ルノワールのレビュー・感想・評価
全133件中、121~133件目を表示
11歳の少女が見た、優しくて残酷な大人の世界
第78回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出されたと知り、期待を込めて鑑賞しました。
物語は、1980年代後半のある夏、小学5年生の少女が主人公。世の中の不条理やもどかしさを受け止めながら、少しずつ大人になっていく姿が丁寧に描かれています。
観ながら、あの頃の自分自身を思い出し、「私もきっと同じことをしただろうな」と自然に重ねていました。
やや期待が大きすぎたせいか、物語の展開に物足りなさを感じた部分もありましたが、それでも少女の心の動きが繊細に捉えられていて、静かな余韻が残る作品でした。
しょーごです
ルノワールがかわいそう
英会話の先生の表情だけが胸を打った。
イレーヌ嬢の絵に触発されて作った映画なのだろうが、この作品の題名に名前を使われるのは、ルノワールがかわいそうに感じた。
ただ、エンドロールの歌の字幕があるだけで、この映画の価値は随分上がったことだろうと思う。
単なるちょっと変わり者の小学生の夏休み。期待外れでした。
私にはよく分からない映画でした。
人が死ぬと泣く
言葉にできないから映画を作る早川千絵監督と「死」、そして主演・鈴木唯の輝き。"みなし子になってみたい"…?勝手に親を殺すな。夢っぽくなくあくまで地続きな形で、観客が何が起こっているか分からないシーン頭の編集。近未来の次は私的要素のある過去、前作『PLAN 75』よりも余白のある作り。世の中に溢れた「死」を扱った作品には辟易とさせられることもあるが、監督の作品にはしっかりと引き込まれるし立ち消えていく生命の儚さと力強さその両面を捉えるような説得力がある。
ふっと消え入りそうな、ブラックホールみたいな穴に落ちてしまいそうな夢か妄想か分からない曖昧さで、感覚に何かを訴えかけてくる。自分が子どもの頃に想像力たくましい子どもで、住宅街の中に「こんなすごい公園がある!!」と遊園地みたいな公園がある(その公園のイメージは今でも自分の中にふんわりと残っている)と友だちに嘘をついて親に怒られたような記憶もあるが、それって本人=当時の自分にとっては嘘でなくあくまでリアルなもの。あの頃、ぼくらが見てた景色とその多感な頃の感覚を思い出してしまうよ。ひさしぶり!
泣くのは悲しいから?当てるゲーム。ショッキングな冒頭からの父の入院以降、超自然的なものに惹かれ興味津々。母の不機嫌ムーブに突然の河合優実、死に群がる胡散臭い詐欺商売など一見脈絡のない全てのキャラクター描写に、引いて見たとき何が見えるか印象派。川、馬、テレビ、そして伝言ダイヤル…。途中息苦しくなりそうなほど観るのがつらくて、最後は鳥肌。完璧なラストと余韻が、自分好みだからとかそういうの抜きにしても、胸に残る。"人生は素晴らしい"のだと、こんな世の中では戯言に響く言葉も少しでもそう思わせてくれるような映画の魔法がそこには確かにあった。
勝手に関連作品『アマンダと僕』『悲しみに、こんにちは』『ポネット』『お引越し』『幻の光』
P.S. 多国籍な映画製作で旅する映画作り。フランスで編集、シンガポールでサウンドデザイン、フィリピンで船。
青山真治の『Helpless』思い出した
なんでこんなに奇跡のような芝居ばかりできるんだ!
芝居じゃないから奇跡だって思ってしまうのか
あのハグの手の置き方とか返事の仕方とか
演出なのか脚本なのか奇跡なのか、なんだっていいんだけどなんでこんなことできるんだろうってただただ驚き、ただただ感動
「ああ、久しぶりに映画を見たな」
と思ったのは、
説明のカットを飛ばしていたり、人物が画面外を見つめていたり、テーマは暗いところにひっそりとあって目立たず、変なカット、変なシーンと思っても、後でそれらが積み重なって訳もわからず涙が出てくる構成のように
他の芸術が持っていない編集と、映画の持つフレーム外
この二つでで遊んでて?利用して?
いるのが嬉しくて
「ああ映画を見たな」と思ったのかな?(何も気持ちがまとまってなくて草)
すごく嬉しかったんです。
そのカットを見せないとか、そのフレーム外を映さないとか、その、なんだろう、観客の私たちを信じてくれている感じといいますか、「みなまでいわすな」みたいな姿勢とか、「こんなんでいいのよっ」みたいな軽やかさとか、
ほんとにあの手を繋いであなたの頭の中のカード番号を当てるゲームと同じで、私たちが映画を眼差しているだけなのに、「ああ!つたわるよ!伝わってるよ!」って、面白いくらい伝わるし、そういう会話の方がなんか楽しい、、、
好きな人と目配せして(あれ)(ね、)みたいな、2人だけの眉毛だけの会話してる感覚みたいな!
