秋が来るときのレビュー・感想・評価
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悪しきことも、良かれと思う。
老境に差し掛かった老婦人2人の穏やかな余生・・・
そんなストーリーを想像しました。
しかし予想とは大きく違っていました。
80歳のミシェルはブルターニュ地方の美しい森のそばに暮らしています。
パリに住む娘のヴァレリーが孫のルカを連れて休暇に来たのです。
ところが昼食に料理したキノコに娘が当たり、救急車で病院に搬送されて、
死にかけてしまいます。
娘は「お母さんに殺されかけた」と怒って帰り、そのままミシェルは
可愛がっていた孫のルカと会えたい境遇になり、
鬱病的になってしまいます。
一方、親友のマリー=クロードには受刑中の息子・ヴァンサンがいます。
ヴァンサンはやがて刑期を終えて母の元へ帰ってきます。
なにかと援助していたミシェルは菜園の片付けを頼み、
孫の遊び道具を捨てて・・・などと頼み、
ミシェルの寂しさを察したヴァンサンは
ある行動に出るのです。
【良かれと思ったことが裏目に出る】
マリー=クロードの座右の銘、です。
しかしミシェルは、
【良かれと思うことが大事なのよ】と正反対な言葉で返します。
ミシェルの【良かれ・・・】は、
ミシェルの見た目の可愛いおばあちゃんからは
かけ離れているのかもしれません。
ヴァンサンがヴァレリーを訪ねたことで、
煙草を吸いにベランダに出たヴァレリーは、
墜落して死んでしまうのです。
この事件=娘の死は、ミシェルにとっては
【良かれ、な出来事】
孫のルカとの同居生活が手に入ったのです。
又、もう一つ面白い趣向があります。
娘の亡霊が現れてミシェルと対話するのです。
「お母さんは思い通りにルカを手に入れたわね」
と、毒づかれたりします。
ほんとに怖いですねー。
事実ミシェルはヴァンサンにバーの開店資金を援助して、
こうマリーに言うのです。
「ヴァンサンは手伝ってくれたし・・・」
キノコも毒と知っててわざと食べさせたのか?
とか疑いたくなります。
やがてミシェルの過去が明かされます。
ミシェルもマリー=クロードも昔パリで娼婦として働いて、
ヴァレリーとヴァンサンを育てたと言う過去。
2人の外見からは想像も付かず驚きました。
そのことは近所でも知られていて、やがてルカはそのことで
学校で虐めにあうのです。
その解決法もまた
ミシェルがただのお婆さんではない事を、私は知るのです。
ヴァンサンにルカを迎えにやります。
「どいつが、いじめっ子だ!!」
木の下にたむろしている上級生をルカが指さします。
一言、二言言うヴァンサン。
「なんて言ったの?」と聞くルカに、
「務所帰り・・・と言った、意外と効き目がある」とヴァンサン。
やがてマリー=クロードが癌で亡くなります。
教会の葬儀には、ミシェルとマリーの昔の仕事仲間が10人も
参列します。
彼女たちとミシェルの繋がりは切れてなかったのですね。
その後、婦人警官がブルターニュの家を訪れます。
「内部告発があった」
「ヴァンサンがあの日、ヴァレリーを尋ねていたと、」
警官はルカに聞きます。
「マンションの出入り口ですれ違った男はヴァンサンか?」と。
ルカは「違う」と答えます。
しかしは内部告発・・・って一体だれが!!
マリー=クロード意外に知らないのでは?
題名が平凡でミステリーを窺わせるものがありませんね。
もう少し“意味深“な題名が良かったですね。
なかなかフランソワ・オゾン監督らしく、辛辣だけど優しく温かい。
娘のヴァレリー役のリュデイヴィーヌ・サニエは、
20年前のオゾン監督の出世作「スイミングプール」のミューズ、
だそうです。
秋が深まるとき
秋はもう来ている。
季節は秋真っ只中、静かに、しかし確実に晩秋に向かっている。主人公の人生の終盤を描く作品だということを強く印象づける。
孫から見た祖母というものは、無条件に優しく、自分の味方をしてくれて、ときどき人生にとって大事なことを教えてくれる。そんな存在というのが世界共通のイメージではないだろうか。孫目線でなくても、端から見ていてもそういう「お婆ちゃん像」があるように思う。
しかし、お婆ちゃんも人の子である。積み重ねた歳月の中で澱のように心の底に貯まったものが、ふとした瞬間に、かき乱され、浮き上がってくる。静かな佇まいの中で表現される感情の機微。ミシェルを演じたエレーヌ・ヴァンサンの深みのある演技力に魅了される。
物語は、静かに進んでいく中に、サスペンス的要素を織り込んでくる。正確に言うと、サスペンスっぽくも見えるし、そうでなくも見えるように作ってある。事件だった(犯罪だった)かもしれないし、事故だったかもしれない。意図していたかもしれないし、全く意図していなかったかもしれない。観客が、どう見るかで、この作品の印象も随分変わるように思う。キノコのように滋味深い、オゾン監督のマジック。
手作りの料理の食卓を囲むシーンが多かった。豪華ではないけれど、豊かさを感じた。
娘の幻影に導かれるように旅立ったミシェル。彼女が、この色づく森の中に溶け込み、同化していくようなイメージが最後に浮かんだ。
自分も人生の折り返し地点を過ぎ、老いや死というものを徐々に身近に感じ始めたからだろうか。怖さや、悲しみや、謎が解けないモヤモヤといったものは全く感じなかった。
ただ静かに、美しい秋の風景と1人の女性の生き様を見た。
こういう映画の作り方もあるんだねぇ・・・
猛暑の中、映画館へ涼みに行きました。
きれいな映像と音楽と速い展開で、意外におもしろかったです。
たぶん、
・ミシェルは、ヴァレリーを毒キノコで殺そうとしたが、失敗した。
・ヴァンサンは、ヴァレリーを説得に行っただけだが、事故で死んだ。
・ヴァンサンとルカは、ミシェルを殺そうとしたが、急病で死んだ。
と言う風に観客に思わせるつくりかな?
