ラブ・イン・ザ・ビッグシティのレビュー・感想・評価
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よくあるストーリーだけど良かった
男女の友情のストーリーで少し在り来りのような気もしますが、全体的にちょっとうるっと来たり良かったです。キムゴウンの魅力全開でした。
オープニングの映像はなんだったのか。
日本でも韓国でも共通かもしれませんが、どちらかというとマイノリティへの差別やイジメは韓国の方が強そう。
もっと韓国感やソウル感があるかと思ったら、そんなにビックシティ感はなかったけど。原作に「大都会」と付いているのですね。
日本人の俳優と監督でリメイクして欲しい。今泉力哉監督あたりで。
自分を手放さないということ。
ちょうどこの作品を観る10日ほど前に韓国の大統領選が終わった。結果はご承知の通り。だが政治的な混乱は中々収集がつかないだろう。以前から不思議に思っていたのがユン前大統領支持派のデモや集会では米国の星条旗を振っている人が多いこと。対北朝鮮という観点からアメリカと同一化したい、期待をしているということなのだろうが、そのアメリカはトランプ政権下である。DEI嫌いのトランプの主張を真に受けて、韓国でマイノリティが今まで以上に住みにくい社会となっていくことを危惧している。
さてこの映画では大学で出会ったジェヒとフンスが、意気投合してルームシェアを始め、ジェヒが最終的に結婚して部屋を出ていくまでの13年間が描かれる(途中、フンスが兵役で留守する時間もある)この手の映画では「男女間で友情は成り立つのか」という時代遅れの命題が語られることが多く実際、女性誌などで今どきそんなコラムに接する(昭和か?)もちろん、彼らの関係はそんな生半可なものではなく、韓国社会では生きにくい二人それぞれの性格であったり性情がある中で、お互いを尊重し支え合う姿が描かれている。だから二人の関係は友情というよりもエンパシーと協働ということになると思う。
二人を取り巻く状況説明については、日本と同様にDEIへの取り組みが浅い韓国作品であるだけに、多分に画一的でご都合主義ではある。
けれども特筆すべきは、13年という長い時間、自分を見失うことがなかったジェヒとフンスの個人としての強さであり、そこに現実味があって説得性もあるところ、もたれあって個人が埋没していく日本社会が舞台ではあまり描ききれないパターンだと思う。キム・ゴウンとノ・サンヒョンは熱演。見応えがある。
最後のダンス
周りに溶け込みすぎない生き方
人と違うことは弱みではなく強み
ゲイのスンホと周りと違うことで悪目立ちをするジェヒとの十数年に渡る友情を描いた物語。
写生の課題で一人だけ違う視点で描いたことを教師に褒められたことにより、苛烈なイジメを受けてフランスの高校へ避難せざるをえなかったジェヒ。
惚れっぽいことから誤解を受けて、非難中傷を受けたり、モラハラ気味の婚約者に執着されたり、散々な目に遭う。
一人帰ろうとするジェヒを「夜道の一人歩きは危険」と送ろうとする同僚にたいして、「男性が先に帰れば夜道は危険でなくなる」と返したところは同性でも惚れるほどあっぱれ。
人と違うことは弱みではなく強みと教えてくれた、
自分らしさが強みになる社会がいいな
映画の中でジェヒがフンスに言う象徴的な台詞「なんで自分らしさが弱みになるわけ?」
日本は同調圧力が強い社会だと言われるけど、韓国も全く同じなんだなと改めて思いました。韓国出身の友人、知人は自分の意見をハッキリ言うタイプが多いので、周囲の顔色や意向を気にして自分の意見を曖昧にする人が多い日本とは違うのかなと思っていたけど、この映画でのLGBTQIA+に対する集団的な差別、それを恐れてカミングアウトを拒む主人公、また自由奔放に生きる女性への厳しい目線やバッシング…
これじゃまるで日本と同じ、いやもしかしたら皆が意見をハッキリ表明する分、マイノリティが日本より生きづらい社会なのかもと思いました。
最近観た「ケナは韓国が嫌いで」という映画では、主人公が閉塞社会から逃げ出して海外へ移住するけれど、この映画では”社会の異端者”どうしが友情を通じて、お互いに成長し、自分は何者なのかを見出し、そして周囲の偏見をはね除けて幸せを掴んでいく、ポジティブなメッセージを残す結末が待っています。
私が過ごした大学は、「個性や自分らしさを示してナンボ(人と同じだったり「普通」だったりが軽蔑される)」という文化だったので、アラ還となった今でもその頃がとても懐かしく、この映画はそんな私自身の青春時代をも思い起こさせてくれる作品でした。日本社会の閉塞感、独自な考えや生き方に冷たい目線を向ける”マジョリティ”の人々、そしてマイノリティや異端者の生きづらさといったものを、私たち日本人も克服していけたらいいな、そして「自分らしさが強みになる社会」になるといいなと思える、この映画は現代を生きる私たち一人ひとりへのエールなんだと感じました。
⭐︎3.9 / 5.0
明るく笑いそして泣ける。こんな映画をもっと観たい。
傷つきながらもありのままの自分であろうとする二人の生きずらさ。
そんな二人の友情を越えた特別な関係。
終盤の結婚式でそれまで堅物で真面目な印象だった男が踊り、やがて二人で踊るダンス・シーンがいい。
「観客を泣かせるために」誰かが死んだりはしない。
(お母さんが危なかった!?)
