ルノワールのレビュー・感想・評価
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ライディーーーーン!
にはビックリしたw
はい「ルノワール」
いつもの如く貰っていただけのフライヤー。
キービジュアルしか印象に残っていなかったので、、、
こんな作品でしたか!って感じだった。
予想外ではありましたが
良くも悪くも「ザ・早川千枝!」な作品でした。
「PLAN75」しか観てないけどw
日本がバブル経済絶頂期にあった1980年代のある夏。
超能力や人の弱みにつけ込む怪しげな民間療法、ロリコン(や、それに伴う犯罪)、伝言ダイヤルなど、あの時代の日本を色濃く匂わせていた。
11歳のフキは、余命宣告されて闘病中の父と、看病と仕事で忙しい母と3人暮らし。
子供?大人?
ゆれる年代の少女の成長物語。
軽やかで伸びやかな鈴木唯ちゃんを前に、
かつて子供だった自分を見ているようで、こちらの心は大きく動いた。
私の父は自営業で、自宅が事務所も兼ねていた為、フキと同じ歳の頃は大人の出入りが頻繁な家で育ちました。
大人の会話を盗み聞き、大人なのに子供みたいな人もいるんだな〜とか思ったし、大人が望む子供らしい発言やリアクションをしていた事を思い出した。
又、父の影響で、絵画や映画も身近だったので、画集やその解説を読んで、その作品の背景を知り、想いを巡らせたり、数々の映画に触れて「死」について考えたり、大人になっても孤独を感じたりする事を知った。
特に「死」については今でも尚、まだ身近な人を亡くした経験が少ないので、あまり実感がない分、変に想像力が膨らんでしまう。
最愛の父から常に死の匂いを感じているフキの立場に寄り添ってしまい苦しかった。
しかしフキの「死」に対する捉え方はもっともっと原始的。
人が死んだら何で泣くの?
自分が可哀想だから泣くの?
フキが今置かれている状況は現実的にはかなり苦しそうなのに、ぼんやりと感じる「死」や「寂しさ」は、誰もが子供の頃に感じたであろう、その程度と変わらない。
終始フキの視点で描かれるが、様々な人と関わりを持ったり、危険な目にも合うが、自分ごとなのにどこか冷静で俯瞰して見ている。
母親をお母様と呼ぶ裕福な家庭の娘であろう女の子と仲良くなり、彼女の家庭の秘密を知る。
そこで残酷な行動に出るのだが、フキに悪意は感じられない。
単にどんなリアクションを取るのかな?位の軽い気持ちで彼女を観察している。
又、夫を亡くした女性の告白。
隠された秘密を知った彼女の絶望や失望は計り知れない程の衝撃をもたらすが、フキは催眠術にしか興味はないようでうわの空。
一方で、母親と講師の関係性に何かを感じる感覚の鋭さは、あの年頃の女の子ならではじゃないかな。
(私もそうだった。。。
おっと〜!!!ww)
興味本位ではじめた伝言ダイヤル。
フキはあの瞬間、危ない!怖い!と感じたのかも私にはわからなかった位の危うさは子供ならではの無知。
父を亡くしたフキを抱きしめる外国人教師の涙も見ても、この人は何で泣いているのだろう?とでも思っているような表情が印象的だった。
そしてその涙は自分に向けられたものではなく、同じく子供の頃に父を亡くした彼女自身の為の涙だと感じているからなのか、ここでも冷静で、ちょっと戸惑った表情を見せる。
そこに父を亡くした悲しみはシンクロしていない。
深刻に捉えていないのが逆に深刻に見えた。
この辺りの、子供が故の残酷さや無知さ、鋭さ、悪気のなさ、純粋さ、寂しさ。。
色々持ち合わせているのに、常にフラットなフキを見ていると、こちらはそれを補うように、様々な想いを乗せて観てしまいしんどくなった。
ただ、超能力(スピリチュアルなもの)に夢中になる姿は、深層心理では常に死を意識していたからじゃないかなと思った。
不安や寂しさを解消する手段に見えなくもなかった。
(死を受け入れる準備??)
色々思う所はあったがやはり、委ねる系、
それも全てのパートがそれなので、全体重を
フキに預けて観る事は出来なかった。
ただ、
"哀しい"を経験したフキは、その涙の重さを噛み締めて大人になるんだと思う。
私達がそうであったように。。
鈴木唯ちゃんはずっと目で追ってしまう魅力がありますね。
このまま唯ちゃんの一人勝ちかと思われたが、やっぱり!
