ファンファーレ!ふたつの音のレビュー・感想・評価
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『ラベル』の〔ボレロ〕は、本作のような使い方でこそ生きて来る
世界的に名を知られている指揮者にして作曲家の
『ティボ(バンジャマン・ラヴェルネ)』が白血病に倒れる。
ドナーを探すうちに、自身が養子であること、
血の繋がった実の弟がいることが判る。
弟の『ジミー(ピエール・ロタン)』は
別の家族の養子となっていたが、
葛藤の末に骨髄の提供を承諾する。
一旦の完解を得た『ティボ』は
礼に訪れた弟の家で、
彼が素人楽団でトロンボーンを吹いていることを知る。
今度は兄が助ける番。
次々と襲い掛かる楽団の難局に、
共に知恵を出し、立ち向かっていくのだが・・・・。
{音楽映画}に駄作無しと個人的には思っている。
とりわけオーケストラをモチーフとした群像劇は
成功確率が高いよう。
一方、個人に焦点を絞ったものでは、
直近の〔ボレロ 永遠の旋律(2024年)〕のように
不完全燃焼な一本が多い。
同作では〔ボレロ〕完成までの過程を描くものの、
初演のカタルシスに対し、
作曲までの長時間の呻吟や強い懊悩が前に出過ぎ、
陰鬱な空気に貫かれてしまう難。
一方本作は、ある意味で王道を行くもので、
ラストのシークエンスでは感涙がこみ上げて来る。
団員たちが、これほど暖かい表情で演奏する一曲を
嘗て観た記憶がないほど。
ちなみにその楽曲こそ、
先に挙げられた『ラベル』の〔ボレロ〕。
もっとも中途の過程では、
選曲の変遷を含め、
観る側の事前予想を
(良い意味で)ことごとく裏切ってくれるのだが。
プロの指揮者である兄が、
素人たちにどれだけ丁寧に教えても、
使用言語が異なることで伝わらないもどかしさ。
たまたま養子に貰われた家庭の格差が
その後の人生に大きく影響する皮肉。
斜陽産業である鉱山を母体とした楽団が、
企業や行政に見放されて行く世情。
一波乱二波乱どころか、
三つも四つも新たな展開を用意し、
最後は予定調和の大団円に収める脚本の妙が素晴らしい。
一軒、多幸感のあるファンタジーにも取れるが、
舞台となったフランスでは
「黄色いベスト運動」に象徴されるように
格差は拡大をしているよう。
話中でも、炭鉱が閉鎖されたことにより
多くの失業者の生活に影が落ちるエピソードも示される。
資本家や官憲に対するレジスタンスは、
必ずしも強硬な姿勢ばかりではなく、
ソフィスティケートされた手法でも
十分に人心に訴えることを本作では見せてくれる。
違う人生を”奏でた“兄弟のクライマックス
素敵な兄弟
兄弟でありながら異なる運命を歩んできた2人。
世界的な指揮者である兄、片や…寂れた田舎で燻っている弟…すべてが正反対。
けれど2人のただ一つの共通点は"音楽"
ものすごく"ベタ"であるけど、またそれが良かった。
フランス田舎の共同体ゆえの楽しさと煩わしさ、フランスっぽいなと思うようなデモだったり、ほんのりとある生きづらさも映画では垣間見えて面白かった。
共通点の音楽が離れて生きてきた兄弟の絆をどんどん強くしていき、最後、ラヴェルの「ボレロ」が心温まる人間関係を優しく紡いでいてさ、
結局様々な問題が解決しないし、明るく終わる作品ではないけれど、不思議な勇気がもらえた。
クラシック音楽が心地よく、また天気も秋晴れだったから尚更ハートフルに思えた映画だった。
エグモント序曲とボレロで、ふるえた。
【”人生のボレロ。そして生き別れだった兄弟の絆の芽生え。”今作は白血病になった世界的指揮者が、生き分かれになっていた弟と出会い、兄弟が夫々の人生のボレロを歩む姿を描いたムネアツな物語である。】
ー ラヴェルの世界的名曲”ボレロ”は劇中でも触れられるが、彼が工場を見学に行った際に、その機械的でリズムの乱れなき所にヒントを得て作られた曲である。この過程は「ボレロ 永遠の旋律」で詳細に描かれている。-
■世界的指揮者のティボ(バンジャマン・ラベルネ)は、オーケストラの指揮をしている際に倒れ、白血病と診断される。
妹に骨髄提供をして貰うが、血縁関係が無い事を知り、ドナーを探す過程で自分が幼い時に生母と別れた養子であり、生き別れた実の弟ジミー(ピエール・ロタン)が居る事を知り、彼に会いに行く。
ジミーは寂れた炭鉱の町で、給食の配膳係をしつつ、炭坑会社の仲間達とおんぼろオーケストラでトロンボーンを担当していたのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・オーケストラの映画に外れなし、と私は思っているが、今作もそうであった。但し、オンボロオーケストラが陽の光を浴びる「ブラス!」(この映画も炭鉱夫たちのオーケストラの話であった。)とは、ラストが異なるが粋なラストであり、且つムネアツであった。
・ティボとジミーが、環境は違えど音楽を愛し、その交流の過程でティボがジミーが”絶対音感”を持つ男と見抜いて、ジミーに新しいトロンボーンを贈り、ジミーも立派なオーケストラの一員になろうと、懸命に練習をするシーンからの、厳しい現実にぶち当たるジミーが荒れるシーン。
