ルノワールのレビュー・感想・評価
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そこはかとないユーモア
いつもの映画館 久々
祝日だけど月曜日なので会員サービスデーだと
監督の前作がよくて楽しみにしていた一作
上映が今日までだったので滑り込み
一言でいうと
背伸びしがちな小5の少女が
大人の世界に触れるという物語かと
で両親を含むその大人たちが
必ずしも善人ではない
で少女も決して純心無垢ではない
友達に父親の浮気の写真を見つけるようにしむける
オラが勝手に期待しているセオリーを裏切る
そういうところが監督の狙いなのかもしれない
今書いていて整理したらそういうことかと
ただ好みではない
なんだかエピソードがツギハギというか
あまり必然性を感じなくて
石田ひかりのエピソード
パワハラの研修に行ってどうしてそうなるのか
手相見のエピソードもうーん
河合優実のエピソードって何
冒頭シーンとつながっているのか
そもそも誰だっけ
心理学男のくだり
橋からオヤジが連れ帰る
現実と夢のシーンが整理されずに
出されるような居心地の悪さがいくつかあった
もう少し説明があってもいいような
前作と共通するそこはかとないユーモアは感じた
中島歩のシーンとか喪服のシーンとか
まぁ他の人のレビューを早く読みたい系だな
フロントライン でっちあげといい流れで来ていたが
小休止だな
終了後は炎天下の市役所前ベンチ
何とかギリギリ日陰を見つけた
缶ビール2本と自作弁当
どうやら猛暑日だったようだ
出鱈目
少女の不穏な視点でみた不穏な世界
評判以上 子どもをうまく捉えていた
なんだか聞こえてくる口コミが悪く、見る気が失せていたのだが、観てよかった!
監督の撮りたいものが撮れた作品だと思う。
それに応えた役者さんたちも素晴らしい。
序盤から最後まで目が離せずのめり込めた。
なんだかんだ色々あるけど、自分にとって良い映画ってのはそういうとこが大事だと思ってる。
小5らしさ、死や悲しみへの疑問、好奇心、無邪気な悪気。かなりリアルに描かれていたと思うし、演じる相手へ投げかけるようなフキの視線もとても素晴らしかった。こちらへも投げかけられていたと思う。
映画というスクリーンでみる作品として頭一つ抜けている作品だと感じた。
河合優実さんとの共演シーン、恐ろしく完璧じゃなかったか?あのテンポ、空気感。他人と自分の境界。色んなものが詰まっていて痺れました。
スクリーンで観ることができて良かった。
個人的新人賞です。いいものみれたなー
フキの視点
人間として逃れられない
身内の死の現実を目の前にして
薄情にも滲み出てくる人間の本質の数々。
子供だが大人になりかけ、危うさも
ありつつ、どこか冷静。
あの相手を覗きこむ仕草と表情は
はっとする。
どう受け止めたら良いのか、処理すれば
良いのか、少女の一夏の経験が
凝縮している。
彼女の目線でフキの考え。
子供の頃の自分を思い出す
人間くささも感じる映画。
微かな幼少期のにおい
自分の話でもあるようでないような。でも、確かにあの時に感じた記憶を呼び戻す様な作品であった。
突然、何かを触りたくなったり、意地の悪い事をしてみたり、やってはいけないことをやってみたり。
大人の返事に、ハキハキと大きな声で答えたり。
大人の言う事を聞いてはいて、一見は意思疎通が取れている様に見えて、そこにはいないと言うなんとも危うい状態を見事に表現されていたと感じた。
自分も親として振り返ってみると、この映画で出てくる人物達の様に、本当に身勝手で自分のことしかつくづく考えていないなとこの映画観て思い直した。
(父、母、不倫相手、その妻、友達の親、同じ病室のばぁさん、アイツ!)
