フランケンシュタインのレビュー・感想・評価
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クリーチャーを介して描かれる人間が人間である理由
ギレルモ・デル・トロが25年間温めてきたというモンスター映画のマスターピースに対する彼なりの"愛の讃歌"は、パート毎に分かれて描かれる。第一章は、幼くして母親を亡くしたフランケンシュタイン博士(オスカー・アイザック)が、死を免れる手段として恐るべき再生機能を持ったクリーチャー(ジェイコブ・エロルディ)を創り上げる過程だ。冒頭から炸裂する濃厚な映像と耳をつんざくような音響を使って描かれるこの前半で、早くもデル・トロのマジックにかかって痺れまくる観客は多いことだろう。
しかし、個人的な印象では、物語が一気に深みと憂いを帯びてくるのは、クリーチャー目線でことの次第が語られる第二章だ。作ってくれと頼んだわけでもないのに、不死身の体が欲しいと言ったわけでもないのに、そんな自分をこの世に誕生させた博士に対するクリーチャーが抱く計り知れない孤独は、観る者の心を射抜いて一層画面から目が離せなくなる。クリーチャーを演じるエロルディの悲哀に満ちた演技は、当初は別の俳優が演じる予定だったことなど忘れさせる。目の表情といい、体型といい、この役には彼以外考えられないのだ。
やがて、クリーチャーが葛藤に果てに"人間とは何か"を学びとるクライマックスは、デル・トロの今の世界に対する切なる願いが込められていて、思わず胸が熱くなってしまった。人間が人間である理由。それは怒りのその先にある感情なのだと、教えてくれるのだ。
長いのには訳がある🤔
【"死の克服の果て。”今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品である。】
ー 物語は、序章から始まり、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の視点で、そしてクリーチャー(ジェイコブ・エロルディ)の視点で、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出していくのである。-
<Caution!以下、内容の詳細に触れています。>
■1857年。氷に覆われた北極海で、足を怪我したヴィクターが、強引に北極点を目指しながら氷に閉じこめられていた船のアンダーソン船長(ラース・ミケルセン)達に救い出される。だが、そこに謎のクリーチャーが現れ、無数の銃弾を受けながら、船員を投げ飛ばしヴィクター・フランケンシュタインに迫って来るのである。
次に助けられたヴィクターが、自分の視点でクリーチャーが産まれた過程を語るのである。彼は傲慢な医者であった父の厳しい教えの元、医学を学んでいく。そして、父がなしえなかった死者を蘇させる実験に没頭していくのである。勿論、その根底には母を病で亡くした事があるのである。
ヴィクターは、絞首刑に処せられた罪人の死体を見分して使うのを止め、戦場で死んだ壮健な兵士の死体を使いながら、クリーチャーを生み出すのである。
その費用は、弟ウィリアム(フェリックス・カメラー)の心優しき婚約者エリザベス(ミア・ゴス)の叔父ハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)が担っていたのである。
だが、ハーランダーは、自身が梅毒末期になっていたために、自分の身体をクリーチャーとして生きさせる事が、ねらいであったのである。だが、彼の目論み通りには行かずに彼は転落しするのである。
次にクリーチャーの視点で物語は紡がれるのである。
それは、彼は生まれてから”ヴィクター”としか声を出せなかったが、自分を人間として見てくれたエリザベスと出会い、”エリザベス”と声を発した事。だが、ヴィクターは自分を失敗作として、実験棟を焼き払うが自分はギリギリ脱出し、ある猟師家族の盲目の老人と孫娘の会話から知を得、心優しき盲目の老人が勧めてくれた、ミルトンの”失楽園”などの書物を通し更に知を深め、猟師家族の為に羊の柵を作ったりして恩返しし”森の妖精”と呼ばれながらも、自分の姿を見た猟師家族たちに撃たれた事。
