ナイトフラワー : 特集
【これは決して希望をあきらめない“究極の愛”の物語】
“大切なもの”のためならどこまでも頑張れる。
たとえそれが、どれほど危険な選択だとしても…
北川景子の全身全霊の熱演が魂を揺さぶる衝撃の感動作
気がついたら、涙があふれていた。

日本アカデミー賞作品賞を受賞し話題になった「ミッドナイトスワン」の内田英治監督が、「ミッドナイトスワン」の脚本執筆中に思い浮かんだという本作。監督自ら〈真夜中シリーズ〉と銘打つ「ナイトフラワー」は一体どんな作品なのか――。
主人公は、2人の子どもを1人で育てる母親・夏希。昼は働き、夜はドラッグの売人になるという“ギリギリの選択”をする彼女の物語は、「ただ泣ける」でもなければ、「問題提起」だけでもありません。

人は、誰かのためにどれだけ頑張れるのでしょうか? 本作を観たあと、あなたの「大切な人に会いたくなる」かもしれません。「気がついたら、涙が流れている」かもしれません。
「ナイトフラワー」を実際に観た感想をお伝えします。北川景子らの壮絶な熱演、希望をつかみとる“家族”の切実な物語――。
【予告編】幸せを求めて暴走する、感涙のヒューマンサスペンス!
●筆者紹介

【心の奥、さらに深くまで響く“衝撃”】
夫は多額の借金を残していなくなった。二児を抱える夏希は、子どもの夢をかなえるために、ドラッグの売人になった――。

本作、まず物語があまりにも衝撃的――まるで鈍器で殴られるようなショックが潜んでいるのです。

借金取りに追われ、2人子どもを抱えて東京へ逃げてきた夏希(演:北川景子)は、昼夜を問わず必死に働きながらも、明日食べるものにさえ困る生活を送っていた。
ある日、夜の街で偶然ドラッグの密売現場に遭遇し、子どもたちのために自らもドラッグの売人になることを決意する。
しかし、夜の街のルールを何も知らない夏希。一帯を支配する密売組織に目をつけられてしまう。そんななか、格闘家の多摩恵(演:森田望智)が声をかけ、ボディガード役を買って出る。
「守ってやるよ」
順調に売り捌いていく夏希と多摩恵。暮らし向きは徐々に楽になり、子どもたちに好きなものをたらふく食べさせてあげられる生活にもなってきた。
ところが、ドラッグを売った女子大生の死をきっかけに、2人の運命は思わぬ方向へ狂い出す――。
【衝撃の先にあったのは、人生を強く揺るがす“感動”】
彼女たちのささやかな生活、希望の日々。強く生きる姿が途方もなく輝いて見え、涙があふれてとまらない。

予告とあらすじから物語の“エグみ”はわかったかと思います。しかし、本作はただ衝撃的なだけではないからこそ、心にいつまでも残り続けるのです。
夏希とその子どもたちが暮らす、ささやかな部屋。満たされない切実な日々、だからこそ、ふと訪れる何気ない幸福が、輝いて見えてしかたない。
触れるその手のぬくもりや、響き渡る子どもたちの笑い声が、この上なく尊く感じられる――。

構えていたはずなのに涙が流れてしまう。それも、気づかないうちに。
心のどこかが音もなく崩れて、胸からアツいものが込み上げ、涙としてとめどなくあふれる、そんな感覚があったのです。

本作は、ただ「つらいね」で終わる作品ではありません。それぞれの置かれた場所で、自分なりの幸せをみつけ、大切な人を思う気持ちが伝わってくる。震えるほどの衝撃ののちに、“それでも希望はある”と信じさせてくれる感動が訪れることを、声を大にして伝えたいです。
【これは私のための映画だった――とめどない“共感”が全身に流れ込む】
“悩んでいるのは、あなただけじゃない”…そう語りかけ、抱きすくめてくれる、そんな気がした124分間。

そしてさらにさらに強く伝えたいのが、映画を観ているあいだ、何度も「これは私だ」と共感したことです。
こんなシーンがあります。督促状に占領されたテーブルに座り、疲れ果て、それでも山積みの家事・育児をこなさなければならない夏希。幼い息子が、突然「餃子食べたい」とぐずり始めます。

理由を説明しても「餃子食べたい」と引かない息子。声がどんどん大きくなる。あれもこれもやらなきゃいけないのに。誰も助けてくれないのに。
この瞬間の北川景子に、筆者は意識が根こそぎ持っていかれるくらい共感しました。まさに同じ状況になったことがある。一度ではなく何度も。そして怒鳴った後にハッとして、夏希と同じように、泣きながら謝りながら、子どもを抱きしめたことも。

この映画がすごいのは、そんな“光景”を責めていないように感じたことです。うまく言えないけれど、「大丈夫。悩んでいるのはあなただけじゃない」、そう肯定してくれるような、不思議と救われるような瞬間が度々やってくるのです。
筆者は親として“刺さり”ましたが、きっとあらゆる立場の人が、この映画の誰かに自分を重ねられる。それは親としてかもしれないし、夏希の娘や息子にかもしれないし、多摩恵のように誰かを支える人かもしれない。もしくは、大切な人を幸せにできないもどかしさを抱えた海(演:佐久間大介)かもしれない。
「ナイトフラワー」は物語のなかに「自分がいる」と思わせてくれる。私はずっと、こんな映画を待っていたのだと思います。
【この2人の奇跡の関係性に、ただただ“憧れる”】
夏希と多摩恵、偶然の出会いで生まれる絆。心から分かり合える、支え合える――私にもこういう人がいたらいいのに。

