ジェイ・ケリーのレビュー・感想・評価
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ジョージ・クルーニーの演技はさすがだが?
配信(NetFlix)で視聴。
ストーリー設定はよくある内容で驚きはない。ジョージ・クルーニーの演技はさすが。
ただ、140分の割にはどこか退屈で物足りなさも感じた。時間も120分に絞ってもいい。
NetFlixにしては残念な映画作品だった。
人生考えさせられる映画でした!
合同会社everfreeで代表をしている梶清智志です。
この映画を見ての感想を書いていきたいと思います。
仕事に生きる主人公が人生を振り返る旅に出る物語ですが、
すごく色々考えさせられました。
僕も仕事中心で仕事ばかりしてしまうので、本当に大事なものを大事にできているのか、家族、親との関係、仕事仲間は本当に幸福なのかなどなど、本当に後悔はないのか、色々と考えさせられました。
そして、ここは少しネタバレ含むのですが、、、
最後の最後の最後のジェイケリーのセリフ、
「やり直せるかな
もうワンテイク」
これがやばすぎました。
しかもカメラ目線でジョージクルーニーが僕に言ってくるかのような演出。
人生は一度きり
やり直しがきかない、ワンテイクの一発本番のみ。
いかに常に自分の心に正直に自分が心から望んでいることを叶えさせてあげるか。
すごく自分の人生を振り返り、今をかえりみて考えさせられた作品。
頭ではわかっている、人生の真理。
これをいかに普段から生きていくか、すごく直面したし、そう生きていこうと決めた作品でした。
興味ある方はぜひ見てみてください。
セレブスターの自分探しなんて、贅沢な悩みだろ…と思ってたら…
よくできた作劇で、フィクションとわかっていながら、「ハリウッドスターのジョージ・クルーニー」自身が重ね合わさっていくので面白い面白い。クルーニー自身は映画評論家の息子で歌手ローズマリー・クルーニーの甥っ子。彼の奥さん役はU2ボノの娘。娘役のライリー・キーオはエルヴィス・プレスリーの孫。おじいちゃんステイシー・キーチは芸能一家。そしてスタッフのローラ・ダーンはブルース・ダーンとダイアン・ラッドの娘。著名人の家に育った天然物のセレブ達が織りなすアンサンブルは、設定だけで大笑いなのであった。
そして、ラストの回顧映像。クルーニーの出演作で純然たるアクション映画は「ピースメーカー」だけだったか、妙に抜きが多い。「バットマン」や「フロム・ダスク」あたりも引用してくれたらもっと楽しかったのに。
ノア・バームバック今回も圧勝。
功労賞
ジョージ・クルーニーだから成立する映画って感じがする。
冒頭のシーンから大スターの貫禄を感じると同時に、どこか自信のなさみたいなものも感じ取れて…それは彼の心が空虚だからなのかもな〜って思ったり。
ジェイ・ケリー(ジョージ・クルーニー)は俳優としては大成功して、でもプライベートでは妻と離婚し長女とは疎遠、末娘デイジーに執着するも逃げられてストーカーばりに追いかけ回す。
始めは彼に同情して観ていたんだけど、過去のティモシー(ビリー・クラダップ)との一件で心がぐらつき、更にロン(アダム・サンドラー)がどんどん追い込まれていくのを観てたら苦しくなってきて。なんかもう娘にも周りにいた仲間にも見捨てられて1人になるのかなって…でも自業自得だよね。
いちばん好きだったのは授賞式前にロンがジェイ・ケリーにメイクしてるところ。何とも言えない長年行動を共にしてきた2人の空気感が伝わってきてよかった。その後の授賞式のシーンもね。
ただ、これは年齢を重ねた人には沁みる映画かもしれないね。私はまあまあでした。
バビロンのようでバビロンとは違う
ノア・バームバック作品はイカとクジラ、マリッジ・ストーリーのみ視聴済みで、どちらも自分の好みには合わなかったためあまり期待せずに鑑賞したが、今作は今年の新作の中でも一二を争う傑作だった。
カメラの前では役を演じ、公の場ではスター俳優を演じ、人生の全てを演じながら生きてきたジェイ・ケリーは素の自分を見失い、父、娘、かつての親友と、愛するすべての人から少しずつ拒絶されていく。それでも彼が演じる姿は数えきれない人々を魅了し、それは確かに大きな功績として残っていくという究極の映画讃歌だった。
ミステイクに気付いたら、ワンテイクと言わず、何度でも
ノア・バームバック×ジョージ・クルーニー×アダム・サンドラー!
