か「」く「」し「」ご「」と「のレビュー・感想・評価
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ポスター上段のキャッチコピーについて思うことなど。
ポスター上段中央のキャチコピーは、
「君の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」
となっている。
ところで、原作には、
「自分の心を押し込めてまで好きな人の幸せを願うパラ」 という部分があり、これに、パラが好きな人はミッキーであること、更にパラは、ミッキーと京がお互いに好きなのに言い出せないでいるのを知っている事の2点を加味し、改めて原作のこの文言を変換して読むと、
「ミッキーのことを好きという心を押し込めてまで、ミッキーの幸せを願うパラ」
というふうに読める。 (原作単行本、エルの章 239頁)、
そして、これがパラの秘密であり、ポスターのキャッチコピーがパラのことを言ってると解釈して読むと、
「君(パラ)の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」 が、とても素晴らしいキャチコピーに思えてきて、確かにこれなら純度100%の涙が溢れ出てきてもおかしくはないな、などと思うのであった。
とても分かりずらくなってしまったが、早いはなしが、
パラはミッキーが好きなのに、その気持ちを押さえてミッキーの幸せを願うなんて、スゲー泣ける話じゃないかという事であるヨ。
実は初めてこのキャチコピーを読んだとき、原作を読んでいた僕は、「 え゙え゙ー、泣くような内容だったっけ ? まー、泣くツボは人それぞれだから、人によっては泣いてもイイけどな」などと思いながらも、確認しようと図書館で借りて久々に読んでみた。
結論としては「わしゃあ泣かないな、心暖まるけどな」であった。
しかし、僕はこの結論を後でくつがえす事になる。ネット検索でパラが好きな人がミッキーだと知ったからだ。
原作を初めて読んだとき、そして今回久々に読んだときも、僕にはパラが好きな人が分からなかった。パラ→ヅカ,パラ→エルは、どちらも100%有り得ない。
そこで今回はネットで調べてみた。
話は脱線するが、
「最近の若いヤツは分からないことが有ると、とにかく正解を欲しがって、自分の頭でじっくり時間をかけて考えることをせずに、すぐネットで正解を探そうとする。そーいったタイパ重視の近頃の傾向はいかがなものか?」なんて非難めいたことは、とても言えた義理ではない。
僕も分からないことが有ると、サッサとネットで正解を探す。
いつの間にかタイパ重視の世間の風潮にスッカリ流されて、もみくちゃにされとるわい。何てコッタイ (^^)。 (脱線終わり)。
話は戻って、
ネット上には、パラ→京 という意見もあったが、僕は違うと思った。更に調べていくうちに、Yahoo!知恵袋かなんかで、パラが好きな人はミッキーだという意見があって、パラ→ミッキーという前提で原作を読み直すと、もうパラ→ミッキー意外には考えられないぐらいミッキー一択である。
で、「パラはミッキーのことが好き」となってくると、「わしゃあ泣かない」という結論もくつがえる。
つまり、パラはミッキーが好きなんだけれども、ミッキーは他の人が好きである。 だからパラはミッキーの幸せのために自分の気持ちを抑えて身を引くという事だ。 えー、これってチョット切なくて泣けない?
まあ、好きな人の幸せのために自分は身を引くってのは、昔っからよくあるパターンで、切なさに泣けてくるってやつである。
そー考えてくると、映画ポスターのキャッチコピー「君の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」ってのも、あながち間違ってもおらんのかな、などと思うのであった。
ドラマやアニメでLGBTQのL(レズビアン)の人が当たり前のように出てくる現在、消去法で残ったミッキーがパラが好きな人という結論にたどり着きそうなもんだが、女子が好きなのは男子だというという僕の思い込みで、パラ → ミッキーは完全スルーだった。
映画では終盤に、パラからの長い矢印が曲がりながらミッキーに行く描写があるから明らかだけど、原作しか読んでない人でパラ→ミッキーにたどり着いた人は少ないように思う。
(ホントはパラ→ミッキーにたどり着けなかったタコ仲間を増やしたいので、そう思おうとしているだけである (^^)。)
蛇足だが映画だけの人は、エルは京に片思いしてるのではとか、ヅカはミッキーが好きなのではと思ってる人が相当いそうな気がする。だけど、未来ではどうなるか分からないが、原作と映画の時点では100パー有り得ない。
このことは、小説をあまり読まない僕でさえ勘違いしようがないぐらいシッカリ原作に書いてある。映画でもエルと京の関係、ヅカとミッキーの関係の設定は改変されてないように思えた。
あと原作のエピローグがらみの部分が映画の後半にあって、ミッキーがパラに鈴を渡す場面で、パラがミッキーをLの世界にお誘い(?)みたいな感じの会話があって、何かニヤっとしてしまった。
「こらこらパラ、イタズラ心を起こすんじゃない。ミッキーと京の幸せを願うんじゃろう?」
ただ、原作でも映画でも抽象的なセリフだし、Lへのお誘いだと言おうと思えば言えるという程度である。
初日に鑑賞したのだが、最初は出口夏希カーイイから来週にでも見に行くかと思っていた。
だが公開2、3日前に、監督・脚本が 「少女は卒業しない」(個人的に天下の名作)、「カランコエの花」 (個人的に映画史に残る不朽の名作)の人だと知って、初日での鑑賞に変更。
いやー、日本映画にまた1つ名作誕生である(個人的に)
これ、能力設定いる?
