プロフェッショナルのレビュー・感想・評価
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厨二病あるある、殺し屋を職業にしたいと、言いがち。
殺し屋なんてなるもんじゃないと、漫画のザ・ファブルと、休載しがちの漫画、バイオレンス・アクションを読めば分かりそうなものだが、これらの漫画は、最近の漫画。昔は殺し屋を美化する漫画が多かった。
俺のチェリーボーイ時代は、自衛隊か、フランス外人部隊に入隊してから、除隊して殺し屋になる!
と、言う奴が結構いた。そんな友達しか持てない俺もどうかと思うが、特に印象に残っているのが、自衛隊の入隊試験を受けた時に、赤色色盲が発覚して、余程の事がない限り、不合格にならない自衛隊に入れなかったのが不幸のズンドコになった彼。
更に、彼はノストラダムスの大予言を本気で信じていて、一切、就職活動をせずに、1999年8月。
何かが壊れた彼はそのまま就職をせずに、そのままニートになり、今もニート。頼るは親の年金、恐るべしマガジンMMRのキバヤシ、貴方がどれだけの人を不幸にしたのかを知るがよい。
さーて!今回のリーアム・ニーソンはー!?
① いつも通り殺し屋
② 殺し屋を引退しちゃう
③ でも、やっぱり殺し屋は辞められない
の、三本でお送りしまーす!
今回の映画では、何故か1970年代の時空に飛ばされたリーアム・ニーソンが、第二次世界大戦の帰還兵という設定。
この戦争で、564をおかずにしないとご飯が食べられない殺人衝動を抑えられないが為に、殺し屋を生業にして暮らしている。
友達の警察官と、隣人の老婆には、本の販売でご飯を食べていると嘘をつきながら。
その殺しの手段が、殺しの標的を拉致して、山奥に連れてゆき、
今から、お前を殺すから、お前を埋める穴をお前が掘れ!
と、ショットガンを向けながら、
最後に何か言いたい事はあるか?
と、聞くけど、情けはかけずに、埋めた穴の上に苗木を植えて、その殺害現場は植木だらけとゆー、今までで、一番えげつないリーアム・ニーソン。
でも、流石に疲れたのか殺し屋引退をするも、
トラブルがあったら、話し合いで解決せずに殺す。
という、選択をしてしまったが為に、周囲の知人・友人達が、どえらい目に合う話し。
リーアム・ニーソンは映画中盤まで、銃は二連ショットガンしか使わないので、
何か違うんだよなー?
と、思っていたが、安心してください!ちゃんと、ピストルで無双しますよ?
全然、マガジンチェンジをしない、装弾数どうなっているんだ?ゾンビ映画かよ?
と、思っちゃう拳銃無双ね?装弾数をちゃんと考えているのは、マイケル・マン監督だけじゃなかろうか?
本作で、アクション映画を引退する予定のリーアム・ニーソンの最新作は、
「 リブート版 裸の銃を持つ男」
で、フランク・ドレビンの息子の刑事役、予告編を見てみたら、いつも通り、虐殺しまくりんぐ。
あんたー?馬鹿だよー?本当の虐殺馬鹿だよー?あんたから、564を取ったら、何が残るって言うんだい?
564をしない、あんたなんか、下ネタ言わない壇蜜だぁー?
よ!リーアム・ニーソン!音羽屋!殺し屋!リーアム・ニーソンにっぽんいち!
一瞬だけだけど、殺しをやめるリーアム・ニーソンを見てみたい人だけに、お勧めの映画だYO!!
見たい人、限られちゃうNE!!
↑ おい
「プロフェッショナル」と「アマチュア」
狙ったのか偶然なのか同時期に「プロフェッショナル」と「アマチュア」という対抗したタイトルの作品の公開、さらに「ゴーストキラー」「サイレントナイト」を含めて“リベンジアクション”の作品の同時期公開で、全て面白そうで全部観ようと思っていました。
今日は第三弾です。
「サイレントナイト」や「アマチュア」は一般人が殺し屋に上がっていく過程や活躍が内容だと思いますが、これは殺し屋として活躍していた人間が下っていく過程が描かれていると思いました。
「プロフェッショナル」と付けた意味は何だろうと疑問を感じるところもありますが、プロの生き様や引き際がテーマということかなと思います。
「俺を怒らせるな。」というキャッチや「ハードボイルドアクション」という触れ込みでしたが、その水準の展開やアクションは少ないと思いました。
さらにアイルランドの田舎が舞台なので長閑で、他の作品とは画的にそこが違います。
リーアム・ニーソンの作品は面白いというのは裏切らないです。
以下少しネタバレ
↓
冒頭に巻き込まれて死んでしまった親子のことや、最後に助かった親子のその後が取り上げられると思ったのですが、そこは肩透かしでした。
明日は「アマチュア」を観ます。
誰一人プロらしいプロの登場しない、田舎のプロ気どりが織りなすほんわか老人アクション。
『アマチュア』に引き続いて、『プロフェッショナル』を視聴。
セット企画として、その「対比」を愉しむ予定だったのだが……
やべえ、こいつら、
全然「プロフェッショナル」
じゃねーじゃねーか(笑)。
むしろ、のんびりした田舎の村を舞台に、
田舎ののんびりした引退した殺し屋が、
のんびりした頭の弱い相棒と共闘しつつ、
のんびりした頭の弱いテロリストたちと
さんざんお互いにミスを犯しまくって、
お互いにスカタンをかまし合いながら、
なんとなく「老人ヒーロー属性」だけで、
リーアム・ニーソンがラスト・スタンディング!
そういった、田舎のラムネ水みたいな映画だ……。
まさに「タイトルに偽りあり」。
あと、ハードボイルド・アクションって宣伝に書いてあるけど、果たしてそうなのか??