豪華でユニークなトリオで贈るのは、映画業界を舞台にしたコメディ・ドラマ。
成功も地位も名声も手に入れた映画スターの、その実内心に抱える苦悩や喪失感…。
ユーモアと哀愁滲む姿と彷徨に、シンパシーを感じる映画人も多いのでは…?
勿論映画人でなく私たちが見てもハートフルとビターな大人の青春ドラマになっている。
ジェイ・ケリーは演じるクルーニーを地で行くような映画スター。
常にファンから黄色い声援を浴び、現場では彼中心で周り、豪邸に住み、移動は高級車やプライベートジェット。
取り巻きもいっぱい。特にマネージャーのロンとは親友でもあり、彼から献身的に支えられている。
何不自由なく、順風満帆に思えるが、最近これだ!…と思える作品が少ない。
次の作品の撮影も控えているが、そのちょっとの充電期間に、末娘と一緒の時間を過ごそうと思っていた。妻とは離婚、長女とは…。
ところが、末娘は友達とヨーロッパ旅行に行く計画を立てており、当てがハズれガックリ…。
そんな時、恩人の映画監督が死去。世話になったが、頼まれた出演話を断った事があり、後悔…。
その葬儀終わり、演劇学校時代の知人と再会する。彼に誘われ当初はお酒を飲みながら思い出話に花を咲かせていたが、実は彼から恨まれていた事を知る。彼の付き添いでオーディションへ。自分が気に入られ映画スターとなり、好意を持った同じ女性を奪った経緯も…。口論となり、喧嘩。ジェイは相手を怪我させてしまう…。
仕事もプライベートもゴタゴタ続き。さらに何を思ったか、次作撮影開始直前で突然ヨーロッパ旅行をすると言い出して…。
ヨーロッパ旅行にはある目的が。
トスカーナの映画祭で功労賞を授与される事になっており、それを口実に、偶然を装って末娘と会う。
クレジットカードの利用履歴から乗る列車も特定…って、親でありながらやってる事はストーカー。
本人はお気楽モード。しかし、ロンらスタッフは…。
まさか一人で行かせる訳にはいかないから、皆も同行。各々、家族と予定あったのに…。
…と、まあ、言われなくとも分かる通り、かなりの自己チューワガママ困ったちゃん。
本人は最近悩みや問題を抱え、スターもつらいよかもしれないけど、振り回される周りのスタッフこそつらいよ。
リアルに居たら超面倒なかまってちゃんを、何処か憎めない人物像に見せたのはやはりジョージ・クルーニーの魅力。
ユーモア、ペーソス、勿論カッコ良さも。スターがスターを演じるのだからこれはハマり役。
旅の雲行きが怪しくなってくる。
列車で“偶然”娘と会う。本人は嬉しそうだが、娘は彼氏や友人らとのプライベート旅行を邪魔され、ストーキングされた事もバレ、ドン引き&お怒り。まあ、当然だけど。
授与式に長女や父を招こうとする。長女は拒絶。ほとんど父親らしい事をしてくれなかったジェイをよく思っていない。ジェイと長女の関係はそのままジェイと父親の関係でもある。ジェイと父親も良好な関係とは言い難い。それでも招き、やって来たのだが…。プレゼントは受け取って貰えず、体調を崩して授与式前夜に急遽帰ってしまう。
ジェイに同情したい所だが…、否。執拗に授与式に来て欲しいとねだる。自分の晴れ舞台を祝って欲しいのか…? それでこれまでの溝が埋められると思っているのか…? 自己チューさが浮き彫りに。