ここでも優実ちゃんの存在感はレベチ。
あの語りだけで映像が見えました。
贅沢な(勿体無い)使い方でしたw
やっぱりろくでもないあんな役は絶品の
中島歩!大好きだ!
こないだまでやってたドラマでは彼に泣かされたけど、今作では何も語らずともあの顔だけで、やべー奴を表現できる坂東君に震えた(°▽°)
ドラマ先にやってくれて良かったww
お姉ちゃんよりお姉ちゃんに見えるひかりさんだが、彼女だったからあの母親を嫌いにならずに済んだのかも。
リリーさん。腹水溜まったお腹が〜!!
本当にこうならないでよぉ〜!!と願った。
多くを語らない、娘と競馬場行く父親、、
ぴったりだった。
本作のメッセージも全体像も掴みきれなかったが、聞いた事あったけど知らなかった、伝言ダイヤルの仕組みはよく理解出来た♪
そだそだ!
本編スタート前に「雪風」の予告で、
NOBUさ、、あ!竹野内豊様が私をずっと見ながら告知してきた。
照れた☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
携帯電話がなかった時代
題にNoir、中身はBlanc
粗筋から『こちらあみ子』と『お引越し』を合わせたようなものを想像していた。
しかしフキは前者ほど変わり者でもなければ後者ほど大人に振り回されもせず、なんだか薄味。
そして圧倒的にワケが分からなかった。
劇場を間違えたかと思うような映像から始まり、序盤はカットを入れ替えても成り立ちそうなほど断片的。
目当ての河合優実や中島歩もほぼスポットの出演。
中盤からやっと筋のようなものが出来はじめるが、これはフキではなく父を主体としたもの。
フキの方は超能力とか伝言ダイヤルとか色々やるけど、終盤に出会う大学生とも結局何もナシ。
父の死にも特に感情が動いてるようにも見えず。
主人公が見知らぬ土地を一人で彷徨いあの世との狭間に迷い込むのは、まんま『お引越し』。
フキがあまり大きく感情を出さないのは、観客がフラットに受け取れるようにかな、とも思った。
でも、あの程度(しかも他人事)では何も感じない。
最後の最後でまた狼男だのクルーズ船だのぶっ込んでくるけど何がしたいの?
生命力に溢れたポスターに反し、常に暗くて単調だし。
深夜にトイレの鏡に映った父の顔や、喪服を見て立ち尽くすカットはとてもよかった。
キャンプファイヤーを『RYDEEN』で踊るのは笑う。
風景(特に空)なんかも綺麗に撮れてるが、肝心の中身に何も見出せませんでした。
壊れ切った家族像
出てくるキャラが、全員コミニュケーション能力が「壊れている」上に、根底が邪悪。
主役の小学生の女の子は歪みきった承認欲求に支配され、「もし自分が死んだら」「死んだ私の身体を見て欲しい」しか考えておらず、しかも時はオカルトブームで超能力や新興宗教に抵抗なく受け入れ、伝言ダイヤルにハマり、そこで知り合った犯す気満々のペド大学生と無警戒に遊びに行く……
キャリアウーマンだが、仕事が出来ない人間の気持ちが分からずナチュラルにパワハラする母親。
末期癌で、知識欲に偏りすぎて、未承認の薬を試したいと医者に詰め寄りすぎて、医者から疎まれる父親。
ここまで壊れ切った家族像は初めてで、むしろドン引きした。
瞬間瞬間の画(え)はすごかったが、これ映画として楽しいのかな?という疑問が拭えなかった。
いろいろ詰め込みすぎ
石田ひかりさんとリリーフランキーさんの個性が強すぎて肝心のフキさんに感情移入できなかった。美しいシーンがたくさんあったけど、もう少しエピソードを減らしてシンプルでも良かった気がします。ポスターの写真がこの場面なのかいっ⁈としばしずっこけました。
フキちゃん危機一髪
フキちゃんとは鈴木唯さんという11歳の子役が演じるこの映画のヒロイン。リリーフランキーさん扮する末期ガンの父、石田ひかりさん扮する今で言うパワハラで「研修」を命じられた母とのひと夏の物語。