どっちかというと、真顔でやってるドメスティック・アクション・コメディにしか思えないが……。
リーアム・ニーソンといえば、いまや「老人アクションの第一人者」(笑)であり、『96時間』以降、もはやどの映画がどれだったかすらよくわからなくなるほど、同工異曲の巻き込まれ型アクション・スリラーに主演し続けている。
そんな「市井の一般人に見えて実は凄腕のプロフェッショナル」というリーアム・ニーソンらしい役回りから、今回の主人公はかなり逸脱しているといってよい。
いや、「一見、いつものリーアム・ニーソンに見せかけておいて、実は普段の設定とは一味違う」という「ギャップ」自体を愉しむ映画といったほうがいいかもしれない。
いちいちこの映画の登場人物の行動に、整合性やリアリティを求めても仕方がない。
むしろ、やっていることのおおよそ全てが配慮を欠き、判断力を欠き、理に反している。
そういった類の、「あらかじめゆるく作られた」「ゆるいのが魅力の」映画。それが本作だ。
結論。
タイトルとして、邦題の「プロフェッショナル」ほどにふさわしくないものもない!
(原題の『In the Land of Saints and Sinners』(聖者と罪びとの地で)は、無駄にかっこいいだけだけど、少なくとも内容を外してはいない。)
あるいは……、これって配給会社の渾身のギャグなのか?
「なんだよ、出てくる連中、どいつもこいつもいったい何考えてるんだ?? よし、それならこっちは敢えて〈プロフェッショナル〉ってつけてやれ!!」みたいな。
強いて言えば、「プロフェッショナル(気どりw)」といったところか。
― ― ― ―
出だしから、いきなりテロリスト4人組が標的の爆殺に子供たちを巻き込み、しかも相手に警告を発したせいで、衆目に顔をさらしてお尋ね者になるという大きな不始末を犯す。彼らはテロリストとしては三流で、状況判断がとことん甘く、感情の制御もおぼつかない。
4人組のうちひとりは、逃亡中のテロリストなのに、毎日入り江での水泳にうつつを抜かし、親族の少女に無意味な暴行を加え、会ったばかりの男の車に乗せてやると言われてほいほい乗って、そのまま人生の最期を迎える。残された3バカトリオも、ラストに至るまでとことん無能で、とことん頭の悪そうな会話を繰り返す。
IRAの重信房子か永田洋子かといったコワモテの女性闘士は、最終的にアイルランド解放の大義とかそっちのけで、「私怨」の復讐戦へと猛進することに。残る2人は「やっておしまい!」と叫び続ける女性闘士にあごで使われて、さながらIRAのボヤッキーとトンズラーである(笑)。
対する主人公で老練な殺し屋のフィンバー・マーフィー(リーアム・ニーソン)も、冒頭の「殺し」こそルール通りに進めて卒なくこなしてみせるが、そのあとからは、やっていること全体がほぼめちゃくちゃだ。
●馴染みの女性の家で、子供があざだらけで叔父を嫌っているのを見ただけで、勝手に「チャイルド・アビューズ」(児童虐待)だと決めつける。
●被害者にも容疑者にもちゃんとした確認すらとらず、証拠調べもしないで、いきなり次の「殺し」のターゲットにするよう、元締めに要求する。(たとえば日本の『必殺』シリーズでは、殺し屋が依頼だけで動くことは絶対にないし、自分たちの目で悪の証拠を確認したうえで初めて仕置きする。逆にどれだけ義憤に駆られても、依頼者のいない(=金の発生しない)仕置きは「ただの人殺し」として徹底的に忌避される。これが正しい「殺し屋道」というものだ。)
●元締めに断られたら(そりゃ当然だ)、独断で相手を殺すことを宣言し、勝手に行動に移す(まさにルール無用のただの殺人鬼である)。
●叔父のテロリストが少女に渡していた銃弾を、元締めの家に置きっぱなしにして帰って、のちに元締めが姉のテロリストに射殺される、直接的な原因を生じさせる。
●どこに人の目があるかわからない海岸べりの道路で、顔出しのまま公然と相手を襲って、白昼堂々相手を昏倒させ、そのまま誘拐して連れ出す。
●トランクを開けた瞬間、閉じ込めていた若造の反撃を受け、ナイフで刺されて手負いになるばかりでなく、流血してあたりじゅうにDNAの痕跡を残すことに。その後もパニックに近い状況に陥り、相手には逃亡されるわ、弾を装填し損ねるわ、銃は空撃ちするわ、挙句に若い殺し屋仲間に相手を仕留めてもらって、助けられるはめに。
●若い殺し屋に助けてもらったくせに、偉そうにその若者に死体の穴を掘らせ、自分はふんぞり返って説教を垂れている。殺しに関する感傷的な思想の押しつけも、聞いているだけで痛々しいばかりだ。よほど、ドライな価値観で動いている若い殺し屋のほうが、殺し屋としてまともだと思う(こいつもバカはバカだけど)。
●テロリストたちに家を占拠されているのに気づき、そこに戻らないことにした選択自体は正しいにせよ、ヤサが割れているのに、テロリストが帰った瞬間に下まで降りて、隣人のおばちゃんを助けたり、爆弾が仕掛けられているかもしれない母屋に入って猫を連れ出したりしている。全編を通じて、行動に警戒心が毛ほども感じられない。
●家でテロリストに猫を見られているはずなのに、それをわざわざ少女のところに持っていって「飼ってくれ」と強要する。そもそも動物を譲り渡すのはよほど気ごころの知れた相手以外は迷惑な話だし、それが成獣だとなおさらだ。しかも、この猫を渡すことで、少女とフィンバーの強い関係性がテロリスト叔母さんにバレて、「依頼人が娘、もしくは母親と取られる」可能性を一切考慮していない。
●ノープランで、テロリストを観にグラウンドまで行って、その場でいきなり遭遇する(トイレでは容易に後ろを取られていて、ここで速攻で殺されててもちっともおかしくない)。さらには、どれだけ被害が広がるか全くわからないのに、安易にパブでの夜の打ち合わせに応じている。
●待ち合わせ場所のパブでは、女テロリストの義妹=少女の母親が勤めている。積極的にテロリストとの対決に親族(およびその娘)を巻き込んでいく理由が皆目わからない。だいたい、パブで女テロリストと待ち合わせた理由が「弟殺しの依頼人を教える」というものなのに、虐待された少女の母親がいる場所にわざわざ招き入れてどうしようというのか。「この女があたしの弟を売ったのね」って話になりかねないと思うのだが。
●若い殺し屋は、100%銃で武装していることがわかっている女テロリストに、イチャイチャしながら近づいていって、案の定いきなり撃たれて「ファッキン、いきなり撃ちやがった!!」とか騒いでる。およそ知恵の遅れ方が尋常ではない。