誰かの為などと言い訳ならべて、子供を自分の思い通りにしようとする姿。頭が痛かった。。。
子供を一人の人間であると捉えて接しよう、でないと寂しさの余りに一線を越えてしまうのかもしれない。ちゃんと、聞いて、見て、向き合おうと思えた作品でした。
最後、フキが少し成長した姿となり寂しい様な、でも母を見る目は子供の様な。カードの答えは合っていたのか合っていなかったのか。私は、カードの答えは合っていたのではないかと思う次第です。
11歳に戻って観てみたい。
大人にとっては大したことの無い出来事かもしれないけど、フキにとっては全てが刺激的で、知らずにはいられない。その好奇心のみで真っ直ぐに行動してしまう子供らしさや、だけど11歳という少し大人に近づいてきている部分もあって、しっかり人を見ているので空気を読むこともできる部分に、子供から大人への成長する過程の葛藤を感じた。なんでこんなことを?それはなに?みたいなシーンや行動も多かったと思うが、それが11歳のフキからの視点であり、大人になってしまった私たちには素直に受け止めれないのだと思うとすこし寂しさもあったり。
だから、11歳に戻ってもう一度観てみたい。そうすると感じ方も共感できる部分も増えるのでは無いかと思った
近未来から過去まで命の尊厳を撮る
カンヌに出してるプラン75の監督が作った少女の成長を描いた作品くらいを前提知識として観に行ったが、作中でも終わっても思ったのがこれは人の命の尊厳をテーマに作った作品と思えた。戦争談や映像見たり飼ってる魚で死んだものを何気なくすくうシーンがあったり、これは私だけ思ったことかもしれないがキャンプファイアーの火の粉が空襲に思えた。
質疑で監督はああ答えたが恐らく空襲に模したものだと思う。そして父の死をあまりにあっさり報告するからなぜウソを言うのだろうと思ってしまった。
フキをあのようにとったのには考え有っての事だろう。もっといろんな経験をして成長をと思ってたから力石以上に強烈な死に思える。そして船でのダンスは私は生きてるのよと訴えかけたように取れた、波のカットを入れたのはルノワールだけに北斎を意識してるのではないだろうか。
「ストーリーが明確でなくても楽しめる早川千絵監督作品」
小学五年生の少女フキが主人公。つまりこの映画は、少女の視線から描写されている。少女がある事柄をわかる、知ることは、事柄の全体像ではなくある断片に限られていく。「なんとなくわかる、知る」というイメージだ。だからこの映画には明確なストーリーはない。なぜならフキの視線の断片の寄せ集めだからだ。
フキが置かれている家庭環境の断片が二つの作文にあらわれる。超能力、催眠術、カード当て、テレビから得た情報の断片をうけてフキはやってみる。ただ不思議な描写が入り込む。夫を亡くした女性にフキが催眠術をかける。催眠術がきいているのかいないのかわからないが、女性は自分の思いをストレートに語るシーンのみがストーリーになっている。なぜなら彼女は大人であり物事の全体像をはっきりと把握できるからだ。
少女と大人の区別を明確にし、なおもフキの断片を描写していく。少女同士の遊び。何かを見つけたフキ。この遊びにフキの残酷性の断片を見る。伝言ダイヤルにはまり、大人の誘いに軽々とのってしまう危うさと未熟さの断片。病院でルノワールの絵を見つめるフキの断片。ガン末期の父の病室に飾られるルノワールの絵の断片。父親が一時帰宅したとき、父が部屋を開けると母の喪服がつるされ準備されていたのを見た瞬間、フキは電気を消し部屋を閉める優しさの断片。母がなんとなく浮気している男の周りを自転車でぐるぐる回り無視して走り去る断片。父が亡くなっても覚悟をしていたからたんたんとし、ルノワールの絵をはずして自分の部屋に飾り、父のことは忘れないという優しさの思いのこもった断片。
この断片の数々がフキの記憶となり人間形成の一部になる。様々な大人の断片を見て経験して、やがて物事の全体を把握できる大人に成長していく。しかしはっきりわかるということは、幸せと結びつかないこともいずれ知るだろう。
様々な断片を見てきたフキが、いつか光り輝く青空の下、クルーズ船上で満面の笑顔で踊っている姿を想像する断片。未来に希望を持っているフキに、よしと思った。
「語られぬ感情、映し出される世界」
「ルノワール」|早川千絵監督作品
映画館で鑑賞
早川千絵監督の新作『ルノワール』は、一人の少女の視点を借りて、時代と社会を鋭く見つめる異色の作品である。舞台は1980年代、少女の目を通して映し出されるのは、家庭や社会の中で静かに進行していく歪みや違和感の数々だ。だがこの映画は、決してセンセーショナルに問題を暴いたり、分かりやすい感動に収束したりする作品ではない。
主人公の少女・フキは、ごく淡々とした表情で、どこか達観したように世界を眺めている。彼女の行動は時に挑発的でさえあるが、それは言葉に置き換えられることなく、意味を明かすこともない。ただ、そこにある事実や現象に静かに反応するのみだ。その沈黙が、逆に観る者に多くを語りかけてくる。