最近自分の観る映画は「壊れていく女子」を鑑賞することが多いが(悪趣味)この映画も正にそれ。(母娘ともども)フキちゃんとお母さんとお父さんのエピソードが時系列プラス、フキちゃんの妄想?が展開していく。
鑑賞者によってどのエピソードが刺さったかは違いがあると思いますが私は二つ挙げておきます。
一つ目はやはり坂東龍汰さん扮する薫とフキちゃんとのエピソードです。監督さんはギリギリのところを攻めていますね。本当に危機一髪、壊れていくどころか物理的に壊されてしまう(笑)私はこの時代、小学校高学年の担任でしたが、タイムスリップして夏休み前にこの場面を見せたい(勿論反面教師として)
もうひとつは夏休みが明けてからフキちゃんが通っている英語塾の外国人女性の先生とのやりとりです。フキちゃんが先生の質問に答えると先生は大粒の涙を流します。ネタバレになるのでこれ以上はいいませんが、この先生の感性こそ「まともな」「普通」の感性だと私は思うのでフキちゃんがその方向に成長して欲しいと思いました。
エンタメではない。でも自分の映画体験を信用したい
中途半端
期待し過ぎたわけではない。カンヌ出品だけど賞を取ってはいない時点で、「まあ、だいたいこんな映画やろな」と、ある程度出来の良し悪しは想像していた。何より、今誰より注目している河合優実が出演して、リリーさんも出ているということで、めちゃ良いということはなくても料金の価値はあるやろうと判断して鑑賞。
観た感想はまさにその通りという感じ。他の方も投稿しているように、何が描きたいのかイマイチ焦点が絞れておらず、いろんなエピソードを次から次から流して、数うちゃ当たる的なショートフィルムの連打みたい。1本の映画としてはなんとも中途半端。主役の女の子の演技は悪くないが、いかんせん脚本が弱く、観ている方が感情移入できるだけの魅力に欠ける。明確な個性がなく、メインテーマ(?)である(と思ってた)「父親が亡くなることを経験して大人へ成長すること」もあまり描かれていない印象で、80年代にこだわる理由も不明。結局すべて雰囲気だけ、そこそこきれいな映像だけで乗り切っただけみたいな。いかにもカンヌでは好まれそうな題材とは思うが、やはりそれだけで賞を取れるほど甘くない。
ただ、ショートフィルム連打の中で白眉だったのは河合優実演じる未亡人のエピソード。ほぼひとり語りしているだけなのに映像が浮かんで、ここだけ別の作品みたいな感じで強烈に印象に残り、演者の格の違いを感じた。そもそもこのエピソードは丸ごとカットしてもストーリーに影響ないのだが、これがなかったら星ひとつ減ってると思う。
深堀りや考察好きの映画ファンなら好意的に、「あのシーンにはこういう意味がある」とか「このシーンが良かった」といろんな感想を出すと思うし、それは映画の楽しみ方のひとつですが、まずその前に「ああ、いい映画だった。見ごたえがあった」と思えることが第一かなと。
大人の境目ってどこなんでしょうね。
そこはかとなく欧州風
あまり事前知識が無い状態で鑑賞。いきなり主人公がアレだったのでまさかと思いつつ、しばらくどっちどっち?と疑うワタシ。その後もあくまでおっさんがついて行けるレベルの(ここ大事)混濁を散りばめてそこはかとなく欧州風。クレジットで判明、フランス資本も入った合作で編集や音楽など多くのメインスタッフが非日本人でポストプロダクションも多国籍。どこまでが早川監督の味なのかもはや分かりません。しかし全体に心地よいすっ飛ばし方でしたー。パンフ買ってしまったけど未読、何か新しい情報がわかると良いのだが。
鈴木唯ちゃん、ちょっとインティマ心配。事務所は河合優実坂東龍太同様、本作の製作にも名を連ねる鈍牛倶楽部の様です。
主人公11歳女子の目線で見えた, 周囲の人々 とくに大人たちの物事...
主人公11歳女子の目線で見えた, 周囲の人々 とくに大人たちの物事.
父は癌の末期, 母は多忙で苛々が募り.
両親や, 学校など友人らのまわりで日々が過ぎ.
この女子, 飄々としたような, 繊細なような, 掴みづらく. 両側面ともあるんでしょう.