確かなことは、
・ミシェルとルカは、ヴァンサンが疑われないようにウソをついたことだけ。
監督の本意は?
普通に観れば内容は人の一生で別にインパクトは無いのだが、この主人公
元娼婦で男の扱いには慣れていたはず、友人の前科有り息子を動かし
保険金目当ての犯行を監督は全く美的に終わらせたんではないか?
娘のアパートへ行った男が顔を隠す必要はなく、見られた息子とは
仲良くして口封じ、他の人も言っているが、娘以外毒キノコを食べていない
孫はキノコが嫌いなのにキノコケーキを作った等 監督やりますな~
罪の意識
真実が明らかにならないことで、不思議な余韻が残る。もやもやして、だけど世の中の多くが、そのように曖昧なまま過ぎていくような気がする。
それでも私見としては、警察に頑張って欲しかった。そうでなければ、法が守られないことになってしまう。たとえひどい娘でも、命を奪われる理由などない。
なぜ祖母はキノコを食べなかったのか。なぜ残ったキノコだけをすぐに捨てたのか。なぜ親友の息子に、娘の愚痴を聞かせ、孫のおもちゃの処分をさせたのか。弱々しい外面を利用して、初めから強かに計画をしていたのではないか、とも思う。
警察が、もっとキノコの件や防犯カメラを精査していれば、少なくとも偽証は明らかになったのではないか。
そうやって見過ごされている事件は、実際にもあるのだろう。
罪を抱えたままの人間は、たとえ暴かれなかったとしても、罪悪感や後ろめたさから、心の安らぎや満足が得られなくなるのではないか。
事件後、祖母は娘の幻を見続け、親友の息子は金策に苦労し続けている。孫は学生生活を楽しんでいないように見える。
美しい自然の中にあっても、秘密を抱える三人が幸せには思えず、彼らの未来が明るいようには思えなかった。
80歳になっても逃れられない
フランス映画らしいフランス映画
全体としてはエピソード集。
そうして語るうちに、少しずつ登場する人たちの側面が描かれていく。ミシェルを中心とした人間たち模様。
全員がある意味素直じゃない。みんなこころに何かを隠している。そして、必要とあらば、嘘をつく。まさに、それが人間ってことである。人生はよく作られた『映画』のように、勧善懲悪でもなければ、始まりも終わりもない。
この映画を観て主人公やその他の人に「それってどうなの?」と突っ込むことは可能であるが、自分の人生も側からすれば突っ込まれるということである。
意外なのはヴァンサンが割といい奴となっていくことで、その辺は監督の計算かもしれない。そして、罪は「無垢な」人がむしろ犯す。誰も他人を責めれやしない。誰もが可能性として人を傷つけて、他人を「殺している」。それは刑事事件的な問題ではなく、精神的な因果関係とでも呼ぶべきものである。
たまにいいセリフと美しい風景。手作りのスープにキッシュ。裏も表もある人間模様。これぞフランス映画の喜びではないか。
余談。それにしてもフランスの自然は素晴らしい。
なにもかもスルーでいいのだろうか?