印象的なのは、登場人物たちが抱える苦悩や不和が、あくまで“描かれる”ことに留まり、“解決”や“癒し”へとは向かわない点である。日常の中に潜む重さや、愛情のすれ違い、不意に訪れる破綻──それらは物語の中で特別な扱いをされることなく、ただ静かに通り過ぎていく。感情を爆発させる場面も、明快なメッセージもない。むしろ、判断を保留するまなざしが貫かれていることが、この作品の核心と言えるだろう。
フキは、常に一歩引いた距離で周囲を観察する。だがそれは無関心ではない。彼女なりのやり方で、身の回りに起きる出来事と向き合い、対峙している。その姿勢は、私たち観客にも静かな問いを投げかけてくる──「世界をどう見るのか」「何を感じ、どう振る舞うべきなのか」。
作品の終盤、ある楽曲がエンドロールに重なって流れる。それは単なる救済のメッセージではない。むしろ、混沌とした現実の中でも、私たちには人生を選び直す力があるのだと、そっと背中を押してくれるような優しさに満ちている。
ここにあるのは、“悲しみの物語”ではなく、“悲しみの中でも生きていくこと”を描いた映画なのだ。
『ルノワール』は、物語のわかりやすさやカタルシスを求める人には、ややとっつきにくく映るかもしれない。だが、この作品が本当に提示しているのは、「人生の観察者」としての視点。何が正しく、何が間違っているのかを断定しないまなざしで、社会や人間を見つめるその姿勢こそが、今の私たちに最も必要な“まなざし”なのかもしれない。
手の中に冷たい感触が残るような物語
面白かったです。
私は好きな映画だな。
主役の女の子の鈴木唯さんの不気味な何を考えているのか分からない感じの抑えた演技が良い。それでも演出で、女の子の心中を感じられて、胸に鋭い痛みが走ります。
「伝言ダイヤル」(時代設定当時のアダルトツール。小中学生が使って犯罪に巻き込まれて社会問題になった)で知り合った「心理学に興味がある?」という学生と会うエピソードは、その象徴だと思いました。
末期癌の父親役のリリー・フランキーさんは、観る前はどうかな?と思っていたのだけれど、娘との心の奥底での繋がりを感じさせる演技で、とても良かったと思う。
石田ひかりさんは、あまり上手に感じられなくて、母親の人物像が表面的になってしまっていたと思います。(それは女の子の心象的な演出かもしれないけれど)
そのため、父親の死後の母子の関わりに深みを感じられなかったのは、私は残念でした。
子どもが抱える内面世界の不気味なリアリティーを最後まで感じさせてくれたお話しです。
不気味な光の中でお話しが進んでいって、手の中に冷たい感触が残るような物語。
ボーっとしてる様に見えて、ちゃんと子供は見てます。
長編2作目だが、さすがの完成度。
子供の視線、成長と上手く行ってない親や危険、、、最近よく眼にするテーマだが上手く見せたと思う。たいてい長回しの多用になりがちだがシークエンスをあまり引っ張らず次々見せていく。子供の頃って次々脈絡なく興味が移って行くし、どうでも良い些細な事に深く引き込まれたり、、、自分もそうだったなと思い出した。
話の軸になっているのは末期癌の父喪失までの過程で、子供って気持ちの表現方法がわからず淡々としてる様にも見えたりするのは自分も少しわかる。案外いろんな事考えてダメージうけてるのよ。
キャストも濃すぎず薄過ぎずいい塩梅だった。
主人公フキが、心地よく愛おしく刺さった
1987年頃の岐阜を舞台に、闘病中の父と仕事に追われる母と3人で暮らす少女フキ、感受性と想像力豊かな彼女が、それぞれに事情を抱えた大人たちと関わり合う姿を描いた作品。
起承転結で物語性のあるドラマではなく、日々様々なことに出会い感じるフキ、その繊細かつ奔放で、怖いもの知らずな姿をひたすら追いかける展開。
それぞれのエピソードが、オトナの世界では現実的であり、その滑稽さをとても上手に描いている。
フキは、映画「お引越し」の主人公レンコ、「こちらあみこ」の主人公あみこをも彷彿とさせるが、感受性・想像力豊か、そして知的で自分を失わないフキ、観る側として多少の危うさを感じつつも、その姿を頼もしく思って見てしまう。
制作に海外の血が入っていることもあり、一般的な邦画とは異なる世界観。1987年の世相、流行、テレビ報道などがうまく描かれ、その心地よい空気感が、抜群のカメラワーク、小道具を含めた演出、巧みな音楽の使い方で描かれる。その高いプロダクションバリューもあって、終始スクリーンに引き込まれる。
オーディションで選ばれたサキを演じる鈴木唯は、撮影当時11歳とのことだが、その素晴らしい演技に魅了された。
母親役石田ひかり、父親役リリー・フランキーら助演した役者たちも味のある演技で、いい味を出しており、その他のキャスティングも冴えている。
