「行き詰まる大人たちと、知恵にあふれた少女の物語ーー今後に大期待の監督誕生!」ルノワール nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
行き詰まる大人たちと、知恵にあふれた少女の物語ーー今後に大期待の監督誕生!
早川千絵監督の2作目となる最新作だ。公開から少し遅れて名画座での鑑賞となった。
75歳以上の国民に死を推奨する、というSF的な設定の前作「PLAN 75」は国際映画祭で高く評価されたそうだ。僕は未見だ。前作もできれば映画館で必ず観るつもりである。
最初の感想は「すごい映画作家が誕生した!」ということである。これから、続けて次の作品をとって欲しいと切望している。
原作ではなく監督自身によるオリジナル脚本とのことだから、早川監督の作家性が全面的に反映された作品なのだろう。
ネットで読める監督インタビューによると「今回は出来るだけ意味づけや説明から離れたところから映画を作ってみたいと思っていた」とのこと。本作の死の床にある父親という設定も、ご自身の体験でもあるとのことでもあるし、また80年代という設定も現在49歳の早川監督の少女時代である。
自身の体験を元に、自分でも言語化できないそこにあったものを、探求しながら描く純文学的な作品なのだと思う。
すぐにパッと手に取れる、わかりやすいメッセージがあるわけではなく感想も書きにくいのだけれど、じわじわと心の奥底を動かされる力のある映画だった。個人的な感想として、何がこの映画のパワーになっているのかを考えてみたい。
「うれしい、 楽しい、 寂しい、 怖い そして“哀しい”を知り、 少女は大人になる」ーーこれが、公式サイトでの本作の紹介である。「不完全な子供」から「より完成された大人」への〝成長物語〟という意味だと思う。
しかし、本作を見ていると、むしろ11歳の少女フキの方が、より統合されていて、大人達の方が、欠損を抱えて生きていることが見えてくる感じがした。
本作の大人たちは、この社会に適応し、自分の役割をこなして生活していくだけで精一杯である。役割に過剰適応して、自分を見失っている感じだ。
石田ひかり演じる母は、昇進したばかりのワーキングマザーだ。8男女雇用機会均等法以前に入社した世代だろう。当時は、総合職で就職する女性は相当少なかった。また結婚・出産後に働き続けるというのはさらに少なかった。
働き続けるだけでも大変なのに、彼女は昇進している。相当な努力が必要だったはずだ。フキが11歳になって子育て負担が軽くなってようやく実現した昇進で、遅れた昇進だという焦りもあったかもしれない。せっかく仕事に集中できると思ったら、夫が病気になってしまった。
彼女は〝優秀な社員〟という役割に相当な労力を払い、その人格が強くなっている。だから〝パートナー〟として夫への愛情や友情、〝母〟としてのフキへの愛情や家庭生活は、空虚になってしまっている。
〝優秀な社員〟である誇りが、部下への厳しい指導になって、受け入れられない降格につながってしまい、また、1人の女性として自己実現できていない感覚が、優しいだけの凡庸な男との不倫につながってしまう。
ギリギリ80年代の89年入社の僕の経験では、当時はこうした管理職女性は本当に少なかった。会社もまだ家族的で、鷹揚で面倒見のいい兄貴的な上司が多かった。むしろ雇用機会均等法組が、中間管理職になり始めた90年代後半以降に増えてきたタイプとして描かれているように感じた。成果主義や株式重視の経営が広がった時期で、現場に厳しく成果を求めるカルチャーが一気に広がった時代だった。
ただ、この映画のように、厳しい指導が問題とされるようになったのは、本当に最近、2010年以降ではないだろうか。80年代後半という設定だが、そこから現在に続く、働く女性の普遍的な課題を象徴させた人物なのだと思う。
リリー・フランキー演じる父も、母と同じく、会社人格に乗っ取られているようだった。彼は末期ガンであることをうまく受け入れられないようだ。だから、死の恐怖に対しても、調査して対策を考えるという〝業務上のトラブル〟のような対処をする。さらに空き時間には、ベッドで会社の書類を読み込んだりしている。死を受け入れられたら、妻やフキとの愛情を深めたり、川沿いの散歩で平凡だけど美しい自然に目を向けられたかもしれない。
そして、主人公のフキ。
11歳だから、彼女はまだ未熟である。世間的な知恵は、これから学んでいかねばならない。しかし、この映画の大人たちが、これまで学んできた〝世間的な人生への対処〟のせいで、かえって行き詰まっているのに比較して、フキの対処は知恵ある賢者のように見えた。
一見、フキは父の死を受け止めきれていないようにも見える。悲しいという感情も、自分では気づいておらず、英語教室のお姉さん教師が泣くから「ああ、こういう時は悲しいと思って泣くんだ」と教えられたような感じである。
しかし、身近な人が死ぬから悲しいというのは、世間的な型通りの対処でもある。親の死は悲劇で、それは悲しく辛いことーーこうして感情を、言葉と思考で整理することもできる。しかし、言葉にして整理することで、抜け落ちるものもたくさんある。フキは全身で全てを受け止めているようだ。
フキの対処は怪しくも思えるスピリチュアル的な方法だ。
父ではなく自分の死を夢で見て、それを作文にする。
占いか呪術のようなことをしたり、テレパシーで言葉にせず伝えることを試みる。
遠くのベランダでたたずむ女性の危うさを直感し、家に上がり込んで催眠術もどきで抑圧を解除してしまう。
川の堤防で夕陽を眺める場面は、宇宙の知恵と交信しているようでもある。
フキがやっていることは、偉大な心理学者ユングが個性化といった大きな知恵との接続を試みる方法(夢分析、曼荼羅、自由連想法)のようでもある。この映画の中でただ1人、落ち着いた成熟した対処ができているように見えたのは、世間的な役割や「こうするべき」という世間的な知恵に縛られていないからこそ、できることなのかもしれないとも感じさせられた。ベランダの女性も、そして父と母も、フキの知恵によって、かなり救われたのではないだろうか。
ただ一つの失敗は、伝言ダイヤルで信頼できる大人を探そうとしたことだった。大人なんか頼りにせず、自分の感覚を信じて進めば大丈夫ーーそう応援したくなった。
しかし、彼女も世間的な知恵を身につけた大人に、一度はならないといけないのが辛いところだ。そうした人生の課題をこなした後に、もう一度、11歳のときの感覚を思い出してほしい。
早川監督自身が、一度、就職や家庭生活や子育てといった世間的課題をこなしてから、再び知恵ある子供の世界を探求している、そんな映画なのかもしれないと思う。
色々な見方をして考えさせられる映画だ。この映画の前では、僕の見方も、個人的な一つの感想に過ぎないと思う。
エンターテイメントとしての映画では、登場人物の明確なキャラクター設定と動機が必要とされるけれど、揺れ動くし、自分で自分がわからないのがまた人間というものだ。
早川千絵さんは、人間のわからなさや、言葉にすると抜け落ちてしまう〝人の全体性みたいなもの〟を描くことができる稀有な映画作家だと、本作を見て感じた。
早川監督は、会社勤務を経て、大学で学び、子育てもされて、映画監督としては遅いスタートをされた方のようだ。これからたくさん作品を作って欲しいし、50代を人生の収穫の時代として謳歌してほしいと思った。
今後を応援したい注目の映画監督。日本を代表する映画作家として、さらに大きく飛躍することを期待している。
