ラブ・イン・ザ・ビッグシティのレビュー・感想・評価
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びっくり。こんな話だったんだ。
甘い甘い韓国風恋愛ドラマかな~と思って鑑賞しました。
びっくり。
男女2人の13年間を描いた物語ですが、様々なエピソードに韓国社会独特の風潮が反映されていて非常に興味深かったです。
女性蔑視、突然の激昂、親子関係、LGBT、喫煙…
日本との微妙な違いを興味深く感じつつ、主役二人の血を吐くような魂の触れ合いに心が震えました。
ラストのダンスシーンでは、ようやくここに至った二人の道のりを思うと涙が止まりませんでした。
人生ままならないなぁなんてときに観ると、一服の清涼剤となるかもしれない素敵な映画です。
愛よりも上、きらめきの関係性
バディとでも言いましょうか、この2人の関係性は。
感情がある人間という生き物が、他人を真の深く、奥底まで理解することがどれ位難しいことか。
ジェヒは惚れっぽく危ういところもあるが、開けっぴろげで男前な女性。対してフンスは、同性愛者であることに引け目を感じ、心を塞ぎがちな陰キャ男…かと思いきや、誰かの心の機微にすぐ気付く、無愛想だが繊細で根の優しい男性。
どうして自分のことを分かってくれてる筈なのに電話に出てくれない。来てと告げてるのにどうして来てくれない?こっちは辛いことがあった。どうして、どうして全部言わなければ分かってくれない?
いや、エスパーじゃないし世の中言わなきゃ分からないことなんて、星の数ほどあるよな。
そんな時は向かい合って同じものを食べてから、話をして。
言わなれば理解してもらえないことは沢山あるけれど、その言葉を発するまでが難しい。否定されたらその先は無いと大抵の人が思うだろうから。
けれどもその内側に籠った思いと背中を押してくれる存在が居る世界に、どれくらいの価値があることだろう。
今作の展開の美しさに言うことはないが、唯一寂しいことがあるとすれば、この2人のルームシェアをもう見れないこと。
小さいテーブルを挟んで同じ鍋から食べるインスタントラーメンがきっと美味しいし、テレビを見ながら一緒に食べる冷凍ブルーベリーも無限にいける。
もっともっと見ていたい、そんな関係性の2人の話である一方、女性差別やLGBTなど、多角的に社会的問題にも焦点が当てられており、考えさせられた点も多かった。メッセージ性の強い作品であるとひしひし感じた。
キム・ゴウンが最初から最後までひたすら可愛い!同性から見てもキュン...
主演2人の魅力がたっぷり詰まった作品
とにかくよい!
あえて言語化をサボるなら、とにかくよいんだよーーーっ!!!という感想
期待以上だった
あなどっていた
泣いてしまった
多様性、普通に馴染めない、
そんなコピーが並ぶけど、それはそうなんだけど、
この生きづらさは、この壁のぶち当たり方は、
割とみんな形を変えてあるのでは?と
だから、心に刺さってくる
そして、ジェヒもフンスも、傷つき悩み、
決して恵まれてる人生じゃない
それでも、ふたりがただひたすらうらやましくなる
こんな親友、なかなかいないだろう
この生きづらい人生の互いが互いの伴走者
必要としているときに駆けつける、助ける
駆けつけられなくても、異変に気づく
本気で怒ってくれる
ありのままの互いを受け入れる
「あんたらしさがなんで"弱点"なの?」
네가 너인게 어떻게 네 약점이 될 수 있어(あんたがあんたであることがなんであんたの弱点になるの)
韓国語がちょいわかる身としては、字幕より原語がさらに響いた
まさにこれなんだろうと思う
この作品の中で描かれていること
自分であること、それがなんなのか、少なくとも弱点にしないこと
それを探しもがくふたり
そして、
「可愛くて…カッコいい…カッコよすぎる」
この言葉もまたそう
散々な目にあってきたジェヒ
けれどむしろジェヒがジェヒであること、それを魅力と思う人の言葉
そこからのラスト
泣けるわ、そりゃ
こういう形、確かに
心に残り続ける、宝物のような映画がまた増えた
よくあるストーリーだけど良かった
自分を手放さないということ。
ちょうどこの作品を観る10日ほど前に韓国の大統領選が終わった。結果はご承知の通り。だが政治的な混乱は中々収集がつかないだろう。以前から不思議に思っていたのがユン前大統領支持派のデモや集会では米国の星条旗を振っている人が多いこと。対北朝鮮という観点からアメリカと同一化したい、期待をしているということなのだろうが、そのアメリカはトランプ政権下である。DEI嫌いのトランプの主張を真に受けて、韓国でマイノリティが今まで以上に住みにくい社会となっていくことを危惧している。
