犬の裁判のレビュー・感想・評価
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カンヌ国際映画祭にパルム・ドッグ賞なる部門が存在すること自体に驚き!!
犬のしつけや管理は飼い主の責任
コメディタッチな雰囲気だったので、
てっきり風刺あるファンタジーなのかと思ったら、
アイロニーに満ちた悲しき問題提起に留まる映画。
それでも犬達から人間への警告を学ばなければならない。
やはり犬達は人間の被害者でしかない。
(人が犬に、してはいけないこと。
✕ご飯を食べている犬に触る
✕上から触る
✕むやみに撫でる
その他いっぱいある。犬にも感情や動物反応がある。
縫いぐるみではない。)
映画は、悲しみを救わず終わる。
実話だと押しきる。
僕はこの悲しみの溝に落ちてしまい、
夏の陽に焼けながら帰途についても
闇の中を歩いた感覚である。
主人公の犬コスモス
(コディ︰
第77回カンヌ国際映画祭 パルム・ドッグ賞受賞!! おめでとう!!)
が可愛くていいワンコで、だからこそ悲しいのだ。
むしろ憎らしかったら、こんな気持ちにはならないよ。
僕は大型犬(ボクサー犬)を昭和4〜50年代に家の庭で飼っていて
(当時はボクサー犬、本当に珍しかったです)
亡くなったときのことを今でも昨日のように憶えている。
そのペットロスは年を取るごとに鮮やかになった。
自分の終活に、どうしてもワンコを保護したくて、コロナパンデミック収束後に迎えた。
シニア世代になった自分でもしつけや管理ができるよう小型犬を選んだ。
犬のしつけや管理は飼い主の責任である。
本作が失っているのはその部分が大きく、
ソコをぼかすのも疑問だが、
フェミニズムや移民や貧富の問題なども語られゴチャゴチャ感が強く、
映画としては焦点がぼやけた作品となった。
主演(監督)を観て思い出した。
『シンプルな情熱』で超イケメンのセフレに恋してしまい
自分の息子を轢きそうになったりするデンジャラスで取り留めのない色ボケぶりを演じた女優さんである。
ソコは焦点あざやかに憶えている。
やや間口を広げ過ぎたけれども
半ケツを言い渡す
崖っぷちの弁護士の、弁護士生命をかけた最後のチャンスが…犬の裁判!?
と言うことで、人を噛んでしまったために安楽死処分させられそうな犬を弁護する物語。
コミカルな描写を挟みつつも、ただオカシイだけでなく、犬の気持ちや人間のエゴについても問いかけられる作品。
冷静に考えれば、誰だって食事を邪魔されたくはないですよね。裁判では犬を「人」と同等にみなすべき…?でもそうすると食事を邪魔されたからって相手を殴って…良いわけないよね。。
色々無理があるなぁと思いつつも、殺処分すればよいでしょって話とも違う気がするし…。
思いの外、難しい作品でもあった。
しかしコメディとは言え、犬に対しあんな過激なオバサンが支持を集めるとか有り得んだろw
そしてコスモスはとにかく可愛かったですね。連れられて入廷するシーンなんかは可愛い過ぎて笑いそうになった(笑)
予想外の展開も沢山あるし、可愛い犬を観たい!…も良いけどそれ以上に意外な深さを味わいたいなら観てソンはない作品ではないかと思った。
う、うーん…なんだこれ?
現代社会の根深い問題を笑いを通してあぶり出す力作
どうかなぁ~と思いながら観た、フランスの社会派コメディ
すごく良かったです。
基本は法廷ものです。
人に噛みついた犬に情状酌量の余地があるかどうかを法廷で争うのですが、欧米の法廷劇、私は意外と好きです。
日本の法廷物って原告、被告双方の代理人が感情に訴えようとするイメージがあるのですが、欧米の法廷劇の論戦は非常に論理的です。厳密にその行為の法解釈を争うロジカルな部分が魅力です。
本作は、その犬の「犯罪」に絡めて都会人の自然感、身勝手な動物との関わり方、ジェンダーギャップ、格差社会、移民問題などについて問題提起がなされ
DVに苦しむ隣人の少年や、政界への進出を目論んで世論を利用しようとする原告側弁護士など、現代的な風潮が盛り込まれ
コメディとはいえ、十分見ごたえのある内容でした。
主要な登場人物が皆、弁が立つこと立つこと。
法廷以外でも様々な舌戦が繰り広げられ、その見事さに話し下手な私としては感嘆の念しかありませんでした。
怒鳴り合いみたいな状況でも意外と理路整然としているところは文化の違いだなぁと思います。
犬を被告とした法廷劇。
現代社会の根深い問題を笑いを通してあぶり出す力作でした。
なに言ってるんだか、訳わからない
スイスで実際にあった出来事を物語にしたとか。 犬が人の顔を嚙んだと...
