俺ではない炎上のレビュー・感想・評価
全99件中、81~99件目を表示
ポップに宣伝してるけど中身は本格サスペンス‼︎
これはほんとにすごい
全世代の人に刺さるし、現代社会を生きるすべての日本人に観て欲しいです
自分は幼い頃からすでにスマートフォンが普及していたので炎上などの怖さは体に沁みついていると思います
でもやっぱりこういう映画を観ると改めて便利な反面怖いなと感じます
そう感じるのもこの映画が、
ネットの怖さ、そして、
主人公が理不尽な目に遭うことを悲劇的にしっかりと描いているからだと思います
前半のそれぞれの世代感での衝突や、認識のズレなどはどこの世代の人が観ても、
「こういう人いるいる」となる場面があるのでは⁇
そこの作り方が絶妙です
SNSでの炎上の怖さだけを描くのではなくて、SNSに出る人間の本性や、現代社会を生きる人の心の中にまで深く踏み込んだ展開になっていて、そこも様々な世代の人に刺さりそうな気がします
若い世代の人に向けた部分も多いため、
宣伝をポップな感じにしているのもかなり納得です
最後のミスリードの種明かしや、真犯人などのエンタメ要素も凄く強くて面白い
真犯人の動機も皮肉が効いていて
少し胸が締め付けられます
現代的なアプローチでの逃走劇は新鮮で緊張感があるし、最後のミスリードの種明かしや、真犯人の展開はサスペンスミステリーとしても衝撃的で面白かった‼︎
自分の正義で突っ走るなというメッセージ?
SNSで殺人事件の犯人と間違えられた会社員の逃亡劇?
身に覚えのないの罪で
写真や個人情報をさらされることになり
さらに自宅で死体を発見したことによってパニックになって逃走をしてしまう
実は主人公は古いタイプの人間なので
身に覚えのないとしても
行動が他人から煙たがられている
恨まれていないかというと実はそうでもない感じ
SNS炎上でスケールがでかい事件のように感じるが
あまり車を使っていないので殺人事件のスケールは小さいのでそのギャップがある
クライマックスはSNSはほとんど関係ない気がする
「私人逮捕系配信者」とか現代の風潮とマッチしている人物がでてきたりする
あと、一般人なのにSNSで犯人と疑われているからといって
写真撮影をしてSNSに投稿する人が多すぎる
主人公には娘がいるが小さいころ(2013年ごろ)の場面が挟まれており
現代と錯覚させる場面がある
そこにも主人公がでてくるところがあるが
10年くらいの時間が経っているのに
まったく歳を取っていないように見えるので
阿部寛さんがやっていると悪くないが無理があるように感じる
真犯人は取引先の若手社員で
被害者が出会い系で美人局をやっていたらしく制裁が動機
主人公は過去に娘に体罰をしたことによって、次いでに制裁という感じらしい
過去編で主人公の家のパソコンを使ったことからSNS工作はできたらしい
でも、SNSは自動入力、カギとパスワードはわかっているといっても
わざわざ家に忍び込んでやったのかと思ってしまう
娘が被害者の女子大生とのつながりはよくわからないまま終わった
友人らしいが、出会い系のことは知っていたのかわからない
本作のメッセージは
「自分の正義感で突っ走るな」「過ちを認める」
という感じに思えたが現代人には難しそう
映像ならではの表現
原作未読のまま鑑賞。
アカウントの内容から明らかに身内が作成したものだろうと思っていたが、途中で乗っ取られている、という展開に。
また犯人も恐らく子供かその友達だろう、と思っていたが、だとすればこの年齢の子が大人を2人も殺害したり、マッチングアプリに登録できるはずがないので大人の協力者がいる、と思ってたら子役はまさかの子供時代だった、という、時系列を入れ替える映像ならではのトリックはイニシエーションラブを思い出した。キーワードの馴染ませ方はミステリーとしてワクワクした。