秋の味覚はキノコだよね〜
「職業に貴賎はない」との考えは日本だけらしいが、その日本でも「娼婦をしてました」と言われたら後ずさりをするだろう。ましてや自国の伝統文化に強い誇りを持っているフランスだったらより賤しい存在として差別されるのだと思う。ミッシェル自身はその過去を恥じてはいないが娘のヴァレリーは(パリのアパートを譲ってもらったりお金の無心をするくせに)決して許すことはできない。そんな娘はさておき孫のルカは可愛くてしょうがない。親しい人は昔からの仲間のマリー=クロードとその息子のヴァンサンくらいしかいないけどそれで充分である。そんな背景のなか、2つの大きな出来事がミッシェルに起きる。毒キノコの件はルカがキノコ嫌いを知ってたのでミッシェルが故意に毒キノコを混入したのか?単なる事故なのか?ヴァレリーのベランダからの落下の件もヴァンサンが関わっているが、殺害なのか不慮の事故なのかはわからない。映画ではどちらにもとれるようにしてる。そのこと自体はミステリーだが主題は別のところにあるようだ。人の感情は様々で人生は複雑だけど、家族を思う気持ちに嘘はない。森の中で安らかに眠るミッシェルがそれを証明しているようだ、。
円熟の監督フランソワ・オゾン
良かれと思うことが裏目に出るときがある。
良かれと思うことを大切にしたい。
ああフランソワ・オゾン大人になったなぁ。
いゃあ奇をてらった作品ばかり撮るゲイだと面白がって見ていたが、しなやかに円熟している。
(いやらしく、大御所ぶらないところも好感。
変な大作を撮るよりウディ・アレンのように、
人の哀愁に寄り添える優しさ。)
フランソワ・オゾン監督は日本でもデビュー当時から
(その頃はよく、渋谷ユーロスペースまで観に行きましたよ電車に乗って)
オシャレ系と注目されてチヤホヤされていたけど、
本作のように冬の気配を描くとは、
時の速さを、改めて思う。
きっと、
きっと僕の母も、善かれ善かれと思い家族や親戚の為に日夜奮闘していたのではないだろうか。
そう泪したわけである。
(オゾン監督の新作なのでもっと早く観たかったが時間が合わずファーストランのキノシネマでは間に合わず。
やっとシネマ・ジャック&ベティで鑑賞できました。
横浜シネマ・ジャック&ベティ感謝です。)
どこまで掘り下げて観ればいいのだろう
ある意味、理想の老後生活では〜美少年好きは必見!
フランソワ・オゾン氏の作品は最近の作品で「私がやりました」と
数年前の「彼は秘密の女友達」の2作を鑑賞済みなので
一筋縄では行かない監督との認識はあったけど
いや〜〜〜!!なんちゅう作品なんだよ!!(絶賛してます)
サラっと観ることもできるけど、よく観れば本当に
なんと言うことでしょう〜〜的な中々に深い映画です。
美しいブルゴーニュの景色とちょっとしたサスペンス的な
ハラハラ感をぜひぜひ、劇場で堪能してくださいませ。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
主演女優さんが多分撮影時に80歳だったのかもしれないけど
80歳の老婦人が、今、10歳くらいの孫が生まれる少し前まで
とある、訳ありの職業婦人だったという設定はちょっとキツく無いか?
まあ〜そこを突っ込む映画じゃ無いけど〜〜
最初、大きなアクシデントが起こる。それは私は偶然と捉えたが
キノコのアップとそれを図鑑の写真と見比べると言う
意味ありげなワンシーンをここぞとばかりにブチ込んで来る
オゾン監督の意地の悪さと言うか、曲者感が冒頭から炸裂していると思う。
話が進むうちに娘さんがなぜあんなに実母を毛嫌いするのかがわかってくる。
そのくせ、毛嫌いしているその母のお金はちゃっかり当てにしているし
住んでいるアパートも母から譲り受けた物だと分かる。
正直、厄介な存在の娘。
でも孫は可愛いし、孫の方もおばあちゃんには結構懐いている。
この孫を演じるガーラン・エルロス君!!
二十一世紀の「ビョルン・アンドレセン」決定!!
美少年好きは絶対観て!