前提にある知識を知らないと理解に詰まるか
今年138本目(合計1,679本目/今月(2025年6月度)1本目)。
実話をもとにはしているのですが、そのことはかなり前の話だし、法律的な話がちらちらっと出てくるのが厳しいかなといったところです。
中世ヨーロッパ以降、この映画のように動物を裁判にかけるということは実際に行われており、これを「動物裁判」といいます。その中でも牛や馬、犬、オオカミなど一般的に「動物」とされるものが裁判所(とはいえ、三権分立もまだ発達していなかったので、ここでは国王直属の裁判所といったほうが良い)、ネズミや蜂、ハエなどの「小動物」は教会(カトリック教会)における教会法(カノン法)に基づく裁判所と分けられていました。
このことはヨーロッパでは当たり前に行われており、一見すると動物にも人権と同じ考え方を与えていたように思えますが、疫病が絶えなかった中世ヨーロッパ以降では疫病をもたらす動物は畏怖の対象であり(科学・医学というものが発展するのはルネサンス以降)、さらには「山火事の原因」として「山」まで訴えられるというヘンテコな裁判も当時はありました。
映画で述べる「事実に基づく」というのはこの意味で、またこのような裁判は科学の未発達から生じた「自然への畏怖」が元になって実際に行われていた事情から、「自分たちと異なるものを遠ざける」という(こうした一見「真面目な」裁判とは裏腹に)考え方は、それこそ魔女狩りや、近代以降だとユダヤ人迫害、あるいは現在でも女性差別ほか色々なところにあらわれてきます。映画内では中世で実際に行われていた動物裁判と、現在でもやはりのこる女性差別や移民差別(映画内では、ポルトガル移民の話がちらっと出てくる)等と絡めて描かれています。
なお、映画内では字幕にふりがながないのでわかりにくいですが、「物」は(現在の裁判制度でいうところの)「ぶつ」です(「もの」とは読まない)。また、そもそも論でいえば、本映画でいう裁判は日本の分類でいえば刑事裁判にあたりますが、処分が予定されている犬に対する取消しを求める取消訴訟を選択する裁判(行政事件訴訟法)とも解することは可能です(後者の立場からは描かれていない。ただ、そのような解釈も資格持ちは可能)。
全般的にこのような事情(中世における動物裁判の歴史や、それがもたらした弊害)を知らないと、女性差別や移民差別といった問題に飛ぶ理由がわからず、そこで多くの方がつまづくのではないかな…といったところです。気軽に見られる映画と思いきや実はそこそこの知識を要求する点で厳しいといったところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.2/「物」のフリガナがない点について)
この点は本映画は実質的に法律ネタ映画であることまで考えると、民法、民事訴訟法(刑事訴訟法)にいう「物」は「ぶつ」としか読みませんので、その誘導はいるのではないか…というところです(このあたりは資格持ちは気にするところ)。
(減点0.5/上記のような歴史事情がないと何を述べたいのかわからなくなる)
実際はこちらのほうが大きく、中世ヨーロッパ以降に実際に行われた動物裁判に関する知識がないと、このような珍妙な展開になることの理解が難しく、ネタ映画なのかという状態になるので注意です。
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(減点なし/参考/日本の場合)
日本では、民法718条が適用されます(刑法は人に対してしか適用できません)。
※ 刑法1条
この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。
(民法718条) ※ 2項省略。
動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときは、この限りでない。
※ よって、占有者(飼い主)が責任を負うのであって、動物が責任を負うことは民法上ありえないし、人を裁くことしか想定されていない刑法も発動しないので、日本ではこのような展開にはなりません。ただ、中世ヨーロッパ以降で行われていた「動物裁判」は、日本を含む東アジアでも、日本の江戸時代や、李氏朝鮮などでも数は少ないながらも歴史は存在します(日本、韓国(ここでは便宜上使う語)とも、日本でいう明治維新後はこのようなことは行われなくなりました)。
ケッサク、そして傑作。
映画の舞台はスイスだが、
フランスの小さな町の出来事に基づいているという。
被告となった主人公ならぬ主犬公は、雑種の「コスモス」。
苗字なし、8歳、無職、男性。
演じたコディは、その表情豊かな演技で、ベネチア映画祭の
「パルム・ドール(最高賞)」ならぬ「パルム・ドッグ」を受賞。
初めから、次々笑わせにくる。
そして、ちゃんと次々笑える。
どうして犬が被告になったのか、というと、
「人を3回噛んだ犬は安楽死」という法律を回避するためには、
犬が飼い主の「所有物」ではない、と主張せざるを得ない、と考えた
敗訴してばかりの弁護士アヴリル(レティシア・ドッシュ。監督も)の作戦が
誤算で招いた結果だったんである。
(それを判事に認めさせようとする場面も、笑笑…)
他方、アヴリルの住む高層マンションの隣室には、
12歳の少年が両親と住んでいるんだが、
彼は親から虐待を受けていて、
どうやらアヴリルはそれを何とかしようとして逆に「接近禁止」命令を受けているらしい、
という状況もあり。
(ちなみにこの少年がまた、いい味出してる)
さらには、原告側の弁護人が、
政界進出して右翼政党を立ち上げ、
ポピュリズム街道邁進中の女性だったり。
現代のさまざまな問題もからめて
物語は進むんだけれど
――この後は、ネタバレなしには語れませぬが、結論を言えば、
「自然界における人間という存在」について
深い洞察と大きな啓示が与えられる傑作でありました。
そしてコスモス(コディ)が、
こよなく可愛かったのでありました。
所詮─
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