終わりの鳥のレビュー・感想・評価
全89件中、21~40件目を表示
デスに持ってかれる死も悪くない
騙し絵のような幻覚のような、ちょっと気味悪いオープニングに、これは当たりだと。
デスに連れていかれる人たちの、それぞれの死の迎え方も良かった。
不吉なイメージのカラスではなく、人の言葉を話してもおかしくはないオウムなのも良いチョイス、色味も派手だし。
水浴びをして水が真っ黒になる場面では、長い間デスが背負ってきた業を感じて少し切ない気持ちになった。
デスが現れてから死を受け入れたチューズデーとは対照的に、受け入れられず電話にも出ない母。
死にゆく本人からすると、痛みや苦しみから解放されるならばと受け入れてしまうものなのか。
だけどちょっと期待しすぎたかな。お母さんがやらかしてから、女型の奇行種に見えてしまって少し残念。
上手く綺麗にまとめましたなエンディングも、まあ及第点。
残されたものが作る「来世」
A24らしい「普通」じゃない作風の映画でした。
ある母娘が死を受け入れるまでの物語です。
死とはそれぞれの人間に平等に訪れるものの、それを受け入れる時までは平等ではない。
「死」を具現化したオウムが登場しますが、彼は人々に死をもたらしているというよりは死ぬべきときが来た生物に死を与えている、と言った方がいいでしょう。
いつもは淡々と死を与えるオウムが、難病にかかり達観した15歳の少女と出会うことで少し仕事をサボり、娘の死を受け入れられない母親によって、とんでもない展開を迎えます。
ここから先の世界のオウムが消えた世界のパニック描写や残された時間が少ないことを悟った母娘の行動が秀逸。
そして最後に語られる「神はいないが来世はある」という解釈が素晴らしく、終幕の鮮やかさも印象的。
地味でシュールな作品ですが、上半期ベスト級。
映画館を入ったときより、出るときの方が元気になれる映画のひとつです。
死の視覚化
A24×クロアチア
愛する者の死との向き合い方
生きとし生けるもの、その命の終わりは必ず来る。人の命も例外ではない。人が命の終わりを知るとき、命の終わりを望んだ時にデスはその声を聞いてその声のもとに駆けつける。そして彼は死をもたらす、安らかな死を。
本作は寓話の形をとり愛する者の死とどう向き合うべきかを問う作品。
オウムの姿をしたデスはまるで劇中で死神のように描かれるが、本当は彼が死をもたらしてるのではなく死はけして逃れようもないものであり、彼を死神のように描きながら避けようのない死を人がどう受け入れていくかを描いた作品。あくまでも彼の姿は死を擬人化(?)したに過ぎない。
死は恐ろしいもの。なぜならそれは未知のものだからだ。どんなに長い人生を生きてもどんなに経験を積んでも死ぬことだけは経験できない。だから誰もが死を恐れる。でも必ず誰にでも死は訪れる、誰もが必ず死を受け入れざるを得ない。
死は拒否し続ければ恐ろしいもの、しかしそれは受け入れたとたん安らかなものとなる。デスが訪れるのはそんな死を受け入れた者たちのところ。
死を受け入れた者たちは皆デスを歓迎した。そしてここにも一人、死が間近に迫る難病の少女チューズディがいた。
しかし何の手違いか彼女にはデスを、自分の死を受け入れる準備が出来ていなかった。彼女にはまだ気がかりなことが残っていた。
彼女はジョークでデスを喜ばせその場を取り繕う。しかし彼女の母親ゾラは破天荒すぎる女性で娘の死を阻むためにデスを丸吞みしてしまう。
デスの能力を受け継いだ彼女はデスの代わりに死の配達人の仕事を請け負うこととなる。失業中の彼女はその仕事に満足するがこのまま仕事を続けることはいずれ娘に自ら死を与えることを意味する。
デスを吐き出し彼の指示に従い彼女は娘の運命を受け入れざるを得なかった。チューズディは最後に母に確認する。私がいなくなってもお母さんは大丈夫だよね、と。チューズディの気がかりはなくなり彼女は安らかに息を引き取るのだった。
娘の死を受け入れたはずのゾラだったが、娘を亡くしたことにより開いた心の穴はあまりに大きかった。それからというもの彼女は取り留めもない日々を送り続けた。
そんな時おせっかいのデスが様子を見に現れる。ゾラはデスに問う。来世はあるのかと。来世もなく死んだままなんてあまりにも虚しすぎると。
デスはそれにこたえる。お前の愛する娘は来世でまた生き続ける。でもそれはお前次第だと。娘が生き続けるにはお前が娘のためにも生き続けることが大切だと。娘が生きた証はお前の中にある。お前が自分の人生を悔いなく生きることが娘の生きた証であり、そのように生きていかない限り娘の存在は失われる。娘を生かすも殺すもこれからのお前の生き方次第だと。それを聞いて彼女は自分の人生を前を向いて歩きだすのだった。