2025年劇場鑑賞158本目。
エンドロール後座談会特典QRコード表示有り。
チケット取ろうと映画館のサイト見たらタイトルバグってんのか?と思いましたがこれで合ってるということで。
人の気持ちが見える男子高校生が主人公ということで、本来分かるはずのない情報を知ることで色々な問題を解決していくのかな、と思ったら、?とか!とか・・・の色で怒ってるとかが分かるという微妙な能力で、肝心の具体的な事は何も分からないという。それって顔見たら分かることでは?男女5人の青春は面白かったので、本来一番のウリの能力が必然性を感じず邪魔だなぁと思ってしまいました。
あと、一番良くなかったのが終盤ノートに文字を書いてやり取りするシーンがあるのですが、字が薄くて全く読めず、内容が分からないまま話が進んでいくのは致命的でした。モノローグをかぶせてほしかったです。
台詞を見せる作品
もし
こんな素敵な女優さんがいたら、そりゃ映画を撮りたくなるんだろうな
この映画が、こんなに気持ちの良いピュアな爽やかさに溢れているのは、皆んなが持ってるあの力のおかげです。
あの力で他人のことが分かるようになればなるほど、自然と自分の言動についての振り返りにもなるので、あの年代に特有の過剰な自意識をかなりの部分抑えてくれます。
だから、「なんで俺のこと、認めてくれないんだ」という幼い承認欲求からは距離を置いた中で思春期の人間関係が描かれていきます。
その上での主要な5人。
うん、確かにこういうタイプのヤツ、俺のクラスにもいた。
そういうところ、俺と同じじゃん!
そんな感じにかなりのところで、青くて痛い部分はそれほど思い出さずに感情移入できるのです。
出口さんを初めて見たのは、Netflixで配信のドラマ『舞妓さんちのまかないさん』。
森七菜さんとダブル主演。さしたることは起きない、まったくドラマチックでないドラマなのですが、一人ひとりの表情、ひとつひとつのシーンに過剰なものは一切無くて、とても淡白。それでいてそれぞれの想いや感情がストンとこちらの心にも落ちてくるので、視聴者のほうもドラマの人たちと同じように喜んだり、ため息をついたり、笑ったり…
とてもいいドラマでした。
奥平大兼さん観たさに…
これはおとぎ話か?こちらは学生時代3年間部活だけだったぞ!
誰もが「かくしごと」を秘めている
人はみな誰しも胸に「かくしごと」を秘めていて、だから相手の本当の気持ちなんて分からないし、目に見えている姿と本当の姿は違ったりする。
こういう人だと思っていたら全然ちがうなんてことも当然ある。
でも、なんだかんだ人は相手を観察して分析したりするし、聡い人はいるので、自分は隠しているつもりでもだだ漏れだったりするし、自分では隠さなきゃいけないと思っている部分が他人からは魅力に見えることだってある。
そんな、現実世界にもある人間と人間の複雑な関係性を、『人の気持ちが少しだけ記号になって見える』、でも完全な情報(心の声がそのまま聞こえるとか)ではなく断片的なのでその断片情報から考察するしかない、という地味な特殊能力によって可視化して、物語に仕上げられている。
原作だったかコミカライズだったかを読んだことがあり、能力の設定などはぼんやり覚えているものの、個別のキャラ造形や背景や関係性は忘れてしまっているので、どれくらい原作通りなのかは分かりませんが、映像になったことでよりドラマチックに表現されているような気がしました。
正直、恋愛関係の描写のほうはあまり興味がないので、若干眠気と闘いつつ観ましたが、ひたすら明るく天真爛漫に見える人気者キャラが実は普通に不安や自己嫌悪を持っていたり、達観したクールな個性的な魅力あるキャラが内心では負の感情を色々抱えていたり、そういう人間描写は好きなので、面白く鑑賞しました。そうだよね、みんな見たままのキャラなんかじゃないよね、と。
でもヅカくんのキャラはもうちょっと掘り下げが欲しかったな。彼視点だけ少なく、彼の内面や背景が分からなかった、原作には書いてあるのか?とりあえず原作を読み直そうと思います。
あと、主要キャストさんたちの演技がとてもよかった。特にミッキーの出口夏希さん、パラの菊池日菜子さん。