そして、蘇生した自分がウィリアムとエリザベスの結婚式の会場に行った際に、自分を庇ったエリザベスを、ヴィクターが誤って撃ち殺してしまい、自分はその為にヴィクターを、地の果てまで追って来た事を告げるのである。
◆感想
・今作は、従来のフランケンシュタインの物語を、ギレルモ・デル・トロ監督が見事にアレンジメントを施したヒューマンダークファンタジーになっている点が、素晴らしいのである。
・そこでは、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタインが、母の死を防げなかった父を見返すために、死者を蘇らせる実験が生々しく描かれているのである。
そして最初は只のクリーチャーだったのが、心優しきエリザベスと出会い”人間の優しさ”を学び、猟師家族の盲目の老人からは、更に”知””と生きる価値”を学んでいく過程が描かれて行くのである。
■クリーチャーが地の果てまでヴィクターを追って来る姿を描いた序盤では、彼は怪物として描かれるが、クリーチャーが語るパートでは彼は優しさと知を得ており、顔付も優し気なのである。この構成とクリーチャーの成長過程の描き方が、実に上手いのである。
クリーチャーは、ヴィクターに”伴侶が欲しい。”と願いながら拒否され、エリザベスを誤射した彼を追って来る。だが、クリーチャーが彼を追って来た本当の理由が分かる再後半のシーンは、実に沁みるのである。
クリーチャーはアンダーソン船長の甲板から、ヴィクターが養生している船室に入って来て、上記の自身の物語を語るのである。
それを聞いたヴィクターは、涙しながら”私が間違っていた。許してくれ、息子よ。”と言い、クリーチャーはその言葉を聞き、優しい表情で”赦します。”と答えるのである。
その言葉を脇で聞いていたアンダーソン船長は、船員達に”彼を撃つな!”と指示し、クリーチャーは氷原に降りて、氷に閉じこめられていたアンダーソン船長の船を怪力で動かし、船長はそれまで、頑なに北極点を目指していた姿勢を止め、船員達に”故郷に戻るぞ!”と告げ、船は氷のない洋上に出て行くのである。
<今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品なのである。>
Crazy Doctor
死体からつくられた不死の生物と、それを作り出したヴィクター・フランケンシュタインの話。
1857年北の果ての地で、氷に阻まれたデンマーク船のクルーが倒れている義足の男を助けたら、彼を執拗に追う巨人が現れ巻き起こって行く。
前半はヴィクターが如何にしてそれを作ったかを振り返る体の自分語りでみせていくけれど、要るのか要らんのか子供の頃のことからしっかりみせてくれて…親父も弟もエリザベスも何気にやばくね?
後半はクリーチャー視点から観せるけれど、これまたやっぱり丁寧で…猟師やばくね?
そして結局のところそんなオチ?
話し自体は面白かったけれど、丁寧過ぎる語りのおかげで、ちょいちょい弛んで勿体なかったし、終盤急に温くてちょっと物足りなかった。
ところで、頭潰したり焼き尽くしたら死ぬんじゃね?
人間こそ怪物
hateとfateでつながる2人
ピノキオの幸せ
まず驚いたのは 本作品のフランケンシュタインの怪物は紛う方なき 人間であること。
大柄で全身に無数の手術痕を刻むが 嫌悪どころか美しく感じる人影がスクリーンにあった。
もはやデザインが固定された彼の容姿を デルトロはどうリファインするかと楽しみにしていただけに 意外だった。
彼を怪物、創造物というレッテルのないピュアな命として提示してきた。
デルトロらしいアプローチだと思う。
これにより 彼が世界から受けるいわれなき不幸とささやかながら限りない優しさが より顕著に描写される。
彼の切なる願い想いが 観る側に痛いほど届く。
とりわけフランケンシュタインのクソっぷりたるや 救いがない。
終盤 散々不実であったフランケンシュタインがある言葉を彼に送る。
それは彼に主体性をあたえる。
デルトロの虐げられし異形のものへの愛情 ここに極まる。
しかし偏屈な小生は思うのです。
フランケンシュタインの言葉は パンドラの箱に残ったものと同じだ。弱き者への福音。
だが真逆の 人類にもたらされた最たる悪とする見方もある。
ピュアな命の彼に てらい無く父親を名乗る(如何なる方法であれ 彼を産みだしたのだから相違ないが)フランケンシュタインは実を持って この言葉を送っただろうか?