時代はどうも80年代のよう
超常現象ブーム, ウォークマン, 子供による親殺し事件,
学級のマスゲームで YMO "Rydeen" が使われたような当時.
主人公目線で諸々が描かれ,
結論や見え方が画一的にならず, 言語化もされず.
そういう見え方, 心当たりは多々あります.
私的にも, かつて見た諸々の出来事に, いちいち理由や結果を追求してはいないですし.
途中で聞こえたオペラ的な歌 Klaus Nomi "Cold Song"
とてつもなく冷たく感じました. 凍り付いて死ぬような歌詞をもつ歌ですしね.
生死観 - この女子, 学校の作文で "寝ている間に何者かに絞殺" や "孤児になりたい" と書いたり, 物語上の父が実際に余命わずかであることと, 辻褄が合うような.
そういう意図かはわかりませんが.
題目の画家ルノワールさんは, 劇中で話題には挙がりますが, 意味を深く持つものではない様子.
絵画のレプリカ販売が盛んだった, 当時はそういうこともありましたしね.
童心を思い出すような, 澄んだ心を持っていた頃もあったねえと感じるような.
そのままで美化も劣化もされてない,この年代,この世代のリアル.
切なくて温かくて, 耳と胸が少し痛くなる, 鑑賞体験でした.
大人でも子どもでもない大切な時間。
少女を中心に見える世界と”死“を考える大人たち。
揺れ動く心と当時の世間の空気感がとてもよく描かれています。
残酷な一面を持つ子どもと傷つく父を優しくかばう大人が同居しているのが面白い。
”死“を迎え自身に湧き上がる感情や故人への想いが彼女の成長を垣間見えるのが良かったです。
普通の人間にはわからんわ!
まずタイトルの「ルノワール」
フランスの印象派の画家。分からなかった。この映画が印象派?ルノワールっぽい作品?普通の人間には分かりません。
何を言いたい、何を見せたいとずっと観ていて考えても分からなかった。
父親がガンで死ぬまでの話。事件は起きるが、だから何だと感じる。「PLAN75」は増える老人の問題への警鐘を鳴らして、皆に考えてもらいたいみたいな芯があっての観て良かったと感じたけど、これは何したいのか普通の人間には全く不明でした。
こういう作品がカンヌ対策を施したものなら、カンヌ映画祭に出す作品は観てもしゃあないと思うしかないと感じました。
人が死ぬと泣く
「こちらあみ子」を思い出しながら観ていた。あちらのあみ子も、この映画のフキのように周囲と溶け込めていなかったが、関わり合っていた。こちらのフキは、家族とも学校でもどこか世間と隔たりがある。だけど、それを苦にはしていないようだ。というか、そういう感情を持っていないのか?そんな、無感情というか、冷めているというか、愛想なしというか。無垢であり、残酷であり、無遠慮であった。だけどむしろ、だからこそ観察者としての視点で世間と距離を取っているようにも思えた。感情がないと言っておきながら、半面、瑞々しいほどの感性を内包してるようにも見えた。
そして周りの大人たちが、はた目にはどこにでも居そうでいながら、ひと癖もふた癖もある。言い換えればちょっと嫌なところや弱いところを皆抱えている。だけど、そんな大人の集合体こそが、リアルな世間なのだろう。
おそらく、友人宅の引っ越しとか、母親の秘めたる内面とか、描かずとも察することで味わえる、じんわりと面白味を感じる深みのある作品であることは間違いないが、そこを不満と思う人もいるだろう。だけど自分としては嫌いではない。ただ、配役として先生役はどうなのか。どうみても定年過ぎにしか見えない。父親役のリリーフランキーもどうなのか。あの風貌で小学5年生の父親って無理がないか。いや待てよ、もしかしたら結婚が遅く50歳を過ぎてからできた子宝だと想定したら、なるほどこの映画の空気もさらに楽しめるかも知れないな。そして、「人生って素晴らしくて素晴らしくて素晴らしくて、いつか終わるもの」この言葉が妙に引っかかって、離れない。たぶん僕は、フキが夢の中で踊っていたような快楽と厭世観のごちゃ混ぜになった気分で、この映画の世界にふわふわっと翻弄されているのだろう。
フキは「イリーヌ」のような人生を歩むのか?