物語性のない映画ゆえ、感じ方も人それぞれ。万人向けではないが、フキと同じひとりっ子として育ち、大人を見ながら色々と感じた自分の少年時代とも被り、愛おしくそして鋭く迫ってきたインディペンデント映画。
世間の評価はさて置き、個人的には今年刺さった映画のひとつ。
よさげな表象を切り貼り
なんか…感想を言語化するのが難しい映画でした。
ものすごく嫌味な言い方をすれば、「私が思ういかにもアートな映画っぽいカットを集めてみました!」みたいなものを延々と見せられている感覚を拭えなかった。
美術に全く精通していない凡人が高尚な印象画を見せられても、なんかすごいっぽいとは思うものの全く良さは分からない的な、、
それぞれのシーンの意義がいまいち分からない。ぶつぎりの「芸術映画っぽいエピソード」がぶっこまれただけみたいな。置いてけぼりを食らいすぎてしまい。
前情報いっさいなしで見たので、初め、主人公のフキがだいぶ変わっている波動を感じたので、本人的には普通にやってる行動が周囲を振り回して、最終的にとんでもない方向に…みたいな展開をぼんやり予想しながら見ていたんですが、なんかそういうわけでもないし。
フキちゃんだいぶサイコパスな言動してたけど、なんとなく周りの反応は鈍めで…
いったい何を描きたかったのか、よく分からなかったです。
カンヌで評価(されてるのかは知りませんが)されるような映画はやっぱり私みたいな大衆向け映画ばかり見てるニワカ映画好きには難しすぎましたね。関心領域とかも私だいぶ無理でしたから…
まあ、シンプルなキャラ造形や分かりやすいテーマやメッセージを求めながら見ちゃうのがいけないのでしょう。娯楽じゃない純粋な映画は、複雑で理解しがたいほど良いのでしょうね。
印象派
主人公フキに中学生の兄がいたらとふと考えてしまう ある意味 一人っ子についての映画 早川千絵監督のドライなユーモアのセンスが光る傑作
よく「親は選べない」とか言いますが、子供時代の家庭環境を考えると「兄弟姉妹の配置とその中における自分のポジションは選べない」というのも、まあいろんな人がときには言いたくなるようなことだとは思います。この作品の主人公フキ(演: 鈴木唯)は一人っ子です。私は一人っ子ではありませんし、我が一族郎党を見渡しても3年以上一人っ子状態が続いた例は4親等内には一例もありませんので特に実例をよく知ってるわけではないのですが、一人っ子の友人はちらほらいますので、そこから推察するに、この映画内でのフキの言動は一人っ子の特徴を表しているようにも思えます。
この作品では父にリリー•フランキー、母に石田ひかりを配していますので、フキは両親が比較的高齢になってからできた子供であると言えます。また、母親が本作の舞台になっている’80年代後半には比較的珍しかった女性としての管理職に登用されていることから、キャリア志向が強かったとも推測され、この母親、比較的高齢であることも合わせてなかなか子育てにまでエネルギーが回らなかったことでしょう。年齢の離れた両親(友だちのちひろちゃんの家に遊びに行けば、ちひろちゃんも一人っ子みたいだけど、両親は自分のところより若い)、きょうだいはいない、学校が終わって家に帰ればカギっ子…… フキの家は生活に不自由してるようには見えないので(フキは英語塾に通わせてもらってます)、ネグレクトというには当たらないのですが、いわば、軽く精神的にネグレクトを受けている感じだったのかもしれません。フキは「みなしごになりたい」なんて作文を書いてたみたいですが、みなしごのような孤独を抱えているようにも見えます。
でも、フキは基本的に賢い子でそんな孤独をうまくあしらいながら生きていくコツを身につけてるようでもあります。口数はそんなに多くはないのですが、大人の顔色を読むのはそれなりにうまく社交的です。自分の父親が末期癌で死が近いのを知っていますが、父親がまだ諦めていないこと、母親がとっくに諦めてることも勘付いていて、父の回復を心から願っています。
でも…… この映画でのフキはなんだか人との縁が薄い子のように思えてきます。
そんなフキとその周辺を早川監督はちょっとドライなユーモアを交えながら淡々と描きます。私、実は『PLAN 75』を見逃してしまっていたので、早川監督はこれが初見だったのですが、この作品のそこかしこに散りばめられたユーモアには非常に好感を持ちました。爆笑というのではなくて、くすっ、にやりといった感じの笑い。こういうのって、日本映画ではなかなかお目にかかれないので貴重です。
ともあれ、フキは持ち前の好奇心の強さから、一人っ子、カギっ子ならではの危なっかしい冒険を経験することにもなりますが、なんとか切り抜けて、11歳小学5年生の夏が終わってゆきます。フキがお父さんの死について作文に書くのはいつになるのでしょうか。その作文を書いたとき、フキはまた大人への階段を一段登ったーーそんな気がします。
なにをみせたのか。
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