●わざわざ混雑しているパブで待ち合わせたうえ、そこで安易に銃撃戦を展開したせいで、結果的に、多数の村人の負傷者と室内の被害を生み出すことに。戦闘のプロフェッショナルといいながら、お互いいくらやってもとどめをさせず、弾はなかなか当たらず、お互い即死させられないまま、ラストシーンは教会まで持ち越される。
……とまあ、だらだらと気になった点を書き連ねてきたが、これだけ「すっとぼけた」部分が連鎖するのを見れば、賢明な皆さんならお分かりだろう。
要するに、これは「製作者が不用意で頭が弱くて注意力が散漫だから、こういう穴の多い展開になっている」という次元の話ではない。
明らかに、製作者は、主人公や、仲間や、テロリストや、街の住人も含めて、出てくる登場人物全員が「アホ」である、という大前提で、このドメスティックなドンパチものを作っている。そう、これらはすべて「わざと仕組まれているトンチキ」なのだ。
最近観た映画でいえば、去年K’sシネマの奇想天外映画祭で観た、オーストラリア産の珍作『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』に近いテイストかもしれない。
くっそド田舎で、掘っ立て小屋で暮らす頭の弱い美少女が、頭の弱い密猟者3人組にさんざん追い回されて、ついに逆襲に転じて3人を血祭にあげる。
お互い敵も味方も、やってることがゆるんゆるんで、攻めるも守るも「隙」しかないような妙ちきりんな映画。でもまあ、娯楽作品として割り切れば、頭を空っぽにしてのんびり愉しめる。
今回の『プロフェッショナル』も、まさにそういう映画である。
で、そういう映画だと納得して観るぶんには、それなりに楽しい。
僕は決して、この映画が嫌いではない(笑)。
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なお、この映画における主人公フィンバーの立ち位置は、明らかに「西部劇における老ガンマン」を意識したものだ。
メインテーマの楽器がハーモニカというのがまず、いかにもマカロニ調だし、これから殺す相手に自分の墓穴を掘らせるという趣向は、そのまんま『続・夕陽のガンマン』他のマカロニ・ウエスタンからいただいたアイディアだ。
若造がつきまとってくる流れも、老×若のバディものとしてのテイストも、まさに西部劇の王道だし、「殺された無法者のきょうだいが復讐のために乗り込んでくる」というのもいかにも西部劇らしい展開だ。
老警官との空き缶の射撃競争とか、古いショットガンへのこだわりとか、酒場での派手な撃ちあいとか、すべては本作の根幹が「西部劇」であることを逆照射している。
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その他、雑感を箇条書きにて。
●本作の設定年代は1974年。若い殺し屋は、しきりにカルフォルニアに行きたいと夢を語るが、同様に「フロリダ」への夢を語りながら犬死にしていくラッツォが出てくるジョン・シュレシンジャーの『真夜中のカーボーイ』の公開は1969年。
明るい都会の輝きに憧れる底辺の若者というアイコンは、アメリカン・ニューシネマの時代のひとつの象徴だった。
●リーアム・ニーソンはアイルランド出身で、2022年にはダブリンを拠点に撮られた『マーロウ』で、フィリップ・マーロウ役を演じていた(レイモンド・チャンドラーもアイルランドで若き日を過ごしている)。老齢に入って、ますますアイルランド系としての意識が高まっているようだ。
●「IRAの闘士が、テロ活動中に誤って子供を殺してしまったせいで身を持ち崩す」といえば、なんといっても『死にゆく者への祈り』(87、マイク・ホッジズ監督、ジャック・ヒギンズ原作、主演ミッキー・ローク)を思い出す。
この映画、実は若き日のリーアム・ニーソンもIRAの同僚役で出ているのだ。友人であるロークの処刑を命じられながら、優しすぎて殺せず、逆に同行の女闘士に射殺される役どころで、やけに本作と近接するところが多い。
明らかに『死にゆく者への祈り』のことを意識して作られた映画のように思える。
●作中には、ドストエフスキーの『罪と罰』をアガサ・クリスティーからの文脈で紹介するくだりがあり、ラストシーンでも本書が粋な形で登場する。『罪と罰』を「ファイダニットものの倒叙ミステリー」と認識する考え方はミステリー界隈では昔からあって、本作のテーマとも強く呼応している。
「人が人を殺すというのはどういうことか」
この根源的な問いに、国家や、宗教や、正義や、家族といったのっぴきならないファクターが絡み、それぞれがそれぞれの事情を抱えて、煩悶する。
ゆるいけど、一応は真面目な映画でもあるのだ。
暗殺者VSテロリスト
リーアム・ニーソン主演
1970年代
長年ロバートから依頼され、殺人業を営むフィンバー
かなりの人を殺してきたが、隣人や友人の優しさにふれ、殺人業を辞めるつもりだ
だけれども罪のない少女が、村に潜伏するテロリストの1人に虐待されてるのを知ってしまったら、そいつを放っておけるわけが無い
フィンバーにはその暗殺の仕事をするようになった背景があるものの、人間らしい心の持ち主
一方、まだ若いが同じ暗殺の仕事をするケビンは、フィンバーとは真逆で暗殺を楽しんでるかのような異常さがある
そんなケビンに、思わぬ展開でそのテロリストの暗殺を手助けされ、そこからそれまでなかった仲間意識が芽生えだす
ここからがフィンバーVSテロリストのせめぎ合いに緊張が走る
フィンバーたちに弟を殺されたことを知った姉デランは、テロリストのリーダー的存在だったが、弟の仇をとる為に我を忘れて、執拗に復讐心を燃やす姿がなんとも恐ろしい
最後フィンバーが自身の身をもって終わらすかと思えたが、また予想外な展開が繰り広げられ、手に汗を握るクライマックスだった
プロフェッショナルではない
アマチュアに対抗して付けたような邦題は、やや安易な気がする。アイルランドの事は知らないが、爆弾テロがよく起こった時代は日本にもあった。無差別に行うのがテロ。暗殺業で生活していた老人が、少女や友人のためにテロリスト達を葬っていくのが謎。これから殺す人に、自分を埋める穴を掘らせるような人に、心があるとは思えない。おじいちゃんは頑張ったが、私は頑張れずに時々、寝落ちする。
あ゛-面白かった。でもさぁー.....┐(´ー`)┌
お金は 迷惑かけた隣人にも 少しあげようよ。
多分 受け取らないかもだけど その時は 車の窓から
まき散らそう。(^_^)/~~~
そーそー 母子家庭の女性にも 分けようよ。
親切なオジサンなんだからさ。
植木は 肥料が良いから しっかり育つよね。
そして 数百年後には 良い泥炭になるかもね。
テロリストは 女性以外は「三バカ大将」かと思ったわ。
(⌒▽⌒)アハハ!