カンヌ映画祭の「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)の次点に選考された、『PLAN 75』の早川千絵監督作品ということで、『メガロポリス』を差し置いて観に行きました。
リリー・フランキー、石田ひかり、河合優実、中島歩、そして、フキ役の鈴木唯といずれも確実な演技をしています。特に、鈴木唯はあと10年もすると、キミスイで鮮烈な印象を残した浜辺美波のように、朝ドラの主役になるんだろうな、と思いました。
初っ端から画面の陰影が強烈な印象を残すのですが、谷崎の『陰翳礼賛』にあるような日本的な美学を表現していて、それがカンヌ映画祭で評価された理由のような気がしました。
ストーリーとしては、起伏が激しかったり、大どんでん返しがあるというものではなく、思春期の少女らしい、何にでも興味を持つけど飽きっぽいところや、神秘的なものや死に関心をもって、ときとして思いついたことを行動に移してしまう、危うげな少女の日常を描いたものです。
細部にわたって緻密に計算されて作られた作品であると感心しましたが、一度観ただけではわからなかったところがいろいろあり、極めて難解な映画であると思いました。
「お引越し」???
少女が見つめていたもの
小学5年生の眼から観た大人と呼ばれる人間たちの行動はときに滑稽です。
不思議な事象を超能力と面白がったり、
小学生の書く作文に過剰に反応してみたり、
子どもの泣き顔を集めた動画を観賞してみたり、そんな夫との死別を淡々と受け止めてみたり、
素敵な家族として体裁を整えてみたり、
見えない何かを信仰してみたり、
電話で気の合う人を探してみたり、
懲りずに誰かを好きになってみたり。
たとえ、自分の親であっても理解に苦しむことがあります。
死を覚悟したような佇まいながら、仕事のことを考えながら病床を過ごしたり、何かにすがるように足掻く様子を見せたり。
そんな夫よりも仕事や段取りを優先させてみたり、その職場では言動を問題視されてみたり。
それでいて父母ともに、どこか奥深い場所で家族のことを考えていたり。
そんな大人たちが紡ぐ「社会」と呼ばれる環境を、少女はまっすぐに冷静に見つめながら上手に泳いでいきます。それは楽しんでいるようにも見えましたし、その眼はトランプの模様と数字を見透かすような眼差しでした。そして、どちらが大人なのか?と思えるような姿勢でした。
いろんな人間に出会い、多様な経験を積むことでたくましい大人になっていく未来が予想されるような締めくくりでした。
いつの時代の設定かとか気にならない空気感でしたが、途中YMOの「ライディーン」が流れた瞬間、小学校でこの曲をバックに行われた縄跳び大会が思い出されて一気に昭和に引き戻されました。
とてつもなく味わい深い作品
早川千絵監督による映画『ルノワール』は、1980年代の日本を舞台に、11歳の少女・フキのひと夏の体験を、繊細かつ静謐なタッチで描き出した傑作である。
とはいえ、この作品は単なる少女の成長譚ではない。物語は直線的な時系列で語られるのではなく、相米慎二監督の映画「お引越し」をはじめ様々な作品からの引用、断片的で印象的なカットの連なりによって進行する。そこに見られるのは、日本の80年代にさまざまな表現領域で取り入れられたポストモダン的アプローチ、すなわち脱構築的なサンプリング、カット&リミックスの手法だ。
ビデオテープ、ロリコン文化、超能力、狼男、怪しげな民間療法……。こうした時代の記号の羅列が濃密に織り込まれ、80年代という時代の空気が再現される。そしてその中に、言葉では語りえない感情や傷が、ひっそりと浮かび上がってくる。この手法は、ジャン=リュック・ゴダールが80年代に行った映画言語の解体と再構築にも呼応しているようにも思える。
なかでも特筆すべきは、フキの「抑圧された哀しみ」が、劇中で直接語られることがないという点だ。フキは語らない。だがその沈黙の豊かさを、早川監督は映像と音の配置によって丁寧に、精緻に語っていく。それは「物語」ではなく、「構造そのものが語ってしまう」という、極めて現代的で冷徹な視点がある。
それはまさに早川千絵という作家の映像表現の真骨頂である。
——と、ここまでやや理屈めいたことを書いてきたが、後半、あの雨のシーン以降、フキの喪失と愛と哀しみが、ぐっと押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。
名場面が幾重にも折り重なる、宝石箱のような映像体験。ぜひ劇場で、味わってほしい。
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