遂には周りのスタッフもうんざりし始め、早々と帰ってしまう者も。
それでもロンは付き添っていたが…。
この旅の中でジェイは過去を振り返る。
スタジオの扉を開くと、そこには過去のシーンが…。映画的なユニークな見せ方。
オーディション。彼には悪いけど、ここから始まったんだ。認められたのは嬉しかった。
長女との確執。プライベートでは家庭を顧みなかったのに、映画では良きファミリーマンを演じる事も。私より映画の中のあの子に優しい。それがどんなに寂しかったか…。
魅力的な共演女優といい雰囲気になった事も。が、どんなにロマンチックなシーンを演じても、こちらが特別な感情を抱いても、成就する事はなかった。恋もしたし、恋に破れたし、結婚生活も破綻した。
振り返ると、後悔の多い人生。流れで失ったもの、自分の手で失ってしまったものも…。
得たものや自身のキャリアは誇りに思っている。決してそれは後悔していない。
しかし今また、失うとしているものも…。
ジェイと違ってロンは家庭関係は良好。
が、突然のジェイの同行に不満たらたら。遂には言い争い。
ロンにはもう一人マネージしている俳優がいるが、突然契約を打ち切られる。君は僕よりジェイに肩入れしている。
傍目にはそう見えるかもしれない。ジェイは手の掛かる子供みたいなものだから親代わり。
ロン自身はどう思っているのか…?
前々から蓄積していたのか、この旅がきっかけとなったのか、関係に疑問を抱くように。
本当にパートナーで親友なのか…? ジェイの為に傷害トラブルも強引に解決させたし、キャリアの為に仕事も繋いだ。間もなく撮影が始まる作品も苦労して取ってきた。
全て最愛の友の為に。なのにジェイは、自分の事ばかり…。
穏やかなロンもとうとう疲れた。ジェイの元を去る事を決める…。
ジェイが主人公だが、これはロンの苦悩や彷徨の物語でもある。
いつものコミカル&オーバー演技は微塵も見せず、抑えた演技で穏やかさと献身的な支えを表し、彼もまた哀切さを滲ませたアダム・サンドラーはキャリアベストと言っていい名演。
バームバックとの再タッグもさることながら、Netflixとは本当にいい仕事をする。『HUSTLE/ハッスル』も良作だった。近年完全にNetflix専属と言われるのも分かるくらい、Netflixはまたさらに彼の事を離さないだろう。つまりそれはアダム本来の実力なのだ。
ローラ・ダーン他周りも豪華アンサンブル。
言うまでもなくノア・バームバックの絶妙見事な演出とオリジナル脚本。前作『ホワイト・ノイズ』がいまいちだった分、分かり易さも受け入れ易さも好感。
中にはジェイのワガママぶりにイライラする人も多いだろう。
しかし、そんなだめんずがやっと気付いてこそ、じんわり来る。
失って後悔する前に、気付いて!
それが自分にとってどんなに大切な存在か、欠けがえのない存在か。
人それぞれだが、ジェイのこの場合、友。
謝罪、自分自身の見つめ直し。
揃って出席した授与式。自分だけじゃなく、2人で得た栄誉。
授与式で映し出されるジェイのこれまでの出演作が、まんまジョージ・クルーニーの出演作なのがユニーク。『ER』や『ピースメーカー』など懐かしいなぁ…。何だかジェイ…と言うよりジョージ・クルーニーそのものの軌跡を振り返ってる感じ。まさかこれで引退じゃないよね!?