激渋骨太なおっさん向け活劇。
こういう映画が見たかったんだ、と興奮したぞ。
昔なら、新宿ローヤルで出会った拾い物、みたいな感じ。
IRAの過激派武装一味が田舎町に逃げ込むと、そこにはプロの殺し屋が住んでいて…って、ジャック・ヒギンズの小説みたい。
引退したい老殺し屋、次世代を担いそうな若造ヒットマン、地元の親友保安官、ほのかな隣人おばちゃんとの交流、そしていたいけな子供と猫。IRAのラスボスがかなり強烈で凶悪なこともあり、流石のリーアム・ニーソンもピンチになるんじゃないか、と心配になったよ。
終盤の「酒場の決闘」もかっちょ良くてしびれた。
原題と邦題の違いよ
邦題「プロフェッショナル」から想像すると、リーアム・ニーソンがテロリストを無慈悲に倒していくイメージだったけど、そんなのではなく引退して街の一部として穏やかに過ごしていこうとする一人の年老いた男の物語だった。
自分も邦題に惹かれて観に行った一人ではあるが、映画としては味わい深く面白かっただけに、タイトルで釣るのはどうかな。
邦題のせいで損してる。
最初は、リーアム・ニーソン主演で「プロフェッショナル」というタイトルだけ聞いて、「また同じようなアクションものかあ。もう本人もどれがどれやらわからんくらい出てるやん。」という印象で、全く観るつもりなかったのですが、よくよく解説や口コミに目を通すと、1970年代のアイルランドが舞台とのこと。大のアイルランド好きの私としては「これは観なければ」と一転。最近では「コット はじまりの夏」「イニシェリン島の精霊」等が良作でした。
こんなタイトルやからすぐ上映終わってしまうに違いないと思い、他にいろいろ観たいのを済ませて、なんとか上映2週目に間に合いました。たまたま、「アマチュア」「ベテラン」と同じタイミングの上映になって少し話題になったのがラッキーだったのかも。
観た感想としては、まずやはり荒涼とした海岸線やゴツゴツした大自然の風景が美しくて、それだけで評価2割増し。あと、本当にアイルランドらしいメンツの俳優さんばかりなのが良かった。中でもロバート役のコルム・ミーニーは、「アイルランドが舞台の映画と言えば」って感じで本当によく出てくる印象があるし、この人昔からおじさんで見た目がずっと変わらない。
お話としては、全体的にこじんまりしていて、めちゃ極悪なヤツは出てこない。敵味方とも使う武器はクラシカルなものばかりで、アクションやドンパチ(古!)がメインではなく、人情ものの色合いが濃い。イーストウッドの弟子みたいな監督ということで「許されざる者」を彷彿とさせるストーリーで、好きなタイプの作品でした。ただ、最終的にフィンバーは死んで、ケビンが仇撃ちするような展開のほうが良かったのではないかという気もしました。
とにかく原題の「聖者と罪人の地で」が深みのあるタイトルで内容を的確に表現しており、何も考えずにつけた(ような)邦題が腹立たしい。もったいない。
よかったが少し惜しい
まずはじめに書きます。批評家などの高評価に違わず、アイルランドの美しい風景、建造物に囲まれた景勝豊かな、しかしひどく寂しく荒涼とした土地の中で繰り広げられる、年老いた殺し屋の最後の仕事を堪能できます!その意味で北方謙三原作の角川映画「友よ、静かに眠れ」を彷彿とさせる、正統なハードボイルド映画だったし、リーアム・ニーソンの魅力も発揮されてた。
残念だったのは、リーダー格の女性ケリー・コンドンは好演してるものの、せっかくIRAテロリスト設定なのに、ニーソン演じる主人公への復讐動機が弟の殺害ということ。また部下2人のキャラも弱すぎていただけない。あんなリーダーには従いたくないのではないかと思う。またクライマックスを強調するためか、中盤の牧歌的展開にも、少々中だるみを感じた。警官役のキアラン・ハインズは結構よかったが、勘の良さを発揮するのが遅すぎる。
監督ロバート・ロレンツが目指したろう、イーストウッド版「許されざる者」と比較して、演出力の違いはいなめなかった。同様のハードボイルドとしては「友よ、静かに眠れ」のが優れている。
とはいえ、はじめに述べたように、美しいアイルランドの風景(「イニシェリン島の精霊」を思い出す)の中で描かれる最後の仕事に臨む殺し屋の哀愁は素晴らしく、久々に骨太のハードボイルドを観た気はした。最後、不覚にも目に涙が浮かんでしまった。
また、初めは人殺しを愉しむサイコな若者に見えたが次第に心を開き、ニーソンの良き相棒となる殺し屋仲間を演じたジャック・グリーソンはとても魅力的でした。
許されざる者
1972年の血の金曜日事件が起きた頃のアイルランド。そのドニゴール州グレンコルムキルを舞台にした、あたかもイーストウッド主演の西部劇「許されざる者」を彷彿させる内容。
かつての第二次大戦にアイルランド人ながらも従軍し、多くの敵兵の命を殺めてきたフィンバーは終戦後妻を失い、孤独な中なおも暗殺者として多くの人の命を殺めてきた。そんな彼も老齢の域に達し引退を決意する。
殺しから足を洗った彼だが、顔なじみの少女が男から虐待を受けていることを知り、彼は自分の「正義」のために男を抹殺する。しかしその男はベルファストで血の金曜日事件を起こしたIRA暫定派のリーダー、デランの弟だった。
弟を殺された彼女はフィンバーをつけ狙う。テロ行為を続ける彼らにとって市民をも巻き込むテロ行為はアイルランドの真の統一を目指すための戦いでありそれは彼らにとっての「正義」だった。そして愛する弟を殺されたデランにとって復讐のための戦いもまた彼女自身の「正義」であった。