テーマとして老害や今どきの若者の描き方、他責思考の現代へのメッセージ性など、全世代に皮肉を散らばせているのは、観客はこの映画を見ても自分のことではないと他責に考えるだろうから気分は悪くならないだろう、という目論見なのか。だとしたらその考えが皮肉そのもの、と感じた。
タイトルなし(ネタバレ)
原作未読で観ました。
ストーリーも綺麗にまとめられていて分かりやすく良かったと思います。
芦田愛菜さんの演技に惹き込まれました。
同じ言葉を繰り返すシーンでもトーンが異なり別のセリフに聞こえ、素晴らしかったです。
また、長尾謙杜くんの演技も素晴らしかったです。
目、表情の演技に惹き込まれました。
少し拙いシーンもありましたが、後半~クライマックスの追い上げは良かったです。
食い気味でのセリフ回し、闇を抱える、歪んだ正義感が上手く表されていたと思います。
ずっと騙されていました……
映画が始まってから、いえ、映画の宣伝期からずっと、騙されていたのかもしれない。
全体を通して場面の切り替わりが神がかっていました。
切り替わる直前の出来事と切り替わった直後の出来事に何かしら繋がりがあり、巧みでした。場面が切り替わっても違和感を感じさせない作りになっていたと思います。
ずっとナツミだと思っていた女の子がサクラの少女時代だと気づいた時、そして傍にいた男の子(旧姓何でしたっけ、次見た時に注意深く聞いてみよう)が青江だと気づいた時、あ、騙された、と思いました。
でもそれは見抜けなかった悔しさではなく、ずっと違う世界線にいたサクラたちとナツミの世界の点と点が繋がったような、スッキリした気持ちです。
“自分は悪くない”と責任のなすりつけ合いをするような大人になりたくないと誓い、純粋な正義感に溢れていた男の子(お父さんが捕まったのってこの後でしたっけ、そこら辺も曖昧なままだなぁ)が、おそらくお父さんの事件からじていた正義が歪み始め、今の青江に繋がってしまった。(こうやってお父さんの事件がきっかけかもしれないと決めつけるように言及してしまっている私も、もしかしたらSNSを、言葉を、正しく使えていないのかもしれない。)
取調室で「僕は悪くない」と言った青江を見て、ああ、青江はいつから変わってしまったんだろう、と思いました。
この事件を担当していたおそらくベテランの刑事さんが取調室の横で「俺たちは悪くないよ」と言った時、ぞっとしました。
そして、私はこんな風になっていないかな、と考えさせられました。
スミショーの正義は、少年時代ただただ純粋な少年だった青江と重なる部分があり、それにもぞっとしたな........。
自分のしたことを悔いたであろうスミショーのラストの姿は、青江が歩むはずだった今のようにも感じました。
青江の中に、何が混ざって、何を変えてしまったんだろう。
炎が上がってからの長尾謙杜くんの演技にはずっと震え上がっていました。
車に乗り込んだシーンから、あれ、もしかして...と思い始め、サクラが「お父さん!!!」と叫んだところから全ての謎が明かされていくあの、
「?????何が起きてる?????どういうこと?????」
な展開、最高に面白かったです。
取調室の狂気が見え隠れする長尾くんの演技、本当に怖かった。
怖かった、というのがポイントだと思うんです。
殺人犯役を心の底から怖いと思えるのって、それ相応の演技力がないと成立しないと思うんですよ。
これは恐ろしいことです。
長尾くんの今後の俳優人生の末恐ろしさも感じました。
まさかの、まさかの、です。本当に。
“俺は悪くない”から"俺が悪い”へ。
最後の山縣家の姿が、私の、私たちの今後あるべき姿だと感じました。
人を疑う前にまず自分を。
私は?