皆が称えてくれる。自分の人生は後悔ばかりじゃない。
いや寧ろ、後悔もあってこそ愛おしい。
実際には来ていないが、出席者の中にこれまで連れ添った人たちの幻影を見る。
友と関係持ち直した。次は家族とも。
まだやれるかな? 後ワンテイク。
ワンテイクとは言わず。何度でも。
世界一有名人の自分探しの旅
クルーニーらしい、表面的な映画に感じた🎞️
膨大な台詞量ですが、終始表面的で得られるものは何も無い、一応最後に受賞し式に行きますが、時間の無駄でしか無い映画に感じました。「仕事をしただけ、だろ?」「それナチスの言い訳ですよ」と言う台詞は良かったです。
𝐀 𝐫𝐢𝐜𝐡 𝐦𝐚𝐧 𝐢𝐬 𝐧𝐨𝐭𝐡𝐢𝐧𝐠 𝐛𝐮𝐭 𝐚 𝐩𝐨𝐨𝐫 𝐦𝐚𝐧 𝐰𝐢𝐭𝐡 𝐦𝐨𝐧𝐞𝐲.
有名俳優の苦悩とマネージャーの苦悩
内容は分かるが、フィクションなんで。
「デイジーを裏切っちゃった。」
「仕事をしたまでだろ。
「それナチスの理屈ですよ。悪人の気分転換。」
この会話の意味あるんだろうな。
今でもあるのかないのか。
俳優って、テレビとハリウッド俳優と格が違うって。
昔は歴然とあった。
それに舞台はニューヨークで映画はLA.
俳優が出るテレビコマーシャルって外国(アメリカ以外よ外国でも)では放映されてない。勿論、日本は別。
つまり、俳優に格があったのだが、良し悪しは別にして、今でもあるのだろうか?
追記
ジーン・ケリーの伝記?って思って見てしまった。
2重に演じている。
これは喰らった。なんて映画愛に満ちた映画なんだ。
単純に見えて、非常に複雑な映画である。
本作は、架空のハリウッド映画スター「ジェイ・ケリー」に人生の転機が訪れ、決して取り戻せない過去の選択や友情、家族など、さまざまな人間関係を見つめ直す物語である。
冒頭にはシルヴィア・プラスの詩が引用される。
“It’s a hell of a responsibility to be yourself.
It’s much easier to be somebody else or nobody at all.”
「本当の自分でいることは地獄のような重荷だ。他の誰かのふりをしたり、何者でもない方がずっと楽だ。」
『マリッジ・ストーリー』など、複雑な人間関係のすれ違いを鋭く描いてきたノア・バームバック監督は、本作でついに“自分自身とのすれ違い”を描くところまで到達した。
劇中の「あなたは二重に演じている」という台詞は、役者としての役柄と、プライベートの映画スターである自分という役柄の双方を指す。
ジェイ・ケリーはいつからか「ジェイ・ケリー」を演じ続けており、引退の影がちらつく年齢になって初めて、「本当の自分とは何なのか」を探し始める。かつての友人、娘、父親、そして仲間との関係の中に。しかし、どこにもいない。自分はスクリーンの中にいる。あれこそが自分なのだ。
映画スター「ジェイ・ケリー」として死ぬまで生きる――その決意と覚悟に満ちた見事なエンディングだった。
ノア・バームバック監督がすべての映画スターに宛てた処方箋であり、同時に映画への讃歌でもある。
35mmフィルムによる美しい映像。
豪華なセット(LAの舞台や架空の映画撮影セットは、巨大なセットの中に丁寧に組まれて撮影されている)。そのスケールを活かし、飛行機や列車の扉から過去の回想シーンへとつながる渾身のワンショット。パリからイタリアへ向かう列車すら、すべて一から手作りでスタジオ内に再現されたというから驚きである。カメラに映るすべてが完璧だ。
ジョージ・クルーニーは、映画スター「ジェイ・ケリー」を演じるジェイ・ケリーを、さらに“演じる”というきわめて複雑な役を見事にこなしている。
列車の鏡に向かって「ジェイ・ケリー、ジェイ・ケリー」とつぶやくシーンは、実際には鏡ではなく、フレームアウトした瞬間にクルーニー自身が反対側へ移動して演じているというトリッキーな仕掛けだ(これにより鏡にカメラが映り込まず、CG処理なしで正面から撮影できる)。熟練の技に唸らされる。