殺しに慣れ切っていたフィンバーにとって邪魔な人間を葬り去るのはたやすかった。彼はそれだけ殺しに慣れていてその方法があらゆる難問を解決するのに手っ取り早い方法だった。
初めから法的手段に頼っていれば村を巻き込んでの危機を回避できたはずだが彼には安易な殺しという方法しか思いつかなかったのだ。それが結局は彼の愛する人々を危険にさらすこととなってしまう。自分が犯してきた罪、その罪に浸りきった故に繰り返された過ち。彼はそんな過ちに満ちた人生に終止符を打つために最後の戦いへと向かう。
共に自分が「正義」と信じて犯してきた「罪」。その罪をまるであがなうかのように対決の舞台に臨む両者。その約束の地であるバーで両者が相まみえた時戦いの火ぶたはきって落とされた。
まるでその様はかつて悪事の限りを尽くしてきたイーストウッド演じる無法者のガンマンとたとえ秩序を守るためとはいえ己の正義のために暴君のようなふるまいをするジーン・ハックマン演じる保安官との対決を思わせる。
村で唯一のバーにはフィンバーの顔なじみが揃っていた。そこには友人でもある警察官のビンセントの姿も。
戦いの中でフィンバーはビンセントにその正体を知られてしまう。しかしこの戦いはこのグレンコルムキルでの生活を捨て去る覚悟で臨んだ戦いでありもはや未練はなかった。
銃弾を受け手負いとなったデランがたどり着いたのは懺悔の地である聖コロンバ教会を思わせる建物。そこでフィンバーはまるで懺悔を受け入れるかのように先に逝く彼女を最後まで看取るのだった。
そして彼もまた贖罪のために安住の地であったグレンコラムキルの地を自ら去るのだった。まるで「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフのように。
北アイルランド出身者であり、かつてIRA(アイルランド共和軍)のリーダであるマイケル・コリンズを演じたリーアム・ニーソンが今回はそのIRAから分派した過激派組織IRA暫定派を葬り去るという内容はまるで長く続いたアイルランド独立問題に自ら終止符を打つかのような内容でただの西部劇風エンタメ作品とは違う奥深さを感じさせた。
タイトルとポスターに違和感
昨日はアマで今日はプロ!
アマの方は。。まぁアマでいい。
けどコレ「プロフェッショナル」
あのキービジュアル、
「俺を怒らせるな」のキャッチコピー、
ハードボイルド・アクションと謳っておりますが。。
看板に偽りあり!
ちがうちがうそうじゃな〜い。
んじゃないでしょうか??
改めてフライヤーも見ているんですけども。。
すごい積極的じゃないですか?w
でも違いましたよねぇ消極的だったわ。。
原題のままだと内容に添いすぎる為か、配慮したのだと思うのですが、いかんせん。。
リーアム・ニーソンでこのタイトルにあのキービジュアルなんだもん。
悪党をバッタバッタと成敗する、ド派手なハードボイルド・アクションを期待しちゃったじゃないですカァ〜(°▽°)
だからちょっとびっくらポン。
とはいえリーアム・ニーソン大好き。
友達に"枯れ専"なの?!と言われて自分でもえっ?!って驚いた事があるのですがw
まぁファザコンだしおじさんおじいちゃん大好きなんでw
フィンバーと警察官ビンセントとの距離感、おじ友関係とか萌える。
(キアラン・ハインズさんコットンテールのお父さん!)
良い枯れっぷり(褒めてます)のリーアム・ニーソンが、あの表情で、母国、北アイルランドの地に立っているだけで、何だか成立してしまう。
それだけで格式高い作品に仕上がる不思議、いぶし銀リーアム・ニーソンの存在感。
人生の酸いも甘いも噛み分けてきた今のニーソンだからこそ、この味わいが生まれるのだと思いました。
そして昨年、アクション作品からは身を引くと発言していたニーソンですから、そう、フィンバーと重なるんです泣
リーアム・ニーソンが、自身のキャリアの集大成として選んだ作品というのも頷けます。
舞台は1974年北アイルランド。
雄大で美しい自然、切りたつ岸壁に打ち寄せる波が印象的だ。
そこにある小さな田舎町。
人々の娯楽といえば、20人程で店内がいっぱいになりそうな小さなパブで、酒を呑みバイオリン演奏に合わせて踊る事。
子供達のラグビーの大会が町唯一のイベントか。
そこでひっそりと暮らす妻を亡くした退役軍人フィンバー(リーアム・ニーソン)
周囲の人から見た彼は物静かで控えめな読書家。
しかし真の姿は依頼を受けて人を殺す暗殺者だった。。
これから殺す人間に自らが入る穴を掘らせる。
タイマーセット。
「1分やる。言いたいことを言え。祈ってもいい」
それがフィンバーの流儀。
何度そんな事を繰り返して来たのだろう。
墓石変わりの木の苗木が無数に植えられている。。
だが、苦悩と葛藤、後悔、罪の意識、様々な感情が見て取れるフィンバーの姿から、積極的に仕事をしているのではないと伝わってくる。
の、だが、、
一見するとあの流儀も、これから死んでいく人物に対する施しのように見えたけど、自らの罪と向き合いたくない現れなんじゃないかと私には思えた。
神の教えに反する事をしているのに赦しを乞うているように見えた。
「あんたも死ぬ前に良い事をしろよ。
時間は有限じゃない」
自らの過去を捨て去り、穏やかに暮らす事を望み引退を決意したフィンバーだったが、そんな矢先、ベルファストで子供を巻き込むテロを行ったIRA過激派メンバーが街に逃げ込んでくる。。
そしてやっぱり
「俺を怒らせるな」案件発生!