さてこの映画では大学で出会ったジェヒとフンスが、意気投合してルームシェアを始め、ジェヒが最終的に結婚して部屋を出ていくまでの13年間が描かれる(途中、フンスが兵役で留守する時間もある)この手の映画では「男女間で友情は成り立つのか」という時代遅れの命題が語られることが多く実際、女性誌などで今どきそんなコラムに接する(昭和か?)もちろん、彼らの関係はそんな生半可なものではなく、韓国社会では生きにくい二人それぞれの性格であったり性情がある中で、お互いを尊重し支え合う姿が描かれている。だから二人の関係は友情というよりもエンパシーと協働ということになると思う。
二人を取り巻く状況説明については、日本と同様にDEIへの取り組みが浅い韓国作品であるだけに、多分に画一的でご都合主義ではある。
けれども特筆すべきは、13年という長い時間、自分を見失うことがなかったジェヒとフンスの個人としての強さであり、そこに現実味があって説得性もあるところ、もたれあって個人が埋没していく日本社会が舞台ではあまり描ききれないパターンだと思う。キム・ゴウンとノ・サンヒョンは熱演。見応えがある。
最後のダンス
周りに溶け込みすぎない生き方
自分らしさが強みになる社会がいいな
映画の中でジェヒがフンスに言う象徴的な台詞「なんで自分らしさが弱みになるわけ?」
日本は同調圧力が強い社会だと言われるけど、韓国も全く同じなんだなと改めて思いました。韓国出身の友人、知人は自分の意見をハッキリ言うタイプが多いので、周囲の顔色や意向を気にして自分の意見を曖昧にする人が多い日本とは違うのかなと思っていたけど、この映画でのLGBTQIA+に対する集団的な差別、それを恐れてカミングアウトを拒む主人公、また自由奔放に生きる女性への厳しい目線やバッシング…
これじゃまるで日本と同じ、いやもしかしたら皆が意見をハッキリ表明する分、マイノリティが日本より生きづらい社会なのかもと思いました。
最近観た「ケナは韓国が嫌いで」という映画では、主人公が閉塞社会から逃げ出して海外へ移住するけれど、この映画では”社会の異端者”どうしが友情を通じて、お互いに成長し、自分は何者なのかを見出し、そして周囲の偏見をはね除けて幸せを掴んでいく、ポジティブなメッセージを残す結末が待っています。
私が過ごした大学は、「個性や自分らしさを示してナンボ(人と同じだったり「普通」だったりが軽蔑される)」という文化だったので、アラ還となった今でもその頃がとても懐かしく、この映画はそんな私自身の青春時代をも思い起こさせてくれる作品でした。日本社会の閉塞感、独自な考えや生き方に冷たい目線を向ける”マジョリティ”の人々、そしてマイノリティや異端者の生きづらさといったものを、私たち日本人も克服していけたらいいな、そして「自分らしさが強みになる社会」になるといいなと思える、この映画は現代を生きる私たち一人ひとりへのエールなんだと感じました。
⭐︎3.9 / 5.0
韓国映画と言えるかどうかすら微妙(本文参照)
今年143本目(合計1,684本目/今月(2025年6月度)6本目)。
物語の大半がフランス語で話されるので、フランス(のパリなりどこか)が舞台かなと思ったら、どうも韓国のソウルの仏文科が舞台で別に「国外には出ていない」ようです(この点後述)。
この意味で「フランス映画らしい」部分は多少見られ(完全に、ではない)、結末は自分で考えてね、というようなフランス映画あるあるな展開はまま見られます。一方で取り上げられる展開は2020年以降に主張されるようになった人権等、隣国である日本でも取り上げられるような事柄が大半なので理解はしやすいですが、「実体上」フランス映画枠とも思えるし(実際、大学なりは描かれても、韓国国内のどこかに行くとかという話は出ない。フランスなりどこなりのいわゆるコリアタウンが舞台と考える方が出てもある程度合理性はある。なお、公式サイトにはちゃんと「ソウルが舞台」ということは書いてある)、この点微妙かなぁ、といったところです。
こういった事情なので、一般的な韓国映画でいうアクションものではないし、どちらかというとフランス映画枠の扱いに近く、大阪市でいえばテアトル梅田さんやキノシネマ心斎橋さん(旧シネマート)等が好んで流しそうなタイプの映画です(どちらとも放映予定には入っていない模様)。