本当にちゃんと、SNSを、言葉を、行動を、コントロールできているのか。
余談
ここ最近良作に出会いすぎてちょっと怖い..........この作品も想像の数倍面白かった。
「俺は悪くない」の連鎖が生む地獄絵図
最初から最後まで「俺は悪くない」という言い訳の応酬。主人公の山縣泰介(阿部寛)は、SNSで殺人犯に仕立て上げられ、「俺は悪くない」と必死に逃げ回る。しかしその叫びは冤罪の抗弁であると同時に、家族に対する小さな不誠実から目を逸らす言い訳でもある。この作品の巧みさは、「俺は悪くない」という言葉を、登場人物すべての口から吐かせ、それぞれに異なる意味を背負わせている点。
とりわけ象徴的なのが、最初にデマをリツイートした住吉初羽馬(藤原大祐)。彼は「僕は悪くない」と平然と言い放ち、罪の意識もなければ自省もない。彼のキャラクターは普段から「社会が悪い」「自分にはチャンスがない」と停滞の言い訳ばかりを繰り返す若者として描かれる。要は、彼は無自覚に他人を傷つける加害者であると同時に、被害者の衣をまとって停滞を正当化する世代の化身。炎上に群がる匿名の大衆心理の縮図が、彼一人の口から露骨に語られる。
この映画は構造自体も「誤認」を観客に体験させる仕掛けになっている。夏実の小学生時代のシーンと、現在の“サクラ”の描写を交互に見せることで、観客は無意識に同じ時間軸の話と信じ込んでしまう。これは、SNS炎上が断片的な情報を勝手に繋ぎ合わせ、都合の良い「真実」を捏造していくプロセスそのものだ。まさに「俺は悪くない」と言い張る社会の縮図を、観客自身に追体験させる構造である。
また、本作で注目すべきは、炎上の恐怖そのものよりも、泰介が「他人が自分をどう見ているのか」を土壇場になって初めて突きつけられた瞬間。彼自身は「家族のために必死に働く、普通の中年男」と思い込んでいた。しかし周囲の評価はまるで違った──。自己評価と他者評価の乖離に直面したとき、彼は初めて自分が信じてきた“俺は悪くない”の脆さに気づき、愕然とする。
なお、作品としての粗さが気になる点もあった。
3人目の被害者「砂倉紗枝」と娘の山縣夏実/サクラ(芦田愛菜)の関係について、「からにえなくさの家」の死体描写で具体的な映像や台詞はなく、臭いのリアクションだけで“察せ”という不親切な演出に留まったこともあり、山縣夏実をマッチングアプリで美人局をしていた1人と誤認したままエンドロールを迎えた観客も少なくないのではないだろうか?
また、山縣泰介が弁護士に相談する合理的なルートが存在しないのも、寓話性を優先した結果だろうが不自然さは残る。SNS描写に関しても、その程度のリツイート数で社会現象化するか?とやや誇張が大きいのも、リテラシーの高い観客ほど冷めてしまう。寓話としての社会批評性は強いが、ミステリーやサスペンスとしての完成度は甘い。
『俺ではない炎上』は、サスペンスや叙述トリックの技巧を楽しむ作品というよりも、「俺は悪くない」と言い張り続ける人間たちの不毛さを突きつける寓話である。ラストに責任を分かち合う山縣家の姿は例外的な救済に過ぎず、大半の“住吉”は責任を認めないまま去って行く。観客に突きつけられる問いは、「お前は本当に大丈夫か。お前も“俺は悪くない”で他人を追い込んでいないか」という不快な自省。スクリーンを観終えた後に残るのは、炎上の恐怖よりも、自分が社会の中でどう評価されているかを知らないことへの戦慄である。
阿部寛の演技が面白い秀逸なミステリー
キャストから真犯人を予想してしまう自分の癖で
見事に犯人を当ててしまった。。
この先入観ありきの見方はよくないなと思うものの、
ただ、そこにいきつくまでのプロセスは予想できていない
ので、ミステリーとして充分楽しめるのだ。
かなり無理のある冤罪事件だが、
実際、阿部寛演じる山縣泰介の身になって想像すると、
実に恐ろしい。実際こんなことがあってもおかしくない
と思わせる、そんな臨場感があった。
とにかく逃げる阿部寛の演技が面白い。
本人の身になってみたら、たまったもんじゃないが、
ここにコミカルさがあるのが救い。
特に逃亡中における浜野謙太演じる塩見との会話で、
よもや自分に恨みをもっている人間なんていないだろうと
露ほどにも疑っていない泰介の認識が覆されるところが
ハイライトだ。
芦田愛菜が登場してからは、過去と現在が入り混じる展開
となるが、ここは謎解き&真犯人の解像度を上げるための
エピソードだったりして、
芦田愛菜の啖呵をきるシーンは実に見応えあり。
本当に言われたら泣くレベル(笑)
SNS上や泰介の義母の豹変ぶりに、