簡単に引退させてはくれない。
仕方なく!IRAと対峙する事に。。
背景にある70年代の北アイルランドの抱える問題や北アイルランド紛争、アイルランド独立を巡り内戦やテロ行為を行って来た武装組織IRAについて詳しく知っていると、より興味深く観られると思いました。
又、作中でもキーアイテムとなる
ドストエフスキー「罪と罰」が出てきますが、本作も正に、罪と向き合う贖罪がテーマでした。
そして、革命の大義を唱えるIRAリーダー・デラン(ケリー・コンドン)の思想も、そちらの視点から見れば、行っている事は正義なわけで。。
(勿論過激な行動と思想ですが)
かたや少女や町の人を守るためという大義で、IRAと戦う事になるフィンバーも自身は暗殺者なわけで、、
(こちらの手口もなかなか残酷です)
宗教の違いから派生する問題も難しいですよね。。
IRAというアンタッチャブルな題材を扱った事にもチャレンジ精神を感じます。
原題「聖者と罪人の土地で」
"聖人にも過去があり、罪人にも未来がある"
監督はそここそが本作のメッセージだと語っていました。
フィンバーの全てを悟るも、穏やかに見送る隣人女性との関係性が良かった。
そしてフィンバーからビンセントへの粋なさよならも。。
フィンバーはどこへ向かうのか。
新たな地が彼にとって安住の地になる事を願わずにはいられない。。
背景が背景なだけに、なかなか深くて難しく、考えがまとまりません(T . T)
だけど、映画は歴史を学び直すきっかけになる。
今からでも知りたい、もっと深く観られるようになりたいです。
「オッペンハイマー」「ノーアザーランド」でもそう感じて、自分なりに勉強し、考えるようになりました。
(結果ただだだ辛くなっただけだけど。。)
バイオリニストの彼のセリフ
「戦いはもうたくさんだ」
とても重い言葉でした。
Potager
リーアム・ニーソンが銃を持ったビジュアルを見ると脳が考えることをやめて「見に行こう!」という気分にさせられるのは毎度のことです。
この週は謎にアクション映画が多くて嬉しい悲鳴が響き渡っています。
ただ中身は全然アクションしてくれない…薄味な銃撃戦と人間ドラマの作品で好きではなかったです。
原題が邦題と全然違うので何かしら捻ってるんだろうなとは思いましたが、「アマチュア」公開週にぶつけるのは戦略としては有りだけど観客には不親切だなと思いました。
これだけ銃を観客に向けたポスターをしているのに、アクションはバーの中で起こったり、道の真ん中で起こったりととても地味。
ド派手さを求めすぎたってのもあるんですが、あまりにも動かなさすぎて退屈でした。
テロリストの残虐さはしっかり表現されていましたが、爆発をやっている割にはどうにもショボく映ってしまい、テロリストたちも情緒不安定なので見ていてイラつかされます。
一転して人間ドラマとして見ると興味深いところがあり、警官と軽く賭けをやって楽しんでいたり、庭を作りたいからと引退をそそのかしつつも、実はお隣の女性に惚れていて近づこうとするという可愛げがあり、ご飯を食べたり、庭の知識について共有し合ったりと優しい老後を過ごしていて微笑ましいので、テロリストの方々はお帰りください案件でした。
元殺し屋のマーフィーの元へ幾度も幾度もやってくる悪人たちを葬る様子は面白く、葬る前に穴を掘らせて、1分間猶予を与えて遺言を言わせてから銃弾でぶち抜くスタイルで、その穴を埋めたのちに木の苗を植えて育てるといったユーモアもあり、でもよく見たら結構な数の木が生えているので、どんだけ殺したんすかという気分になりました。
リーアム・ニーソンが最高なイケおじなのは今作でも健在で、やっぱこの人にはまだまだアクションやり続けて欲しいなと思いました。
全体的なキャラクターの個性はしっかり出ており、それ故にテロリストたちが弱く映ってしまっていたのが残念でした。
ロケーションも壮大という言葉が似合う広大な土地で、そこでじんわり広げられる人間ドラマは良かったんですが、いかんせん沸点低めのテロリストと沸点低めの元殺し屋がドンパチし合うので街中が大変なことになるのはなんだか良くも悪くも哀愁が漂っていました。
邦題でやらかしてしまっているタイプの作品で、「愛を耕すひと」くらいしっとりしたポスターでやってくれたらまだギャップを感じずに観れたのになと思いました。
鑑賞日 4/11
鑑賞時間 13:40〜15:40
座席 F-17
『善き人』であろとする常人のハードボイルドストーリー
けっこう好き。
ジョン・ウィックやイコライザーのような『舐めてた相手が実は殺人マシンでした』系映画を期待して観ると肩透かしを食らう。
老境に差し掛かった殺し屋リーアム・ニーソンが、仕留めたターゲットの最後の言葉をきっかけに、殺し屋を引退し『善き人』として生きようとしたタイミングで、IRAの爆破テロリスト四人が村に逃亡してくる。
テロリスト四人の内、一番チンピラ臭い若者が食料調達のついでに村の少女を虐待しているのを知ったものだから、『善き人』として生きる生きる決意をしたリーアム・ニーソンは虐待を止めるために殺し屋として対応するが、そのせいでチンピラの実姉でテロリストのリーダーの女性を刺激してしまう。
登場人物誰も超絶な戦闘スキルなど持っていないし、話のスケールも小さい。
リーアム・ニーソンが所属していた殺し屋組織?は仲介業者と常勤とアルバイトが一人づつ位の規模だが「実際に殺し屋とか居たとしても、この位のスケールなんじゃないか?」という感じはする。
