伝言ダイヤルのくだりでピークに…本当に勘弁してくれ!これにドキドキしたら駄目だろ人として!直後のリリーフランキー演じる(大名演!)お父さんの純粋な父性に多少救われました。まあ楽しんでるんでしょうね翻弄されまくりでしたから。
もちろん、相米慎二監督の「台風クラブ」と「お引越し」の強い影響下にある映画ですが、「台風クラブ」の少女のエロティシズムを「お引越し」に移植したみたいで性格悪いよ監督さん。少女を性の対象として見て、且つ実際に行動に移せばそれは犯罪でこの映画の監督さんもそれは唾棄すべき恐ろしいものだと表現していますが、少女のエロティシズムはしっかりと活写する相米慎二かあんたは!
数々登場する大人達もどうしようも無い駄目な人達ばかり駄目だけど愛すべき人達じゃなくひたすら駄目なだけの人達、「お引越し」の大人達も特に家族は駄目な人達でしたが関西弁だからなのか駄目だけど愛すべき部分がある様に感じたけれど、この映画の大人達はひたすら冷たくどうしようも無く今の私たちそのものの様に思ってしまう。
その大人達をその印象的な眼で観察する主人公の少女も決してよい子ではなく、純粋で残酷な神様の子供のようでした。是非とも何年か後には「ナミビアの砂漠」のカナの様に傍若無人で我儘で力強い女性に成長?してロリコン野郎をボコボコにして欲しいものです。
この映画の監督さん結局何を考えて何を言いたいのかわからない…わからないから面白く興味深い…傑作です。
ラストシーン、寝床から抜け出て手を振る、そこで暗転してエンドロールの方が切れ味鋭く私好みではありますが、船上のシーンも「お引越し」へのオマージュの様でこれもありかな。次の作品も期待して待とうと思います。
懐かしい小学生の頃
相変わらずこの監督の作品はまとまりが悪いね。
まずルノワールについて。フキが病院の売店で模写を買って父の病室に掛ける、父の亡くなった後は自室に掛けるこの絵は「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」。ゴダールの「勝手にしやがれ」でジーン・セバーグの部屋にも掛かっていた。まあ、絵と自分を同一化して領域主張していると解釈できる。フキの父親に対する強い愛というかコンプレックスを感じます。
いうまでもなくルノワールは印象派の画家たちの中でも突出して光と色彩が溢れる表現で有名。だからこの映画はそのような視覚効果を意識しているんだろうなと皆が予測するわけで、そういったシーンも随所に現れる。でもルノワールはそれ以前に構図がうまい人であって、その名前を冠するにしては相変わらずこの監督の構成力は上手くないですね。前作「PLAN75」もあれだけ強力な企画設定をしておきながらもたもたとして筋運びが弱々しかった。映画を救ったのはひとえに倍賞千恵子さんの熱演による。
今回も、登場人物が多く、様々な切り口を提示しながらも、まとまりは悪く、全般に心に迫るものはなかった。
主役の鈴木唯も、例えば「お引越し」の田畑智子と比較すれば闊達さがあるとも言えないし劇評で散々書かれているような天才的なキラメキなんてのは感じられない。
ただ、フキの一夏の経験は、父の死、母や友達母の不倫、自分が被りそうになった性被害など、あまりにもネガティブな事ごとである。この子がこれらの事を乗り越えていけるのは、まだ幼いこともあるが、恐らくは大雑把で神経質でないからと解釈できる。フキは何があってもポカンとしているかニヤニヤ笑っているし、口は臭いし、足は汚いし、人の家の引き出しを勝手に開けるし、そんな子なのである。
鈴木唯が計算してそれを演じたとすれば天才だが、おそらくはそうではない。監督も父の死のあとは収集がつかなかったのだろう、妙なイメージカットを並べてお茶を濁している。例えばポスターにも使われているヨットでのシーンにどれほどの意味があるのか?エンドクレジットを観た限りではこのシーンのクルー、キャストに大きなコストを投じているようだが無駄ではないのか。そして最後を母と娘の和解のようなシーンで終わるがどう監督の頭の中で決着しているのだろうか。エンドクレジットで人生讃歌のような曲が流れる。多分、監督の構図と我々観客の受ける印象には相当なズレがある感じがする。それはダメだと思うけど。
異なるテーマで色々と感じた
*
この作品の舞台は1980年代らしいですが
なぜだか年代の前情報を得てなかったので
しばらくこのことに気づかず
レトロな雰囲気だな…と思って観ていました