出口さんは『あの花が咲く〜』の千代ちゃん役が同じ女性でも胸を撃ち抜かれるくらい可愛くて健気で涙の演技も良かったので以降気にして出演作を見てましたが、今回の映画もすごくよかった。なんて自然な演技をされるんだろう、本当にこういう子なんじゃないかなと思わされる。これからも楽しみです。
そして菊池さん、初めましてだったのですが、クールでかっこいい容姿も、茶目っ気のある振る舞いの演技もとてもとてもよくて、ひきこまれました。今後お見かけしたらぜひ観たい役者さんです。
愛おしく、優しい作品
早瀬憩と菊池日菜子の魅力全開
あまり食指が進まなかったものの、奥平大兼と早瀬憩が出演するため、
俳優の演技見たさに鑑賞。
ファンタジー設定が実にうまい。
京(奥平大兼)、ミッキー(出口夏希)、ヅカ(佐野昌哉)、パラ(菊池日菜子)、エル(早瀬憩)、
の5人はそれぞれがそれぞれの形で
人の心持ちがわかってしまう能力の持ち主。
この能力があるがゆえに、素直になれなかったりするのだが、
特に京のもじもじして言いたくても言えない感はリアルだ。
せつない立場&演技が冴えたのは、菊池日菜子と早瀬憩だ。
実に難しい役どころであったと思うが、見事に演じ切っていた。
ふたりともこれからが楽しみな俳優だ。
特に早瀬憩は『違国日記』での演技が印象的であったし、いずれ朝ドラ主演も狙えるのではないか。
私個人としては、早瀬憩の能力には憧れるが、これはこれで間違いなくツライ。
こういう能力はない方が幸せに生きれるだろう。
単なる青春ドラマではなく、能力設定と心理描写が巧みなため、私のようなおっさんでも楽しめる。
鑑賞後感も実に良くオススメ。
パッとしない
優しい空気は良いけどなあ・・・。
周囲の人の感情等が「断片的にビジュアル化」できる能力を持つ主人公の、高校時代の青春群像劇?です。
この必要か必要じゃないかって言われたら、面倒くさいので要りません・・・って回答しそうな微妙な超能力について主人公京くんの場合は、ほぼマイナス要素でしかなく内気な性格に拍車がかかってる状況。
それ以降、そこかしこ?で発現する「シン能力」も正直微妙感は拭えず、自己の利益に限定して考えるなら逆に人間関係を一歩踏み込む際に枷になったり、自らを傷つけることになったりと活用の場所がありません。
ストーリー上、下手に能力を持ったがために厳しい現実を目にして臆病になって殻にこもる、そして自己の欲求を発現すべきタイミングでも一歩引いて他者との調整役を優先したりする様が延々と繰り返されます。
そういった脚本含め、優しい思いやりに溢れた作品は基本好物なんですけど、いくら超能力の影響があったとしても他者優先思考が過ぎるのは妙に綺麗過ぎて、多感な高校生の本質というものがつけてないんじゃないかと思わざるを得ません。
また能力の発現が映画の主要人物の感情のネタバレにも繋がってしまうので演出上使い所が難しく、その簡易的な紹介後、重要なシーンではほぼ使われてません。まあ、あの表現だと安っぽさがでちゃいますしね・・・。原作未読ですがそもそも映像化が困難な原作だったのかな、とも思いました。
では。
すれ違い
本当は難しい青春、考える人間関係
隠していることを起点としたそれぞれの学生生活を描いた物語。この年頃でこんなに考えることが多いなんて大変過ぎる、立派ですよ…。
少しゆっくりしたい時間帯にほわっとなりたい人にはおすすめ。
出来ることがあって、役割のようなものがぼんやりあるが、それが本当に必要なのか迷惑じゃないか自分じゃなくてもいいだろうと日常でもあることかな、迷ったときは後悔しないように動けたらいいな。なかなか簡単じゃないことだね。
新鋭な俳優さんそれぞれが主役のように感じてとても良かったが、友情とそれぞれの葛藤をもう少し見てみたかったかな?
情報足りなかったのであとであらすじ調べたところテーマとして絵本があったら面白いだろうなと思いました。
オジサンには劇薬でした(笑)
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映画チケットがいつでも1,500円!
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