亡くなった愛する者がこのまま消えてなくなる、存在してなかったことになるなんて誰もが耐えられない。来世があると信じたい。
でも愛する者は自分の中で生き続ける。自分が生きている限りその存在は消えやしない。自分の中で生き続けるということが来世で生き続けるという意味なのかもしれない。デスがゾラに伝えたのはそういうことなのかもしれない。
かけがえのない愛する家族や友人を失うことは人生で最もつらい出来事。それにより生きる気力を失うこともあるくらい。しかし、その愛する人の生きた証は自分自身の中にしかない、その存在を生かすも殺すも自分次第だ。だから前を向いて生きなければならない。愛する者のためにも。
愛するものを失った人がその事実をどう受け止めその後どう生きていくべきなのか、そんな普遍的な人生観を寓話のような手法で描いた佳作。
浜辺で手を振るチューズディに手(羽)を振り返すデスの姿にドはまりしてしまった。
普段考える事の無い死を少し考える機会になったかな。。
シビル・ウォーで話題となったA24製作の映画。
A24は一筋縄ではいかない映画を作りますね。
死を司るオウムが出てきて死へ導く。
寿命がくるとオウムが現れるという感じ。
死とは何かを考えさせる映画ですね。
病気の少女とその母の話。
その少女の前にオウムが現れる。
母は必至でオウムから娘を守ろうとする。
母の子への愛、そして、死を受け入れようとする娘。
一瞬、死が訪れない世界となり、世界中が混乱する。
なんか、コミカルに死を描いていた。
最後の母とオウムの会話が心に残った。
アフターライフがあるというオウム。
人間が考える形ではないが神はいるとも言った。
来世が無かったと考えたら死は受け入れがたい物になるのだろうか。。
日本人である私は普段来世を考える事は無い。
無宗教であり、漠然と信仰する神道でも来世の教義は無い。
どんな生き物にも必ず訪れる死。
普段考える事の無い死を少し考える機会になりました。
単純な娯楽映画ではなかったです。
圧倒的に人手(鳥翼?)が足りないのでは?
おもしろいです
母娘は似てないな〜、と観ていてずっと気になっちゃいましたけど
避けられない死を受け容れるまでの葛藤のようなものを表現したかったのかなーと勝手に推察
敢えてそうしたのでしょうけど、メインの母娘の関係性についてかなりショートカットし過ぎているのは気に掛かりました
父親の事をショートカットするのはいいんですけど
死神みたいな鳥が全ての死を司る風な割にはずいぶんと悠長だなぁと思ってしまいました
どうでもいいけど、部屋のピンクドクロとまねきねこが気にかかりました
鳥がなんか良いこと言ってましたけど、母親に向かってお前が生きることが娘を生かすことになる?みたいなニュアンスのセリフがよかったです。
その地域の死を担当するには圧倒的に人手(鳥羽?)が足りないのでは?
鳥の声は低い
思っていたよりもファンタジーだった
それでよかった
いくらでも暗く残酷に切なくできるテーマでありながらユーモアを交えたファンタジーであることで目を背けずに鑑賞することができた
絵本として見てみたい
あの世に連れていくものは鳥の形をしていた
怖そうだが交渉に乗ってくれる柔軟さも持っている
我が娘をこの世に引き留めるため、母親はこいつをぶちのめし、生き埋めにして燃やし、喰ってしまうから凄い
そのせいなのか町は悲惨な状況になり、母は鳥の代わりに死にそうな人々に引導を渡してやる
アリスのように伸び縮みする彼女は、これを天職として捉えたり不安定この上ない
結局は鳥さんに娘を連れ去られ、強がりを言ってた彼女も沈んだ生活を送っている
心配になった鳥さんは彼女に宣う
娘の来世は貴方の想い出の中にある
それを聞いた母はクソ野郎と返す
なんだかんだ彼女は立ち上がっていくだろう
ラストのラップは明るく良かった
警察に捕まらなくて良かった、銃を抜かなくて良かった、誰も死ななくて良い一日だった
着地は
promise promise
キューブラロスの「死の受容」(親子ver)を想起した。
よかった点
終盤の親子の和解と最後のデスと母親の会話。
もやる点
わざわざゾンビや死ねない動物を生み出す必要性を感じなかった。呼ばれたから行かざるを得ないという性?がもうデスにはあるのだから、ゾンビが街に溢れなくとも母親の死神代行旅を通しての流れは自然だし。
母親を最初からニート(逃げてる)みたいな側面から始めたばかりにミスリードが起きて、深読みしかけるし、母娘の愛のフィナーレに素直に高まれない障害になってる。