今の時代と混ざり合っているみたいだなと
不思議な気分になっていました
異なるテーマで色々と感じたため
バラバラと感想を記します
*
主人公のフキちゃんはどこか風変わりな
小学五年生の女の子
見えないものを感じるのが好き
年齢という名の垣根を持たず
興味を持った人とは誰とでも交流を持つ
人の影の部分を好み
それを引っ張り出して触れていく
触れられたその人は
自分の本心を口に出すことで向き合えたり
家庭内の環境が変わったりした
モヤモヤのきもちを抱え込んで
ずっと生きていかなければ
ならなかったかもしれない未来を
フキちゃんが絶ってくれた気がする
そういう気持ちで起こした行動なのか
単に人の影に触れたいがためなのかは分からない
*
人への好奇心から伴うフキちゃんの行動に
ハラハラさせられることがあり
今の時代だったら…と考えずにはいられない
冒頭のシーンは末路の可視化だった
昔は電話、今はSNS
姿形を変えながらいつの時代にも
わるい大人はいる
今よりもう少し時代が進んだとき
どんな姿をしているのだろうか
▼お気に入りのシーン
お友達になった子の家で出してもらった
大きなショートケーキ
ルンルン気分で食べていたのに
とあることで回収されることになってしまう
「え?おいしいですけど」と言わんばかりに
お皿にグッと力を込めて回収拒否
子供らしくてすごく可愛かった
*
「パンズ・ラビリンス」と「火垂るの墓」をリスペクトしている
本日、シャンテに於いて舞台挨拶付き映画を鑑賞予定。
「幕あいの時間も終わりです」
「みなしごになりたい」と言う表現は間違っている。その訳を映画の中で語っている可能性があるかもしれないので、もう一度見直す。
結果
そんな事、どうでも良いと分かった。それよりも、この演出家がこの1987年の夏をどう描くか期待して見た。ネタバレになるので、多くは語れないが、
1987年の8月のカレンダー(国鉄員だった我が家にあったカレンダー)を見た時、この映画の主旨が分かった。
起承転結が「無き」が如く話しが進む。
そして、
「富士山で狼男の足跡見つかった」と言う結末でのセリフ。
結末は「イレーヌ・カーン・ダンベール嬢」?
すると、自ずと「起」が「フキの葬式」と想像出来る。
そして
「承転」で身近な不幸を嫌と言う程見せられる。
ペド○○○○の逸話を入れたのは「転」なのかもしれない。
舞台挨拶付きは良かった。演出家の本音に触れることが出来たと思う。
舞台挨拶だったので、演出家に質問しようと思ったが、当時の事を実体験として知る僕と、周囲の方々との感動のベクトルが違うんだろうと感じた。 つまり、無粋過ぎるのでやめた。父親役の俳優さんの営業妨害する訳には行かないからね。でも、「最初に質問する奴は大概ヤバイ奴ですからね」(ママ)その言葉に手は挙げられなかった。
でも、そんなセリフを言わにゃならんとは。
監督を含めた舞台に立つ人タチが可哀想になったと言うことさ。
次回作に期待したいものだが、多分、毒されるだろうね。PLAN75は天使の如きに控えしルシファーのおかげで受賞出来たと理解できた。当該作品が受賞出来なくて良かったし、今回の演出家は確信犯なのかもしれない。
ネタバレあり
いけない
追記
昭和の最後に起きてしまった事件。それは平成へと続く訳だが、昭和100年の現在。どんな世の中になったのか。なくなったのではなく見えなくなった様に感じる。
うろ覚えだが、1988年の夏もク⭕️暑かった。
犠牲者の冥福を祈る。
追記
フキの髪の毛がダンベール嬢の様に長くない。最後まで長くならない。ルノワールの絵はほとんどがロング。ショートカットの絵もあるが、ダンベール嬢には敵わない。ならば 黒髪のショートカットの少女をなぜ選んだか?また、フキが成長している訳では無い。彼女は一人で終末旅行をするのである。
残念ですが印象に残らない
期待大でした
が…
前半はひたすら退屈で
合間、合間が唐突に切れるので
何を言いたいのか分からなかった
・・人生は最期(おわり)があるから的な
主人公のフキは
普通の子が書かないような
作文を書くと担任に誉められる
フキの空想がちょっと変わってる
フキの行動がフキの魅力なのだろう
フキに"魅力"を
感じるか感じないかで
…評価がわかれるところ
自分はそれほど感じるところはなかった
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