劇場公開日 2025年5月9日

「どこまでも個別的な、エゴイスティックな目的達成の行動原理」リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 えすけんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0どこまでも個別的な、エゴイスティックな目的達成の行動原理

2025年5月19日
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鑑賞方法:映画館

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1938年フランス、リー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は、芸術家や詩人の親友たち──ソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)らと休暇を過ごしている時に芸術家でアートディーラーのローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い、瞬く間に恋に落ちる。だが、ほどなく第二次世界大戦の脅威が迫り、一夜にして日常生活のすべてが一変する。写真家としての仕事を得たリーは、アメリカ「LIFE」誌のフォトジャーナリスト兼編集者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会い、チームを組む。1945年従軍記者兼写真家としてブーヘンヴァルト強制収容所やダッハウ強制収容所など次々とスクープを掴み、ヒトラーが自死した日、ミュンヘンにあるヒトラーのアパートの浴室で戦争の終わりを伝える。だが、それらの光景は、リー自身の心にも深く焼きつき、戦後も長きに渡り彼女を苦しめることとなる(公式サイトより)。

主人公のリー・ミラーは、女性差別が常態化する世の中への怒りや、戦争への憂い、平和への希求といった社会正義を行動原理しているわけではなさそうである。少なくとも序盤では、女性性を上手に利用しながら、その時に感じた、やや刹那的というか、退廃的というか、露悪的というか、自由な衝動を大切に生きているように見える。つまり、彼女の女性差別や戦争との格闘は、女性差別や戦争そのものへの反骨ではなく、あくまで彼女自身の自由な衝動の阻害要因だから、という理由に拠るところが大きい。

女性差別や戦争はそれ自体が巨悪なので、わたしたちは普通、巨悪の消失を目的化するが、リー・ミラーは例えば、自身の「自由な衝動」、子どもたちの「未来」、女性の「純粋な恋心」といった、極めて個人的な目的のために、巨悪の消失を手段にする。二酸化炭素の排出抑制という巨大な目的のためにはがんばれないが、大好きな海水浴ができなくなるかもしれないという個人的な目的のためならがんばれる、のような手段と目的の関係である。

こうした、どこまでも個別的な、ある意味でエゴイスティックな目的達成の行動原理が、彼女の作品に力を与える。だから、日の目を見ない写真など、だれかの個別的な目的達成に貢献しない写真に価値はなく、たとえ、そこにどれだけ史料的な価値が認められようと、破り捨てるだけなのである。

一方で、エゴイスティックな行動原理の代償は大きい。もともと「約束はしない主義」のリーだが、被写体としてフィルムに収めるということは、その人の個別的な目的を達成をリーが預かるということを意味する。

ある男性とのインタビューを通じて回想するという構造が、晩年に戦場でのPTSDが原因でうつやアルコール依存症でカメラを置いたリーの苦しみを、あえてドラマチックではなく極めて仄かに表現している。悪臭漂う部屋に無造作に捨て置かれた大量の遺体の写真を前にしたリーが、瞳孔から瞬時に光を失い、言葉が一切出てこなくなった場面はとてもアイコニックだ。

えすけん
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