彼の行く末が 良しと切に願う。
どちらが怪物なのか?
正直、ファンタジー系はあまりみないジャンルなんやけど、ハウスオブダイナマイトの時に予告で心惹かれたので期待値高めで観に行った。
死者を生者にすることに取り憑かれた男。実験はうまくいくものの生み出した後のことを考えておらず…
タナトフォビア(死恐怖症)という言葉もあるが死ぬことに対して恐怖心を持っている人間は多い。というよりほとんどの人が少なからず恐怖心を持っているのでは?未知のことに対して恐怖心を抱くのは生存本能もあるんやろう。わからないことを知りたいと思い探究し続けるのは自然なことかもしれない。
様々な死体を組み合わされ出来上がった怪物は、心もリセットされ誰よりも純粋で思考する人間より人間らしい存在となった。一方のヴィクターは父が自分の一部であった母を殺した(疑惑ではあるが)という事実により人間という生き物に期待しなくなった。皮肉にも人間を信頼していない人間から純粋な怪物が生まれたのである。
伴侶がほしいと訴える彼の眼差しは胸が痛くなる。生きる意味とは?死からの復活は果たしてその人の尊厳を傷つけることにはならないだろうか?そんな倫理的な問題にまで踏み込んで描いた力作。ギレルモ監督の作品は異形のものはただ気持ち悪いものではなく、意思を持っている純粋で優しい存在として描かれることが多い。ルッキズムへの警鐘もあるのかな?
余談やけど、本作のミアゴス…眉毛があった!!パールからの振り幅!やっぱり好きな女優さんやわ〜
十数年ぶり...
耽美な怪物
150分あっても急ぎ足に感じた
美術や衣装がかなり凝っててゴシックホラーの雰囲気は良かった。
だだ、肝心の物語はあまり響いてこなかったかな...
描きたいことは伝わるんだけど、どのキャラクターも最初からセリフでお互いを語り尽くしちゃうから150分あっても感情が盛り上がらないまま終わってしまった。
直前まで対立してたのに最後が無理やり終わらせた感あってちょっと納得いかなかったなぁ。
はじめからヴィクターと怪物の絆が殆ど描かれないから最後も取って付けたような印象しかなかった。
これは映画じゃなくてじっくり8話ぐらいのドラマ形態でやったほうがもっと感情移入できただろうし、いい作品になったような気がする。
今回のフランケンの怪物は歴代でいちばんの美形。
長いけど丁寧な描写に緩急を混ぜてる
本日のマ王は映画のハシゴです😆
先ずはNetflix制作、ギレルモ・デル・トロ監督の『フランケンシュタイン』から鑑賞✨
奇しくも本日鑑賞する2作品とも死体系の映画となってしまった🤣
過去に何作かフランケンシュタインの作品は観てきたけど一番説教臭い感じがしたのよね💦
生命讃歌と人生讃歌をフランケンシュタインで聞かされてもって思ったりもしました😐
ただし、知ってるフランケンシュタイン映画の中ではかなり上質な作りになってます☺️
特にミア・ゴスが演じるエリザベスが物語の象徴的存在となり映像を引っ張っていく感じが面白かったかなと👍
皆は知ってると思うけど『フランケンシュタイン』て博士の名前なのね。
本名、ヴィクター・フランケンシュタイン。
その禁断の実験の結果に生まれたのは名前の無い「怪物」に過ぎないのよ。
この怪物だけど思ったより怪物顔ではない。
今作に於いて何なら角度によっては美青年にも見える。
過去の『フランケンシュタイン』での怪物が巨体で醜く描かれてるのに反発するかの本作の怪物は、怪物として描こうとしていない。
単純に不死の身体に弄ばれている哀れな命である。
映画『哀れなるものたち』でも知能の低い状態から成長する中で様々な知識を得ていたが、本作の怪物が生きる矛盾と死への渇望を学んだ結果が博士に癒しを求めるという結末に、現代社会が抱える生への尊敬が蔑ろにされてる問題を練り込ませているように感じました。