余白なんて一切ない、白紙の映画
泣く顔で始り、笑う顔で終わる。極めて希望に満ちたような終わり方である。しかしそれで良いのか?この映画は何をしたかったのか、これは全く分からなかった。
フキが出会う数人の大人との点描的なシーンで積み上げられる時間を扱っている、それぞれのシーンの大人とフキの関係性にはいくつかの解釈が許されているように物語上で説明されることは少ない。これは観客に委ねているに違いないのであるが、それを全て「余白」という都合の良い言葉で纏め上げて高尚な雰囲気にしてしまうのは、いかがなものだろうか。
まずこの作品の時代設定にいささか疑問を持たざるを得ない。80年代後半なのは分かる、しかし、インサートで挿入される電車は余りにも現代のものであり、LEDすら登場する。サマーキャンプでの『RYDEEN』もある種テクノ×キャンプというミスマッチを演出するシュール的且つ時代設定を説得するために?使用されるが、、、しかも『RYDEEN』は79年の楽曲である。自分はあまりここら辺の時代感をダイレクトに吸い取ることはできないが、聞く人が聞いたら果たしてどう思うのか。どっちにせよクレバーな使い方とは言えない。おそらく監督にもそこら辺の教養はないのだろう。ガバガバな時代設定は最後まで80年代後半である必要性を認めさせてくれない。
主人公のフキは、役割不能に陥っている父親とその面倒に追われている母親の元、放置されている。ネグレクトではないが、信頼して生活を任せられているとも言えない塩梅だろう。
そうやって一時的な自由を手に入れた子供だったらどこまで跳躍して親元から離れていくか、これによって得られた一夏の経験は9/1には彼女をどこまでも無敵な小学5年生に大きくさせる。たとえそれが様々な大人に迷惑を掛けたとしても、だ。ガキの加虐性と奔放さに向き合うには格好の題材である、にも関わらず点描法で上部しか攫わない関係性の蓄積という断片性に目をむけてしまったため、フキは大変大人しい。ただ相手を正面から眼差すだけでシーンが終わると関係は続かない。フキに魅力を感じるか否かは観客それぞれだろうが、なんかあまり可愛気はなく、かと言って大人を振り回すほどのエネルギーを持ち合わせてもいない。英語教室になんか通わされて上流階級の友達を見つけては、彼女の家でケーキや靴下をもらう。履いている靴下は袋に縛られる。これ自分の娘がそうされて帰宅したら母親としてはとても侮辱に感じやしないか??なのにこの作品では汚い靴下と同様にシーンすらゴミ箱に入れらてしまう始末だ。フキは座って大人の営みに巻き込まれていくだけに終始する。その結果彼女が興味を持つのは、超能力やマジックなのだ(テレパシーを使ったラストシーンも品がない)。あみこの方がより生き生きとしていた子供を映した素晴らしい映画だ。『ミツバチのささやき』になんて到底及びもしない。
タイトルにもあるルノワール。だいぶ大きく出たな、光や自然というものをさぞ美しく描いているのだと大きな期待を抱いたが、これは結局カンヌへの目配せなのか??『PLAN75』の時にも題材の選び方が映画祭へのおべっか以上の深掘りはされていなかったが、本作も結局大した提示もないまま、あらゆるものが中途半端に垂れ流されていった。
ムーディー勝山的「PLAN11」とでも言おうか。
フキの子どもらしい感性と好奇心に満たされる
真っ直ぐで、無垢で、豊かで、ちょっぴり残酷で、何よりも個性的なフキの感性と好奇心。
誰かと出会う度、何色にも染まり、何層にも色を重ね、元の色を変化しながら新しい色を作っていく。
なんて豊かで美しい色彩なんだろう!
