「ジュラシックらしさって文明のほうにあったんだな」ジュラシック・ワールド 復活の大地 弁明発射記録さんの映画レビュー(感想・評価)
ジュラシックらしさって文明のほうにあったんだな
まず。134分という上映時間はもうちょっと短くできただろ。CM入れたら2時間半だ。この内容にしては長い。
上映開始から最初に海で恐竜に襲われるまでに50分くらいかかった。導入に時間を使い過ぎ。もっとぱっぱっとメンバー集めて行けたと思う。
例えば序盤に博物館で学者が行くか迷ってフリスク食いながら考えてスカヨハと製薬マンが座って待つというシーンがあるがあそこはもっと短くていい。
あのフリスクも後半に何か出る!と思いきやフリスクを食う音でした、というギャグにしか使われない。学者のキャラづけとしても弱く、もっと短くて良かったと思う。
父と姉妹と姉の彼氏も、最初のボートのやり取りがやや長い。あそこももっと短くて良かった。
導入が長いから「もっと恐竜絡みのあんなシーンやこんな場面を入れられたんじゃないか」という感覚になる。
次に。これは観てから気付いたんだけど、ジュラシックのシリーズって、近未来文明対古代生物の話だったんだ。
一番最初のジュラシックパークも、リブート一作目のジュラシックワールドも近未来感があるアミューズメント施設が舞台だった。あのアミューズメント施設は結局恐竜に破壊されるから、人類は弱いね、という感覚にはなるんだが、あのアミューズメント施設を作ったことそのものにロマンがあったんだ。
今作は「人間が古代生物が生息する地域に行く」話なんだが、ジュラシックのジュラシックらしさってのは「人間が自分らの文明の中でテクノロジーの力で強引に古代生物を手懐けようとするが結局うまくは行かない」ところにあったんだ。と、観てから気付いた。
作り手としては過去作を参考にしつつ新たなことをやろうという狙いがあったのだと思う。
恐竜が現代の環境では生きていけなくて赤道付近に集まってきた、という設定はある程度のリアリティがあるかもしれない。でも「人間が古代生物が生息する地域に行く」話だと他の映画でもよくない?って感じになるんだな。
最初の海でのバトルもアクションや撮り方そのものは良かったと思う。でもあれも「人工の海テーマパークで恐竜を放し飼い」みたいなシチュエーションのほうがジュラシックらしさはあったのかと思う。
後半になって研究所に来て、恐竜のお菓子売り場で逃げ回るあたりで「ああ、これだよな」感が出てきた気がする。あそこの場面は1作目のセルフオマージュだろうけど、人間がマスコット恐竜まで作って管理していたつもりが管理しきれなくなる感じ。人工の恐竜の鳴き声が空しくひびく中で本当の恐竜のうめき声が迫るあの感じ。
そう言えば1作目にDNA説明キャラとかいたな、と思い出した。
過去作で球体ジャイロマシンで逃げるのも、あれこそがジュラシックなんだよな。
だから今作の終盤で製薬マンが車で逃げようとして「前方に人がいます」と車に説教されるところとか、あの滑稽さが、進化した人間の技術が全く役立たずなあの感じこそがジュラシック。
過去シリーズでクリス・プラットがラプトルを飼育してバイクで街中を逃げる中、恐竜が追ってるあの感じ。文明対古代生物なあの感じ。
今作でも妹が小さな草食恐竜と仲良くなる展開はある。でも、あれは自然に近い子供だから。文明の進化、研究の果てにラプトルを飼育できるようになった大人の男クリスとは違うのよ。
という感じのことを観てから気付いた。
いやそうだけどそうじゃないのよ、ジュラシックは!と思う人も結構いるだろうなと思う。
普通にパニックアクション映画として面白かったけれど。
ジュラシックパークシリーズをジュラシックにしているのは文明のほうだったんだな。
今作でも恐竜に銃で針さしてサンプルとったらポンと飛んでパラシュートで落ちてくる面白採取マシンが出てくるんだけど。ああいう近未来ガジェットがもっと多くても良かった。
それに気付けただけでも今作は自分にとっては良かった。
冒頭で研究所を破棄させる原因となった防護服から落ちたお菓子かなんかの包装紙。あれひとつでシステムが止まるのかよ!というツッコミたくもなるが。でも確かに。最新の機械ほど確かにもろい部分がある。そのリアルを強調し過ぎたんじゃないか、という気はする。
あの「包装紙詰まりで施設捨てて速攻退去」の展開がこの映画を象徴している。
メガネ学者のセリフにもあったが、映画が最初から「人間は恐竜を支配できてません」のスタンスに立ちすぎている。
ジュラシックの魅力は「危険かもしれないが強引にテクノロジーで恐竜を飼育しちゃうぜ!」な人間キャラが出てくるところにあったんだ。
初代『ジュラシック・パーク』って「人生で観た中で1位の映画」とする人も結構いるイメージで。自分としては、たしかに名作ではあるけど恐竜が出てくる映画も怪獣が出てくる映画も結構あるよな、なんでそんな人気なんだ、そこまで好きな人がいるんだ~ぐらいに思ってたんだよ。
違うんだな。たとえ破綻することが予想できても、破壊されることが分かってても「テクノロジーの力で恐竜を飼育し触れ合えるテーマパークを作った」ことそのものにロマンがあったんだな。はからずもシリーズ最新作で、それに気付いた。
あと恐竜のCGより迫力のあるスカヨハの胸な。ここに触れたくなかったが無視することができない。恐竜は一部でアニマトロニクスなロボットを作ってるかもだけど、結構CGだろうな~くらいの印象なんだが、スカヨハの胸はそれ本物?CGやAIじゃない?なんか色々詰めてない?と気になるほどの大きさがあって。特に海から陸にあがったあたりの場面。「お前らスカヨハのこんな衣装を観たかったんだろ?」と作り手に示された気分で、「はい、そうです」ではあるんだけど。
CGのリアリティに慣れてきたせいなのか、リアルかフェイクか絶妙なあたりの胸に目が行ってしまったのかもしれない。あるいは恐竜のCGの迫力がスカヨハの胸の迫力に負けている。ひょっとすると恐竜のリアルな動きを追及するほど画としては地味になるのかもしれない。
あとギャレス監督の『GODZILLA ゴジラ』を観たことがあるけれど。監督は恐竜より怪獣のほうが好きなのかもしれないと感じた。恐竜に関心があったらもっと恐竜豆知識みたいのを詰め込むんじゃないか。あるいは企画段階でそういった恐竜豆知識みたいな要素が省かれたのかもしれない。
はからずも恐竜と怪獣は似てるようで全然違うんだ、ということに今作で気付いた。恐竜はより学術的で、歴史で、科学で。怪獣はより空想で、象徴で、寓話なんだな。今作は後者寄りに感じた。
終盤に出てくる大きな恐竜が人工的なやつで。過去作にもそういう人工恐竜はいたけれど。もっと最近の恐竜研究によるとこんな巨大で狂暴な恐竜も存在した!みたいなことできなかったのか、とも思う。人工恐竜がラスボスになるのはシリーズが多く過去作で色んな恐竜をすでに出しているがゆえの悩みなんだろう。
長々と書いたが普通に楽しめる映画ではある。色々気付けたという意味で個人的には良かった。
