「主人公のフルネームから「チューズディ」を抜粋したのは鳥さんでしたね」終わりの鳥 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
主人公のフルネームから「チューズディ」を抜粋したのは鳥さんでしたね
2025.4.8 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ&イギリス合作の映画(110分、G)
余命わずかな少女の元に死を告げる鳥が訪れる様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はダイナ・O・プシッチ
原題の『Tuesday』は、主人公の名前
キリスト教的には「Holy Tuesday(イチジクの火曜日)」として、イースター前の最後の火曜日にあたる日とされている
物語の舞台は、イギリスのロンドン郊外
重度の病でほぼ寝たきりになっている15歳のチューズディ(ローラ・ペティクルー、幼少期:フローレンシア・ヌメズ)は、母ゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイフェス)と訪問看護師のビリー(レア・ハーヴェイ)によって身の回りの世話をしてもらっていた
ゾラはビリーが来ると「仕事に行ったふり」をしながら、店や公園で時間を潰していた
無職のゾラは家にあるものを売ることで生計を立てていて、2階の家具はおろか、タイルやオモチャまで売り払っていた
ある日のこと、チューズディの元に「奇妙な鳥(声&モーションキャプチャー:アリンゼ・ケニ)」がやってきた
鳥はチューズディの死の時期について語り、それは翌朝だと言われてしまう
そこで彼女は、最期に母親に電話をしたいと言って掛けるものの、母親は電話に出なかった
そこでチューズディは、母が帰ってくるまで一緒にいてほしいと言い、鳥はその言葉に付き添うように、彼女のそばから離れなかった
物語は、いわゆる「死」という概念が鳥として具現化されているというもので、死神のようにも思えるし、苦痛を取り除く救世主であるようにも見える
母親が帰ってきてから「明日の朝に死ぬ」とチューズディが訴えても意に介さず、鳥が現れて告げても、母は鳥を追いかけ回して殺し、最後には噛み砕いてしまう
どうやらその時に鳥は小さくなって母の体の中に入り、そこで彼女の体を操る形で、いつものことを行なっていく
映画的には、チューズディを連れた母親がそれを行なっているように見えていて、それによって母親が何かを学ぶかのように描かれていく
だが、母は鳥を拒絶し、この奇妙な時間はチューズディが母親と一緒に過ごした最期の時間となってしまった
映画にて、鳥が「人間の考えるような神様はいない」というのだが、この人間が考えるというのは、いわゆるキリスト教的な神様で、現在の信仰の状態を意味しているのだと考えられる
わざわざ「Holy Tuesday」に準えるように名前を引用しているのも、イチジクの火曜日と言われるキリストのエピソードを暗に示しているのだろう
この辺りは専門ではないのだが、マルコによる福音書「11章:24〜25篇」を考えると、「人(映画にならば母親)に対して恨みがあるのならば、それを赦しなさい。そうすれば天におられるあなた方の父も、あなた方の罪を赦してくださるでしょう」という部分がフィットするように思える
母親は嘘をついてチューズディの介護をしていて、それでも苦痛が取り除かれる日を待ち望んではいない
そうした母親の嘘に隠された部分を見ることによって、表面的なものを赦せるという意味合いがあるように思える
チューズディにとっての苦痛は、病によるものだけではなく、母親と分かり合えず、愛しあえずに逝ってしまうことだと思うので、それを鳥は取り除くことになったのだろう
ラストでは、鳥が母親の元を訪れ、そこで母とチューズディが交わした約束のことを思い出させる
これによって母親は立ち直りのきっかけを見せることになり、本当の意味でのチューズディの苦痛を取り除くことができたのではないだろうか
いずれにせよ、本作の面白いところは、死にゆく全てのキャラクターに名前が付いていることである
エンドクレジットを見ればわかるが、看取られる人とかに「足を失った男」のような表記はなかった
人が信じるような神様の不在という言葉を併せて考えると、神様よりも主体(自分)を愛しなさいと言っているように思うし、現在の宗教観を捻じ曲げている人々へのアンチテーゼにも思える
奇しくも、聖なる火曜日にてイエスは宗教指導者たちに対しても一言申し、それによってイエスを罠にかけるという流れにもなっていたので、このあたりも「人が信じる神様の不在」というものを匂わしているのかな、と感じた
このあたりはキリスト教に詳しい人の解説ブログを読んだ方が良いと思うので、それっぽい感じに書いていることをご容赦くださいまし