それでも、ティボは忙しい中、素っ気ない態度を取るジミーの所により、運河の川べりでビールを飲みながら語り合い、最後は二人ともベロベロに酔っ払うシーンなど、楽しい。
・ティボはジミーに、空席になった指揮者の指導をするが、上手くいかない。だが、その過程でジミーはティボの苦労と偉大さを知るのである。
・ジミーに思いを寄せる楽団の女性エリーゼとの恋や、ジミーがティボに自分が育ったアパートに連れて行き、別れた妻との娘と会わせるシーンなども良いのだな。
若い頃から音楽漬けだったティボが、初めて実の弟とゆっくりと話しをする時の、リラックスした嬉しそうな顔。
■ティボは斜陽の炭坑会社のオーケストラを立て直すために、自ら吹奏楽と合唱を組み合わせたボレロを編曲し、炭坑会社のオーケストラの仲間達も、最初は半信半疑だが最後は彼に付いて行こうとする。
だが、実はティボの骨髄移植は上手くは行ってはおらず、彼の体調は良くない。
病を抱えたティボがオーケストラを指揮し、見事に演奏を終えた時に万雷の拍手が起こり、深々と客席に頭を下げる疲労困憊のティボの姿。
だが、その時に、客席からボレロの”トン、トトトン”のリズムが起こるがのである。まるで、ティボを勇気づけるように・・。
ティボが驚いて振り返ると、客席にはジミーが指揮を執る炭坑会社のオーケストラの面々が正装をして、ボレロを合唱しているのである。
それに合わせて、ティボが指揮を執るオーケストラは、管弦楽でボレロを演奏するのである。正にティボが編曲した吹奏楽と合唱を組み合わせたボレロが、大観衆の中で奏でられ、観客たちも席を立ち、ボレロを口ずさんで行くのである。
その姿を見たティボは目に涙を浮かべながらその風景を見渡すのである。勿論その視線の先にはジミーが指揮を執る姿があるのである。
<今作は白血病になった世界的指揮者が、生き分かれになっていた弟と出会い、兄弟が夫々の人生のボレロを歩むムネアツな物語なのである。>
映画館の音響で聴く、生オーケストラの臨場感
音楽はとても素敵でした。
音楽の力で、生き別れた兄弟の心の距離が次第に縮まっていく・・・この映画は、音楽の持つそんな魅力を伝えているのだと感じました。
ただ、いくつかのエピソードがやや中途半端に思えました。それがフランス流なのかな?結果的に、映画にそこまで没入できなかったです。
ラストのオチを見据えて、逆算的にストーリーを構築しているような気がします。
一致したのは骨髄だけでない兄弟の絆
お互いに兄弟がいることを知らずに育った二人の絆を描く、フランスらしい人情ドラマで、こう言う話にヨワイです。白血病になった世界的指揮者が骨髄ドナーを探すうちに生き別れたお父さんがいることがわかり、ドナーになってもらうまでが、なんと10分くらいと言う展開の速さにビックリ。やがて弟が絶対音感を持っていることが分かり、彼自身いまの生活から脱却しようとするお話しと、工場閉鎖に伴う地元の楽団の話が中盤からの展開だけど、ちょっと散漫で中弛み感があります。また、指揮者と育ての母や妹とのその後の関係も、あいまいな感じです。それでも、音楽を通じて人々や兄弟が一体になっていくのは、観て聴いていて面白く、最後の掟破りのようなセッションはとても気分がいいです。役者では、バンジャマン・ラベルネが地味だけど落ち着いた指揮者振りがいい感じです。途中からリリー,フランキーに見えてくるけど。弟役のピエール・ロッタンは、『秋が来るとき』での演技がよかったけど、今回はもう少し複雑な心境をうまく演じていました。
楽団が楽しそうだった
世界中を飛び回るスター指揮者のティボは、指揮の途中で倒れ、白血病と診断された。ドナーを探す中で、自分が養子であること、そして生き別れた弟・ジミーがいることを知り、骨髄移植をしてもらった。ジミーは、炭鉱の寂れた町の食堂で働きながら、仲間と吹奏楽団を楽しみに暮らしていた。育った環境も性格もまったく異なるティボとジミーだったが、ティボはジミーが絶対音感を持ち、類まれな才能を持っていることを知った。ティボは弟のジミーを何がなんでも応援することを決意し・・・さてどうなる、という話。
兄弟がバラバラになった経緯もよくわかったし、両方とも音楽の才能が有った、という設定も良かった。
音楽は演奏を聴くのも良かったし、楽団員がみんな楽しそうだった。
兄が海に入ってくシーンは残念だった。
ロン・カーターは気持ち高い
暴走クレッシェンド
白血病になった37歳の世界的に有名な指揮者が、生き別れた弟の存在を知り交流する話。
妹に骨髄ドナーになれるか検査をしてもらったら血縁無し、からの母親を問い詰めたら弟がいる!?となって、ドナーになって貰うべく弟を訪ねて巻き起こっていく。
存在すら知らなかった兄貴が突然訪ねて来た上に、裕福な家で育った兄貴に戸惑うジミーちゃんだったけど、初登場のシーンからイケメンぶりは伝わってきたしと言う事で、あれよあれよと骨髄移植は終了し、ここからが本題ですね。
慎ましくも楽しく暮らす弟の音楽の趣味や才能に喜び気にかけていくティボが、多忙な中で弟を訪ねて彼やその仲間と交流してというストーリーで、ちゃんと兄弟になっていく感じはとても良かったのだけれど…海からの行で…えっ!?