厳しく複雑な大人の世界をも包み込む彼女の色と光に圧倒された2時間だった。
彼女を取り囲む大人はみんなちょっとずつ欠けていて、あまり幸せそうじゃないけど、彼女はそれに対して胸を痛めて一緒に悩んだりはしない。
わからないものをそのまま丸ごと解らないものとして理解できてしまう、子どもの素直さとか純粋さが生き生きと描かれている。
なんかそれがすごくリアルで、必ず一度はみんな通る子ども時代をみんな思い出すと思う。
主演の鈴木唯ちゃんのナチュラルな演技がすごかった。
ルノワールなのにシュールレアリズム
2025年映画館鑑賞67作品目
6月28日(土)イオンシネマ新利府
通常料金−dポイント300→1500円
監督と脚本は『PLAN 75』の早川千絵
幼くして父を亡くし母子家庭になる小学生の女の子の話
時代背景は80年代後半
携帯電話の普及率は低い
トレンディードラマで浅野温子とか使っていたような
ロケ地
岐阜市
岐阜県笠松町
タイトルはピンとこない
ルノアールの傑作『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』の複製画が登場するが
監督の死生観をフキに投影している
シュールな感じがする
ポスターにも使用されたいきなりクルーザーに乗り込みみんなで陽気に踊るシーンは代表例
アメリのような髪型
ときどき変な髪型する時も
フキが食べてる最中の苺のショートケーキをちひろのパパが気に食わないせいで取り上げられるシーンが面白い
『いっしょけんめいハジメくん』の主人公ハジメくんの一流の同僚と一流だけを愛するその妻を思い出した
フキが脱いだ靴下を他人の家のテーブルに載せるところとそれに対応するちひろの母の左腕が面白い
泣いている幼児たちをオカズに自慰行為する変態が世の中にいるんだろうか
今を思えばfacebookが「ナパーム弾の少女」を削除したのもわかる気はちょっとある
だが基本的にネット管理者は原則的に削除するべきではなく明らかな犯罪行為でない限り黙認しないといけない
演出家としては能力が高いかもしれないが脚本は他人に任せるか脚本に携わるにしてもやはりメインの脚本家を起用するべきだ
配役
英会話教室に通う11歳の小学生の沖田フキに鈴木唯
フキの母で管理職だがパワハラで研修という形で会社を休むことになる沖田詩子に石田ひかり
闘病中で痩せてはいる水が溜まり腹が出ている末期癌で余命わずかなフキの父の沖田圭司にリリー・フランキー
詩子のセラピーの先生でアメリカのものを独自のアレンジをして参加者にやらせてみる御前崎透に中島歩
透の妻で法外な値段の栄養食品を販売をしている御前崎貴和に宮下今日子
同じマンションに住む未亡人でフキに催眠術をかけられる北久里子に河合優実
フキを自宅に連れ込む自称大学生の濱野薫に坂東龍太
フキが通う英語教室の先生のケイト・ブラウンにハナ・ホープ
ケイトの母の美知子・ブラウンに中村恩恵
英語教室のクラスメイトで裕福な家庭で育つ大竹ちひろに高梨琴乃
笑顔の裏に腹に一物抱えるちひろの母の大竹梨花に西原亜希
高収入のようだが妻には素っ気無いちひろの父に大竹淳に大塚ヒロタ
作文の内容ごときで親を呼び出すフキの小学校の担任を務める老教師の戸田哲郎に谷川昭一朗
病院の給仕係の中村みどり高間智子
圭司と同じ病室の患者家族の木村名美に大西多摩恵
圭司の会社の同僚の大坪健に中野英樹
圭司の会社の部下の真下浩之に佐々木詩音
詩子の手相を診る占い師に天光眞弓
レポーターに伊藤裕一
TVの超能力者のヴェリー・マイコラスにジェフリー・ロー
テレビの司会者に俵木藤汰
北久里子の夫(写真)に長友都真
研修参加の男性に田村無多
研修参加の女性に大田路
研修参加の女性の幼い息子に綱島和磨
ファミレスの店員に二田絢乃
悲鳴をあげる母親に福田菖子
薫の母に森川恵古
それでも、日々は続く
何も疑わない すべて受けとめて
君はここへ生まれてくる
君はいつの日にか 僕らの時を超えて
風の顔で 走るだろう
飛鳥涼・小田和正
「僕らが生まれたあの日のように」
YMOが流行っていた頃、ランドセルを背負っていた私がいます。フキちゃんとは違う場所で、同じ時間を過ごしたことになります。フキちゃんのお気に入りはルノワール。今の私のお気に入りは、ダヴィンチの「洗礼者ヨハネ」。お友達になれたかなぁ。(友達になったら、なったで、大変そうだけど。)
当時、私の身内に闘病中の者はおらず、死はひどく遠いものでした。学校は、あまり好きでなく、いつも、取り留めの無い空想をしていたような…。もっとも、今でも仕事は、あまり好きでなく、取り留めの無い映画の感想文、書いてますけど…。