人って実にいい加減で、世論にすぐに流されちゃうことを
皮肉たっぷりに描いていて笑いが出てしまう。
ラストでは、
自分にベクトルを向ける人と他人にベクトルを向ける人が
対比して描かれているが、これが本作の根底にある
メッセージとして受け止めた。
全て人のせいにして、自分は悪くないという人。
これでは周囲との関係性がうまくいくはずないと思う。
期待はさほどしていなかったが、
なかなかに楽しめる秀逸なミステリーであった。
マルマルモリモリ‼️❓逢えるかなー‼️❓
脚本が悪いのかな、SNSと殺人が噛み合わない、逃げる動機もなんだかこじつけだし、犯人の動機も深掘りしないから共感も無いし、感慨も無い。それより、時系列を錯綜させても、芦田愛菜の幼少期と顔がまるで違うから、そりゃわかんないよ、そのせいだよ、顔が似てたらすぐわかるレベルですよ、無理筋だよ。子供を一晩中狭い倉庫に閉じ込めたら、死ぬよ普通。何より、こんなに悪い独りよがりの五十過ぎが、愛されないし、反省するわけない。
なんだか後味だけが悪い映画でした、残念。
最近センター分けしてる若手俳優さんの見分けがつかないとです・・・
原作未読。
時間軸を頻繁に入れ替えるストーリー展開って間違いなく映像の方が効果的に伝えられると思うのだが、逆に文章でどのように表現しているのかは俄然興味が湧いた。
一方、主人公の行動が全く共感ができなかったことは非常に残念に思った。
警察に通報せず逃げ続ける事でその先で遭遇する人達との絡みが増え物語に厚みは出るのは確かだろうが、明確な理由がなくただ冷静さを失ったという理由のみで逃げるというのはあまりにも安易で、主人公が大人として良識の無い人間であるという事をただ強調するだけになってしまった。
(上半身着るものがなくなってしまう事を承知でガケを降りたのも理解不能でした)
阿部寛は逃亡しても目立ち過ぎちゃってドラマとは言え気の毒に思った。
反則なくらい全く似ても似つかない子役を使った事も功を奏し自分はしっかりと騙された。
ただ犯人の尋常じゃない執念やここまでの人生の中でもっと正さないといけない人に会わなかったという不自然さにはさすがに無理を感じた。
SNSの功罪を問う話の一つだけど、現実はあんな簡単には元に戻らないと言うところを本当にクローズアップして欲しいと思う。
自分が悪かったことは、認めて謝罪し反省する、それは敗北ではありません。
やつは、子供のころに聞いたPWを使って山縣家に入り、そこからツィートしていたってことですか、怖っ!
全く身に覚えがないのにある日突然SNSで殺人事件の犯人に仕立て上げられプライバシーを暴かれ日本中から追われる身になるのは恐ろしいがそういう展開は想定済。
でも、今時警察までが証拠もないのに犯人と決めつけるってあり得うるのか(と思いながらもつい最近でも大川原化工機事件などあったわ)、それに、「ツィートはずっと山縣家のルーターを経由してされている」と言われてどういう意味か分からないから考慮から除外って、仕事できない捜査員だわ、詳しくは分からなくても山縣家から発信されているくらいは見当つきそう。だからいい年でもヒラなんだろう。
山縣家の物置から新たな死体が発見されたところからサスペンスモードが強くなる。
どうして入れることができたのか(山縣家に入れる?)、犯人の目的は何か。謎解きががぜん面白くなるが、動機や理由を推理する前に犯人そのものはすぐわかってしまう。やつが芦田愛菜ちゃんの顔見たとたんに意味ありげに表情変えたところで確定です。
時間が交錯するので仕組みが分かるまでは謎多し。
絶対自分は悪くない人、世の中に溢れてますね。自爆するならすればいいが、うかうかしているとこちらに責任転嫁されることがあるので、そういう人には警戒と自衛は怠りませんが、社会で生きていくのは大変です。
まあ何度も同じ失敗しても反省しない人は信用されないからそれなりに処遇されるけど、それすら自分は悪くない他人が周囲が悪い、と考えるからずっとそれなり。自業自得なんだけど。
自分が悪かったことは、認めて謝罪し反省する。それは敗北ではない、前進ですね。
それから、いわゆる「正義厨」、ネットで培養され増殖してそうです。
アパートの一室で何人も手にかけたような、自分の異常な嗜好を勝手な正義感に結び付けて正当化し殺人鬼と化すパターンも、正義厨のバリエーションと考えられそう。
被害者も加害者も闇世界の住人のようだが、SNSでお手軽にマッチングでき、お手軽に犯罪ができてしまう世の中なのだ。
ツッコミどころは多々あるが面白かった。