やがて親友の息子が刑務所から出所してくる。
なんの罪で服役していたのかは描かれないがその後の彼の行動から
単に性悪なのではなく、彼の大事な人を誰かに侮辱されたことに
激昂した結果に見える。
可愛い孫と、何かと力になってくれる頼もしい男手と
ある意味、理想の老後では〜〜。
言葉で語らない分、様々な情報を映し出す映像から
想像が次々に湧き上がって来る、観た後に観たもの同士で
語りがいのある良質な映画でした。
マグダラのマリア
こういう切り口の映画(フランス映画に多いイメージ)は、キリスト教絡みが多く、冒頭の場面でほぼあらすじを解説してくれている事に後で気付いた。
ルカの福音書のマグダラのマリアのくだりと考え合わせると、主人公のおばあさんは多くを愛し(感謝し)多く赦された気がする。
このおばあさんだけでなく他の登場人物(娘、友人、友人の息子、孫など)がこの観点(赦しと愛)で見たらどうなのか気になったけど、よくよく考えて見れば、他の登場人物の行動や発言を通して『あなた自身はどうですか?』と言う監督からの問いかけも若干あったのかもなと言う気持ちに今はなってる。
後、娘を評価はしてないんだけど、事件後の演出は、娘の姿をしたキリストという演出なのかもしれないとも改めて思った。
キリスト教徒じゃないから分からん事が多いけど、考えさせられた。
最後に、あの孫がミステリーだなって下世話な感情を書いてお茶を濁しておく
人は自身の過去しか背負えない
非常に複雑に絡んだ人間関係と感情がもたらす余韻
フランソワ・オゾン監督、すごい。よくこんな作品がつくれるなと思う。
主人公ミシェルと親友マリー=クロード、娘ヴァレリーとその息子ルカ。
そしてマリー=クロードの息子ヴァンサンが主要な登場人物だ。
ミシェルと娘の仲は悪く、それはミシェルの過去の仕事(娼婦)を娘が軽蔑しているかららしいが、
冒頭、ミシェルのつくったきのこ料理を食べて食中毒になり、死にそうな思いをしたことから不仲が決定的になる。
そんなミシェルに親切にされたヴァレリーは、ミシェル母娘が不仲だと聞き、
ヴァレリーのいるパリへ行き、ヴァレリーを説得しようとするのだが、、、。
この直後にヴァレリーが亡くなってしまう。詳しいことは一切描かれないし真相もわからない。
ヴァンサンが殺したかもしれないし事故かもしれない。
この謎の残し方が実に巧妙だ。
次にマリー=クロードが亡くなる。末期ガンらしい。
マリー=クロードは、ミシェルがヴァンサンのBARの開業資金を援助したことにショックを受け
倒れてしまい、その後急速に体調が悪化して亡くなってしまうのだが、
ここにもミシェルとヴァンサンの影が・・・。。なんて、不純なことを想像してしまうくらい
家族が亡くなっていく。
ルカが成長して(たぶん大学生)戻ってきたときに、ミシェル・ヴァンサン・ルカの3人で食事を囲むのだが
その時にルカが嫌いで食べれなかったきのこを、大好きだと言って食べるシーンに違和感あり。
あれ!?と思った。最初のヴァレリーが食べたきのこをルカが食べなかったのは、ルカが嫌いだと知っていて
敢えて出したのかなとか、図鑑できのこを調べていたけど、敢えて毒きのこを入れたのかな?など
ミシェルを疑う自分がいた。
そう捉えられてもおかしくない描き方が、やはり実に巧妙だと思う。
全然事件性はないかもしれない。でも、そう言いきれないかもしれない。全ては謎のまま。
ミシェルの最期も、たびたび現れるヴァレリーの霊が引導を渡したのか。それとも偶然か。
これまた謎のままである。
人生を描いた作品であると同時にミステリーでもある。
フランソワ・オゾン監督の巧妙な手練手管に感服した。
次回作も楽しみだ。
A299 みーんな訳ありなの。そうして老いていく。それが人間
2025年公開
フランソワオゾン新作
今回は親子間の断絶に得意のミステリーを絡める。
ワタシも田舎暮らしに憧れる一人だが
だいたいその憧れは土地の人にとって
ほんだら過酷な季節でも逃げ出すなよ、と迫っているようにいつも思う。
それとわたしなんぞ人間ってそんなに綺麗なもんでない、というのが
昨今の他人の批判に命を燃やす方々を見るに
この人たちはなぜわからんのか不思議で仕方がない。
あんたら今までそんなに清廉潔白な人生を歩んできたの?
人を批判できるほどきれいな心を持っているの?って思う。
そんな人生終盤にさしかかるまさしく秋の季節を迎えるオバンのお話。
オカンはオバンを過去の出来事から存在自体を責めたてる。
そこに絡むのが長年の友人と孫と友人のムショ帰りの息子。
みんな首を縦に振りながら心の中では横を向く。
キノコがキーになるが家族の繋がりも破滅も導く。
音楽もこの監督いつもいいんだけど今回も話にしみ込んでいました。
なかなか心打たれるお話でした。
劇中の殺人事件をどう料理するか、もし追及したらちょっと流れが違うな
と思っていたがさすがにオゾン監督。うまくあしらっています。
「スイミングプール」で見たリュディビーヌ・サニエ。
オカン役なんや。そらあれから20年経つもんな
70点
鑑賞 2025年6月18日 MOVIX京都
パンフ購入 ¥990
配給 ロングライドマーチ
すべてが良いです。
秋の美しい森のほっこり映画と思ったら全くの勘違い。
ミステリー!
キノコ嫌いじゃなかったの!?
どういう事!?
どうしてみんな庇ってる!?
色々考えるのが面白かった。
映像、脚本、キャスト世界観に浸りました。
全85件中、1~20件目を表示