「京都の怖さを感じる人もいれば、まどかの怖さを感じる人もいると思う」ぶぶ漬けどうどす Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
京都の怖さを感じる人もいれば、まどかの怖さを感じる人もいると思う
2025.6.6 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(96分、G)
京都文化に憧れを抱くフリーライターが馴染もうと奮闘する様子を描いたサイコスリラーコメディ映画
監督は冨永昌敬
脚本はアサダアツシ
物語は、東京でフリーライターをしているまどか(深川麻衣)が、京都の老舗の扇子屋の倅・真里央(大友律)と結婚し、自身のエッセイのために京都にやってくるところから紡がれる
真里央の実家は450年の伝統があり、今の店主・達雄(松尾貴史)が13代目となっていた
14代目を真里央が継ぐと思っていたまどかだったが、彼にその気はなく、実家に彼女を送り届けたその足で「仕事がある」と言って帰ってしまった
まどかはそのまま澁澤家に泊まることになり、取材を続けていくことになる
そんな中で、女将の環(室井滋)の友人たちが店を訪れ、その様子をもネタにしていくまどか
「洛中女将さん会」と勝手に命名したまどかだったが、それが女将さんたちの逆鱗にふれてしまう
呼び出されて文句を言われ、怖くなったまどかは、環の女将仲間の梓(片岡礼子)に相談を持ちかける
梓は話半分にからかいも含めて京都人の作法とやらを伝えていく
そして、まどかは彼女の目的を知らぬままに動いてしまい、さらに環を怒らせてしまうのである
映画は、外から見た京都人のイメージというものを映像化した作品になっていて、徐々に京都人に感化されていくまどかが描かれていく
いわゆる「エセっぽくなっていく過程」を描いていて、それは「根本の部分で京都に対する理想を具現化しようとしているから」とも言える
京都人の本音と外の人が思う京都には大きな隔たりがあって、日常を観光にために捧げなくてはならないという憂鬱さというものがある
そう言った気苦労の部分を見せない文化というものがあって、それを外から見るとこのように見えてしまうとも言えるのではないだろうか
いずれにせよ、いくらか京都人の私からすると、感覚的にはホラーテイストで、片岡礼子が後ろに立っている構図はなんとも表現し難い怖さがあった
京都の文化を守りたい人もいれば、鬱陶しいと思っている人もいるのも事実で、形骸化した理想の押し付けが地元の人を苦しめている側面もあると思う
映画では、徐々に腹の底が見えなくなるまどかが描かれていて、莉子が描く漫画もおどろおどろしくなってしまうのだが、それがまどかの進行度を描いているのは面白い
また、莉子も徐々にまどかに感化されている部分があって、違う方向にエスカレートするの怖い部分がある
目的意識が先にあって、蔑ろにしている部分を素通りしていくのだが、それこそが最も嫌われる行動というのは京都に限ったものではないだろう
それに対して、どのようにな反応をするのかというところに地域性があると思うのだが、言葉が返ってくる間はまだマシなんじゃないかなあ、と思ってしまった
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