IRAテロリスト側(主にリーダーの女性)はチンピラに毛が生えた程度で、非道ではあるが情を持ち合わせている一面も垣間見せる。
そんな両者で、リーアム・ニーソンが『善き人』になろうとした行動をきっかけに、いざこざが起こり、次第に事が大きくなってしまう様子が、70年代のアイルランドの田舎を舞台に大変地味(渋いとも言える)に展開していく。
殺人を解決手段に使ったせいで(思い返せば、あのチンピラはボコボコにする程度に留めておけば、それで済んだんじゃ…)、事態が悪化するというあらましはジョン・ウィックやイコライザーに似ているが、ジョン・ウィックやロバート・マッコールのような超人ではない常人には、悪化した事態を速やかに収束させる力などなく、翻弄されながらも食らいついて解決するしかない。代償を払うハメになっても。
殺し屋引退前から既に地元に馴染んでいる様子のリーアム・ニーソンのスローライフとアイルランドの田舎の穏やかな風景が良かった分、地元を去らなければならなくなるラストは哀愁を誘う。(自業自得なんだが)
失敗しながらも『善き人』であろとする常人のハードボイルドストーリーとして、けっこう良い出来だったと思います。
「仕事(殺し)の流儀」
観終わってまず思ったのは作品の「邦題」
同日公開の「アマチュア」とNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル仕事の流儀」を意識した(チラシに「殺しの流儀」)のでしょうがちょっとモヤッと(笑)
作品としてはリーアム兄さんがリーアム爺さんとなってアクション控えめの人間ドラマに
充分に楽しめましたがラストはもっとスッキリ終わって欲しかった気がします
若い後継者には生きていて欲しかったです
邦題を変えましょう
予告で気になってたので鑑賞!
1970年代の北アイルランド。
血塗られた過去を捨て去りたいと願う暗殺者フィンバー・マーフィーは、正体を隠し、海辺の田舎町で静かに生きていた。
だが、引退を決意した矢先、凄惨な爆破事件を起こしたアイルランド共和軍(IRA)の過激派が町に逃げ込んでくる。
さらに、ある出来事が彼の怒りに火をつけ、テロリストとの殺るか殺られるかの壮絶な戦いが幕を開ける。
避けられぬ宿命に導かれるように、フィンバーは過去に決着をつけるため、最後の死闘に身を投じる――。
というのがあらすじ!
観て思ったのが邦題は全然あってないと思いましたね笑
引退してそこまでキレキレの動きじゃないしプロフェッショナルという感じじゃない
ベテランという感じ…?
その分はらはらした展開で面白かったです!
ビンセントも勘がいいし爆弾に気づいて運び出そうとするも頭殴られて奪われるしはらはらしましたね
そしてケビンが…
若干のフラグは立ってたけど戻ってくるとはね…
しかも依頼者と嘘言ったら速攻でお腹を撃たれたし…
もしかしたら助かるかもとか思ってたら頭をね
戻ってくるからこんなことに…
最初はなんか調子者の嫌なやつだなと思ってたらいつのまにか憎めないキャラになってた笑
あとビンセントも隣人の女性もなんとなくどんな仕事をしてたか気づいてる感じでしたね!
そして全く関係ないのですがアイルランドって左側通行で右ハンドルなんだ〜って思いました笑
個人的には楽しめました!
でも邦題がちょっと違うかなと思ったのでそこは直してほしいですね
タイトルでの先入観がちょっとあったので…笑
面白い映画をありがとうございました😊
「罪と罰」
1970年代、近所の子でもあり行きつけのバーの娘、幼い少女モヤに虐待する親戚のオジを許せず暗殺を計画し暗殺したことで巻き起こる元暗殺業のフィンバー・マーフィーの話。
殺った相手は首都ベルファストで爆破テロを起こした過激派グループの1人、そのグループ内にいる姉が弟が帰ってこないと気づき、…後に殺されたと知り…。
ストーリーはドシンプルで分かりやすく面白い、町外れにある村の風景もいい、個人的には大筋のテロリストとのバトルも面白かったけど近隣女性・リタとの絡み、リタ邸で振る舞われた食事、その食事の席でのセリフ「食事どう?」「最高、食事相手も最高!」と気の効いたセリフが好き!国内作品だとこんな気の効いたセリフって見ないから印象的。
同業の後輩ケビン、同年代の警官との関係性も含め良かったし面白かった。最近のリーアム・ニーソンさんの作品では1番好きかも。
聖人と罪人の島にて
リーアム・ニーソン主演作ということが鑑賞動機。
他の方も書かれているが、邦題が作品にあっていない。
そのまま和訳した邦題にすると的を射たものになる。
IRAにとっての正義の行動たる爆破テロから物語は始まるが
ここでボスのデランが子どもが巻き添えを食わないように
行動するところが、この後の彼女の思考・行動の考察に
深みを与えていた。
要はIRAの正義のためなら人殺しも厭わないが、
そこに関係ない人の殺害は正義ではないというのが、
彼女の判断軸なのだと思う。
それはラストまで一貫していたように感じた。
主役のティンバーの本屋兼殺し屋という設定も良いし、
自らの罪を償うためなのか、殺し屋を引退して
庭づくりを頑張るという決断も渋い。
いかにもニーソンが演じるキャラっぽくて期待通り。
加えて、同業の若者ケビンの将来を気にかけたり、
友人の警察官ビンセントとの仲の良さだったり、
お隣さんとのほのかな恋愛模様があったり、
島の人々との関係性が丁寧に描かれているところも
本作を味わい深いものにしていると思う。
IRAメンバーとの対決を終え、
デランの死を見届け&弟と同じ場所へ埋葬し、