今のクルーニーだからこそ出せる味わいと説得力がある。アダム・サンドラーとの掛け合いも素晴らしい。
ノア・バームバック作品の音楽は常に控えめだが的確だ。
本作も非常にミニマルで洗練され、美しく、熟練の技に満ちている。傑作である。
一方で、この映画を「成功者の自分語り」「スターの自己憐憫」と捉える否定的な見方があるのも理解できる。犠牲になった過去の友人や娘たちが救われていないようにも映る。しかし、繰り返しになるが私は本作を映画讃歌であると同時に、映画俳優讃歌だと感じている。
重要なのは、主人公が「金持ち」や「スター」といった属性ではなく、そもそも「虚構の存在」であるという点だ。ジェイ・ケリーという人物はスクリーンの中にしか存在しない“架空の人格”であり、また2重に演じられた映画スター「ジェイ・ケリー」という"虚構の人物"である。彼の人生や成功、失敗、孤独は、現実の人間としての生々しい告白ではなく、カメラが生み出した虚像の物語だ。
この視点に立つと、彼の振る舞いや選択、過去との向き合い方がまったく違う輪郭で見えてくる。映画は「虚構そのもの」を認め、救い上げる。スクリーンに宿った存在に、人生と尊厳を与える。その意味で本作は、単なる自己語りではなく、虚構の存在が持つ輝きと影に敬意を払うノア・バームバックの愛に満ちた映画なのだ。
アカデミー賞ノミネートは確実だろう。
今年のベスト級の一本だ。
個人的にはノア・バームバック監督にアカデミー監督賞を獲って欲しい。いや獲るでしょうこれは(泣)
年を取ると反省ばかりなの?
大スター(ジョージ・クルーニー)が晩年を迎え、半ば強制的に過去と向き合うことに。
娘がパリに行くとのことで、自らもアポを無視して、自家用ジェットでチームとパリに。
ところがイタリアに行くとのことで、またもやチームと列車でトスカーナへ。
ラストシーンでよく分かった。
大スターの苦悩…
スターになるまではがむしゃらに走り抜けてきた役者人生。家族や友人との時間をも犠牲にして。でもそれはスターになってからも、変えられなかった。それはスターと共に走ってきたマネージャーも同じだった。振り返ったときには誰もおらず、孤独だ。ジョージ・クルーニーが実際そう感じているのかと思うほど、哀愁漂う男を好演。アダム・サンドラーも良かった。
ハリウッドのスター俳優ジェイケリーがイタリアの芸術祭の授賞式出席の...
自分でいることは難しい
ジョージ・クルーニーとアダム・サンドラーをもっと愛さずにいられないクルーニー・シネマ・パラダイス!
【最後の映画スター】成功のために投げ売ってきたもの、疎かにして捨ててきたものと向き合う自分さがしの旅。いつもそばに誰かいてもいつも孤独な内省ものであるヨーロッパを股にかけるロードムービーで、心温まるバディものでもある本作で、ジョージ・クルーニーは映画スターのペルソナの役柄を好演し、彼の献身的なマネージャー役としてアダム・サンドラーは役者としての引き出しをさらに増やす。2人の存在と化学反応が本作を引っ張り、また深みをもたらしている。
【幽霊】本作における「幽霊」とは、この世に未練を残してこの世を去るということ。それを際立たせるための、冒頭からのジム・ブロードベント監督の描写と展開。コッポラくらい映画作りが原因で経済事情が火の車なジム・ブロードベント監督に見出されて、35年前に歩き始めたスター街道…。もしも、そんな今まで築いてきた功績に意味がなかったとしたら?自分の最期を見られた、思っていた自分は虚像。有名で楽しい?華やかな人生で幸せよね!イケメンすぎるクルーニーだけど、コメディモードな情けない感じも出せるのがいい。必死な形相で走るのは最高だ。