アベちゃんが、いつもながら良い。
基本彫が深い長身の二枚目なのに、ちょっと胡散臭くかなり嫌な奴っぽく、大真面目ぶりがコミカルで全体として高感度高めになるのが絶妙な味だといつも思っています。
犯人がすぐ予想できた
原作がおもしろかったし好きな役者さん阿部寛さんが主演なので期待していましたが…犯人がすぐ予想できてしまい、予想がついても面白かったと思える程のストーリー性、演技ではなかったのが残念です。また、SNSでアイドルのファン?の方達の騒ぎを目にして犯人であることが一目瞭然だったのも見る前に萎えてしまった要因です(よくわからないですがアカデミー賞がとれる、見たい彼が見られるはちょっと…作品を利用しないで欲しいですね)
俳優さんの演技対決期待してたから残念でした。
ツッコミどころもありつつもなかなか良かった
まさに今の時代を反映させたような題材の作品。
初っ端の段階で会社も誰も主人公を信じようとも守ろうとしないのは酷すぎだしちょっとありえなくない?って感じでしたがまあそこはそういうものとして見ましたが(笑)
流れ的にはサクサクとテンポよく進んでいくので見やすいと思います。登場人物があまりいないのですがそれぞれ何者なのかよくわからないまま進んでいき最終的にいろんなとこが繋がったり判明したり解決したりしていく流れは見ていて面白かったです。
犯人に関しても最初にこいつだろって思って、やっぱり違うのかな?と、思ったらやっぱりこいつかい!って感じでまあまあそれも良かったかな。
内容とは関係ないけど阿部寛さんと夏川さんが夫婦役ってのは某ドラマが好きな自分としてはなんともニヤニヤしちゃう感じでした。
それと芦田愛菜ちゃんはとっても可愛くなりましたね。あと長尾君は去年あたりに出てた時代劇の作品ではちょっと演技力がまだまだだなと思ってましたが今作で見たらなかなか良くなってきたのではないかと思います。なので今後に期待です!
そんな感じで特別などんでん返し的なものはないけどなかなかに楽しめるエンタメ作品だったかと個人的には思います!
ま、サブスクで見るでも全然いいような感じはしますけどね。
話に違和感
叙述トリックや炎上の拡散など、個々の要素はそれなりに描けていた。
ただSNSが炎上し自宅の物置から死体が発見された時点で、警察に身柄を預けるのが最善策であろう。
それなのに逃走劇へ突入するという物語の主軸には最後まで違和感を覚えた。
制作側もそれを自覚しているのか、エピローグでSNSの書き込みによる「なぜ逃げた?」という言い訳めいた補足を入れている。
また阿部演じる山縣に対する周囲からの評価が散々なものとして中盤で描かれるが、実際にはそこまで酷い人間には見えず、このくだり自体が必要だったのか疑問に思った。
この手の人物をリアルに描きすぎると「とっとと捕まれクソ野郎」としか思わなくなり、話の切り口自体を根本的に変えなきゃいけなくなるのだが。
終盤で山縣が自殺を図ろうとする展開についても理解が追いつかなかった。娘が犯人だと誤解したから?
総じて「つまらなくはない」が、他に面白い映画が上映されている時期にあえて足を運ぶほどではなかった、というのが個人的な感想になる。
コメディとしても、ミステリーとしても、中途半端て弾けない
身に覚えがないのに殺人犯扱いされ、個人情報を晒される主人公の理不尽な姿にしても、不確実な情報を鵜呑みにして、独善的な正義で個人を糾弾するネット民達の無責任な姿にしても、どこかステレオタイプで、特段、目新しさを感じることはなかった。
ただ、自分が、無意識のうちに他人に不愉快な思いをさせていたり、自覚がないのに他人から嫌われていたことを、始めて知った主人公の姿を見ていると、「自分もそうかもしれない」と思われて、何だか身につまされてしまった。おそらく、主人公は、「察しが悪い」と語る妻の本音にも気付いていないのだろう。
序盤は、そんな主人公が巻き込まれる騒動に、「どうなるのだろう?」と引き込まれるが、主人公が、自宅の物置で死体を発見した時に、警察に通報せずに逃げる様子には、「逃げたら、益々疑われるのに」と大きな違和感を覚えざるを得なかった。
主人公が、「アカウントは削除できない」と言われただけで、警察を信用できなくなったとは考えにくいし、差出人不明の怪しげな手紙に「逃げ切ってほしい」と書かれていたことを、鵜呑みにするほど思慮が浅いとも思えない。
主人公が「逃亡者」になるところは、ストーリー上、最も重要な展開であると言っても過言ではないのだが、そこのところに説得力が感じられないのは、物語として致命的なのではないだろうか?