北川景子演じる夏希と、森田望智扮する多摩恵の関係性も、本作の“他の作品にはない”魅力のひとつです。
ひょんなことから出会い、金銭的・打算的なつながりで始まったはずの2人ですが、やがて多摩恵はただのボディガードでなくなり、夏希もただの依頼者ではなくなっていく……
互いが互いを支え合い、ゆっくりと、しかし確実に本物の絆を育み、ひとつの“家族”になる。その過程があまりにも感動的で、心が揺さぶられっぱなしでした。

ちなみに北川景子と森田望智は、内田監督の演出により、撮影が始まるまで一切会わなかったそう。
ゆえに生まれるリアリティが、最初はぎこちなかった関係性の成長を、まるごと一緒に体験している気分にさせてくれ、まさに言葉にはできない感情を引き起こしてくれます。
私にもこういう人がいてくれたら。鑑賞中、そう思ったことは一度や二度ではありませんでした。
【“演技”も“演出”も、息をのむほど“圧倒的”】
予想はしていた。でも、まさかここまでとは…もしもあなたが"全身全霊"を味わいたいなら、本作を観るしかないと思う。

どうあっても、本作は出演陣の“壮絶な熱演なし”に語れません。
笑顔、愛情、涙、怒声――主演・北川景子が美しさや清潔感、イメージのすべてを脱ぎ捨てて、“1人の人間”として物語のなかで“本気で生きていた”。「なんとしても伝えたいことがある」という生半可ではない覚悟もほとばしり、息を呑む名演で観客の度肝を抜き続けます。

そして、そんな北川に並ぶ存在感を放つのが、格闘家・多摩恵役の森田望智でした。
本作のために半年のトレーニングで7kg増量した彼女ですが、たくましさ以上に、“優しさ”が強く印象に残っています。
夏希と出会った最初の日、多摩恵が、夏希の娘がつくったケチャップライスを頬張るシーン。夏希の手料理だと思い「具、入ってないんだ」とからかいますが、夏希の娘が作ったことを知ると一拍おいて、「うんま」とつぶやき、俄然、食べ進めるスピードが上がるのです。
「うんま」のたった3文字だけで、多摩恵がどういう人間なのかをすべて表現した、細かすぎるけれどあまりに素晴らしい名シーン――!

佐久間大介もまた、温かさと不器用さが同居する役柄で、人生の大抵はうまくいかないものだけれど、それでも人は、誰かの支えになれることを、熱演を通じて教えてくれます。

そしてさらに、「SUPER BEAVER」の渋谷龍太の狂気と色気がないまぜになったあの存在感は、まさに圧倒的(これで映画初出演というからなんとまあ……今後、大ブレイクしそうです)。
そんな俳優陣の力量が、日本アカデミー賞最優秀作品賞「ミッドナイトスワン」の内田英治監督による張り詰めた演出や、「セリフや音楽で伝えすぎない」バランス感により最大化されるがゆえに、この“魂が震える体験”を生み出しているのでしょう。
観る前から期待はしていました。しかし、これほどまでとは……すべての芝居に体温があり、すべての瞬間に意味があった。“全身全霊の芝居”を味わいたい人は、本作を観るほかないのだと、筆者は思います。
【本当にいい映画を観た…この“余韻”は非常識】
自分は大切な人のためにどこまでできる? 考え、行動が変わる…この映画は、観た後もずっと続く。

いかがでしょうか? 本作が“ただごとではない作品”なのだとご理解いただけたかと思います。
しかし、それだけではありません。本当に考えさせられて、持ち帰れるものが大量にあり、心の大切な部分にずっとい続けてくれるゆえ、「ナイトフラワー」はいち早く観てほしいのです――。

たとえば、夏希が昼夜を問わずがむしゃらに家事・育児・仕事と努力し、命の危険をおかしてまで奮闘する姿を観て、「どうしてこんなことに……」と圧倒される一方で、「自分だったら、ここまでできるだろうか?」と思案していることに気がつきました。
果ては「ドラッグを売って得たお金で誰かを幸福にすることなどできるのか?」など、さまざまなことに思いをめぐらせる。
そうして、本作の感動は“ただの感動”にとどまらず、思考や行動を変えるほどの影響を及ぼす――エンドロールが終わっても、この映画はずっと続く。私はそう信じています。
【最後に】このラストに、あなたは何を思うでしょう――。

ここまで書いてきて、まだうまく言葉にできないことが、いくつもあります。
少なくない切実なシーンの一方で、それでも温かくて、希望に満ちたシーンのなんと素晴らしいことか。本作を「こういう映画です」とまとめることもできますが、けれど、それは正しいことではない、そんな気もするのです。
内田英治監督は、数々の取材で「僕は昼に生きる人々よりも、夜に生きる人々に興味を示してしまう。僕のイメージ的には『ミッドナイトスワン』の凪沙(草彅剛)と夏希は、同じ東京の同じ深夜の時間帯に生きている陽の当たらないキャラクターとして描きました」と、思いを込めて語っています。
やがて訪れるラストシーン。
大げさに聞こえるかもしれませんが、あの光景を、私はきっと忘れられないと思います。
みなさんはどう思うでしょうか――。