二人の関係に明るく笑いそして泣ける。
こんな映画をもっと観たい。
泣かせるために死んだり、難病だったり、突然彼女が消えたり、只々悲しくする安易な日本映画は是非見習ってほしい。
何がいいとかじゃなくて
ジェヒ(キム・ゴウン)の男気に惚れ惚れする。
なんて男運の悪い女なんだ。
もうフンス(ノ・サンヒョン)と一緒になればいいのにと
無理な話だけど思っちゃった。
フンスとオンマの関係性が最初は痛々しくて
息苦しそうなフンスが切なかったけど
カミングアウトできた後、ショックを受けたオンマが
ショックながらも息子を理解しようと
「君の名前で僕を呼んで」をひとり観に行くって泣けるし
なんて可愛いオンマやーっ!!
あれが木苺酒でよかったよ、ほんとに。
本当に血が繋がった姉と弟以上の絆のふたり
ずっと観ていたくなる
ふたりとも幸せになって欲しい
韓国映画と言えるかどうかすら微妙(本文参照)
今年143本目(合計1,684本目/今月(2025年6月度)6本目)。
物語の大半がフランス語で話されるので、フランス(のパリなりどこか)が舞台かなと思ったら、どうも韓国のソウルの仏文科が舞台で別に「国外には出ていない」ようです(この点後述)。
この意味で「フランス映画らしい」部分は多少見られ(完全に、ではない)、結末は自分で考えてね、というようなフランス映画あるあるな展開はまま見られます。一方で取り上げられる展開は2020年以降に主張されるようになった人権等、隣国である日本でも取り上げられるような事柄が大半なので理解はしやすいですが、「実体上」フランス映画枠とも思えるし(実際、大学なりは描かれても、韓国国内のどこかに行くとかという話は出ない。フランスなりどこなりのいわゆるコリアタウンが舞台と考える方が出てもある程度合理性はある。なお、公式サイトにはちゃんと「ソウルが舞台」ということは書いてある)、この点微妙かなぁ、といったところです。
こういった事情なので、一般的な韓国映画でいうアクションものではないし、どちらかというとフランス映画枠の扱いに近く、大阪市でいえばテアトル梅田さんやキノシネマ心斎橋さん(旧シネマート)等が好んで流しそうなタイプの映画です(どちらとも放映予定には入っていない模様)。
展開はどうしてもわかりやすいし、2020年以降に取り上げられている人権問題等、大人であればだいたい理解できる点はほぼ取り上げられているし、韓国特有の事情もほぼないので、隣国であるところの日本からでは理解はしやすいかな、というところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/韓国映画かフランス映画か微妙)
下記に述べますが、韓国には「韓国映画を各映画館ともこれだけ流しなさい」という法律、取り決めがあり(スクリーンクォータ制という)、確かに韓国映画ではあるものの実体はフランス映画というようにとれるので、韓国国内(あるいは、スクリーンクォータ制を取る国)の事情を知らないと、「なんでこんな展開にしたんだろう」が読み取れず詰んでしまうかな、というところです。
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(減点なし/参考/スクリーンクォータ制について)
日本でも第二次世界大戦終了までは「映画法」という法律があり、「国内の映画をこの割合で放映せよ」というようなものがありました。この割合を決める制度を「スクリーンクォータ制」といいいます(クォータには「割り当て」の意味がある)。もちろん第二次世界大戦のときには日本だけでなく各国で取られ、それは主に自国産業の保護は裏にはありつつも「みんなで一致団結して戦争に勝ちましょう」という趣旨のものでした。