同様に、主人公が、座標(緯度・経度)を調べるためにスマホを借りたはずなのに、エゴサばかりして、ちっともそれを調べなかったり、男子小学生が、祖母が目撃した怪しい男のことや、その男が落としたメモのことを、警察官の父親と共有しなかったり、警察が、何の裏付けもないのに、主人公のことを殺人犯だと決めつけたり、女子大生やコンテナハウスの販売員が、いとも簡単に主人公の居場所を突き止めたりと、ミステリーとして、杜撰でお粗末だと感じられるところが少なくなかったのも気になった。
「誰が真犯人なのか?」という謎解きにしても、主人公の娘が、物置に閉じ込められた時点で、彼女が事件に関与していることが分かるのだが、小学生の女の子が大人の女性を何人も殺すことは無理だろうから、消去法によって、犯人が1人に絞られてしまう。
ただ、パンフレットの文言を修正するように言われたことが、犯人が主人公を陥れた理由だとすると、動機として、余りにも貧弱なのではないかといぶかっていると、女子小学生と女子大生が同一人物だったという、時間に関する「仕掛け」が明らかになって、ここは、素直に驚かされた。
その一方で、こうした「仕掛け」には、犯行に至る犯人のバックグラウンドが理解できたり、観客を幻惑したりといった効果があると認められるものの、犯人探しのミステリーとしては、本当に必要だったのだろうかという疑問も残る。
犯人や警察が「自分は悪くない」と思い込む一方で、主人公の一家の面々や、最初に犯人の投稿をリツイートした男子大学生が、「自分が悪かった」と反省するラストには、仄かな希望が感じられるものの、度々描かれる「今どきの若いものは」的な若年層批判は鼻につくし、前半の軽妙でコミカルな味わいが、後半になって影を潜め、暗くて重たい話になってしまったことは、残念に思えてならなかった。
原作からの改変が少し残念
原作小説は既読。読んでいて思わずハッとするトリックがとても印象的で、「これをどう映像化するのか」と楽しみに映画を観ました。
肝心のトリック部分は自然な形で描写されていて、途中までは「なるほど」と思わせてくれる仕上がり。
ただ、尺の都合なのか、原作で特に印象深かった展望ラウンジのエピソードが省かれていたのは残念でした。あの場面がないと犯人の動機づけが弱く感じられ、ネタバラシ後の驚きも半減してしまいます。
さらに、原作では好人物として描かれていた彼を犯人にしてしまったのは、どうにも納得できませんでした。
とはいえ映画単体で見れば、テンポよくまとまっていて、ハラハラさせる場面や笑えるやりとりもあり、十分楽しめる作品だったと思います。
後半にやや説教くささが強まったのは気になりましたが。
悪いと認められる強さ。
“たいすけ”というアカウントからツイートされた女性の死体写真を「すみしょー」という若者にリツイートされた事で10万越えのリツイート、で犯人の濡れ衣を着せられちゃうハウスメーカー勤務・山縣泰介の話。
事が起き、部下に俺を恨んでる奴はいないか?と問えば、仕事絡み、家族からも嫌われてる客観視出来ていない泰介、ネット情報を鵜呑みにするアホな輿論に犯人に仕立てられてしまうが…。
ストーリー上の展開に何でこの対応?逃げる!?とツッコミどこは満載だけれど面白い。アカウント名はさくらんぼのサクラちゃん何かある!?何て匂わせながも…ストーリーは進み10年以上の現代と過去の行き来の話を絡ませながらも…。
コンテナハウスですれ違いサクラの顔を見た瞬間に顔の表情を変えた彼、すぐ察せましたよね!あの表情で…てか冒頭であんだけやる気のない彼が、泰介の追い込まれてる状況を楽しんでる様にコンテナハウスで食事を用意してる姿から何か察せちゃった(笑)
とりあえずトランクス一丁にスニーカー姿でぶら下がる泰介の「何やってんだ俺はー」には笑わせてもらった。
矛盾が多すぎて全然腑に落ちない。整合性がない
試写会勢の事前評価が高かったので
楽しみにしていましたが、
ハッキリ言ってなかなか酷い映画でした。
まずなにより話に矛盾点や理解不能な点が多すぎます。