あの頃、何考えてたのかなぁ。ここではないどこかに、妙な憧れを持っていた。少なくとも自分が死ぬことなんて、微塵も考えなかった。近くに、死の気配がない子供時代でした。
私がこの映画に、あまり感情移入できないのは、死との向き合い方の違いから来るようです。そんな私でも、何だかうちは、サザエさんの家みたいに、愉快じゃないな~とは、思っていました。私に私の思いがあるように、親には親の思いがある、それに気づかない、あの頃特有の不思議な感覚。思い出せないし、思い出したところで、過去に苛まされるだけのことですが、この映画で、過去に浸るのは、思いがけない経験でした。
海外との合作映画とのことで、少し、このクニでは不適切と思われるストーリー展開もありますが、まず、観てね。チラシに色々書いてありますが、何も考えずに観ていいと思います。子供の頃、憧れていた大人になれてなくても、いいと思います。昔、子供だった皆様なら、きっと分かります。そして、帰り道、昔、子供だった皆様自身に、きっと逢えます。逢いたくなくてもね。
僕らが生まれたあの日のように…
皆様には、どんな恥ずかしい過去が、あります?。
あ、今、私の癒し難い記憶が、フラッシュバック。
嗚呼、生きるって、恥ずかしい…。
親族の何人かは鬼籍となり、死は身近になりました。それでも、生きて行かざるを得ない。映画は2時間で終わっても、私の日常は、まだ続くのだから。
「冬の小鳥」
自分でも分からないんですが、妙に惹かれるんです。誰かに分かってもらいたいけど、誰に、何を分かって貰いたいのかさえ分からない、あの感覚。ド派手が売りな韓国映画ですが、実はこんな愚直なまでに、飾りっ気の無い逸品があります。併せご覧下さい。
完璧な駄作です
河瀨直美に引続き、カンヌ受け狙いの空疎な駄作です。クレジットからして英語の氾濫、内容にまるで関係ないルノアールの美少女画が一瞬見えるだけでこのタイトル、おこがましいったらありゃしません。ブラウン管テレビの時代と主人公の心理となんの必然もなく、多分監督自身の記憶を描きたいがための1980年代って、普遍性に寄り添えない力量を露呈しているようなもの。
男の子と違って小5の女の子は複雑でしょう、その曖昧を描きたいのは理解出来ます。 冒頭の自分の葬式シーンは秀逸ですが、後が続かない。孤児になってみたい妄想もきちんと画にして、担任教諭を翻弄して欲しかった。変わっているのは先生の方と、親子そろって変なのを明確にすれば映画のスタートダッシュは完璧になったのにね。
以降脈略なくエピソードがダンゴ状に描かれる、メリハリもなく落ちもなく、ひたすら退屈地獄。お目当ての河合優美が唐突に現れ、映画冒頭の子供達の泣き顔モンタージュの違和感をセリフのみで語りだす。もう一人のお気に入り役者である中島歩の怪しげなメソッドインストラクターは母親のためのと言うより、フキにとっは宇宙人の如く映ったはず。いかんせん母親の描き混みがいい加減なので、折角の中島が活きない。
総じて、私って、こんなに変わってて感受性豊かだったのよー、とアピールしているようで、少女の好奇心がまるで昇華してないのです。ロリコン青年の危険な描写も随分とサラリと描くのみ、もちろん少女は危険なんて思って見みないでしょが、唐突に風呂場に押し込まれフタをされる、それだけで相当な恐怖に繋がるのがフツーでしょ。なのにフタを開けても騒ぎもせず、なにより真夏の密室に閉じ込められれば息苦しく汗もかき不安が滲み出る、その「湿気感」がまるで描けないから貶すしかないのです。
相米慎二や是枝裕和と比べるなんておこがましい。ショーン・ベイカーの
の「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」2017年 の少女と比べれば一目瞭然、画面の中で少女が生きていないのですね。本作の女の子「フキ」は事象を描く媒体にしかなり得てないと思うのです。どうでもいい、なんてことない事象でも積み重ねにより観客の心を揺さぶるのですがね。「スタンド・バイ・ミー」1986年 の刹那は当然監督の頭の中に在ったはず、でもその足元にも及ばないのは、多分、賢過ぎる子役である鈴木唯ちゃんに依存し過ぎたせいでしょう。唯ちゃんを責める気は毛頭ありません、起用の仕方を誤った監督に責任があるのです。
周りのヨイショに担がれて、実力もないのに、煽てに乗ったのが本質なのかもしれません。豪華ヨットの船上で踊るなんて、夢にしても必然がない。真っ先にカットすべきシークエンスだったのに。
全133件中、121~133件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。