島を後にする主人公はかっこよかった。
※デランが最期を迎えた教会の中のビジュアルは
すごくよかった。
全般的な映像の印象は、
『イニシェリン島の精霊』に似ている。
同じアイルランドだからだと思うが、実に画面の質感が
よかった。
いまだに宗教の考え方の相違が生んだ戦争はなくならない
が、人を殺すのはどう考えても正義ではないと思う。
観客はニーソンと同年代と思しき先輩方がほとんど。
男性多し。
しかしご夫妻で鑑賞されている方でお茶の間のように
おしゃべりされていたのは残念極まりなかった😭
現代の西部劇‼️
この作品は往年のハリウッドのアクション映画の香りがしますね‼️1974年のアイルランドを舞台にしてることもあるんでしょうけど‼️ある平和な町に悪党どもが流れつく。その町で暮らしていた元殺し屋の男は、町のため、世話になった人のため、悪党どもを倒し、どこかへと去っていく・・・‼️このおおまかなあらすじだけ見ると、まさしく西部劇‼️北アイルランドという舞台、アイルランド紛争という世相を反映した現代の西部劇‼️世話になってる隣人の女性、可愛がってる近所の女の子みたいなシチュエーションもミョーに西部劇っぽいし、クライマックスの舞台が酒場と教会というのもそうですよね‼️生意気だった若い殺し屋がなかなか見どころがあるみたいな‼️好きだなぁ、こういう味‼️リーアム・ニーソンくらいですね、初老のガンマンじゃないですが、こういう役が現在のハリウッドで出来るのは‼️ホントに楽しませてもらいました‼️
【"聖人と罪人の島に来た人たちの夫々の罪と罰を描いた劇シブ映画。”リーアム・ニーソン父さんの渋みある声と、荒涼とした北アイルランドを背景にした人生の重みを感じさせる演技に更に磨きがかかっています。】
ー リーアム・ニーソン主演の映画は「アンノウン」以降、全て映画館で観ている。その後「96時間」シリーズを別媒体で観ており、多分主演作は全て観ていると思う。
何が言いたいかというと、私はリーアム・ニーソンのファンなんだよ!という事をアピールしているのである。(ここで、何人のファンが居るんだとか、言わないように。)-
■1970年代、北アイルランドの小さな町。フィンバー(リーアム・ニーソン)は、表向き書籍業と言いながら、裏ではロバート(コルム・ミーニイ)の依頼で暗殺業を続けていた。だが、若い頃に人殺しをしていた今では町の功労者の男を殺した事を切っ掛けに足を洗う事を決意する。
そこに、ベルファストで子ども3人を含めた爆弾テロを起こしたデラン(ケリー・コンドン)をリーダーとしたアイルランド独立を目指すIRAの過激派3人が逃げ込んで来る。デランの弟カーティスは身を寄せているバーを経営している遠い親戚であるシングルマザーの家に入り浸るが、そこの幼い娘に虐待をしている事を知ったフィンバーは、ロバートに彼の暗殺を自ら依頼し、若き暗殺者ケビン(ジャック・グリーソン)と実行する。
◆感想
・劇シブ映画である。
北アイルランドの荒涼とした土地や、地元の心優しき人達、隣人のガーデニングに精を出すリタや、警官のビンセント(キアラン・ハインズ)との交流のシーンなどでの柔らかい微笑みの中、妻マーガレットを戦時中に失った寂しさも漂わせるフィンバーを演じるリーアム・ニーソンの大スクリーンに映る姿を”これが、最後かもしれないな・・。”と感傷的になりながら、観賞する。(駄洒落ではない。)
・そこに現れたIRAのデランの弟カーティスが、フィンバーの小さな友人を虐待していると知った時に、彼の怒りは静かに燃え上がるのである。
■今作が趣深いのは、北アイルランドの地元民に溶け込んでいたフィンバーが、彼らに害を成すと思われる異物IRAの連中を排除する気持ちになる過程が、キチンと描かれているからである。
地元民が愛する黒ビールを出すアイリッシュバー。射撃の腕を競う警官のビンセントとの絆。ガーデニングについて教えてくれる隣人リタ。彼女に振舞って貰う夕食とその際の会話。フィンバーにとって、全てが大切なモノなのである。
そして、序盤は静的トーンで始まるが、中後半は動的トーンで繰り広げられるフィンバーとケビンが、IRAデランをリーダーとした3人と対峙していく起伏ある過程も良い。
デランは、弟失踪の鍵を知ると思われるロバートの家に、ノック無く入り込み彼を射殺。フィンバーはそれを知り、IRAの3人と対峙していくのである。
・デランがフィンバーの家を訪れ、彼の車を叩き壊し、問い詰める隣人リタを殴り倒す姿を遠くで見ていたフィンバーとケビン。
大胆にもラグビーの観戦中に現れたデランに指名されたパブ内での駆け引きからの、”サンフランシスコに行け、まともに生きろ”とフィンバーが指示したケビンは、いつものように笑いながらカウンターにやって来て、デランを挑発し起こる激しい銃撃戦。転がる爆薬。
そして、瀕死の重傷を負ったデランは、教会に行きフィンバーは止めを刺さずにその最後を見届けるのである。
<今作品は、ラストも良い。島を出るフィンバーに対し”本当は書籍業じゃないんだろ。”と言う警官のビンセントのパトロールカーの中に置かれた包み。
それを開けると出て来たのは「罪と罰」であり、中には賭けの際の札が一枚挟まっているのである。
今作は、リーアム・ニーソンの渋みある声と、荒涼とした北アイルランドを背景にした人生の重みを感じさせる演技に更に磨きがかかっている作品なのである。>
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