ザックリ箇条書きにすると
・何があっても警察には絶対に頼らないという
物語を成立させるためだけにある謎信念
・位置追跡をされてる訳でもないのになぜかスマホを捨てる
(もちろん話を成立させるため)
・バーの息子が逃亡犯がきたことを警察に通報したが、
そもそも息子は逃亡犯と顔を合わせていない
・親しい部下に刑事を付けているのに
主人公が訪ねる部下には見張りを付けていない
(これも話を成立させるため)
・部下がなぜか自分のではなく、嫁のスマホを差し出す
・あと予告編で↑の部下を訪ねるシーンがあり、
単純にネタバレしてる
・座標を調べたいからスマホを手に入れたのに
一向に座標を調べない主人公
・寒いのに服をロープ代わりにしてパンツ一丁になる主人公
・もう死体を見ても驚きもしなくなる主人公
・ガス爆発を直撃しても無事なタフな主人公親子
(明らかに人がきたと気付いてから着火するのも意味不明)
・意外性もなにもない真犯人、狂人アピールの薄い動機
・最初は主人公を殺す事にこだわり、
父をかばう娘は突き飛ばしたのに
一分後には娘に刃を突き立てようとする真犯人
・犯人の『俺は正義だ』『俺は悪くない』を
ネットの無責任な私刑文化になぞらえたいのはわかるが
『SNSは悪だ』という製作意図が前にですぎていて
ただの頭のおかしいヤツに成り下がっている
ネットやSNSを悪だと言いたいなら
『こんな普通のやつでも知らず知らず考えを歪めている』
ということをもっと表した方が怖いし、
真犯人が歪んだ理由をネットやSNSにした方が納得できる。
・家族が『俺が悪い』『私が悪い』と延々言い合うの
正直見ててキツかった
これがこの映画で散々説教を垂れた挙げ句の
『人としての正解』なのだろうか。
・ラストの『僕が悪いかもしれない』の一文、
あの流れなら『僕が悪い』でいいのに
映画を見ている人にこれまたお説教をするために
『かもしれない』という余計な言葉をつけている
軽く思い出しただけでもこのくらいはあります。
どれもこれもが見てて腑に落ちません。
この映画は、とにもかくにも終始お説教です。
ネット民をはじめ、中高年、若者、親、子、警察にいたるまで
全方位にお説教をするのが見てて相当キツかったです。
特に子供がネットを見て
『僕はこんな大人にならない』と言いだす、
まさかのこどもにまでお説教させる始末。
なによりその説教の内容が
『ネットに不確定な情報を拡散するな』
『SNSの情報は嘘だらけだ』
『おっさんはもっと嫌われてる事を自覚しろ』
『警察は無能だ』
と、ありきたりで薄すぎる。
散々他作品で擦り倒されてる事を説教してる。
どうせ説教を入れるなら
もっと気付かされるような新しい事を言ってほしい。
阿部寛さんと芦田愛菜さんをはじめ、
豪華俳優陣の無駄遣いです。特に阿部寛さんは
『ショウタイムセブン』『キャンドルスティック』と
今年公開の映画がことごとく酷いので
本当に不憫としか言いようがありません。
自分は悪くないと思う人ほど、あなたが悪いと思われているのかもしれません
2025.9.26 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(125分、G)
原作は浅倉秋成の同名小説
突然ネット上で殺人犯に仕立てられた中年を描いたミステリー&スリラー映画
監督は山田篤宏
脚本は林民夫
物語は、日本のとある場所にある大善市(ロケ地は静岡県浜松市)
大帝ハウスの営業部長である山縣泰介(阿部寛)は、部下の野井(板垣俊之)とともにあるトランクルームの内覧に訪れていた
シーケンLIVEという会社が手掛けているトランクルームは、簡素な作りをしているショールームだったが、コンセプトをリゾートとして、生活できるように全てが設置されていた
泰介は自分の思うままに振る舞い、相手の手がけたパンフレットのコピーの手直しなどを要求していた
だが、担当の青江(長尾謙杜)は明確な態度を示さず、泰介はそれが気になっていた