ていうかマ王、謝る😑
意外と難しい映画でした🌀
もしかしたらマ王の感想は的外れかもです😫
まぁ大体予測はしてたんだけど、パンフレットありません😑
鑑賞中何度か眠気に襲われたけど上映時間がちょっぴり長いのでその所為かなと😅
吸血鬼とか狼男とかの古典ホラー好きにはオススメですね✨
基本的に悲しい物語なのでその点を踏まえるのなら良作かなぁ〜
映画館での鑑賞オススメ度★★★☆☆
哲学系の映画度★★★★☆
ミア・ゴスってブサイク?度★★★★★
フランケンのお目がかわいい😍
1.21ジゴワットの命の輝き
なにゆえ今さらフランケン?と思わないでもなかったが、パンズ・ラビリンス、ヘルボーイ、シェイプ・オブ・ウォーターなど、異形の存在に並ならぬ愛情を注ぐギレルモ・デル・トロ監督のフランケンシュタインが面白くないわけがない。そう思って、映画館に足を運んだ。やっぱりスクリーンで観て大正解だった。
メアリー・シェリーの原作を下敷きにしたオリジナルストーリーは、19世紀半ば、氷に閉じ込められた北極点探検船から始まる。銃で撃たれても死なない、おそるべき怪力のボロをまとった大男に船員たちが次々に襲われる。そして、救出されたフランケンシュタイン自身から来し方が語られる。一挙に映画に引き込まれた。
正統ゴシックホラーにふさわしい重厚で美しい映像や、悪趣味と言っても差し支えない実験や解剖のシーン、クリーチャーへの優しい眼差し(時に人間に対するそれよりも)はいかにもギレルモ・デル・トロ監督全開である。
Netflixの映画で、日本では限られた劇場でしかやらないらしく、あまり話題にもなってないが、なんとももったいない話である。
善き人へ幸せを
ギレルモ・デル・トロ監督作品は『パシフィック・リム』しか観ていない不勉強な者ですが、この監督の印象はとにかく凝り性な人だな、という事。本作も良い意味でその凝り性が発揮されていたように思います。
冒頭の氷に閉ざされた船からラストまで、自分があたかもその中に存在しているようなリアルな画面作りにずっと引き込まれていました。
愛する母を早くに亡くし生に執着するヴィクター、そのヴィクターの手で生み出されたクリーチャー、創造主とクリーチャー、憎しみと愛情が合わさった危うく複雑な関係は、美しくも何処か少女のような純粋さと残酷さを持つエリザベスの存在によってバランスを崩し、一気に不幸の道へと突き進んでいきます。
それでもクリーチャーは森に住む老人からソウルフレンドとしての愛を、エリザベスから心の空白を埋め求め合う存在としての愛を注がれたその刹那が幸せと悲しみの感情を知った時だったのでしょう。
最後は創造主を許し、一人冷たい北の国の氷の中を彷徨い続けるクリーチャーに幸あれと願わずにはいられませんでした。
この作品を配信で終わらせず劇場公開してくださったことに感謝です。
次は狼男
何度も映画化された題材だが、ギレルモらしい演出で新鮮だった。
●グロテスクをキッチリ映像化しているのがギレルモらしくて良かった。
●フランケンシュタインがエキセントリックなキャラクターで良かった。傲慢な科学者としての描き方が真実味を出していた。
●モンスターの哀愁もきっちり描けていた。守ってやりたくなるように感じさせる。
●ラストが晴れやかなのは予想外でスカッとした。陰鬱になりがちな古典ホラーを人情ドラマとして着地させたのはさすがだと思った。
半魚人もやったのだから次は狼男をやってほしいな。
ただただ長かった
全36件中、1~20件目を表示
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