そこからのラストは愉しいし心地良いしでまた良かったけれど、それで終わらせるなら海とその後の工場はいらないんじゃね?
と感じてしまった。
シリアスを抑えた笑って泣ける映画
サブタイトルの意味
エンドロールの楽曲は「Valse Pour Thibaut(ティボへの円舞曲)」でした
2025.9.20 字幕 MOVIX京都
2024年のフランス映画(103分、G)
白血病を患った名指揮者と初対面の実弟との関わりを描いたヒューマンドラマ
監督はエマニュエル・クールコル
脚本はエマニュエル・クールコル&イレーヌ・ミュスカリ
原題は『En fanfare』で「ファンファーレ」、英題は『The Marching Band』で「管弦楽団」という意味
物語の舞台は、フランスのムーボン
世界的に著名な指揮者であるティボ・デゾルモ(バンジャマン・ラベルネ)は、ある日の練習にて体調不良で倒れてしまった
診断の結果は急性白血病というもので、治療のためにはドナーが必要だった
妹のローズ(Mathilde Counrol-Rozes)に検査を受けてもらうものの、主治医のロレンス医師(Annette Loecay)からは不適合だと言われ、さらにDNAも兄妹を示すものはなかったと言われてしまった
母(Ludmila Mikael)に問いただすと、生後間も無く養子に出たと言い、さらに弟がいるという
そこでティボは、弟のジミー(ピエール・ロッタン)を訪ねて、田舎町に向かうことになった
ジミーは、ティボとの対面に戸惑いを見せるものの、彼の養母クロディーヌ(クレマンス・マサール)のアドバイスを受けてドナーになることになった
そして半年後、病気を克服したティボは、ジミーの元にお礼を言いに尋ねることになったのである
物語は、ジミーの友人サブリナ(サラ・スコ)の提言によって、ティボがジミーを教えることになり、その指導風景が描かれていく
ジミーは絶対音感の持ち主で、それは遺伝的なものではなく、幼少期の父の影響だった
彼の秘密の部屋にはびっしりと名盤がコレクションされていて、音楽に関する造詣も深かった
ティボはジミーに才能があると感じていて、プロ仕様のトロンボーンを贈ったりするのだが、彼は勘違いをして、リールにあるオーケストラのオーディションを受けてしまう
そこでレベルの差を見せつけられたジミーは塞ぎ込むようになり、そのマインドを引きずったままコンクールを迎えてしまい、そこで大失態を演じてしまうのである
ジミーは兄の存在を感じて、自分の今の境遇を恥じていく
そして「何でもできる」という言葉を鵜呑みにして無謀な挑戦をしていく
彼自身は変わりたい、現状を変えたいと焦るのだが、努力の階段を知っているティボの目線とは違った景色を見ている
ジミーは境遇を「当たりくじ」と言ってしまうのだが、そう思わざるを得ない日常もある
それらの突破口として「ボレロ」が登場するのだが、それは意外な形で観客の耳に届くことになるのである
映画は、エンドロール後に曲がぶつ切りになってしまうのだが、これが意図的なのかどうかはわからない
だが、ティボの予後とジミーの未来を考えるならば、そこには予期せぬ意図があるように思える
それは、白血病の予後不良として描かれるティボは、真のアンコールの途中で倒れてしまったのではないか、という懸念である
「ボレロ」が飛び入り参加のワランコール炭坑楽団の送辞であり、ラストの楽曲はティボのアンサーにも思える
そうして紡がれた楽曲は予期せぬところで終わりを遂げてしまうことを考えると、深読みをせざるを得ないのではないだろうか
いずれにせよ、そのような意図があろうがなかろうが余韻を壊すというのは現実に起こっている
工場の問題に関しても、ティボがテレビへの出演をしたことを機に市長側が強硬策に出たようにも思えてくる
結局のところ、ジミーはこれまでの生活を一新する必要があり、それもティボを頼らないという覚悟が必要となっていた
サブリナとの新しい生活を始めるとしても、彼には相応の覚悟が必要となっていて、そういった現実的なものへの回帰というものを強いているように感じた
なので、後味の悪さというものには、何らかの意味があったのかなと思った
よかった、よかった☺️
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