その後、ファミレスで野井と「最近の若者は」という話題になり、ジェネレーションギャップについての苦言をしていると、突然店内にいた若者に写真を撮られてしまう
気味が悪いと思っていた泰介だったが、今度は駐車場でも見知らぬ主婦がスマホのカメラを向けてきた
社に戻った泰介は、そこでも社員から怪訝な顔をされていて、さらに所長(信太昌之)から「自宅待機」を命じられてしまった
その理由は、ネット上で泰介が殺人犯として殺害を投稿していることが拡散されていて、過去の投稿から泰介の身元が特定されていたからだった
投稿に映り込んだものから会社を特定され、背景から場所がネット民にバラされてしまい、個人情報も晒されていた
泰介はアカウントを作った記憶もなく、事件に関しても身に覚えがなかった
また、自宅にも不審な若者が現れていて、やむを得ずに警察に通報をすることになる
訪れた警官からもネットで炎上になっていることを言われ、泰介はやむを得ずにビジネスホテルに逃げ込むしかなかったのである
映画では、ある殺害現場の投稿がなされ、それが大学生の住吉(藤原大佑)によって「リツイート」されて拡散されていた
そんな彼を見つけた大学生の砂倉(芦田愛菜)は彼に近づいて、投稿の事件について調べを進めていく
そして、過去パートとはわからないように、泰介の娘・夏実(丸山明紗)とその友達えばたん(味元耀之)とのやりとりが描かれていた
後半になって、夏実=砂倉であり、えばたん=青江ということがわかるのだが、この演出はとてもうまかったと思う
一応は2013年パートと現代パートということが画面上からはわかるので、察しの良い人には「過去パート」であることがわかるかもしれない
物語は、「謝れない現代人」をテーマにしていて、「身に覚えのないことも実は遠因が自分にある」というテイストで描かれている
とは言え、このような犯罪にリアルで巻き込まれることはほぼないと思う
約10年にも及ぶ計画的な犯行のように思えるが、最終的に事件の解決への糸口となるのがジェネレーションギャップというところが面白い
ら抜き言葉とか、肯定語などの使い方が世代によって違うのだが、それらが捜査の進展へと繋がっていく
それでも、実は「娘が絡んでいるかもしれないから妻(母親)は供述を曲げていた」というものがあって、そこで夫婦間の10年間というものが露見するのも面白い
恨みというものは自然と積み重なっているもので、そこに「自分は正しい」と思い込む若者の台頭によって巻き込まれてしまう
とは言え、誰もが「悪くない」と思っているところがあって、それは「謝罪すると負け」みたいな風潮が作り上げているからなのかもしれない
ラストでは、自分のリツイートによって被害者となった泰介と対面する住吉が描かれるのだが、彼は謝罪をツイートするものの「悪いのは僕かもしれない」という「いまだに自分を守ろうとする言葉」が綴られている
謝れない人のマインドを象徴していて、本質というものは変わらないのだなあと思った
いずれにせよ、ネット上で巻き起こる正義感の成れの果てを描いているのだが、そういったものは実はネット上だけではないことも描かれている
警察の取り調べの際に「抱えてきた恨み」を晴らそうとする部下もいたり、謝らない人は反省もしないという風に描かれている
それらは「謝ること」「非を認めること」がアイデンティティを崩壊させるかのような風潮があるからなのだろう
実際には一過性で喉元過ぎればすぐ忘れられるものもあるし、死ぬまで許さない人もいるだろう
そのような人は「許さないことでアイデンティティを保つ」という特性があるので、それを自身が引き摺る意味もない
自省や謝罪に関しては、起こしたことの問題の大きさに比例すると思うが、そこに心がなければ、取り繕うだけになるというのは世の中の常なのだろう
なので、一部の案件を除いて、心の底から相手(被害者)に対する誠意を見せることと、時間の経過なしには「許さないマインド」が消えることもないのかな、と思った
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