街の不穏さを出す場面を削って、最初に看護疲れするような場面を数枚差し込めば公園でうっかり寝こけてる姿も違って写る。
A24らしさで片付ければ簡単なのかもだけど、言いたいことが最後の思いならば、ボーみたいなおどろおどろしい雰囲気をもう少ししまえばよかったのに…まぁそれだとファンは拍子抜けしちゃうのかな笑
死を司る鳥が、という寓話的な話と思いきやキテレツな展開
死ぬ間際に現れる鳥。いろんな人の声を聞きつけとどめを刺してまわっているが、病気の少女のもとに現れたが彼女のジョークを気に入り少女とずっと一緒にいるが…という外国の童話的なお話かと思ったら、奇天烈な展開になる。
鳥自体も、話せるけどつっかえるし過呼吸にもなるし。デス声なのに、妙におかしいキャラ設定。この鳥が来ないと生物は死を迎えられなくてゾンビ状態になるらしい。世界は混乱し始める。
で、娘の死を受け入れられず拒否するあまり鳥を殺して焼いて食べちゃう母!!鳥の能力を取り込んでしまう母!それから二人は…。
なんかどっか頭の線が切れてるような映画は大好き
Big mama(物理的)。
「適度にフリーな奴隷が俺だよ、お前だってそう。」
(作詞 坂本慎太郎 作曲 ゆらゆら帝国
2007年 ゆらゆら帝国「できない」より)
「死」と名付けられた彼(?)は辛い立場にいる。
神と名の付く者のように好き勝手死に誘える訳でもなく、辛そうな動物を見つけて世界中介錯して回る(ワンオペ)仕事は非常にハード。給料は不死か。
ゆ、ゆ、、ユニークな人間に出会って興味が湧いたのが災いし、ご挨拶も早々に気付いたら喰われてる始末。見た目の割に中身は愛嬌者だ。
そして母は強し。エリザベスの一世さんより強し。
ゾラは…若干エキセントリックだが、それも一つの家族の向き合い方で、明確な答えはない。
ゾラもデスも死んだ事がない。
初めて立ち会う「特別な死」はそれぞれの人生観に影響を与えた様に見えた。
これはハートフルなブッ飛び終活ダークファンタジーだ。
タイトルなし(ネタバレ)
イギリスの小さな街。
余命僅かな15歳の少女チューズデイ(ローラ・ペティクルー)。
母親ゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイファス)は、仕事もやめ、家財品を売って糊口をしのいでいた。
仕事をやめたのは、娘のことが気になって、仕事が手につかなくなったからだろう。
娘の介護は看護師に任せて毎日出かけるが、無為な時間を過ごしている。
ある日、チューズデイの前に一羽の鳥が現れる。
それは「デス(死)」と名乗る途中で言葉に詰まった。
多くの死を人々に運んできたことで、汚れて疲れ果ててしまったのだ。
チューズデイは、そんな鳥に深呼吸を進め、身体の汚れを落とすように勧める・・・
といったところからはじまる物語で、独特な雰囲気を持った作品。
死と慣れ親しむ少女と、頑なに娘の死を拒絶する母親。
くだんの鳥を見つけ、その意味を知った彼女は、終わりの鳥を食べてしまうことで、娘を死の淵から救ったと思ったが・・・
というこの後の展開、こりゃブラックユーモアだね。
欧米と日本の死生観の違いをまざまざと感じて面白いと思いましたが、「なんじゃ、こりゃあ」というひとがいても不思議ではないかな。
終盤、もうひと展開あって、娘と母の物語に収れんしていきますが、娘の死後の生き方・意味は、生きている者の生き方によるのだというあたりに感銘を受けました。
見た目だけの作品だと高を括っていましたが、鳥は鷹ではなかったからなぁ。
なお、エンドクレジットでロトスコープアニメーションのスタッフが何人を列挙されており、もしかして鳥は手袋はめたパペットをロトスコープアニメ化したんではなかろうかなどと思った次第。
生と死と。
鳥がお母さんにかけた言葉が温かい
死を告げる鳥と聞いておどろおどろしいものを想像していましたが、重すぎず意外と明るいファンタジー映画のようでした。
死を告げる使命に苦しむ鳥は、人間臭くてなんだか憎めません。途中、娘を助けるためにそのお母さんから攻撃を受けたのに、最後はお母さんを気にかけて使命とは関係なく様子を見にきます。生きる意味を失っていたお母さんにかけた言葉が温かくて沁みました。
来世は残された者の心の中にあって、そこで生き続けている。残された者がどう生きるかが大切。そんな意味のメッセージだったと思います。
お母さんがまた生きる意味を取り戻す、素敵なエンディングだったと思います。
母親の優しさから出る嘘が切ない
全89件中、21~40件目を表示