展開はどうしてもわかりやすいし、2020年以降に取り上げられている人権問題等、大人であればだいたい理解できる点はほぼ取り上げられているし、韓国特有の事情もほぼないので、隣国であるところの日本からでは理解はしやすいかな、というところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/韓国映画かフランス映画か微妙)
下記に述べますが、韓国には「韓国映画を各映画館ともこれだけ流しなさい」という法律、取り決めがあり(スクリーンクォータ制という)、確かに韓国映画ではあるものの実体はフランス映画というようにとれるので、韓国国内(あるいは、スクリーンクォータ制を取る国)の事情を知らないと、「なんでこんな展開にしたんだろう」が読み取れず詰んでしまうかな、というところです。
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(減点なし/参考/スクリーンクォータ制について)
日本でも第二次世界大戦終了までは「映画法」という法律があり、「国内の映画をこの割合で放映せよ」というようなものがありました。この割合を決める制度を「スクリーンクォータ制」といいいます(クォータには「割り当て」の意味がある)。もちろん第二次世界大戦のときには日本だけでなく各国で取られ、それは主に自国産業の保護は裏にはありつつも「みんなで一致団結して戦争に勝ちましょう」という趣旨のものでした。
日本では第二次世界大戦後、クォータ制度はなくなります。韓国ではまだ韓国映画が世界内で知られるようになるまでクォータ制度が存在しましたが、1990年以降に「73日」(毎日営業している場合を想定。毎週●曜日が休みなどの場合、縛り本数はそれに応じて割合的に減る)の制度は韓国には「今でも」残っています(違反した場合、不足数に応じて注意や警告のほか、映画館の(足りない日数に対応する)使用禁止というような制裁もあります。ただ、文化の保護というのが目的なので、注意警告というほうが普通)。ただ、韓国映画は2000年以降に一大発展を遂げて世界内でも一つの分野として認知されるほどになったため、クォータ制度は今も存在はしますが、実態的に意味を持たず形骸化されているにすぎません(せいぜい、韓国国内の道徳的な映画を放映しましょう、みたいな子供向け映画を想定した制度の枠として実質無意識に消費されているに過ぎない)。
ひるがえってこの作品を見ると、映画はどうみても韓国映画ですが、実態としてフランス語がどうだの文学がどうだのといった、かなりフランス映画寄りな発言をするので、まぁ2025年時点で「スクリーンクォータ制」をかいくぐることに意味がないのは確かですが(いくらでもヒット作が出てくるのでそうそうに73本なんて超えてしまう)、ちょっと趣旨がわかりにくいな、というところです(先進国の中でスクリーンクォータ制を取る国としては、韓国があげられます。フランス、スペイン等は昔はありましたが、現在では廃止されています)。
勝手にNYが舞台かと思ってた
TOHOシネマズでやたらと宣伝されるし、タイトルもカタカナだから勝手に舞台がニューヨークだと思っていたら大都会とはソウルのこと。
原題も『大都会の愛し方』で誰も欧米とか言っとらんやーんと出だしから1人ツッコミする自分。
そんなことは置いといて、日本でも自分がマイノリティだって宣言するのはいまだにほぼ無理だけど、韓国は別の意味で多分めっちゃ大変そう。
『ブエノスアイレス』や『君の名で僕を呼んで』を引き合いにして映画化した本作は、韓国がLGBTに対する考え方が変わって来た証拠だと思いたい。
ありのままが大切 素晴らしい作品
出る釘は打つのではなく磨いて輝かせればいい
偏見で人を悪く見下すのでは無く個性を尊重する
自分のありのままを大切にすることの大切さ
他者見下し あざ笑うこの世の中を
少しでも変えていきたいという作者のこのような気持ちが伝わってくる作品でした
作品内の学生達のヒソヒソ話 嫌でしたねー
同性婚や夫婦別姓の問題など世界的にも遅れている日本の社会や政治にも お隣の韓国からこのような作品が発表されるというのはとても大きな意味があると感じました 素晴らしいことだと思いました
作品内では交番で 酔っぱらいが拍手をしてしまい
交番の警官達もつられて共感し拍手してしまう
あのシーンよかったです
あと韓国の鍋ごとインスタントラーメンいいですね
今晩は鍋ごと いただきま~す
作品のイントロでの屋上での不つり合いな服装の意味 納得の作品でしたね
キム・ゴウンさん素敵ですね大ファンになりました
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