日本では第二次世界大戦後、クォータ制度はなくなります。韓国ではまだ韓国映画が世界内で知られるようになるまでクォータ制度が存在しましたが、1990年以降に「73日」(毎日営業している場合を想定。毎週●曜日が休みなどの場合、縛り本数はそれに応じて割合的に減る)の制度は韓国には「今でも」残っています(違反した場合、不足数に応じて注意や警告のほか、映画館の(足りない日数に対応する)使用禁止というような制裁もあります。ただ、文化の保護というのが目的なので、注意警告というほうが普通)。ただ、韓国映画は2000年以降に一大発展を遂げて世界内でも一つの分野として認知されるほどになったため、クォータ制度は今も存在はしますが、実態的に意味を持たず形骸化されているにすぎません(せいぜい、韓国国内の道徳的な映画を放映しましょう、みたいな子供向け映画を想定した制度の枠として実質無意識に消費されているに過ぎない)。
ひるがえってこの作品を見ると、映画はどうみても韓国映画ですが、実態としてフランス語がどうだの文学がどうだのといった、かなりフランス映画寄りな発言をするので、まぁ2025年時点で「スクリーンクォータ制」をかいくぐることに意味がないのは確かですが(いくらでもヒット作が出てくるのでそうそうに73本なんて超えてしまう)、ちょっと趣旨がわかりにくいな、というところです(先進国の中でスクリーンクォータ制を取る国としては、韓国があげられます。フランス、スペイン等は昔はありましたが、現在では廃止されています)。
勝手にNYが舞台かと思ってた
TOHOシネマズでやたらと宣伝されるし、タイトルもカタカナだから勝手に舞台がニューヨークだと思っていたら大都会とはソウルのこと。
原題も『大都会の愛し方』で誰も欧米とか言っとらんやーんと出だしから1人ツッコミする自分。
そんなことは置いといて、日本でも自分がマイノリティだって宣言するのはいまだにほぼ無理だけど、韓国は別の意味で多分めっちゃ大変そう。
『ブエノスアイレス』や『君の名で僕を呼んで』を引き合いにして映画化した本作は、韓国がLGBTに対する考え方が変わって来た証拠だと思いたい。
ありのままが大切 素晴らしい作品
出る釘は打つのではなく磨いて輝かせればいい
偏見で人を悪く見下すのでは無く個性を尊重する
自分のありのままを大切にすることの大切さ
他者見下し あざ笑うこの世の中を
少しでも変えていきたいという作者のこのような気持ちが伝わってくる作品でした
作品内の学生達のヒソヒソ話 嫌でしたねー
同性婚や夫婦別姓の問題など世界的にも遅れている日本の社会や政治にも お隣の韓国からこのような作品が発表されるというのはとても大きな意味があると感じました 素晴らしいことだと思いました
作品内では交番で 酔っぱらいが拍手をしてしまい
交番の警官達もつられて共感し拍手してしまう
あのシーンよかったです
あと韓国の鍋ごとインスタントラーメンいいですね
今晩は鍋ごと いただきま~す
作品のイントロでの屋上での不つり合いな服装の意味 納得の作品でしたね
キム・ゴウンさん素敵ですね大ファンになりました
チング(真の友/真友)
今年の6月は毎週、5~7作品「観たい」と思う作品が集中して公開されており、どれを諦めるかの取捨選択に苦悶しています。そんな中、本作『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』は劇場でかなりの回数トレーラーを観ていて、「(どちらかと言えば)若者向きの作品かな」と感じて優先順位をやや下げていたのですが、先日、意図したわけなく配信で観た作品に出演するキム・ゴウンに魅了されたのを決め手に、本作を今週(公開作品)の初日に鑑賞することを決めました。
「二人の物語」はまず20歳の出会いから。思うところあって「極力目立たない存在」でいようとするフンス(ノ・サンヒョン)と、思いのままの言動で周囲から反感を買い「浮いた存在」であるジェヒ(キム・ゴウン)は、ひょんなことをきっかけにお互いをはっきりと認識することとなります。日中「生き辛さ」を感じながら大学生活を送る二人は、その反動もあって「夜遊びと深酒」がルーティンとなり、程なく意気投合して一気に距離が縮まっていきます。そして利害の一致から始まる「共同生活」を過ごしていくうちに強固になっていく二人の仲はその後、「フンスの兵役」や「ジェヒの就職」などの大人の階段を経ていくことで段々と変化していき…