【チーズケーキ】行く先々で顔を突き合わせすぎてウンザリなチーズケーキも、あの頃の気持ちに立ち返って初心を思い出せば、また好きな気持ちになれるかもしれない。慣れしたんだものを新鮮に。クルーニーの髪イジり(?)に、クルーニーが『アルゴ』『僕を育ててくれたテンダー・バー』等でも組んできた盟友ベン・アフレックもじりの結婚イジり。しかも、それを演じているのがパトリック・ウィルソンでツッコみたくなったし、妻役がアイラ・フィッシャーってのもなんだかいいよね。
【自分でいること】重圧で難しい。ウソがメシの種な役者という因果は商売の成れの果てか、はたまた名声の代償か。ともあれ彼が「娘のストーカーをする」と言えばその鶴の一声で、大人数・大所帯の"キャタピラー"一行は大混乱!功労賞嫌いだったでしょ?本当はもっといい父親でいたかった。そんな綺麗事じゃなくて、自分の夢や自己実現、キャリアのために顧みなかったものたちのもとを訪れる再訪の果てに、最後には全て報われる…?最後には、たった2人だけ。15%も取る友だちと2人しかいないし、ここまで来られたのもそのおかげで一緒にやっていくしかない2人の賞。
【ラストシーン】ノア・バームバック監督&エミリー・モーティマー共同脚本作には、ノア・バームバックとNetflixの蜜月期がまだ終わらないことには驚きだが(よほど合うのだろう)、そんな彼の素晴らしい功績の恩恵を受けてか豪華キャスト揃い踏み。少しの出番しかなくても!そんな本作は彼のフィルモグラフィーにおいてベストな作品ではないかもしれないけど、ジョージ・クルーニー好きにとっては恐らく『ニュー・シネマ・パラダイス』のような感動が最後には押し寄せる映画となっている。最後の場面は決まってる、愛だ。
「ママはロシア以下だよ」「自分を大切に」
P.S. 誇張。乗客の「ピチピチパンツの変態」って、『コマンドー』の「筋肉モリモリマッチョマンの変態」って吹替版の名翻訳を思い出したけど、結局そういうことだよね。本人はその気なくても嘘付いて誇張されて、スター像はできあがっていく。
やり直せるかな?もうワンテイク。最後に色々なフォントでメインタイトルが出てくるのも象徴的
脚本・演出が本当に上手い
イタリアの往年の特急セッテベッロが出てきた!
有名俳優ジェイ・ケリーと彼の忠実なマネージャー・ロン。単なる楽屋ばなしと思って見始めた。しかし、それは違っていた。最初の屈曲点は、ジェイが演劇学校時代のルームメイト・ティムと再会したことにある。栄光に包まれている俳優ジェイが、旧友からその実像を突きつけられる。翌朝、次回作の約束をすっぽかした彼は、秋の大学進学を控えて、卒業旅行に出かけた次女デイジーの後を追って、LAからパリに出かける。口実は、一度は断ったはずのトスカーナで開かれる映画祭での功労賞受賞式への出席。
小型ジェット機をチャーターして、チームと共に乗り付けたパリの空港で、早速方向転換し、大型のSUV数台でセーヌ河畔を走ってリヨン駅に駆けつけ、トスカーナに電車で乗り込むことにする。ここまではテンポも良かった。最初に乗った二等車では、乗客たちとすぐになじみ、むしろ俳優としてのジェイと、人知れず孤独に悩む人間ジェイとのギャップは一度消える。ヨーロッパの良さが出たのだろう。
ところが、ここからチームのメンバーが一人一人消えてゆく。まずリヨン駅で、専属の理容師がフランス大統領の許へ。イタリアに入国して、かの名車セッテベッロに乗り換えると(この辺からエンドマークまで、映像がノスタルジックになる)、長年の広報担当者リズがアシスタントと共に去る。彼女はロンのパートナーでもあった。最後はロンまでもが。
若き日には全く想像できなかったが、歳をとると本当の孤独に苛まれるようになり、それに伴う寂しさと不安を覚える。この映画に出ることに同意したジョージ・クルーニーは、それを知っていたと言うこと。ミステリーもアクションも、ロマンスもない映画をハリウッドが作る日が来て、ジョージ・クルーニーが出てくれるなんて。
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