劇中、フンスは「自身のセクシュアリティ」のことで悩み、またジェヒも「男性上位な社会と、そこで生きる女性の振舞い方」に強い違和感を感じながらの毎日です。近年まで当たり前のように「普通」とされてきた考え方がまだまだ根強く蔓延るなか、「異端」と見なされる志向や振舞いは許容されず、時に暴力的にその場から排除されることすらあって、劇中の二人も度々精神的、時に肉体的にも傷ついています。そしてその都度、辛い自分のことを差し置き、必死で相手に「救いの手」を指し伸ばし合う二人。お互いを「チング(真の友/真友)」と認め合い、時に喧嘩して相手にムカつき怒鳴り散らしていても、ふと相手の異変に気付いた途端必死に心配するところなど、最早神々しくて泣けてきます。何なら、中盤以降は「二人が一緒にいる姿」だけで鼻の奥がツンとして落涙するのを押さえるのに必死。もう、そんな「最強のふたり」に心を打たれ通しで、いよいよ終盤のシーンでは我慢できずに決壊。いや、これはみんな泣くでしょ。。
勿論、この手の映画には主人公を引き立てることとなる「存在や言動」、すなわちヘイトがあるからこそ展開していくわけですが、本作もやはり例外ではありません。その為、当事者である方の気持ちに完全には寄り添えないことを自覚して、安易に解った気にはならないよう気を付けて観たつもりですが、しっかりバランスが取れていてリアリティも感じる内容は、現状において「完璧」「傑作」と言う評価が過言でないと思います。
いやぁ、今年の6月はレベルが高い。。これまた(『国宝』に続き)オールタイムベストに加えたい一作でした。参りました。
「起承転結を出し過ぎでしょ」と言いたくなる映画予告を見て、ある期待...
「起承転結を出し過ぎでしょ」と言いたくなる映画予告を見て、ある期待を持って観に行き、ほぼその通りの映画でした。その期待とは「バブルの頃の日本の若者に近似した感性が見られるかも」というものです。スマホのやり取りをしているので時代は今の韓国ですが、カッコ良さの基準、キャンパスライフ、ステイタス、ブランドへの価値観や、カラオケや居酒屋、クラブでの酒の飲み方、ケンカ、オイルライターネタで会話ができるといったコミュニケーション&スタイルは正にそれであり、そこに描かれた物語はシナリオ、演出、なにより気づけば、この「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」のいうタイトルセンスさえ、昔のドラマ「東京ラブストーリー」と同じじゃありませんか。期待通り、それら感性群に十分に浸ることができました。一方、ゲイの方々の相手への愛情の質は男女のそれと変わらないのだなと改めて(新たに)感じた次第。そのフンスですが、凛々しい姿と親友思いの行動は「男が惚れる男」であり(笑)、愛らしく自由なジェヒとの少し変わった関係を楽しく、時には切なく、総じて清々しく生きてきた二人に「頑張れよー」と最後は友達のように大きく手を振りたくなる。そんな気分になれる映画でした。
普通って何?
原題を直訳すれば「大都市での恋愛方法」だそうだ。果たして上手く立ち回って生きることが成功の秘訣なのか?もし「上手く立ち回る」ということが「長いものに巻かれる」と同義だとするならば、その社会規範(「長いもの」)から外れた瞬間に不幸が訪れるのかも知れない。
長年儒教に基づく家父長制的価値観に縛られてきた韓国社会において、性的マイノリティや、男に意見するような女性が生きづらい思いをするのは決して想像に難くない。
しかしそれは韓国に限った話ではなく、都会のある程度意識の高い人々の集まりでは薄まってきているかも知れないが、全国的に見ればまだまだ日本社会も家父長制の価値観にどっぷり浸かったまま。
ここで問われるのが、「普通」って何?ということだろう。ある人にとっての普通は必ずしも別の人の普通ではないかも知れない。
ありとあらゆる一切の偏見から逃れられる人間は現実的にはいないかも知れない。でも、少数派の人々が肩寄せ合って互いの傷を舐め合いながら生きなくてはならない社会は、決して「普通」ではない。しがらみから解き放たれ皆が当たり前に幸せになれる世の中の実現を望みつつ、もう一つ、「友情」って何?という問いにも答えられたら、と思えた作品だった。
全89件中、61~80件目を表示
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